ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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高齢者になって初めてわかった大切かもしれないこと

2020-11-29 23:26:03 | エッセイ・雑文(韓国・朝鮮関係以外)
高齢者になって初めてわかった大切かもしれないこと
     = 自分本位?のシニア向け公開講座 =

 こんにちは。今日はいつもの韓国・朝鮮の話じゃなくて、年の話をします。年齢のことね。あ、あまり楽しい話題じゃない?・・・ですよね。皆さんもほぼ私と同じ世代ですから。
 実は私、昨年一月満七十歳になったんですよ。還暦が数え年で六十一歳だから、古稀もてっきり数え年七十一歳つまり今年かと思ったら、古稀は数え七十歳、つまり一昨年だったんですね。初めて知りましたよ。

 それにしても、時間が過ぎるのが早いですね。最初三十歳頃に以前より時の過ぎるのが早くなってるなと思ったのですが、その後はどんどん早くなっていって、この十年なんかあっという間に過ぎた感じで・・・。
 もしかすると、身体の動きが鈍くなると時間を感じる密度もまばらになるんでしょうか? 小学生の頃は授業の合間の10分ほどの短い休憩時間にサッと外に出て遊んでサッと教室に戻ったりしてましたからねー。病院などの待ち時間など子どもが我慢しきれないのも当然でしょう。逆にこの年になるとボーとしてるだけで一時間なんかすぐ過ぎちゃいますよね。
 若い頃読んだ筒井康隆の短編小説で「急流」という作品があって、これが時間の進み方が加速度的に早くなる話で、「朝便所に入って出てくるともう夜になっている」とか、「家を出る時には雪が降っていて会社に到着した時は夏のまっさかりで汗びっしょり」というほどで、最後は「二〇〇一年から先に時間はなかった。そこでは時間が滝になってどうどうと流れ、落ちていたからである。」で終わるんですが、ホントにそんな感じ。([右]「筒井康隆全漫画」より)

 さて、年を取ると体が利かなくなってきたり、記憶力が衰えたりというのは当然のことで、皆さんも実感されているのではないでしょうか?
 人の名前が出てこないことはよくあるというか、ありすぎ。子どもの頃テレビを見ていて母親がよく、「ほら、あの女優よ、あの、・・・誰だっけ?」などと騒いでいた姿を思い出しますが、今は私の番。言葉のど忘れは固有名詞から普通名詞に進んでいきますが、今の私はまさにその段階です。
 私はもともと物覚えがよくなくて失敗談もいろいろありますが、二十年ほど前に愕然としたことがありました。
 ある日図書館にいた時、ど忘れしたことを思い出そうとしていたのです。ところが結局思い出せないまま外に出てまもなく、ふと今まで自分が何を思い出そうとしていたかが思い出せないことに気づいたのです。ややこしいですが、わかりますよね? いやあ、皆さんもそこまでいかなくても、それに近いことはあるんじゃないですか? 忘れちゃいけないと思ってメモしておいたのに、メモ用紙をどこに置いたか探したりとか・・・。そういえばバカボンのパパの名セリフに「忘れようとしても思い出せない」というのがありましたねー・・・。

 視力で、これも年のせいかな?と思ったのは、四十代だったか五十代だったか、「逢魔が時」とよく言われる淡い夕闇の時間帯がどうも短く感じるようになったんです。なんか明るかった状態がストンと暗くなる感じで。もしかして、と思い起こしたのは高校の生物の授業で習った視細胞のことですよ。視細胞には棒細胞と円錐細胞の二種類があって、棒細胞は明暗を感知し、円錐細胞は色彩を識別するということですが、今は桿体(かんたい)細胞、錐体(すいたい)細胞と言ってるようですね。で、この桿体細胞が衰えてきたというのがやっぱりこの原因のようですよ。皆さん、感じていましたか? 少し前、私よりそれなりに年下の美術の先生とそんな話をしていると、色合いの見え方も鈍くなるそうですよ。つまり錐体細胞の衰えですね。これは気づいてなかったです。そういえば、数年前に東京都美術館にモネ展を観に行ったことがありましたが、そこで初めて見た彼の最晩年の作品がなんかヘンなんですよ。明るく澄んだ色調という印象だったのが、暗くて濁った感じになっていて・・・。彼は白内障を患っていたそうで、それで見え方も変調をきたしたようですね。私も気づかないうちに色の見え方が変わっているのかもしれません。

