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韓国ドラマ「英雄時代」を読み解く[13] 流行歌「死の賛美」と尹心悳

2010-07-17 17:47:55 | 韓国の音楽
 この<「英雄時代」を読み解く>で、これまで「オッパセンガク」「愛国歌」「希望歌」と、12回中3回歌をとりあげてきました。今回が4度目。元来音楽が好きで、このドラマでも歌が出てくると既知・未知を問わず耳をそばだててしまいます。

 第18話で、テサンやテホを支援する金持ちのオルシン(大人)カン・ユングンの次女でテサンへの思いを断ち切れないヘヨンがレコードを聴いています。

ソヒ(姉)「またその歌?」
ヘヨン「いい歌じゃないの。お姉さんはきらい?」
ソヒ「自分で命を絶った女でしょ? 尹心悳とかいう歌手と恋人の金祐鎮・・・」


 ・・・あ、この歌は知ってるゾ! 「夕べとなれば美し・・・、ってイヴァノヴィチ作曲の「ドナウ川のさざなみ」だったな」と思って<도나우강의>(ドナウ川の)でググると、案の定「도나우강의 잔물결」がありましたが、YouTube中には器楽演奏のみ。

 DVDを再度見てみると、何のことはない、「死の賛美」という歌のタイトルまで台詞中にありました。
 YouTubeで検索しなおすと、ドラマで流れていた1926年吹き込みの歌がみつかりました。
 とりあえず、聴いてみてください。→尹心悳(歌)「死の賛美(사의 찬미)」
 しかし、どこのどなたか、こういう歌をYouTubeにのっけてくれる人がいるんですねー。

 また尹心悳(윤심덕.ユン・シムドク)という歌手について記されているサイトもいろいろありました。

 たとえば「東洋経済日報」の<関釜フェリーにて―玄界灘に消えた尹心眞(崔碩義)>という記事や「朝鮮新報」の<朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち[](金学烈)>という記事。

 上記サイトから、彼女の生涯を略述すると以下の通りです。

 朝鮮最初のソプラノ歌手・尹心悳(1897~1926)は平壌生まれ。京城女高普を1914年卒業した後、1915年官費留学生として渡日し、青山学院をへて上野音楽学校声楽科に入学した。卒業公演で「人形の家」のノラ役を好演し、帝国劇場支配人からスカウトされたが、イタリア留学を夢見る彼女はこれを断った。 
 帰国した彼女は、オペラのアリアやシューベルトの歌曲を朝鮮で初めて披露した。美貌も幸いし、大変な人気を博した。
1921年夏。東京留学生たちの劇芸術協会による朝鮮での演劇巡演に参加した。趙明煕作・金祐鎮演出の「金英一の死」などと音楽、講演の組み合わせで朝鮮の25都市を回った。
観客の熱狂ぶりを「東亜日報」も報じている。しかし、劇中セリフの「10年前には自由があったが、今はない」が臨席警官の摘発となり、公演中止となってしまった。
 1926年尹心悳は「死の賛美」という歌をレコードに吹き込み、これが爆発的にヒットする。
ところが同年、あたかも「死の賛美」を実演するかのように、関釜連絡船の徳寿丸から玄界灘に投身、金裕鎮(劇作家で、妻帯者)とともに心中を遂げた。相手の金裕鎮は木浦の資産家の息子で、築地小劇場の運動に影響を受け、劇団を組織して朝鮮各地を巡演していた。


 この心中事件には、「松井須磨子が師の島村抱月の後を追って自殺したこと(1919)と、有島武郎の軽井沢での情死事件(1923)の影響が多分にあったようである」と崔碩義さんは記しています。

 上記「朝鮮新報」の記事はかなり詳しく書かれていますが、筆者の金学烈さんは7月12日の記事に記したように金素月の詩「山つつじ」も「痛恨の亡国の情と独立への願望のうた」と考える人なので、尹心悳の祖国愛・民族愛の強さについての記述も相当部分ご自身の願望が込められているのではと思ってしまいます。
   
   
            【尹心悳

 ドラマの時代は心中事件から19年も経った1945年。それでも人々の記憶に残るほどの印象的な事件だったということでしょうか。
 1991年には韓国でこの心中事件を描いた「死の賛美(사의 찬미)」という映画も作られています。

 ※<京城蒼月倶楽部>というサイトにもかなり詳しくこの歌について、歌詞とその翻訳つきで記されています。


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