学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「胸騒ぐといへば、おろかなり」(その2)

2019-03-26 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 3月26日(火)11時42分23秒

続きです。

【5】そうこうしているうちに、少将が来られた気配がしたので、そっと部屋を出て、たった今来たように装って咳払いをすると、少将は先ほどの部屋に私を通した。手紙は既に書き終えて使いの者に渡したのだろうか、見あたらない。

【6】少将は、香染めのごく薄い狩衣に、撫子襲(なでしこがさね)の衣を着て、薄色の指貫を穿いていて、特に装いをこらしていないにも拘らず、早朝の姿がとても美しいので、「本当に、鏡に映る私の顔とはくらべようがない。女性であれば、この人に靡くのは当然だ」と思われる。「何よりも今朝の手紙の書き振りは、筆遣いからはじめて、燻き染めた香の匂いなどまで、本当に優雅なものだったな。あの手紙を待ち受けて読む女性は、どんなにか胸をときめかせていることだろう」などと思うにつけて、少将とは固い契りで結ばれていると思っていたのに、裏切られて恨めしい。

【7】「少将殿は何事もないように装っていたのだな。世間で言うところの、心の中で密かに恋い焦がれているということなのだろう」と思うにつけても、気持ちの動揺を抑えきれなくて、「夜のお出かけのために、今この時間ももったいないとお思いでしょう。今朝のお手紙は、もうお書きになりましたか。お待ちになっている方が気の毒です」と言うと、少将は「それ、どういう意味ですか。全く身に覚えがありませんね」と冷たく言う。「いやいや、そんなに否定なされますな。相手の姫君は、言い寄った人に本気では返事をしない方と聞きました。私も、試しにときどき手紙を送ったことがありますが、姫君が受け取ることすらなかったのは、密かに心に深くお思い申し上げた方が……

ということで、唐突に終わってしまいます。
この後にも続いていたはずですが、今は伝わっていません。
自分の勉強のために一応の私訳を付しましたが、【7】については『平家公達草紙』の現代語訳(p183以下)を見て、やっと理解できた部分が多かったですね。

さて、この物語が設定されている治承元年(1177)における関係者の実年齢はというと、藤原隆房は久安四年(1148)生れなので三十歳、平維盛は平治元年(1159)生れなので十九歳です。
「久我の内大臣まさみちといひし人のむすめ」については、「補注」において、

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源雅通の娘には藤原実守妻、中宮御匣〔みくしげ〕、近衛殿がいることが『尊卑分脈』より知られる。実守妻の詳細は不明だが、実守は治承元年(一一七七)には三一歳である。中宮御匣は『たまきはる』の建春門院女房の名寄せの冒頭に記される三条殿かと思われる。近衛殿は建礼門院に仕え、安徳天皇誕生後は安徳天皇にも仕え、「二、平家の光と影」[1]にも登場している。本話に登場する女性は、「いまさらにとて」とあるところから、治承元年当時、既に年長けていたと考えられる。仮に二条天皇在位の最後、永万元年(一一六五)に一五歳であったとしても(雅通は一一一八~一一七五)、治承元年には二七歳である。実際にはもっと年長であろう。隆房とは同年代であろうか。維盛よりは一回り上の女性となる。
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とあります。(p178)
「平家公達草紙」は登場人物たちが実際に生きた時代より約一世紀くらい後に作られた「二次創作」であり、あくまで藤原隆房に「仮託」した物語なので、関係者の年齢をあまり詳しく考証しても意味がないのかもしれませんが、通読した印象としては隆房と維盛の年齢差はそれほどないようにも思われます。
ま、「ボーイズラヴ」の適齢期というのもよく分からず、別に十一歳違いでもかまわないのかもしれませんが。
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