投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 7月 7日(木)09時42分43秒
またまた脱線してしまいますが、ナチス時代のハイデルベルクの雰囲気はどのようなものだったのだろうと思って、ちょっと調べてみたら、生松敬三著『ハイデルベルク─ある大学都市の精神史』(TBSブリタニカ、1980)のカール・ヤスパースに関する記述が参考になりますね。
ヤスパースは1883年生まれで、ヴァルター・イェリネックより2歳上です。
本人はユダヤ系ではありませんが、妻・ゲルトルートがユダヤ系だったので、ナチス時代には非常に苦しい状況に置かれていたそうですね。
少し引用してみます。(引用は講談社学術文庫版、1992、p214以下から)
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ナチス時代─その恐怖と迫害
ゲルトルートは、病弱なヤスパースの良き看護婦でもあり、また同じく哲学を志す学徒でもあった。けれども、彼女がユダヤ人であるがゆえに、ヤスパース夫妻は一九三三年以後のナチス時代には、迫害と死の危険を覚悟しなければならなかったのである。
三三年にヤスパースは、大学の管理的役職に就くことを禁じられ、三七年には教授職を剥奪され、翌年には執筆および著作の公刊まで禁じられた。すでに三三年のナチ政権樹立のときに、友人エルンスト・マイヤーは「我々ユダヤ人はいつかある日バラックに連れ込まれ、バラックには火がつけられるだろう」と、ヤスパースに語ったという。当時はまだ、そんな「極端な帰結」は「空想」でしかないだろうところを斥けることもできた。しかし、事態はしだいにマイヤーの予言どおりに深刻なものとなっていったのである。
一九三八年十一月には、公然とユダヤ人の住居や店を破壊し、ユダヤ人を追放、殺害した恐怖の「水晶の夜(クリスタル・ナハト)」が訪れる。ヤスパースは言う。「その時以来、不安が高まったし、戦争中は非常に不安であった。私たちがたえず生命の危険に曝されていることは疑いえなかった。このような世界の中でどうして私たちが生きてきたかというと、その原則は、生きのびるための唯一の可能性は人目につかないことである、ということであった」。
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ゲルトルートはエルンスト・マイヤーの姉で、二人の結婚は1910年だったそうですね。
引用を続けます。
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ナチス時代における大学の荒廃は、なにもハイデルベルク大学だけのことでなかったことは言うまでもない。三六年、リッケルトは七十三歳の高齢で失意のうちに死んだ。この年、ハイデルベルク大学創立五五〇年記念祭が行われたが、これはもはやナチス一色のもので、招待を受けたイギリスやアメリカの学界も参加を拒否したという。翌三七年六月には、ノーベル賞受賞者で「アーリア的物理学」「ドイツ的物理学」の主唱者となったフィリップ・レーナルトの七十五歳誕生日を祝して、ハイデルベルクの町では学生たちが松明行列を催した。人目につかないように身を潜めていたヤスパース夫妻は、こうしたハイデルベルクの出来事をどのような思いで送り迎えしていたのであろうか。三九年から四二年にかけてのヤスパースの「日記」の一部分が公開されているが、その中心課題は、離婚、亡命、自殺といった重苦しい問題ばかりである。
カール・ヤスパース(1883-1969)
>筆綾丸さん
>イェリネックは親子ともども飛び抜けた学者なんですね。
確かにそうなんですが、人見剛氏がこの本を出すまでは、狭い行政法学界においてすら息子は地味な存在だったはずで、人見氏の文章の冒頭、「周知のように」はちょっと変な感じですね。
人見剛(早稲田大学大学院法務研究科、教員プロフィール)
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
ゴンベエさん 2016/07/05(火) 16:11:07
小太郎さん
イェリネックは親子ともども飛び抜けた学者なんですね。
VWもフォルクスワーゲンで定着していますが、ゲシュタポ(Gestapo)は、不思議なことに、ゲスタポとは言わないですね。
キラーカーンさん
