→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録① 1~2日目=国立外交院、徳寿宮周辺等
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録③ 4日目(前半)=ソウル大学校を散策(?)
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録④ 4日目(後半)=広大なソウル顕忠院を散策(??)
複数で旅をしていると、私ヌルボの歩みは遅れがちになってしまいます。根本原因は韓国語でいうところの숏다리(ショッタリ)ということなんでしょうが、この言葉について説明している→コチラの記事には、その利点(?)を「目の前の小さいことがよく見えることでしょうか」と記しています。
歩くのが速い人を観察すると、A地点からB地点に移動する際、B地点にいかに早く到達するかということのみ念頭においているかのように、脇目も振らず前進する人が多いように思われます。
ヌルボの場合は、上記ショッタリに加えて、街の看板等の文字を読んだり路傍の花とかに注目したり、またそれらを常時携帯しているデジカメで撮ったりしながら歩いているので、それもまた遅れる大きな理由になっています。A地点とB地点との間のもろもろも、いろんな<発見>があるということ。それもまた旅の大きな魅力です。
○3月29日(火) 午前7~11時
この日も朝早くから行動開始。まずソウル駅へ。
まだ6時少し過ぎ。朝食は駅構内のうどん屋で。例によってゴテゴテしたメニューが多い中、分量も具も日本人向きはほとんどこれだけ(?)といった感じのユブうどんを食べました。(左) ユブ(유부)は漢字だと「油腐」。油揚げのことです。
7時発のKTXに乗り込みます。毎度思うことですが、こんなレジでくれるレシートそのまんまの乗車券でいいのか? ポケットの中の他の紙屑と一緒にゴミ箱に捨てちゃったりする日本人はいないかな? (いるとしたら自分自身ですけど。) 最近はスマートフォンのアプリでも購入でき、紙発券も不必要になっているそうです。(うーむ、時代についていけそうにない・・・。) 不安といえば、改札口がない上、車内での乗車券確認もなく、到着駅でも下車してそのまま駅の外に出るだけ。タダ乗りしようと思えばできるような気もするのですが・・・。(乗務員が回ってきたらトイレに隠れるとか・・・。)
9時45分釜山駅に到着。初めてこの駅に来たのは1992年。最初の訪韓で、関釜連絡船でやって来ました。釜山には2006年にも来ましたが、その時には鉄道は利用しなかったので、駅内に入るのは今回が2度目。とは言っても、最初の時は古くてうら寂しい駅舎でした。
[問1] 上右は、駅ビル内で見かけた東西大学校のCM画像です。この人物の名は? (ヒント:有名な映画監督です。) [答]→林権澤(イム・グォンテク)
後で調べると、東西大学校は2008年に彼を碩座教授に任命し、彼の名を付した林権澤映画芸術大学を創設しました。そして2013年3月に海雲台の東西大学センタムキャンパス内に林権澤映画博物館が開設されたとのことです。(→参考記事。)
駅前広場も新しい造形物等がいろいろできてずいぶんようすが変わったのも当然です。が、変わってないなというところも散見されます。たとえば・・・。
上左はアリランホテル。韓国に来て最初に泊まったホテルです。交通の便が良く、低料金なのが取り柄。今回のホテルはここではありません。上右は道路を挟んで駅正面の建物。「Sex Shop성인용품(成人用品)」とか「남성수술(男性手術) 비뇨기과 피부과(泌尿器科 皮膚科)」といった文字が目に入ります。
中央洞のホテルまで1㎞足らずの道すがら、道路沿いのビルで目についたのが次のような掲示。
「임대(賃貸)」の文字があちらにもこちらにも・・・。去年だったか、清潭洞(チョンダムドン)のようなソウルの一等地でもオフィスの空室が目立つといったニュースを観ました。昨2015年9月の「中央日報」の記事<韓国のオフィス空室率13%、金融危機以降で最悪>(→コチラ)によると、釜山の空室率は15~16%台とのこと。不景気によるオフィス需要の低落は深刻なようです。
10時頃ホテルに着き、大きな荷物だけ預けてすぐ街に出ました。釜山については事前にあまり情報を仕入れていなかったので、この日のコースはすべてY氏にまかせることにしました。もう1人のN氏は韓国人の知人と会うため東大邱でKTXを下車。夜ホテルで落ち合う予定です。
まず向かった先は、私ヌルボの要望を容れてコチラへ。ホテルから歩いてすぐです。
40階段文化観光テーマ通り。朝鮮戦争当時の多くの避難民にとっての思い出の場所で、今世紀になって新しい観光名所となり、約450mの通りに往時を偲ぶ造形物がいくつも設置されました。
40階段。もっと長く高低差のある階段となんとなく思っていましたが、実際に見るとなんともチャチな階段。考えてみれば「たったの」40段ですからね。ところで、→コチラの記事によると、「元々は1909~1912年頃、当時釜山に住んでいた日本人が二つの山を削って交通路を確保した際作られた階段」で、現在のものは「1953年11月に起きた釜山駅前大火災の際、南へ30メートル移動したもの」なのだとか。(現地の説明板の写真を後で見たらそんなことも書かれてました。)
この記念碑の裏面(右画像)には「慶尚道アガシ(경상도 아가씨)」の歌詞が刻まれていました。「泣いて越える朴達嶺(울고넘는 박달재)」で有名な演歌歌手パク・ジェホン(박재홍)の1951年(←朝鮮戦争中)のヒット曲です。※この歌は→コチラ(YouTube)で聴けます。
では、40階段文化観光テーマ通りにある路上造形物をピックアップして紹介します。
アコーディオンを弾くおじさんと、子連れのおかあさん。男の子は素っ裸です。
休憩するお父さんと、水を運ぶ姉妹。どうも男たちと比べると母親や女の子たちが忙しく立ち働いているようです。
左は下に「부산정거장 거리(釜山停車場街)」と表示されています。反対側には20~30mほど線路が延びています。[問2] 上右のおじさんは何をしているのですか? [答]→ポン菓子を作っている。 「懐かしいですねー」という日本人は何歳以上? 説明板には「뻥튀기 아저씨(ポンティギ・アジョシ)」とありました。もちろん、これも日本語同様「ポン」と大きな音がするのでこう言うのですね。ヌルボの少年時代の徳島ではパットライスと言ってました。ただ、日本ではふつう米を膨らませたのに対し、韓国ではトウモロコシだったのかも・・・。この件についは、昨年10月に観た韓国映画「許三観」の感想記事(→コチラ)で少し書きました。
次は40階段文化館に行こうということでしたが、場所は今ひとつよくわからず。
40階段を上がった所でY氏がガイドブックでその位置を確かめています。(左)
[問3] 背後の奇妙ならせん状の構造物は何? [答]→上の道に上がるための道
文化館(右)にはたどり着いたものの、あいにく臨時休館でした。→コチラの記事(韓国語)の画像でおよその展示内容はわかりますが・・・。
上記のらせん状の道を上から見たところ。なんとオートバイが上がって行ったりしてました! 人が乗ったままです。緩やかなスロープになっているので「車椅子でもOK」とのことですが、オートバイを走らせるのは危険でしょう。
ここだけでけっこう歩きましたが、まだ11時頃。この日もまだまだ歩き続けます。
【往事の40階段】
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録③ 4日目(前半)=ソウル大学校を散策(?)
