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順徳院と九条道家の長歌贈答について(その8)

2023-02-10 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

流布本では、

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【前略】新院、佐渡へ渡らせ給(へば)、都より御送の者共御輿〔みこし〕かき迄も御名残惜ませ給て、「今日計〔ばかり〕、明日計」と留めさせ給。長歌遊ばして、七条殿へ進〔まゐ〕らせ給ふ。奥に又、
   存〔ながら〕へてたとへば末に帰る共憂〔うき〕は此世の都なりけり
九条殿、長歌の御返事有。是も又、奥に、
   いとふ共存へてふる世の中の憂には争〔いか〕で春を待べき

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/95463ff3ed9d424ab627e6c5ae5ede87

となっていて、松林靖明氏は「長歌遊ばして」の頭注に「この長歌は慈光寺本に載る」と書かれています。
この部分こそ慈光寺本が流布本に先行する証拠だ、と考える国文学研究者がいるかもしれませんし、慈光寺本の長歌が素晴らしい作品であれば、私も、そうかな、と思います。
しかし、実際には慈光寺本の長歌は非常に低レベルの、箸にも棒にもかからない作品です。
従って、私は、流布本の作者はおそらく長歌も知っていただろうけれども、それを入れると順徳院に関する記事が肥大化して全体のバランスが崩れるので入れなかったのだろう、と考えます。
他方、慈光寺本の作者は、何らかの目的のために順徳院と九条道家の贈答を強調する必要があったので、二人の長歌を勝手に作ったのだろうと私は想像します。
ま、それはともかく、続きです。(p89)

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 慈光寺本の和歌から見えてくる作者像は、先にも少し触れたように、新古今時代の表現や勅撰集歌に接することのできる環境にあり、長歌の持つ意義も理解していると思われ、ある程度の和歌的な教養を身に付けているが、専門歌人ほどには和歌に習熟していない者である。それは久保田淳が推測する「宮廷社会と武士社会の双方に明るい、筆の立つ下級官人のごとき階層に属する人物か」という作者像と符合する。また、久保田は「九条家と何らかの接触のあった人物ではないか」という「憶測」を述べ、「新院(順徳院)の配流の模様はかなり細かく書き込まれており」「作者が新院母后修明門院に比較的近く、情報をえやすかったのではないか」とも指摘する。この発言は和歌は物語の創作ではないという前提に立つと思われるが、慈光寺本の長歌が順徳と道家に焦点を当て、良経歌以外には用例のほとんどない表現を参照していることから、指摘のような作者圏は十分想定できよう。
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第七節は以上です。
渡邉氏は慈光寺本の作者を「長歌の持つ意義も理解していると思われ、ある程度の和歌的な教養を身に付けているが、専門歌人ほどには和歌に習熟していない者」とされますが、しかし、その人物が実際に作った作品は「応答しない贈答歌」です。
即ち、道家名義の長歌は「多くの景物を取り上げながら」、順徳院名義の長歌と「「夕煙」しか完全には一致せず、他には「時雨」「霜」くらいしか共通しない」上に、「詠み込まれた名所」は「見事に一箇所も重なら」ず、「歌い出しは」「何となく応答しているように見え」るが、「しかし、全体として見ると、一組の贈答としてはとても不自然」で、更に「詠歌内容」も「順徳院の歌に見られた……歎きに、道家歌はまったく応答していない」のですから、後鳥羽院・伊王左衛門・七条院の奇妙な贈答歌と同様、こちらも「応答しない贈答歌」ですね。
従って、渡邉氏自身の分析の結果を率直に述べれば、慈光寺本の作者は「長歌の持つ意義」をごく表面的にしか理解しておらず、その「和歌的な教養」は浅薄で、「専門歌人ほどには和歌に習熟していない者」ではなく、単なる「下手の横好き」レベルの人ですね。
久保田淳氏の見解については、後で纏めて検討したいと思います。
ということで、続きです。

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  八 長歌贈答が語るもの

 それにしても、なぜ後鳥羽院ではなくて、順徳院だったのだろうか。慈光寺本では、この贈答以前には、順徳院(「新院」)は乱の勃発時に「上皇」(後鳥羽院)や「中院」(土御門院)らとともに「一所ニゾマシマシケル」と記される程度で、登場場面はほぼゼロである。ところが、配所にいたって、突然、順徳院の歎きが噴出するように描かれ、道家もまたそれに呼応して(表現の内実では応答していないのだが)感情を露わにする。
 大津雄一は、慈光寺本は、軍記物語一般に反して、危機を言いつのらず、「嘆かない」と指摘する。大津によれば、慈光寺本作者は四劫説に由来する大局的で達観的な世界観と三世三千仏説に由来する楽観的な世界観を持つゆえに、悪王後鳥羽が敗れたからといって、「嘆かない」のだという。それが慈光寺本の語りの基調だと言ってよいのだろう。しかし、上皇配流の場面では、まず後鳥羽院の出家に誰もが「涙ヲ流シ」たと語り、七条院の悲しみなどを「哀」の語を繰り返し用いて同情的に語っている。それに続けて、敗者と敗者に共感する者の歎きを強烈に押し出しているのが、この順徳院と道家の長歌なのである。
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いったん、ここで切ります。
大津雄一氏の見解は『挑発する軍記』(勉誠出版、2020)という奇妙なタイトルの本の、「第三部 知の様相」の「第一章 慈光寺本『承久記』は嘆かない」という、これまた奇妙なタイトルの論文、というかエッセイに載っていますが、私には賛成できるところは一つもありません。
渡邉氏が指摘されているように、慈光寺本では大勢の人が嘆いているので、大津著は事実の認識の点で全く頓珍漢であり、その分析にも学問的価値はないですね。

大津雄一「慈光寺本『承久記』は嘆かない」には賛成できる点がひとつもない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0f07a3c0aa92664d6fb1f0edd2cd08ec

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『挑発する軍記』

「暴力」と「愛」と―
「いくさ」を描く物語はなにを我々に伝えているのか
大量の血と首、首のないむくろ、切り落とされた手、切腹して折り重なる死骸。
愛のために生き、そして死んでいった親子や夫婦、主従たち。
『平家物語』『太平記』などに代表される「いくさ」を描いた物語は、いまなお、なぜ読まれ、語り継がれていくのか。
「死」と「生」の物語のもつ魅力と意義、そして可能性をあざやかに解き明かす。

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