 皆さん聴力はいかがですか? 小さい声が聞こえにくくなるだけじゃないんですね。何十年も前、テレビを見ていたら子どもから高齢者まで三十人くらいだったか集めて聴力検査をしてるんです。最初は全員手を上げていて、ピーという電子音を徐々に高くしていって、聞こえなくなった人は手を下ろすというものなんですが、手を下ろすのはまさに高齢者から順々になんですよ。私も中年グループの人たちとほぼ一緒に続いて手を下ろしましたが、小さい子はずっと手を上げたままなんですよ。
 そしてつい先日の話。「宮本から君へ」という映画を観に行ったら、登場人物が感情むき出しでやたらに怒鳴ったりするんですよ。実際そんな人が大勢いるものでしょうかねー?・・・という話は措(お)くとして、どうもその怒鳴り声が音が割れる感じで意味が聞き取れないんです。周りの人を見たらちゃんと聞き取って反応してるようだし、これも聴力の衰えのあらわれかなと帰ってググってみたら案の定でした。
 あるサイトに「加齢性難聴の4つの特徴」というのが上げられていました。
  ①高い周波数が聞えない-高い音から聞こえなくなる。
  ②リクルートメント現象-小さい音は聞こえにくく、大きい音はうるさく感じる。
  ③周波数分解能が落ちる-ぼやけた、割れた、歪んだ音に聞こえる。
  ④時間分解能が落ちる-早口の声は、分かりにくくなる。
 ・・・というもので、なるほど、思い当たることばかりですよ。

 ところで、皆さんの中で蚊によく刺される方はいらっしゃいますか? 私は十数年前から蚊に刺されなくなったなと思ってました。ところがある時自分の足の甲に蚊がとまっているのを見たんですよ。でも痛みも痒みもナシ。刺されなくなったんじゃなくて、刺されても感じなくなってたんですね。ハハハ。それも高齢化のためだと物識りの知人が言うので調べて見たら、過去何百回、何千回と刺されまくった高齢者は体内に免疫ができて痒さを感じにくくなるんですと。これっていいことのようにも思えますが、そうともいえないかもしれません・・・。

 と、ここまで高齢化による身体的衰えや感覚の衰えについていくつか話してきましたが、実はここまではなが~い前置きで、本論はここからなんです。すみません。

 この夏、名古屋に行った時久しぶりに学生時代の友人に会いました。クラス会の折に顔を合わせたりもしていますが、二人だけでいろいろ話したのは学生時代以来。つまり半世紀ぶりです。でも、何年経っても人は変わらないものですねー。いろんなことを昨日の話の続きのように話しましたよ。
 その当時、つまり一九七〇年頃、前後の脈絡は記憶にありませんが、彼の話した言葉は今も覚えています。
 「僕は大人になっても若者に対して『キミも大人になったら分かるよ』というような大人には決してならないぞ」
というのがその言葉です。
 私は高校教員という仕事柄ということもあって、座右の銘ということでもないですが、しばしばこの言葉を思い出しました。「キミも大人になったらわかるよ」という言葉は生徒とのコミュニケーションを自ら閉ざす「逃げ」の言葉になってしまいます。まだ大人になっていない若者に通じる言葉を、どこまでも探すのが教師の務めではないでしょうか。それで必ずしも通じるわけでもないですが・・・。

 そして今、先に言ったような高齢化による劣化を考えていてふと思い当たったことがあるのです。
 それは「大人になったら分かる」どころか、逆に「大人になって分からなくなってしまったこと」がたくさんあるんじゃないか?ということ。
 たしかに、長年生きてきた人は経験知を豊富に蓄積しているのは事実ですが、その一方でいろんな物事を感知する能力などは高齢者はあきらかに衰えている、あるいは失われているのではということですよ。
 視力や聴力が衰えたというだけじゃなくて、たとえば場の雰囲気を読むとか、人の心を推し量る感度なんかもそうかもしれませんね。それが劣化すると自分だけ我を通して周りの人たちを困らせたり、またそのこと自体に気がつかなかったり・・・。「頑固おやじ」というのも元々の性格よりもそんな年のせいかもしれません。それ以外に、芸術的感性、文学的感性なども同様でしょうね。若い時だから分かること、感じることができるものは必ずあった。それが失われただろうことは分かるとしても、それが何だったかはもう分からない。いや、おおかたの大人は、それが失われたことさえ気づいていないのではないでしょうか? さびしいことですけど、こればかりはどうしようもありません。ただそのことを多少なりとも自覚して若い人たちに接すれば少しはいいかも・・・。
 あまり経験知を振りかざさないことと関連して、最近何かで「年寄りは若者に教えたがる傾向があるが、それはやめることです」という注意を読みましたがごもっともです。私なんぞ、あきらかにその傾向がありますからねー。それからよく言われるのが高齢者の話は長いということ。私もよく言われますが、今回もずいぶん長くなってしまいました。どうもすみません。では終わります。あ、最後にひとつ付け加えますと・・・ってこれは冗談。
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