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録④ 4日目(後半)=広大なソウル顕忠院を散策(??)
複数で旅をしていると、私ヌルボの歩みは遅れがちになってしまいます。根本原因は韓国語でいうところの숏다리(ショッタリ)ということなんでしょうが、この言葉について説明している→コチラの記事には、その利点(?)を「目の前の小さいことがよく見えることでしょうか」と記しています。
歩くのが速い人を観察すると、A地点からB地点に移動する際、B地点にいかに早く到達するかということのみ念頭においているかのように、脇目も振らず前進する人が多いように思われます。
ヌルボの場合は、上記ショッタリに加えて、街の看板等の文字を読んだり路傍の花とかに注目したり、またそれらを常時携帯しているデジカメで撮ったりしながら歩いているので、それもまた遅れる大きな理由になっています。A地点とB地点との間のもろもろも、いろんな<発見>があるということ。それもまた旅の大きな魅力です。
○3月29日(火) 午前7~11時
この日も朝早くから行動開始。まずソウル駅へ。
7時発のKTXに乗り込みます。毎度思うことですが、こんなレジでくれるレシートそのまんまの乗車券でいいのか? ポケットの中の他の紙屑と一緒にゴミ箱に捨てちゃったりする日本人はいないかな? (いるとしたら自分自身ですけど。) 最近はスマートフォンのアプリでも購入でき、紙発券も不必要になっているそうです。(うーむ、時代についていけそうにない・・・。) 不安といえば、改札口がない上、車内での乗車券確認もなく、到着駅でも下車してそのまま駅の外に出るだけ。タダ乗りしようと思えばできるような気もするのですが・・・。(乗務員が回ってきたらトイレに隠れるとか・・・。)
[問1] 上右は、駅ビル内で見かけた東西大学校のCM画像です。この人物の名は? (ヒント:有名な映画監督です。) [答]→林権澤(イム・グォンテク)
後で調べると、東西大学校は2008年に彼を碩座教授に任命し、彼の名を付した林権澤映画芸術大学を創設しました。そして2013年3月に海雲台の東西大学センタムキャンパス内に林権澤映画博物館が開設されたとのことです。(→参考記事。)
駅前広場も新しい造形物等がいろいろできてずいぶんようすが変わったのも当然です。が、変わってないなというところも散見されます。たとえば・・・。
中央洞のホテルまで1㎞足らずの道すがら、道路沿いのビルで目についたのが次のような掲示。
10時頃ホテルに着き、大きな荷物だけ預けてすぐ街に出ました。釜山については事前にあまり情報を仕入れていなかったので、この日のコースはすべてY氏にまかせることにしました。もう1人のN氏は韓国人の知人と会うため東大邱でKTXを下車。夜ホテルで落ち合う予定です。
まず向かった先は、私ヌルボの要望を容れてコチラへ。ホテルから歩いてすぐです。
40階段文化観光テーマ通り。朝鮮戦争当時の多くの避難民にとっての思い出の場所で、今世紀になって新しい観光名所となり、約450mの通りに往時を偲ぶ造形物がいくつも設置されました。
この記念碑の裏面(右画像)には「慶尚道アガシ(경상도 아가씨)」の歌詞が刻まれていました。「泣いて越える朴達嶺(울고넘는 박달재)」で有名な演歌歌手パク・ジェホン(박재홍)の1951年(←朝鮮戦争中)のヒット曲です。※この歌は→コチラ(YouTube)で聴けます。
では、40階段文化観光テーマ通りにある路上造形物をピックアップして紹介します。
次は40階段文化館に行こうということでしたが、場所は今ひとつよくわからず。
[問3] 背後の奇妙ならせん状の構造物は何? [答]→上の道に上がるための道
文化館(右)にはたどり着いたものの、あいにく臨時休館でした。→コチラの記事(韓国語)の画像でおよその展示内容はわかりますが・・・。
ここだけでけっこう歩きましたが、まだ11時頃。この日もまだまだ歩き続けます。
【往事の40階段】
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