ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

[韓国の漫画] 1960年代の大人気生活明朗漫画「ヤクトンイとヨンパリ」を読む ①

2017-03-14 14:33:31 | 韓国の漫画
 

 韓国の往年の人気漫画「ヤクトンイとヨンパリ(약동이와 영팔이)」を読みました。
 方泳軫(パン・ヨンジン.방영진.1939~99)の代表作で、発行年は1962年ですが、私ヌルボが読んだのは2003年発行の復刊本です。元々は1部20巻、第2部20巻の合計40巻になるシリーズでしたが、この復刊本1冊には1部の1~3巻が収められています。

      
 左の3人が主役級。左からヤクトンイ(약동이)、中学3年。巻末の解説によると名前は약다(賢い。才気がある)から命名したとのことです。
 その右はヤクプニ(약분이)。ヤクトンイの妹で中学2年。
 そして3人目がヨンパリ(영팔이) いかにも顔つきそのままの、向こう気の強い少年で、ヤクトンイのいるクラスに転校生として入ってきたところから物語が始まります。ところで、60年代日本の中高生にもたくさんいたニキビ面の生徒は、今もふつうにいるのかな? 昔ほどには見なくなったような気もしますが・・・。
 右の6人はその周囲の人たち。左の2人はヤクトンイ兄妹の両親、中の2人はヨンパリのお父さんとお祖母さん。それぞれ子供たちとよく似ています。大人たちは皆韓服ですね。右端の2人はヤクトンイたちと親しい級友で、左がホルチュギ(홀쭉이.やせっぽち)、右がトゥントゥンイ(뚱뚱이.太っちょ)。この2人は物語が進むほどにずいぶん活躍もするのですが、ずっとこの見た目通りのあだ名のままで、なんだかなー、です。
        
 舞台はこんな農村。まだセマウル運動以前で、農家は瓦葺きではなく藁葺きです。場所は具体的にどことは書かれていませんが、方泳軫は朝鮮戦争の時に生地ソウルを離れて忠清南道牙山(アサン)市[現]にある顕忠祠(ヒョンチュンサ)近くの農村で暮らしたので、そこでの経験が生かされているそうです。
 中学校の正門。今の韓国で、このような漢字表記の看板はあまりないと思います。左は「一等男子中學校」で右は女子。しかし同じ建物を仕切って使用しているようです。転校して初めてこの学校に来たヨンパリ父子。「お父さん、そっちは女子の教室だよ」と言っています。当時の中学校すべてが別学だったということではなく、共学が増えつつあった時期のようです。また当時の韓国では、まだ中学校は義務教育ではありませんでした。中学校就学率は→コチラの記事(韓国語)によると1970年で36.3%と、3分の1を少し上回る程度。中学が義務制になったのは1985年で、その時の就学率は82.0%。日本人の感覚からすると意外なほど遅かったのですね。
 「酸素溶接の時に使う酸素ボンベを鐘の代わりに使ってるんですね」 「なんだ、この学校は鐘1つ買う金もないのか?」 「あっちが職員室ですよ」
 絵を見ただけではわかりません。日本の小学校で授業の始まりと終わりを知らせる鐘を(当時の言い方では)小使いさんが振って回っていたのは1950年代まで?(未確認) 私ヌルボ、かすかに記憶に残っています。
 「この学校は鐘1つ買う金もないのか?」に対する答えは、あとの展開を見ると「その通り」のようです。「この学校には緑がない」という校長の言葉を受けて、全校(男子&女子)で植樹に取り組みます。山持ちの家の生徒を通じて山の木を選定し、掘って校庭に運んで移植するまで全部生徒の作業で、公費支出ゼロ。この方式がどれだけ一般的だったかは不明ですが・・・。
        
  話はちょっと戻って、この学校への初登校の道すがらのヨンパリと、ヤクトンイたちとの出会いの場面です。1人で歩いていく途中、ヘビを踏んづけてしまったヨンパリ。それをホルチュギとトゥントゥンイに見られてしまいます。「ヘッヘッ・・・」 「おっ、あいつら・・・」というわけで・・・。
      
 このあたり、数コマ飛ばしますが、要は案の定の展開でケンカの始まり。2人が相手ですが、ヨンパリ強し! と、その場に遅れてやってきたのがヤクトンイ。「初めて会うヤツがケンカをふっかけてくるじゃないか」と興奮気味のホルチュギに対し、「あー、やめろよ」とにこやかに制します。
 その場は一応おさまります。が、その後もなかなかヨンパリは級友たちとソリが合わず、とくにヤクトンイがなぜかヨンパリに主敵とみなされてしまいます。
          
 こんな少年たちも、家では不平を口にすることもなく農作業などの手伝いをしています。いや、手伝いというよりも、それがふつうの生活だったということでしょう。
 ヤクトンイは「영차(ヨンチャ)」(よいしょ)と掛け声を発していますが、この漫画では何度も出てくる言葉です。それだけ少年たちの力が頼りになる場面が多かったのですね。
      
 自分の家で収穫した農作物や家畜等を売ったり、必要な物を買うため市場へ。
 左はヨンパリ父子。「もしもし、そのブタは売り物ですか?」「そうだ!」 「じゃあ私に売ってくださいよ。そのウサギまで買いますよ。」 (ヨンパリはウサギ2羽が入った箱を背負っている。) しかしヨンパリ父はここでは売りません。
 一方、右はヤクトンイ兄妹。豆を売りに来ました。「全部で何斗かな?」「4斗です。」 「まず量ってみよう。」「良い豆だわねえ。」 ※[韓国語学習] ここでは「말」=「斗」、「되다」=「量る」の意。
 ヤクトンイは豆を売ったお金でウサギを買う心づもりでした。おりしもヨンパリがウサギを売っているのを見つけ、いくらか訊くと「1匹400ウォン」と高値をふっかけられます。父親からは「1匹200ウォンで売れ」と言われていたのですが、「ヤクトンイには売るものか!」という気持ちが先行。別の所でその話を兄から聞いたヤクプニが選手交代でヨンパリの所に行くと・・・。
 なんと「1匹100ウォン」と大サービス。(笑) 通学の途中、橋が壊れて困っているヤクプニのために橋を直したりしたこと等もあって、彼は内心ヤクプニに好意をもっていたのです。そしておまけに、(上左)「これ、どうやって持って行こうかしら?」「箱まで持ってって。」 (上右)「じゃ、すみません」「だいじょぶ、だいじょぶ。」
 この時、ヨンパリはまだヤクプニがヤクトンイの妹だということを知りません。後でそれを知ることになって、ヤクトンイと仲良くした方がよさそうだと・・・、まあ自然な考えか。また上記の山の木の移植作業の中でのホルチュギとトゥントゥンイによる2人を仲良くさせる策略(委細省略)も功を奏して、この本の半ばくらいになってヨンパリはヤクトンイ(&ヤクプニ)と親しくつき合うようになります。

 以下、→に続きます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国内の映画 NAVER映画の人... | トップ | 韓国内の映画 NAVER映画の人... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

韓国の漫画」カテゴリの最新記事