なんとなーく、当ブログの編集画面を見ていたら、下書き状態のまま放置されていた記事を見つけました。
下書きの途中で放ったらかしにして、投稿することなく置き去りにしていた記事です。
せっかくだから、きょう、投稿しておきます。
◇ ◇ ◇
鉄ネタなのですが、片町線(学研都市線)の木津~長尾間が電化されたときの写真です。
↑平成元年(1989年)3月11日、電化開業の当日。
同志社前~田辺(現京田辺)間にて撮影。
今では見られない「片町ゆき」です。
電車の後方に見えているレンガ造りが、みつまんぼ。(見づらいけど)
この時代、バブル経済の絶頂期でした-。
車両正面に掲げられた、電化開通を祝うヘッドマークの〝豪華さ〟も、時代を反映している気がします。
↑田辺~同志社前間。
編成を全部写しとれていないですが、電化開通当時の松井山手~木津間は103系の3両編成で運行されていました。
電化されたのは良かったんだけど、線路が昔のままだったので(ロングレールになっていなかった)、103系が走るようになった直後は、
沿線住民から「騒音」に関する問い合わせが相次いだとか…。
↑これも、田辺~同志社前間にて。
↑上の画像と同じ場所で写した、現在の様子。
今年の7月に写したものです。
線路沿いには住宅が建ち並びました。
下書きの途中で放ったらかしにして、投稿することなく置き去りにしていた記事です。
せっかくだから、きょう、投稿しておきます。
◇ ◇ ◇
鉄ネタなのですが、片町線(学研都市線)の木津~長尾間が電化されたときの写真です。
↑平成元年(1989年)3月11日、電化開業の当日。
同志社前~田辺(現京田辺)間にて撮影。
今では見られない「片町ゆき」です。
電車の後方に見えているレンガ造りが、みつまんぼ。(見づらいけど)
この時代、バブル経済の絶頂期でした-。
車両正面に掲げられた、電化開通を祝うヘッドマークの〝豪華さ〟も、時代を反映している気がします。
↑田辺~同志社前間。
編成を全部写しとれていないですが、電化開通当時の松井山手~木津間は103系の3両編成で運行されていました。
電化されたのは良かったんだけど、線路が昔のままだったので(ロングレールになっていなかった)、103系が走るようになった直後は、
沿線住民から「騒音」に関する問い合わせが相次いだとか…。
↑これも、田辺~同志社前間にて。
↑上の画像と同じ場所で写した、現在の様子。
今年の7月に写したものです。
線路沿いには住宅が建ち並びました。
平成元年3月11日。
もう20年以上前ですか…。
そんなに昔のことだとは思えないけど、
同じ地点で撮られた写真を見せていただくと、
時の流れを実感せずにはいられませんね…。
ヘッドマークは豪華だけれど、
今から見れば何となく古めかしいデザインにも思えます。
平成元年って、やっぱり「昔」なんやな…。
この20年で急速に発展した片町線沿線の様子がよくわかる、
貴重な写真ですな。
投稿ありがとうございます。
↓こんなCMでしたっけ…
「221系登場」「新快速米原延長」など、
今日に至るアーバンネットワークの基礎を築いたダイヤ改正でした。
http://www.youtube.com/watch?v=BHhUyftfc7E&feature=related
以前に『木津だよ』に掲載した写真なので、たぶん見たことある画像だと思いますが、せっかくなのでブログにも投稿してみました。
京田辺市の人口増加が進んだのも、片町線の電化・列車増発があったからこそだと思います。
知らぬ間に20年が経過してしまいました。
そうそう、あの頃は南野陽子がCMに出ていましたね。
ウエンズ(WENS)のCMが忘れられません。
「西の、東の、北の、南の、陽子の旅-」
というセリフだったと思います。(セリフの最後が南野陽子の名前と引っかけてある)
このセリフのために、南野陽子がCMキャラクターに起用されたのかな…と思ったものです。