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網野町は京都府内

2015-01-07 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月 7日(水)23時17分3秒

>筆綾丸さん
正解です。
「後先祖」は私が打ち間違えただけで、原文は「御先祖」です。
紛らわしくて失礼しました。

中沢新一氏が福井県について熱く語り、赤坂憲雄氏もそれに乗せられてしまっていますが、旧網野町は京都府内の町ですね。
2010年の夏、千円高速の夢の時代に私も新潟県から北陸自動車道経由で網野町を訪問したことがありますが、京都府宮津市の天橋立を見学してから丹後半島の北端、経ヶ岬を廻ったのが日没時、その後、西に向って網野町に入った時点では真っ暗になってしまっていて景色は見えず、蛙の声が騒がしかったことしか覚えていません。

「ようこそ あみの町へ」(京丹後市観光協会網野町支部)

網野善彦氏が亡くなったのは2004年2月27日ですが、京都府竹野郡網野町は同年4月1日に周辺の町と合併して京丹後市となったそうですね。
そして同年6月25日に『網野善彦を継ぐ。』が講談社から発行された訳ですが、講談社の編集・校正の人を含め、誰一人この単純な誤りに気づかなかったということは、中沢・赤坂両人が直後に『東と西の語る日本の歴史』を論じていることを踏まえると、いささか皮肉な味わいがありますね。
なお、太良庄はもちろん福井県内ですが、網野町とは直線距離で70kmほど離れています。
網野氏が太良庄を「昔からのフィールド」としたのは東寺領荘園として史料に恵まれていたからであって、「自分の精神的なルーツだという意識」とは特に関係ないと思いますが、こちらは個人の気持ちの問題ですから、全くの間違いと言い切ることはできないのかもしれません。

>『網野善彦対談集「日本」をめぐって』
これは未読でした。
早速読んでみたいと思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

網野駅(宮津線) 2015/01/07(水) 20:32:32
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E9%87%8E%E7%94%BA
「福井の網野町」は「丹後(京都)の網野町」ですか。(「その後先祖」は「その御先祖」?)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B3%A2%E8%89%AF%E5%88%A9
http://www.city.itami.lg.jp/shokai/gaiyorekishibunka/rekishi/1392285884285.html
『網野善彦対談集「日本」をめぐって』に、松波勘十郎という諸藩の財政改革コンサルタントに関連して次のようにありますが、私もびっくりしました。
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それに面白いのは、俳人だとばかり思っていた鬼貫が、上島惣兵衛という名前で大和郡山藩の請け負いを松波勘十郎と争って、結局松波が勝ったということがあるのです。鬼貫もコンサルタントの顔を持っていたんですね。それを知ったときは仰天しました。(26頁~)
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