ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[韓国の漫画] 1960年代の大人気生活明朗漫画「ヤクトンイとヨンパリ」を読む ②

2017-03-15 23:22:47 | 韓国の漫画
 →2つ前の記事の続きです。

 なかなかヤクトンイと打ち解けなかった転校生のヨンパリですが、ようやく本書の半分あたり(原本の第2巻)で親しくなり始めます。そして次のような場面。
 夏休み中のある日、同じ村の資産家の息子で、ソウルの中学校に入った少年(左端)が級友を2人連れて帰って来ているのに出会いました。ところがその2人の生徒が村の中学校をぱかにしたような言葉を連発します。 「ホントにこんな村で暮らしてると力が全部抜けちゃいそうだ。」 「そうか! こんな所で暮らしてるオレたちの力が抜けてるか抜けてないか見せてやるか?」「おー!」
 いつもにこやかなヤクトンイまで怒ってますねー。
 「さあ! 見ろ!」「おお!」「おお!」 「力が抜けてるかいないか」「わあ!」 やっぱりヨンパリ、ケンカはつ強いわー。・・・と、このあたりまでが原本の第2巻。その後の第3巻では、ソウルへの修学旅行が仲間4人の懸案事項になります。ヨンパリ父は名うてのケチで、修学旅行の費用も出してくれないというのです。そこで自分たちでお金を稼ごうということになり、ヤクトンイの発案でドジョウを養殖して売ろうということになったのですが、それに適した池を持っているトゥントゥンイのお祖父さんがなかなか認めてくれなくて・・・、というところで、この第1~3巻の合本はオシマイ。巻末の解説だと、続きの巻で首尾よくいって皆修学旅行に行けたそうですが・・・。

 かなり長くなってしまいましたが、本書(原本1部20巻中の第1~3巻)のあらましは以上です。
 本書巻末の、時事漫画家・朴在東(パク・ジェドン)による解説による、物語はこの後中学校を卒業した4人組がいろんな壁を乗り越えてソウルの高校に進学し、貧民街の板子家(パンジャチプ)に住みアルバイトをしながらも運動部員として活躍したり恋愛話とかもあるようです。あ、ヤクプニも1年後にソウルの女子高に進学し上京して来ます・・・。

 このような続きの物語は、→<YES24>のサイトを見ると、2013年に原本の第1部(全20巻)が4巻ずつまとめられた5分冊で一挙に刊行されているので、ソチラで読めそうです。

 次に、韓国漫画史の中でのこの作品の位置づけや、作者の方泳軫(パン・ヨンジン)等について。

 本書の解説や韓国漫画史関係の記事等によると、この漫画のジャンルは<生活明朗漫画>あるいは学園明朗漫画>とよばれているようです。なるほど、という内容でしたね。
 発行年の前年(1961年)は5.16軍事クーデターで朴正熙が政権を握った年で、政治的には不安定な時期でしたが、当時の社会の一端が垣間見られるように思います。
 日本でも近年、とくに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)の公開頃から60年代を懐古する風潮がありますが、この韓国漫画が復刊されたのももしかしたら共通する要素があるのかもしれません。ただ、韓国の60年代は日本の同時代よりも10年かそれ以上前のような感じです。
 また、私ヌルボがちょっと懐かしく思ったのは、この「古臭い」絵柄。たとえば「フクちゃん」とか、初期の頃の「サザエさん」とかとちょっと似ているのではと思います。
 まあ、当時(に限らず)韓国の漫画界は日本漫画の影響を強く受けていたので当然といえば当然なのですが。ただ、これも巻末の解説によると、方泳軫は自尊心が強く、1958年「7天使(7천사)」で雑誌デビューした翌年に出版社から「手塚治虫の短編漫画「透明人間」をそのまま描け」と指示された時もストーリー展開と登場人物は独自のもの変えて描いたし、この「ヤクトンイとヨンパリ」で韓国を舞台に、韓国の少年たちの生活を描いていること自体もそんな意識が働いていたということです。
 ※手塚治虫の「透明人間」は1955年「少年クラブ 3月号付録」のようです。
 そして、まさに時代を反映しているのが表紙中にある円いマーク。(右画像)
 顔の上は「검필(検筆)」、その下のハングルは「韓国児童漫画自律委員会」と読めます。つまり、朴正熙政権による検閲が書籍や映画だけでなく漫画にも及んでいたということ。この時期はまだこのような「自律的」な組織によるものだったのが、1968年に政府は漫画事前審議制度を施行した。この事前検閲制は刊行物倫理委員によって1997年まで続いたが、その後も「青少年有害媒体の表示」を目的として現在もなお事後審議が行われている。<ナムウィキ>の「漫画検閲制」の項目(→コチラ)では、これを「偽装された検閲」と明記している。。

 なお、方泳軫は、この作品以前にヤクトンイを主人公にした別の作品を出しています。左画像の上右側は「明朗ヤクトンイ」、そして上左が「探偵ヤクトンイ」です。顔つきからしていかにも「探偵」ですね。日本語に訳された海外の探偵小説を参考に、日本よりずっと早く(!?)探偵物の漫画を描いて人気を得たとのことです。
 しかし大人気を博したのはこの「ヤクトンイとヨンパリ」で、1960年代この漫画は金珊湖(김산호.キム・サノ)のSF漫画「ライファイ(라이파이)」[ライパイ](右画像)とともに双璧だったそうです。

 このような大ヒット作を生んだ方泳軫ですが、1964年満25歳の若さで持病のリウマチが極度に悪化し、漫画を描く時でさえ壁にもたれて痛みをこらえながら描くという状態だったそうです。そして医師の忠告もあり漫画界を去ります。その後70年代に少し回復した時に「ミニ行進曲」という漫画を「女学生」という雑誌に連載しましたが、それが彼の漫画作品の最後でした。以後は童謡等の作曲をしたり絵本を描いたりして生活し、1997年58歳で世を去りました。

[余談] あの「食客」で有名な漫画家許英萬(ホ・ヨンマン)は学生時代この「ヤクトンイとヨンパリ」に夢中になって漫画家への夢を抱くようになったそうです。彼が漫画家としてデビューした70年代にはすでに方泳軫は漫画界を去っていましたが、許英萬は個人的に方泳軫を訪ねて行って挨拶を交わしたとのことです。「食客」の中でも「有名画家のパン・ヨンジン画伯」が登場しているのだそうですが、これは私ヌルボ記憶にないなー。

[おまけ] 韓国の漫画の歴史については、<コネスト>の記事「韓国マンガ事情~前編~」(→コチラ)に要領よくまとめられています。

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