伊藤之雄氏『山県有朋』(文春新書)も、「シーメンス事件」になっています(387頁)。あの時代の日独関係を考えると、ゴンベエさんをはじめとする海軍の上層部(及びメディア)は、「ジーメンス」と発音していたろう、という気がします。戦後、アメリカの影響を受けて、「シーメンス」になったのでしょうか。「シーメンス」というと、なぜか、シーラカンスを連想します。
たしかに、「最年少A級陥落」は神武以来の天才の不滅の記録でしょうね。また、ピンさんの段位は誰も超せないですね。なんたって、1239段ですから。
今期名人戦の3局、4局、5局は羽生さんの完敗で、ポナンザとプロ棋士の勝負を見ているようでした。また、今期の棋聖戦挑戦者ですが、王者羽生があれほど負け越している棋士はほかに記憶にありません。
阪大哲学科休学中の前竜王糸谷哲郎さんは、7月4日付日経将棋欄で、将棋は民衆の娯楽として楽しめる方向性でいくのがいちばんよく、伝統的な権威づけには警戒すべきだ、と言っていますが、羽生さんはいつか文化勲章という伝統的な権威づけがなされるかもしれません。もっとも、文化勲章などより将棋のほうがずっと伝統がありますが。(将棋は徳川将軍家による権威づけ、文化勲章は天皇による権威づけ、という日本固有の悩ましい問題は考えないことにします)
日曜日のNHK「将棋フォーカス」で、最近数年間におけるプロ公式戦の勝率は先手53%と言っていました(以前は51%ほどでした)。序盤の研究が進み、先手の勝率が60%を超えるような事態になれば、ルール改正が問題になってくるでしょうが、囲碁のコミのように、4目半⇒5目半⇒6目半・・・と安直にいかないところがネックですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E9%9B%B6%E5%92%8C%E6%9C%89%E9%99%90%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
将棋も、詰まる所、先手必勝の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」だ、ということになってしまうのか。まあ、そうなったとしても、世界は何も変わりませんが。
小太郎さん
イェリネックは親子ともども飛び抜けた学者なんですね。
VWもフォルクスワーゲンで定着していますが、ゲシュタポ(Gestapo)は、不思議なことに、ゲスタポとは言わないですね。
キラーカーンさん
伊藤之雄氏『山県有朋』(文春新書)も、「シーメンス事件」になっています(387頁)。あの時代の日独関係を考えると、ゴンベエさんをはじめとする海軍の上層部(及びメディア)は、「ジーメンス」と発音していたろう、という気がします。戦後、アメリカの影響を受けて、「シーメンス」になったのでしょうか。「シーメンス」というと、なぜか、シーラカンスを連想します。
たしかに、「最年少A級陥落」は神武以来の天才の不滅の記録でしょうね。また、ピンさんの段位は誰も超せないですね。なんたって、1239段ですから。
今期名人戦の3局、4局、5局は羽生さんの完敗で、ポナンザとプロ棋士の勝負を見ているようでした。また、今期の棋聖戦挑戦者ですが、王者羽生があれほど負け越している棋士はほかに記憶にありません。
阪大哲学科休学中の前竜王糸谷哲郎さんは、7月4日付日経将棋欄で、将棋は民衆の娯楽として楽しめる方向性でいくのがいちばんよく、伝統的な権威づけには警戒すべきだ、と言っていますが、羽生さんはいつか文化勲章という伝統的な権威づけがなされるかもしれません。もっとも、文化勲章などより将棋のほうがずっと伝統がありますが。(将棋は徳川将軍家による権威づけ、文化勲章は天皇による権威づけ、という日本固有の悩ましい問題は考えないことにします)
日曜日のNHK「将棋フォーカス」で、最近数年間におけるプロ公式戦の勝率は先手53%と言っていました(以前は51%ほどでした)。序盤の研究が進み、先手の勝率が60%を超えるような事態になれば、ルール改正が問題になってくるでしょうが、囲碁のコミのように、4目半⇒5目半⇒6目半・・・と安直にいかないところがネックですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E9%9B%B6%E5%92%8C%E6%9C%89%E9%99%90%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
将棋も、詰まる所、先手必勝の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」だ、ということになってしまうのか。まあ、そうなったとしても、世界は何も変わりませんが。