学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

ゾンバルトが蔵書を売却した理由

2018-09-25 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 9月25日(火)10時02分47秒

一昨日、ツイッターで大阪市立大学にゾンバルト文庫があることに触れた複数のツイートを見かけて、少し検索してみたら、佐々木建という経済学者が『名城大学経済・経営学会会報』11号(2002年11月30日)に載せた記事として、

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 ヴェルナー・ゾンバルトは、19世紀末から20世紀前半を代表するドイツの経済学者であるが、彼は私の今の年齢と同じ66歳の時に、その蔵書の約3分の2を実に見事に売却したのである。
 1929年、11,574冊を大阪商科大学(現在の大阪市立大学)に売却している。その蔵書は「ゾンバルト文庫」として日本におけるドイツ社会経済思想史研究の最重要の源となっている。ご子息のニコラウス・ゾンバルトの回想によると(注1)、1928年に3万冊売却したことになっているが、この年代と冊数は明らかに間違いである。彼によると、売却後も6千冊から7千冊の蔵書が残されていたというから、ゾンバルトの個人文庫は全体でおよそ2万冊にものぼる巨大なものであった。ゾンバルトの邸宅は、二階建ての円形の書庫を中心に家族の部屋はその周辺に配置されるというものだったようだ。いかに蔵書が巨大なもので、彼と家族の生活の中心にあったかが想像される。その3分の2を、彼は現役の教授時代に売却したのである(注2)。
 ゾンバルトはなぜ現役の時に大量に蔵書を処分したのだろうか。二つの理由が考えられる。一つは、増えすぎて維持できなくなったのだろう。もう一つは、想像するに、60歳代半ばにして彼は学者としての先が見えてきたのではないだろうか。彼は売却の前年に、刊行に5年を費やした大著『近代資本主義』全6冊を完成させている。彼が学者としてめざしたライフワークに一応の一区切りがついたのである。

http://www.focusglobal.org/kitanihito/think/03.html

と書いていました。
私はゾンバルトが蔵書を売却したのは経済的理由に決まっているではないか、と思っていたので、ちょっとびっくりしました。
以前、ゾンバルトのことを少し調べていた際に見つけた池田浩太郎氏(成城大学名誉教授、財政学)の「マックス・ウェーバーとヴェルナー・ゾンバルト─ゾンバルトとその周辺の人々」(『成城大學經濟研究』151号、2001年3月)には、蔵書を売却したときのゾンバルトの経済状態について、次のような指摘があります。(p30、注1)

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【前略】しかもかかる境地への到達には、第1次大戦末期から1920年代前半におよぶ(ないしは1930年代にもおよぶ)、破局的インフレーションを含むドイツの政治的・社会的・経済的大混乱や大変革の時期に際会し、老年期の人間ゾンバルトも、大いなる不安と苦しみを経験したであろうことにも、かなりの程度由来するのかも知れない。 1)
【中略】
1)この時期にこの時期に味わったゾンバルトの苦悩の大きさは、当時の日本人とかかわりをもった若干の事柄を、ゾンバルトの側に立って想像するだけでも、そのおおよその見当はつくであろう。たとえばゾンバルトには、
1. 1923年はじめ、誇り高いベルリン大学の経済学正教授でありながら、破局的インフレーションのもとでドル稼ぎの必要から、日頃見下してしたであろう日本人留学者に、ドル建ての授業料を受取って、個人教授をせざるをえなくなったこと、
2. ゾンバルトが現役の研究者、大学教授であるにもかかわらず、経済学および社会主義に関する彼の貴重な蔵書11,574冊を、売却するに至ったこと、そしてこの数年に亘る懸案であった、蔵書の売却先が1928年には決まり、それが日本の大学(大阪商科大学)であったこと(大阪市立附属図書館所蔵『ヴェルナー・ゾンバルト文庫目録』ゾンバルト文庫目録刊行会編、日本評論社、1967年)、などがあった。

http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/151-152/151-152-ikeda.pdf

