学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

クーシネン発言の出典について

2018-12-15 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月15日(土)07時39分57秒

前回投稿で紹介したように、中村政則は、

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かつてコミンテルンの常任委員クーシネンは、「日本の農村は、日本資本主義にとって自国内地における植民地である」と喝破したが、まさに日本資本主義は、自国の農村をあたかも植民地のように支配し、搾取し、収奪することによって「高度成長」をとげたのである。
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と書いていますが(『日本の歴史第29巻 労働者と農民』、小学館、1976、p173)、クーシネンの発言についての出典を明示していません。
その内容と「コミンテルンの常任委員」としてのクーシネンの発言であることから、おそらく「32年テーゼ」に関連するものと思われますが、何か御存じの方はご教示願いたく。

なお、少し検索してみたところ、和田春樹(監修/編訳)『資料集コミンテルンと日本共産党』(岩波書店、2014)に、

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資料84 コミンテルン執行委員会幹部会での日本問題討議におけるクーシネンの結語(一九三二年三月二日)
資料97 クーシネン書記局が作成した日本共産党の政策、人事点検に関する報告と提案(一九三六年二月二日)

https://honto.jp/netstore/pd-contents_0626338570.html

という資料があるとのことで(内容未確認)、あるいは前者のことかも知れませんが、中村が何を見たのかを確認したいので、『労働者と農民』が刊行された1976年以前の資料について何か心当たりのある方は教えてください。

参考:加藤哲郎氏「「三二年テーゼ」と山本正美の周辺」より

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 つまり、「三二年テーゼ」の発想は、「コミンテルンとプロフィンテルンをはかりにかけたら。これはもう天ビンにかからない」という当時の大衆団体に対する党の優位の構造のもとで、コミンテルン東洋部よりもさらに上級のレベル、すなわちスターリンらソ連共産党政治局とコミンテルン最高幹部であるピアトニツキー、マヌイルスキー、より直接には東洋問題担当の常任幹部会員オットー・クーシネンから出たことを示唆している。

http://netizen.html.xdomain.jp/MASAMI1.html
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