ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ②北朝鮮の景勝地に刻まれた数万(?)の悲しい文字

2011-12-12 01:45:48 | 北朝鮮のもろもろ
 → アンドレイ・ランコフ「民衆の北朝鮮」を読む ①日常生活を多岐にわたり詳述 の続きです。

 私ヌルボが20年前(1991年)北朝鮮の開城を訪れた時は、善竹橋が有名な歴史の舞台であることも、朴淵の滝が名高い景勝地であることも知りませんでした。

 その朴淵の滝で印象に残っているのは、滝の水が落ちるその岩壁に、人の名や詩句がいくつも、大きく刻まれていたことです。
 説明によると、昔の両班が石工に彫らせたものだそうで、朝鮮では古くから景勝の地ではそのようなことが行われていたとのことです。

 龍岩という大きな岩には、李白の詩が流麗な書体で彫られています。黄真伊が髪の毛で彫ったと伝えられるものです。→写真
※岩に字を彫るのは中国が本家本元でしょう。泰山は行ったことはありませんが、画像を見るとさすが。

 ところが、そのような伝統を踏まえて(?)、北朝鮮では1970年代から金日成を、あるいは金正日を賛揚する言葉が北朝鮮のすべての景勝地に数多く刻まれています。
 開城に行った時にも、具体的な記憶は残っていませんが、たしかに見ましたね。金日成と刻まれた字に対するわれわれ日本人観光客の否定的な受けとめ方を感じ取った北朝鮮案内員(か、総連関係者)が、上記のように「昔からの伝統」を言いわけ的に話していたように思います。
※1984年発行の「凍土の共和国」に金剛山の刻字についての記述があったので、北朝鮮訪問時にはすでにそのことを知っていました。
※参考:開城旅行記(日本のブログ)

 「民衆の北朝鮮」によれば、この「岩に文字を彫るという狂気じみた活動」(原文のまま)は1972年に始まった、とあります。金日成の生誕60周年を祝った年です。そのアイディアは、初期段階では金日成自身のものとされていましたが、現在では金正日将軍の輝かしい発明と説明されているそうです。
 本書に引用されている北朝鮮の歴史家の文章には次のように記されています。

 速度戦突撃隊と地元住民の支援者は、偉大な首領に対する熱烈な献身の感情に鼓舞されて、1982年2月までに、金剛山に61ヶ所(3690文字)を彫り込んだ。その規模と深い思想的内容において、世界のどこにも比類のないものである[確かに!-筆者]。このように、自然石に書かれた“チュチェ”という碑文は高さが27m、幅が8mあり、その文字は1.2mの深さがある。
[確かに!-筆者]は著者(ランコフ)の皮肉。

 ランコフによれば、その後1990年代前半に、上記の碑文を超える碑文がやはり金剛山にできました。김일성(金日成)の3字が各々高さ20m×幅16m、深さ90㎝で彫られたそうです。
 また、「北朝鮮の当局者は最近(21世紀初頭?)全国で約2万の文字が彫られたと豪語した」とあります。

 「朝鮮日報」(日本語版)の2001年の記事(※登録しないと読めません)
にも、スローガン岩(구호바위)は、金剛山だけでおよそ60ヶ所、約4500字に達し、全国的には2万字を超えるものと伝えられている」とあります。

 より新しい情報としては、やはり「朝鮮日報」の今年(2011年)3月28日の「名山の岩の字4万字・彫像3万5千、軍は北の政権崩壊の時、偶像化の象徴物なくす」という記事が見つかりました。(→同 自動翻訳
 それによると、2002年に金正日の60回誕生日に合わせて、金剛山で最も広いバリ峰に「천출 명장 김정일 장군(天出名将金正日将軍)」という字を彫ったそうです。写真を見ると、その大きさがわかります。
※この文言に関して、2004年南北離散家族再会事業で、韓国側の関係者が「천출(天出)は賤出とも読める」と冗談を言って問題化した<賤出名将事件>が起こりました。

 またこの新聞記事によると、見出しにあるように岩に彫られた字の数は4万字にのぼるということで、事実だとすると10年足らずの間にさらに倍増(!)したということになります。

 この間金剛山観光で現地を訪れた韓国の人たちのブログに載っている写真を見ると、たしかにその字の多さと大きさが目に着きます。たとえば→コチラ
 このような自然破壊の「落書き」に嘆き、あるいは憤っているブログ記事もいくつもあります。たとえば→コチラ。上記の巨大な「주체(チュチェ)」の刻字の写真も載っています。

 また、→コチラのブログでは、「統一が成ったら、これらの字は消すべきなのか、歴史の痕跡として残すべきなのか、アタマが複雑になります」と記しています。(「後の日の教訓としてすべて残すべき」とのコメントあり。)

 この点について先の「朝鮮日報」の記事では、「北の急変事態に備えた計画には、"共産主義の遺物遺跡は抹消させ、一部は保存して、歴史の教訓とする"という規定が含まれていることがわかった」とあります。
 しかし、銅像等は壊すことができても、こんなに多くの岩に刻まれた字は消しようがないと思いますが・・・。

 ランコフは、これに関して次のように結んでいます。

 こうした碑文は金日成の時代と彼の野望への、長く続く記念碑になるであろう。何十年にもわたり、それらは怒りといらだち(おそらく、賞賛がまじりあって)を引き起こすであろう。しかし、遅かれ早かれ、それらは古代のバビロニアやアッシリアの王たちの同じような巨大建築物の石碑のように、遠い過去の面白い名残になるであろう。

 何世紀も先のことを思えばランコフのように「面白い名残」になるかもしれませんが、私ヌルボ、近い将来(北朝鮮の体制崩壊後)を考えると、いや、今もうすでに哀しい気持ちになっています。かつては多くの人々が理想を持って国づくりに携わった社会主義体制のなれの果ての、これもまたひとつの象徴です。

 歴史遺産の中に、「負の歴史遺産」というのがあります。
 アウシュヴィッツ収容所とか、(アメリカが反対した)原爆ドームとか・・・。
 そして現在の北朝鮮の政治犯収容所は、すでにして「負の歴史遺産」当確の施設だと私ヌルボはひそかに考えています。
 それらとは違うレベルですが、ヌルボが思うに、岩に刻まれた金父子の賛揚の文字も一種の「負の歴史遺産」として残ることでしょう。また将来それらを見て恥ずかしさを感じるべきは、北朝鮮や韓国の人たちばかりでもないと考えます。

 しかし、国際社会はこんな自然破壊に対して抗議をしないのでしょうか? 抗議をしても何の得にもならないから? それとも、内政干渉になりますか?
コメント
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