学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

再開に向けての備忘録(その4)

2022-10-19 | 唯善と後深草院二条

飛鳥井雅有が建治元年(1275)、三十五歳の時に書いた『都路の別れ』は佐々木信綱校注『飛鳥井雅有日記』(至文堂古典文庫、1949)に載せられており、国会図書館デジタルコレクションで読めます。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1707992

コマ番号で53、ページ数で82からが「都路の別れ」ですが、文学的香気に溢れる名文で綴られている訳ではなく、『春の深山路』などと比べてもかなり気楽に書いた紀行文ですね。
ただ、『とはずがたり』では地味な脇役として三か所に垣間見えるだけの藤原仲頼が、『都路の別れ』ではずいぶん雅有と親しく、親友といっても良さそうな雰囲気で登場するので、『とはずがたり』との比較のため、冒頭から少し丁寧に見て行きたいと思います。
原文はひらがなが多くて読みづらいので、適宜漢字に直していますが、歌はそのままにしておきます。

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  みやこぢのわかれ 建治元年

過ぎにし弥生の頃より、雲の通ひ路朝夕踏み慣らし、藐姑射の山常盤の御蔭に馴れ仕へて、いとど都の名残、昔にもまさりて立離れ難く覚ゆれど、心に任せぬ身、逃がるる方なきことさへあれば、心ならず急ぎ出で立つ。頃は七月廿日あまりのことなれば、秋のあはれにうち添へて、都の名残を歎く。

  いかに又わすれがたみにおもひいでん都わかるるころの有明
  から衣つまを宮こにとどめ置きてはるばるゆかん道をしぞ思ふ

賀茂の御やしろにて、

  をしからぬ身を祈るかな帰こん後のたのみも命ならずや

八月ついたちの暁深く立つ。とどまる人々見だに送らんとにや、車二ばかりにて、粟田口のわたりに立たる、轅の前をすぐる程、いひ知らず悲し。やうやう明けゆく空の横雲、風に乱れて、雨さへそぼ降る。松坂といふ所に、院の上北面前左馬権頭しげきよといふ者追い来たり。歎きの日数幾程なくて、ありきなど思ひ寄らぬ程なるを思ひ、送るもいぶせければ、人目も知らずなど言ふ、互ひに駒を控へて、涙をぞのごふ。とかう躊躇ひて、名残のことどもを言ひて別れぬ。これは飛鳥井の近きわたりにて、朝夕来つつ遊ぶ。御鞠の奉行にて、殊に言ひ慣れたり。又端々いささか尋ねしことも侍りし故にや、近く妻に遅れて、籠りゐて侍りしが、これまで思ひ立ち侍る、いと有難し。相坂にて、

  たち帰又あふさかとたのめ共別をとめぬ関守はうし
  あふ坂のゆきゝをまもる神ながらなどせきとめぬ別成らん
  旅衣たもとすゞしき秋風にむすばで杉の木かげもる水
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いったん、ここで切ります。
「院の上北面前左馬権頭しげきよ」は飛鳥井邸の近所に住んでいて、「御鞠の奉行」として仕事の面でも付き合いが深かった人のようですね。
最近、妻に死なれたので、自宅に籠っていたにも関わらず、雅有の出発を聞いて追いかけてきてくれた、というエピソードです。
さて、建治元年(1275)は政治的には非常に微妙な時期で、文永九年(1272)の後嵯峨法皇崩御後、亀山天皇の親政となり、ついで同十一年(1274)に亀山皇子の後宇多天皇が即位して亀山院政となります。
自分の子孫が皇統から排除される可能性が高まったことに危機感を抱いた後深草院は、文永十二年(建治元年、1275)四月九日、出家の決意を公表したところ、幕府の介入があり、半年後の同年十一月五日に煕仁親王の立太子となります。

「巻九 草枕」(その3)─元寇(文永の役)と後深草院の出家の内意
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/94f3d9b355824ec3f1380faeac8dddb7
「巻九 草枕」(その5)─煕仁親王立太子
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7a215e2fdd16eebd3030158d91937ae8

雅有は八月一日に京を出発し、十三日に「ふるさと」鎌倉に到着しているので、その旅行は後深草院の出家内意後、熈仁親王立太子が決まるまでの間です。
従って、『春の深山路』の思わせぶりな記述に鑑みれば、この鎌倉下向もあるいは政治的目的があったのか、などと勘ぐりたくなりますが、「心に任せぬ身、逃がるる方なきことさへあれば、心ならず急ぎ出で立つ」以上の示唆はありません。
まあ、文永五年(1267)に正四位下、同十一年(1274)に右中将となった程度の三十五歳の雅有は、率直に言って政治的にはさほど重要な人物でもさなそうなので、深く考えても仕方ないのかもしれません。
少なくとも『都路の別れ』は旅の宿での遊興記事が目立つ気楽な紀行文であり、歌日記ですね。
仲頼はこの直後の場面に登場しますが、少し長くなったので次の投稿で紹介します。

コメント
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