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晩年の宗秀

2008-08-20 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 8月20日(水)13時10分44秒

>筆綾丸さん
長井氏については小泉宜右氏の「御家人長井氏の研究」(『高橋隆三先生喜寿記念論集 古記録の研究 』1970)が非常に詳しいですね。
細川重男氏『鎌倉政権得宗専制論』には、「長井関東評定衆家は六波羅評定衆等を多く出す広元流大江氏の嫡流であり、この家のみが鎌倉末期まで鎌倉政権中枢に地位を保ったのである。中でも泰秀の孫の宗秀は貞時政権期に引付頭人・越訴頭人・執奏等を歴任し寄合衆に至っている」との簡潔な指摘があります。
また、森幸夫氏『六波羅探題の研究』では六波羅評定衆家が近衛家に仕えていて、公家と特別な関係にあったことが示されています。
ただ、三氏とも文学関係への言及はありません。
『鎌倉政権得宗専制論』巻末「基礎表」を見ると、宗秀が延慶2年(1309)に七番引付頭人を辞してから 嘉暦2年(1327)に死去するまでの間の記録はないようですね。
宗秀は和歌に特別熱心だった人ですから、晩年、といっても延慶2年の時点でまだ45歳だった宗秀が63歳で死去するまでの間、京都に居住していたことがあったとしても不思議ではないですね。
武家社会の方の記録は調べつくされているでしょうが、歌壇の関係で何か出てくる可能性はあるのかも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E4%BA%95%E5%AE%97%E7%A7%80

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「財界人」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4700
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