学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「ミナミハラ」 or 「ナンバラ」、そして南原清隆との関係

2014-06-15 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 6月15日(日)10時13分51秒

南原繁の『母』(中央公論社、昭和24)を見たら、楠姓についての少し詳しい説明がありました。
この本は「安政五年から昭和十六年まで、この世に生きた、名もない一人の女性の生涯について、彼女の長子たる著者によって書かれた記録」ですが、もともと「本書の原形」が私家版で発行されたものを、

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然るに、昨年春「サンデー毎日」が、著者の横顔を描こうとして、どこで手に入れたか、本書の一部を摘録して、世に紹介するところがあった。爾来、諸方面からの読者の求めと、特に今回、中央公論社山本栄吉氏の熱心な勧めに基づき、その全文を敢えて公にすることにした。「敢えて」というわけは、その内容があまりに家庭の秘話や、人生の秘義に充ちているからである。
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という経緯で中央公論社から出したものだそうです。
表紙は白く、小さな、正方形に近い珍しい版型ですが、昭和24年発行にしては紙質も良く、なかなか洒落た本ですね。
複写すると傷みそうだったので、『わが歩みし道 南原繁─ふるさとに語る─』(香川県立三本松高等学校同窓会発行、1996)に転載されていたものを複写してきました。

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 ここで母の家系、すなわち私たちの祖先について、母から常々聞いておいたことの概略を書き記そう。母がその名を「きく」と呼ばれ、一人娘として育った楠家というのは、母より数代前、たぶんは甚左衛門の代に、今の香川県大川郡相生村字小井にある楠家から分かれて来、母の父松蔵も祖父駒之助も「組頭」の役を勤めていたということである。組頭は関東で名主と称していたものに該当し、現在の村長のごとき仕事ばかりでなく、ほかに警察・司法の権も持っていたらしく、母は小さい時分に、父松蔵(未だ若かったので顧問役がついていたという)が公事を聞き、その間には「お倉」と称した留置所に収容せられる者もしばしば見かけたということである。
 どういう沿革から楠の姓を名乗っていたかについては、系図がないので正確なことは判然としない。その昔、あるいは河内の国から楠一族の残党かまたはその末裔が、淡路の海を渡って落ち延びて来たということも、地理的関係から可能なことであり、近頃そうした楠一門と讃岐の関係を、郷土史の立場から研究して居る人があるのを聞いている。とにかく、徳川時代にずっと楠の姓を名乗っている事実から考えて、それには何か由緒があったろうと想像される。
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きく氏は伝来の家名が変更されてしまったことを悲しみ、「何とかして昔の家名に復すべく、役場に頼み、役場でもいろいろ骨を折ってくれ、終には郡役所にまで伺いを出してくれたが、遂に叶わずにしまった」そうです。
その後の記述はちょっとびっくりですね。

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 ついでに「南原」は郷里では「ナンバラ」と呼ぶ人もあったが、「ミナミハラ」で通用していたところ、私が一校に入学するに及んで、いつとなく皆が「ナンバラ」と呼び、私も遂にそれに慣れて、大学時代以後は専らその呼称に拠ることにしたのである。なお後に知ったことであるが、高松の近郷に古くから「南原」と名乗る幾軒かがあり、これは初めから「ナンバラ」と呼んでいるということであるが、私の家とは直接関係のないことも付記しておく。
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南原繁が旧制一高に入学したのは1907年(明治40)ですが、この書き方だと正式な戸籍名は「ミナミハラ」みたいですね。
あるいは、当時は戸籍に読み方など書かなくてもよかったのか。
そのあたりの事情はよく分かりませんが、けっこういい加減な話ですね。

ちなみに「ウッチャンナンチャン」の南原清隆(1965生まれ)は、ウィキペディアを見ると高松市出身だそうで、南原繁の「家とは直接関係のない」南原一族の人なんでしょうね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E6%B8%85%E9%9A%86
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1 コメント

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通りかかった (南原繁の曾孫)
2015-02-13 02:45:19
 南原繁の家系は現在でもミナミハラを名乗っています。曾祖父も戸籍上はミナミハラ。ただ、地元では皆ナンバラさんと呼ぶ。失礼極まりない話だが昔からなので最近では気にもしなくなった。
 ところで、曾祖父、南原繁って・・・?
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