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堀越二郎と七輿山古墳

2018-09-23 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 9月23日(日)12時48分56秒

>筆綾丸さん
お帰りなさい。

堀越二郎の生家は藤岡市の上落合という地区にあり、七輿山古墳からほんの数百メートルの距離ですね。
検索したところ、リンク先のブログに詳しい説明がありました。

ジブリ映画「風立ちぬ」 堀越二郎の郷里

春山基二氏の『三ツ木物語 小さな村の歴史と人』(私家版、平成20年)には「名刹七輿山宗永寺(上落合、白石、北原、三ツ木の菩提寺)」とあり、地図を見ると七輿山古墳はこの四地区にぐるっと囲まれていますね。
とすると、七輿山を入会地(「共有の草かり場・秣場」)とする「住職の高遠な構想を理解できない地元の農民」と宗永寺の檀家は重なり合うはずで、「元三ツ木住人茂木英次氏の報告文」を要約したという春山氏の説明にも若干の疑問が生じてきます。
もしかしたら上層農民とそれ以外の農民の間の対立なのか。
そもそも住職の行動は本当に高邁な仏教思想の現われなのか。
あるいは住職には観光名所を作って一儲けしようという下心があって、それに加担し、利益を得ようとする連中と、甘い汁を吸えない連中の対立なのか。
更には石仏の首を切るという行為の乱暴さから見て、純朴な農民ではなく博徒のような存在を仮定すべきなのか。
という具合にだんだん想像(妄想?)が広がって行きますが、二百年前の出来事なので地元の古老の言い伝えも鵜呑みにはできず、歴史学者にきちんと当時の史料に当たってもらわない限り、何とも言えないですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

ゼロ戦と風立ちぬ 2018/09/23(日) 01:15:16
帰国すると、日本はもう秋で、風立ちぬ、という感じですね。

http://www.ghibli.jp/kazetachinu/
『風立ちぬ』を見て、ゼロ戦の設計者堀越二郎関係の本を読み、堀越の生家は七輿山古墳の近くだということを知りましたが、以来、前方後円墳の形状はゼロ戦の主脚にちょっと似ているな、と思うようになりました。
コメント
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