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憲法学界のルー大柴

2016-07-02 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 7月 2日(土)13時53分13秒

投稿に少し間が空いてしまいました。
今までの流れから行くと、そろそろこのあたりで「国家神道」についてそれなりに本格的に論じなければならないのですが、その方法についてちょっと迷っているところです。
従来の論争を紹介して若干の私見を加えるのが通常ルートでしょうが、この問題は純粋に学問的な地点から相当離れて、政治の泥沼に入り込んでしまっているので、正確さを維持しようとすればあまり愉快でない政治的議論を延々と紹介することになりかねません。
それは面白くないので、ちょっと工夫したいと思っています。

>筆綾丸さん
>お名前がやけに democratic
そうですね。
キラキラネームの対極にある平凡で庶民的な名前ですが、頭脳は庶民的ではなく、当時からかなり目立っていましたね。

>『三四郎』に出てきそうな問答
「解説」の留学中の写真を見るとずいぶん老成した雰囲気ですが、1878年生まれの佐々木がまだ三十代前半の頃の話ですね。
佐々木は五歳上の美濃部達吉と並び称されることの多い人ですが、この問答を見る限り、性格的には万事に剃刀の如く明晰な美濃部と正反対のようです。
仮に佐々木が朝永でなく美濃部にこうした相談をしたら、瞬時に罵倒されるか、あるいは氷のように冷ややかな軽蔑の視線に曝されたでしょうね。

>漫才や落語ならともかく
いつでもどこでも大げさな石川健治氏の言語感覚は、芸能界ではルー大柴に似ていますね。
『立憲非立憲』の宣伝文句に言うように、確かに異彩を放っています。

「ルー大柴オフィシャルブログ」

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

フリーメーソンとホモ・デモクラティクス 2016/06/30(木) 13:30:10
小太郎さん
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Kaspar_Bluntschli
http://www.r5r.de/
(英)He was a Freemason and was Master of Lodge Ruprecht zu den fünf Rosen.
(独)1864 wurde er Freimaurer und Mitglied der Loge Ruprecht zu den fünf Rosen in Heidelberg, wo er durch sein Wirken als Meister vom Stuhl die Loge prägte.
ブルンチュリはフリーメーソンの一員で、ハイデルベルクの Lodge Ruprecht zu den fünf Rosenに属していたとあるので、墓石に彫られたものは星ではなく fünf Rosen(五弁の薔薇?)を表しているのでしょうね。夫婦墓の二輪の薔薇からすると、夫人もまたフリーメーソンだったのですね。
(独)Von 1872 bis 1878 war er Grossmeister der Grossloge ≪Zur Sonne≫ in Bayreuth.
バイエルン支部「Zur Sonne」の支部長(1872-1878)も歴任したのだから、法学者である以上にバリバリのフリーメーソンであったのであり、ostentatoire(仏)なギリシャ神殿様式の破風よりもむしろ、石工がさりげなく彫った地味な fünf Rosen に言及すべきなんでしょうね。

ご同窓の中村民雄氏は、お名前がやけに democratic なんですね。
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トクヴィルが「諸条件の平等」という概念を通じて論じようとした、このような新しい想像力を持った人間を、以下、<民主的人間(ホモ・デモクラティクス)>と呼ぶことにしよう。(『トクヴィル 平等と不平等の理論家』61頁)
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幸田露伴には驚きました。今時の学生さんは、倖田來未とか幸田真音とかは知っていても、露伴は知らないのではないでしょうか。 

横山大観 2016/07/01(金) 16:00:13
『立憲非立憲』の解説を読んでみました。
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・・・佐々木は朝永に、「どうも自分は、強いような又弱いような、俗なような又俗を離れたような、正しいような又正しくないような、きちんとしたような又だらしないような、いわば矛盾した人間でつまらぬ」、と打ち明けている。これに対して、朝永は、いつになく「真面目な顔つきで」間髪を入れずに、こう応えた。「ふん、それでいいのだ、矛盾でいいのだよ」。(233頁)
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この会話(1911~12頃)の数年前に、漱石『三四郎』が朝日新聞に連載されましたが、佐々木惣一を小川三四郎、朝永三十郎を佐々木与次郎に置き換えれば、『三四郎』に出てきそうな問答ですね。

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『大阪朝日新聞』は、一九一六年の元旦第一面を、ひとり佐々木のためだけに提供した。(224頁)
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次頁の第一面のコピーをみると、上半分に、大きな二匹の昇り竜(雌雄?)の絵の下に社説如きものと門松めいた植物の絵があり、下半分には、佐々木の論説を真ん中で断ち割った窓の中に、横山大観画伯の漫画のような富士山と朝日と雲の絵があり、さらに左端には横書きの英文らしきものもあるといった感じで、「ひとり佐々木のためだけに提供した」とはとても云えない構成になっています。

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・・・佐々木惣一もまた、元旦の紙面をハイジャックするに足る論説の構成に呻吟しながら・・・(228頁)
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石川氏は巫山戯ているわけではないのですが、漫才や落語ならともかく、hijack という言葉は terrorism や kamikaze と同じく、普通の人なら如上の文脈では使わないはずで、氏の言語感覚が理解できません。

1930年の名著『日本憲法要論』(初版、金刺芳流堂)ですが(242頁)、出版社は渓斎英泉の浮世絵の版元のような名称ですね。
コメント
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