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御岳行者皇居侵入事件のまとめ(その2)

2018-09-18 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 9月18日(火)14時14分28秒

前投稿を(その1)にしたのは、続いて安丸良夫氏の解説「近代転換期における宗教と国家」を少し検討してみようかなと思ったからでした。

御岳行者皇居侵入事件(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c4fdba133d1819f8db996c4b53606c0

まあ、安丸氏が御岳行者皇居侵入事件を「強権的近代化政策の全体を"敵"として措定し、天皇制国家に真正面から挑戦した興味深い事例」などと纏めるのは、正直、ちょっと莫迦っぽい感じがしますが、私がそう感じるのは安丸氏と基本的な思想が違うからであって、安丸氏にはこう見えることを批判しても仕方のない話ですね。

ゾンビ浄土真宗とマルクス主義の「習合」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33c77b57ad5d51d0ef3bdbfbe9c1e67d
「真宗貴族」との階級闘争
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5cb6dd902d3193b7c5b9e868a853bb3e

また、宮地正人氏の解説「国家神道形成過程の問題点」(p565以下)にも多少の意見がない訳でもないのですが、また後の課題としたいと思います。
ただ一点だけ、「解題」で宮地氏が「民衆的宗教意識の点からは、陸地が汚されてしまい、船のみが神仏の下る所だといった船の位置づけの問題も看過されるべきではない」(p168)とされている点は明らかにおかしいと思います。
御嶽講の信者だって大半は陸地に生きている訳ですから、「陸地が汚されてしまい、船のみが神仏の下る所だといった船の位置づけ」は他の御嶽講関係者ですら共有できない「民衆的宗教意識」であって、これは熊沢利兵衛が久宝丸の乗組員を天皇暗殺に誘導するために適当に思いついた即興的表現じゃないですかね。
熊沢利兵衛は「神託」を疑う庄吉に執拗に暴行を加え、その様子を見せつけるなどして他の乗組員を威迫する一方で、今や神仏の降る場所は船しかないのだ、海に生きる我々こそが神仏に選ばれた特別な存在なのだと称揚し、選ばれた民としての崇高な義務を遂行するように檄を飛ばしたのだと思います。
近世の身分制社会の中では非常に低い地位に置かれていた船員たちの自己認識を、卑下から一挙にプライドに転化させるウルトラC的な話術であり、僅か十人程度とはいえ、天皇暗殺団を組織することのできた利兵衛は、この程度の表現を即座に工夫できるアジテーターとしての天性の資質を持っていたのではなかろうかと思います。

コメント
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