ということで、私は妙な義憤にかられて直ちに、

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佐々木建氏は著名な経済学者らしいが、1920年代のドイツにおける学者の経済的状況について何も想像できないのだろうか。

https://twitter.com/IichiroJingu/status/1043810951043018752

というツイートをしてしまったのですが、よくよく佐々木建氏の記事を見てみると、

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注2 ゾンバルトの蔵書の壮大さと1929年の売却の意義については、次の書物でも取り上げられているが、その議論はニコラウス・ゾンバルトのエッセーに依拠している。
Bernhart vom Brocke, WERNER SOMBART 1863-1941. Eine Einfuehrung in Leben, Werk und Wirkung, in : Bernhart vom Brocke (Hrsg.), Sombarts "Moderner Kapitalismus". Materialien zur Kritik und Rezeption, Muenchen 1987.この英訳は次に納められている。
Bernhard vom Brocke, WERNER SOMBART 1863-1941. Capitlism-Socialism - His Life, Works and Influence, in : WERNER SOMBART 1863-1941 - Social Scientist, Volume 1 ( His Life and Work ), Marburg. さらに、Friedrich Lengler, WERNER SOMBART 1963-1941. Eine Biographie, Muenchen 1994, pp.184-5.
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とあります。
他方、池田浩太郎氏の論文には、引用済みの部分の次に、

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 なお、上記の二つの調査にあたっては、大阪市立大学出身の安田保氏(三菱商事)に協力いただいた。また、上記の1、2の記述とも、主としてFriedrich Lengler,1957-,WERNER SOMBART 1963-1941. Eine Biographie,München 1994, S.259-278.によった。
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とあるので、佐々木氏も池田氏と同じく Friedrich Lengler のゾンバルトの伝記を読んでいるのですね。
となると佐々木氏が上記のようなのんびりした、少し莫迦っぽい感想を抱いた経緯が奇妙に思われてくるのですが、引用ページが違うので、佐々木氏がきちんと読んでいないだけなのでしょうか。
それとも佐々木氏は Friedrich Lengler著を全て精読した上で、池田氏とは異なる推論過程から上記感想に至ったのでしょうか。
謎は深まります。
なお、私はウェーバーとの比較のために、一時期、ゾンバルトの本を纏めて読んでいたのですが、掲示板には全然反映することができなくて、投稿は次のひとつだけでした。

ゾンバルトの Der moderne Kapitalismus
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b72b0ab377ab2169fb952393fcb512d9

>筆綾丸さん
五百羅漢を建立した梅谿東天という禅僧は、宗永寺の住職を経て、曹洞宗の関東の寺院の中ではかなり寺格の高い雙林寺(群馬県渋川市)に移ったのだそうで、有能な人ではあったようですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

一億総玉砕と生きやもめ 2018/09/24(月) 12:23:58
小太郎さん
「住職は号泣し必ず仏罰を加えると絶叫したといいます「」ですが、仏罰などという概念は高邁な仏教思想ではなく低級な世迷言で、高僧はこんな戯言は言わない気がしますね。

キラーカーンさん
http://shojiki496.blogspot.com/2013/07/blog-post_19.html
「いざ生きめやも」は完全な誤訳なんですね。堀辰雄は、なぜ、こんなバカな訳をあえてしたのか、ヴァレリーの原詩を読んでもわからない(ヴァレリーは狷介で食えないジジイではありますが)。この誤訳が太平洋戦争末期になされたのだとすれば、理由がわからないでもない。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる、ではないけれど、大倭豊秋津島の神風は死に絶えて、ほら、古今和歌集的な秋風の音が聞こえる、さあ、大和民族よ、みんな仲良く討ち死にしようね、と言いたかったのかな、と。そう解釈すれば、「いざ生きめやも」と反語に訳した理由がわかるのです。
なお、紛らわしい表現で性差別的になりますが、「生きやもめ」とは、夫の死後もしぶとく生き延びる後家さんのことですね(?)。
コメント
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