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『拾遺現藻和歌集』の撰者は誰なのか?(その16)

2022-09-22 | 唯善と後深草院二条

井上著の続きです。(p52以下)

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 撰要目録の序に「涼しき泉のこの流れには龍田河・名取河に恋の逢瀬をたどり」とあるが、これは御子左流の、為相流と為氏流とを指すものであろう。為氏が冷泉とも称された事は確かである(新和歌集<目録>・東野州聞書)。恐らく為家・為氏と伝えられた冷泉邸は為世を経て為道が伝領したのであろう。而して宴曲抄の名取河恋は目録に「冷泉羽林作」とあるが、これは三条西家旧蔵本には「為通朝臣」と朱注があり、正しいものと推定され、即ち為通は宴曲の作者でもあった。
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『撰要目録』とは早歌の大成者である明空が作った早歌の曲目、作詞・作曲者リストです。
明空や『撰要目録』については今年の三月に少し纏めておき、『撰要目録』序文の現代語訳も試みてみました。
早歌の創始・発展期の約三十年間は作曲・作詞家リストである『撰要目録』の序文が記された正安三年(1301)を境として前期・後期に分かれますが、前期の作者には公家社会の相当上層の人物が含まれており、その中には「正応五年北条貞時勧進三島社奉納十首和歌」に参加した冷泉為相と二条為道もいます。

『とはずがたり』の政治的意味(その4)(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/62571330f7620492d7294a7e9c233a16
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1caa3bd11639f0da0b694d7a4cba042d

『撰要目録』序文の後半に初期の代表的作者六人が紹介されていますが、その中の「涼しき泉の二の流れには、龍田河名取河に、恋の逢瀬をたどり」が冷泉為相と二条為道です。

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抑彼の洞院家の詠作には、瑞を豊年に顕し、孫康が窓、袁司徒が家の雪、ふりぬる跡を尋ねて、情の色をのこし、花の山の木高き砌、三笠山の言の葉にも、道の道たるす直なる世々、五常の乱らざる道を能くし、南家の三の位、風月の家の風にうそぶきて、春の園に桜をかざし、花を賦する思を述べ、足引の山の名を、うとき国までにとぶらひ、なほなほ年中に行ふ事態、霞みてのどけき日影より、霜雪の積る年の暮まで、あらゆる政につけても、君が御代を祝ふ。涼しき泉の二の流れには、龍田河名取河に、恋の逢瀬をたどり、藻塩草かき集めたる中にも、女のしわざなればとて漏らさむも、古の紫式部が筆の跡、疎かにするにも似たれば、刈萱の打乱れたる様の、をかしく捨てがたくて、なまじひに光源氏の名を汚し、二首の歌を列ぬ。残りは事繁ければ、心皆これに足りぬべし。よりて今勒する所、撰要目録の巻と名づけて、後に猥りがはしからしめじとなり。此外に出で来り、世にもてなし、時に盛りならむ末学の郢作、善悪の弁へ、人のはちに顕れざらめや。

(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/125260a220b20ba675c6445c91c2d24c

序文に登場する六人の順番や記述の分量には若干気になるところがあります。
冷泉為相・二条為道の二人については記述の分量が極端に少ないだけでなく、二人とも二曲作詞しているのに一曲は無視されている点でも共通で、明空からあまり重んじられてはいないですね。
他方、『源氏恋』と『源氏』の作詞・作曲者である「或女房」(白拍子三条)は、曲数に比べて少しバランスを失しているのではないかと思われるほど重視されています。

(その7)~(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/028e215bb464b8966dc4f25d675a5f65
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/75291cea845278e38cb4f20254710df6
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3154a0d9d8f4394be56c3ae20560bf3b

為道には直接関係しないものの、明空とその弟子である比企助員という人物についてもまとめておきました。

外村久江氏「早歌の大成と比企助員」(その1)~(その8)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6b50b1527bad3dab51ee650443f6cc38
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/de91549c00dcb494b7a026fa1b9ed50a

さて、参考までに二条為道が作った早歌二曲の歌詞も紹介しておきます。
引用は外村久江・外村南都子校注『早歌全詞集』(三弥井書店、1993)から行います。
最初は序文で言及された「名取河恋」です。(p129以下)

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  69 名取河恋

(1) いへばえにいはねばむねにさはがるる こころの程を(2)せき返し つつむとすれど
(3)思〔おもふ〕には <助音>しのぶることぞ負にける さもあらばあれ惜からず
(4)なにぞは露のあだ物よ かへてもかへて捨ぬべし (5)絶てしなくば中々に 人をも
身をもとばかりに うれふる隙〔ひま〕こそやすからね (6)涙にけてども消〔きえ〕
もせず 胸のあたりに立〔たつ〕けぶり なびきそめにし一かたに (7)みだれはて
ぬればみちのくの しのぶもぢずりいかがせん (8)湘浦〔しやうほ〕に竹斑〔まだら〕
かなり 涙にそめし色ながら 鼓瑟〔こしつ〕の跡〔あと〕露ふかし 秦台〔しんたい〕
に鳳〔ほう〕去ては この翅〔つばさ〕のかへらぬ道なれば 吹簫〔すいしよう〕の
地には月空〔むなし〕 (9)行ゑもしらずはてもなし 逢〔あふ〕をかぎりの恋路なれば
まよふ心のはてぞうき (10)夕殿〔せきてん〕に蛍乱飛〔みだれとぶ〕 思〔おもひ〕の
ほのをもえまさり 空窓〔こうさう〕にともし火のこれども なげく命はかひぞなき
玉殿松花〔しようくわ〕の観〔くわん〕 <あの>時移り事去〔さり〕ぬれども 
(11)三十六宮の秋の月 (12)我身一〔ひとつ〕の袖にのみ 散しままなる涙さへ (13)いまは
あだなる形見哉 (14)佐野の舟橋かけてだに 思はじよしなしとても又 さもあやにくなる
(15)名取川〔なとりがは〕 瀬々の埋木〔むもれぎ〕あらはれば 其〔それ〕も吾身の
心から いかにせんとか恨けむ
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頭注の記号は漢数字ですが、見づらいので括弧付きのアラビア数字に変更しました。
注は全部で十五箇所で、それぞれに和歌ないし漢詩(『和漢朗詠集』)の典拠が示されていますが、全部を漏れなく列挙できる人は和歌の専門研究者でも少ないのではなかろうかと思います。

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