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在日コリアンのさまざまな人間関係と葛藤を描いた深沢潮の小説を読む

2017-08-14 23:58:33 | 在日の作家と作品
        

 深沢潮(ふかざわ うしお)の小説を続けて3冊、1週間で読了しました「ハンサラン 愛する人びと」(その後「縁を結う人」と改題して新潮文庫から刊行)、「緑と赤」「ひとかどの父」の3冊です。
 深沢潮は日本名の作家ですが、両親は在日韓国人で、自身は結婚・妊娠を機に日本国籍を取得したという女性です。
 以下は、主に「ハンサラン」についの記事ですが、私ヌルボの感想は、アマゾンの「縁を結う人」の(現在のところ)お二方のレビュー(→コチラ)とほとんど同感の★5つで、それらより良い文章は書けそうもないので、ちょっと視点を変えて書いてみます。

 この「ハンサラン 愛する人びと」は6つの短編で構成されています。
 その最初が「金江のおばさん」で、この作品は2012年第11回R-18文学新人賞を受賞しました。
 主人公の<金江のおばさん>は70歳くらいの在日2世。総連の婦人会の人脈を生かして30年来手広く在日の間の結婚を仲介してきた<お見合いおばさん>で、この1編だけでも見合いする男女や、見合い以前の破断、あるいは日本人との結婚の事例等々、実に多様な在日の諸家庭や個人の事例が描かれています
 本文は27ページと短いものの、登場人物がなんと21人!(かな?) この短編だけでも独立性はあるので上記の賞を受賞したということでしょう。

 2つ目の短編は「四柱八字」。四柱推命のことを韓国ではこういうそうです。
 主人公のミスクは20年ほど前に来日して在日男性と見合い結婚したニューカマー女性、45歳。新大久保で<風水>占い専門のチジョンハルモニの下で四柱推命の占い師として働いています。
 ところが、後の方でチジョンの知り合いということで紹介された客が上述の<金江のおばさん>の夫。病気の娘のこと、北朝鮮に行った息子のこと、孫の進学のこと等々の相談を受けます・・・。

 3つ目以降の各短編にも、前に出てきた人物が少しずつ登場します。
 要するに、この「ハンサラン」は短編集のように見えて、実は6つがすべて連関しているのですね。最初の「金江のおばさん」の登場人物21人中、10人(?)が後の5つの中でも出てきます。つまり、連作短編集というのでしょうか。
 先に名前がちょっと書かれている程度の<端役>が後の方で主人公になっていたりもしています。(その主人公もおばあさんから中学生までと幅があります。)

 つまり、これだけの全体的な構想を立てた上で書かれた小説だったのですね。当然のことながら、冒頭にも書いたようにさまざまな在日の諸家庭や個人が描かれています。
 それぞれの家庭の違い(「北」か「南」か? 日本人・日本社会との<距離>、チェサ(法事)等の伝統を守るか?等々)や、世代の差異が多くの葛藤を生みます。
 おそらく、作者自身の体験・経験がこの小説の随所にちりばめられているのではと思います。
 そして日本人も。韓国人と結婚した日本人、露骨な差別者、「気にしない」と言う者、「韓流」ファン等々。

 「緑と赤」でも、ヘイトスピーチや、若い在日世代の<民族アイデンティティ>のゆらぎといった問題を、登場人物の主人公を「ハンサラン」と同様に移行させる手法で、多角的に浮かび上がらせています。

 私ヌルボがこれまで読んだ在日作家の作品は、自分の体験が生(なま)に近い形で書かれたものがほとんどでした。(李良枝「由煕」とか、最近では崔実「ジニのパズル」とか・・・。)
 しかし、深沢潮の場合は、上記のように巨視的視点と微視的視点の双方から、客観・主観の間を行き来しつつ叙述することで、自分自身にも当然あっただろう種々の葛藤を冷静に見つめ、昇華しているのではと思います。それは本人の資質ゆえか、年の功ゆえか(?)・・・。
 その分、読者としても悩み苦しむ主人公とともに重苦しい気分に沈むこともなく、文体自体も軽めなのでエンタメ小説のような読まれ方もありえると思います。
 (そしてまた、強い「思い込み」や「押しつけがましさ」がないのは、今の時代の雰囲気を反映しているのか、もしかしたら(良くも悪くも)日本人っぽい感性になりきっているのか(??)そこらへんはよくわかりませんが・・・。)

 「ハンサラン」が2012年で、1970年代の日韓間の問題等を扱った「ひとかどの父へ」と現在のヘイトスピーチ問題を取り上げた「緑と赤」が2015年刊行。作者が自身のツイッター(→コチラ)で「2012年に受賞してから、自分のなかに堆積していたものをもとに小説を描いていたことが多かったけれど、特にここ最近からは、取材をして物語を構築していくのが増えたし、そのプロセスがとても好き。」と書いているのはこれらの作品のようです。
 アマゾンの読者レビューも多くは高評価ですが、「ひとかどの父へ」のレビュー(→コチラ)の中で(日本国籍の取得を)「私は同化というふうには思わない。韓国籍のままそこで闘うという姿勢ではなくて、日本のメンバーになって在日のために何ができるのかという思いはすごくある」という著者の発言に対して「はい。わかりました。要するにスパイする為に帰化したと。。」と★1つの最低評価を下しているものがありました。
 すると、日本在住の外国人や、日本国籍を取得した外国人も共に住みやすい社会を志向する日本人は「裏切り者」とよばれてしまうのか・・・?
 「深沢潮」で検索すると、同様の記事や動画がいくつもヒットします。
 日本国籍を取得しようがしまいが、「朝鮮人の血が流れている」ということだけで忌避する人たちは、「度量の広さが日本人の美徳」とは思わないのでしょうか? 近年よく使われる「残念な人たち」とはこういう人たちを指すのかな? やれやれ。

[追記] 在日社会について私ヌルボが知らなかったことを知ったのも大きな収穫でした。チェサ(祭祀.法事)の時に作るチヂミジョンは違うものなのですか? (そう書かれていたけど。) ヌルボの理解では、家庭でふつうチヂミと言ってるものを店ではジョンというとたしか教わり、そう思ってきましたが、今ネット検索するといろいろあるようですね。

        


[関連過去記事] →<在日コリアンの8割は韓国語(朝鮮語)ができない。民族意識が強くない人も多数(推定)>(2017年2月)
 主として福岡安則「在日韓国朝鮮人」(中公新書.1993)の内容を紹介したものです。在日コリアンの意識・生活が多様化している状況がアンケート調査結果から読み取れる本で、私ヌルボ自身興味深く読みました。
 ただ、刊行されたのが1993年。以後20年以上も経ってしまいました。その後、同じような内容の本は目にしていません。一方、その間在日社会もさらに変わってきました。
 いまや2~4世(+5世の子ども)がふつうになった在日コリアン中(レベルにもよりますが)「韓国語(朝鮮語)ができない」人は8割どころか9割に達しているかもしれません。
 この新書本では<在日の多様化>のおおよその趨勢はわかっても、その変化に起因する部分も多いさまざまな在日社会内部あるいは日本人との間の対立・葛藤についてはもちろん書かれていません。それをきちんと見せてくれたのが深沢潮の小説でした。

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