学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

「船上連歌」の復元

2019-04-17 | 猪瀬千尋『中世王権の音楽と儀礼』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 4月17日(水)11時54分56秒

小川剛生氏による『宗冬卿記』の翻刻を見ると、

-------
二日 伝聞、於北山殿妙音堂、有管絃興、笛<花山院大納言>、篳篥<兼行朝臣>、笙<左衛門督>、琵琶<春宮、同大夫>、箏、此条伺候人々可尋、時々有朗詠、兼行之云々、又及晩有御船楽、両院無御乗船、御聴聞云々、今夜春宮還御、
三日、両院以下御方々還御
-------

となっていますね。(p264)
「兼行之云々」の「之」には小川氏が「マゝ」と附しています。
二日前半の妙音堂での御遊について、『とはずがたり』では、

-------
 またの日は、行幸還御ののちなれば、ゑふの姿もいとなく、うちとけたるさまなり。午の時ばかりに、北殿より西園寺へ筵道を敷く。両院御烏帽子・直衣、春宮御直衣にくくりあげさせおはします。堂々御巡礼ありて、妙音堂に御参りあり。今日の御ゆきを待ちがほなる花のただ一木みゆるも、「ほかの散りなんのち」とは誰かをしへけんとゆかしきに、御遊あるべしとてひしめけば、衣被きにまじりつつ、人々あまた参るに、誰もさそはれつつ見参らすれば、両院・春宮、内にわたらせ給ふ。
 廂に、笛花山院大納言、笙左衛門督、篳篥兼行、琵琶春宮御方、大夫琴、太鼓具顕、羯鼓範藤、調子盤渉調にて、採桑老、蘇合三の帖破急、白柱・千秋楽。兼行「花、上苑に明らかなり」と詠ず。ことさら物の音ととのほりて、おもしろきに、二返終りてのち、「情なきことを機婦に妬む」と、一院詠ぜさせおはしましたるに、新院・東宮、御声加へたるは、なべてにやは聞えん。楽終りぬれば還御あるも、あかず御名残多くぞ人々申し侍りし。

http://web.archive.org/web/20150512051744/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-30-daisannichi.htm

となっていて、「伝聞」ではあるものの、中御門宗冬の記述は『とはずがたり』との間に矛盾はありません。
そして「又及晩有御船楽、両院無御乗船、御聴聞云々、今夜春宮還御」に対応する『とはずがたり』の記述を見ると、二条は最初、両院の乗った「小さき御船」に乗ってから「春宮の御船」に移ったことになっています。

後深草院との久しぶりの邂逅
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/775c237ff40bb0006550e62e2160b2fa

『宗冬卿記』によれば、晩になってからの「御船楽」自体は確かにあったものの、「両院無御乗船、御聴聞云々」だというのですから、「御船楽」は誰がやったのかというと『とはずがたり』にいう「春宮の御船」に乗った人々と考えてよさそうです。
そして、『とはずがたり』に描かれた「船上連歌」は、八つの句のうち、

雲の波煙の波を分けてけり(新院)
行く末遠き君が御代とて(二条)
昔にもなほ立ち越えて貢物(春宮大夫〔西園寺実兼〕)
曇らぬ影も神のまにまに(具顕)
九十になほも重ぬる老いの波(春宮の御方)

まではまともな内容ですから、「両院無御乗船、御聴聞云々」としても、連歌の全体が二条の虚構だと決めつける必要はなく、ここまでは一応、実際の連歌を反映していると考えることもできそうです。
その場合、発句が新院(亀山院)となっている点が気になりますが、「両院」は船に乗ってはいなくても「御聴聞」できる場所にいる訳ですから、特に不自然ではなさそうです。
ところで、この場面、『増鏡』では、

-------
【前略】「二千里の外の心地こそすれ」などのたまひて、新院、
  雲の波煙のなみをわけてけり
たれにかあらん、女房の中より、
  行末遠き君が御代とて
春宮大夫、
  むかしにも猶たちこゆるみつぎ物
具顕の中将、
  くもらぬかげも神のまにまに
春宮、
  九十になほもかさぬる老のなみ
本院、
  たちゐくるしき世のならひかな
-------

となっています(井上宗雄『増鏡 全訳注(中)』、p322以下)。
最後の「たちゐくるしき世のならひかな」は『とはずがたり』では新院、『増鏡』では本院(後深草院)の句とされていて、その齟齬とともに内容に祝意が乏しいところが気になりますが、久保田淳氏の言われるように「前句の「老いの波」から嘆老の述懐の句に取りなした」(『新編日本古典文学全集47 建礼門院右京大夫集・とはずがたり』)と考えれば、これを含めてまともな連歌といえそうです。
あれこれ考えると、どうも『増鏡』に描かれた連歌が実際のやり取りであったのではないか、という感じがしてきました。
亀山院が発句、春宮関係者が間をつないで後深草院が挙句という構成も、なかなかバランスがよい感じがします。
ということで、『増鏡』に描かれた連歌が実際のやりとりであって、『とはずがたり』の叙述はそれを二条が自分を主役にすり替えて再構成したものであり、その際に氏名不詳の某「女房」と自分、そして「本院」と「新院」を交換したのではなかろうか、というのが私の暫定的な結論です。

>筆綾丸さん
私も「北山准后九十賀」についてきちんと検討したのは今回が初めてで、4月6日に筆綾丸さんが、

-------
賀宴の最後は連歌で終わっていますが、最後の句つまり挙句は祝言であるから目出度く言祝いで終えるべきところ、
   ---------------------------
 立居苦しき世のならひかな      (『とはずがたり』)
   たちゐくるしき世のならひかな    (『増鏡』)
---------------------------
としたのでは挙句にならず、連歌をぶち壊して九十賀に難癖をつけているようで、なんだ、この駄句は、という気がします。
【中略】
後深草院か亀山院かによって、連歌の余韻も賀宴の様子も変わってきますが、『増鏡』にあるように、弟の亀山院ではなく兄の後深草院が詠んだものとするほうが自然であるような気がします。

https://6925.teacup.com/kabura/bbs/9845

と述べられた時点では、ご指摘の内容が今ひとつピンと来ませんでした。
小川剛生氏の『宗冬卿記』の翻刻というヒントを踏まえて、私の一応の結論を出してみました。

>貞子は「さだこ」ではなく「ていし」と音読みになるのですね。

古代・中世の女性名に詳しい角田文衛氏が訓読みに拘ってあれこれ言われていますが、あれもちょっと極端ですね。
本郷和人氏の本だったか、漢字二字の女性名は正式な文書が必要となったときに親などの名前から一字取って適当につけたもので、読み方など誰も気にしなかったのではないか、と書かれているのを見た記憶があります。
角田氏は当時の人々の読み方を復元したのではなく、自ら名付け親になって創作しているような感じがします。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

異常の二乗 2019/04/16(火) 19:11:30
小太郎さん
ご指摘のように、船上連歌の後半はきわめてアブノーマルで、なぜこんな莫迦なことをあえて記したのか、と考えると、二条は変な女だな、という以上に変な感じがしますね。

「従一位藤はらのあそんていし九十のよはひをかするうた」によれば、貞子は「さだこ」ではなく「ていし」と音読みになるのですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする