投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月26日(金)22時08分29秒
>筆綾丸さん
牛皮山というのは、ちょっとドキッとするような山号ですね。
随心院の公式サイトには、
--------
古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。
仁海僧正一夜の夢に、
亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、
その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて、飼養しましたが、
日なくして死に、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き
本尊にしたことに因んでいます。
とありますが、仁海僧正が牛皮山曼荼羅寺を創建し、後にその子院のひとつとして随心院が建立され、本寺の方は滅んでしまったという事情からすると、牛皮山はあくまで旧曼荼羅寺の山号であって、今の随心院には山号はない、という理解でよいのですかね。
たまたま今日、アラン・G・トマス著『美しい書物の話』(小野悦子訳、晶文社、1997)を読んでいたのですが、「第一章 中世の彩飾写本」に次のような記述がありました。(p22)
---------
最初、すべての書物はヴェラム、つまり普通には羊、山羊、仔牛などの皮を洗って、表面を整えてから、こすって柔らかくしたものに書かれていた。もっと小型の書物や優美な書物は、より上等なユートラム・ヴェラム、つまり牛や羊の胎児の皮に書かれた。ヴェラムはかつて書物の製作に使用された最高の素材の一つである。それは滑らかで、白く、丈夫で長持ちがするが、唯一の欠点は高価だということだった。一体、一冊の聖書のために何頭の羊が必要なのだろうか、と考えてしまう。
〔この問いに、大英博物館所蔵の『アルクィン聖書』の複製本の序文で、ボニファティウス・フィッシャーが答えている。それによると、聖書一冊に二百十頭から二百二十五頭の羊が必要だということである。〕
---------
〔 〕内は翻訳者が自ら調べて注記したようですが、「聖書一冊に二百十頭から二百二十五頭の羊が必要」というのは初めて知りました。
ヴェラムの時代には聖書もいささか殺生な存在だったようですね。
最近、ツイッターの方では写本の世界にはまってしまって、日本と欧米の写本愛好家のアカウントを多数フォローしているのですが、私はキリスト教の素養に乏しいので、けっこう難しい面もありますね。
日本では西欧の中世写本を専門に研究している人は僅少であって、日本語の文献を読むだけだったら、それほどの負担でもなさそうな感じですが、いったん欧米の学者を追い始めたら、とんでもない深みが待っていそうです。
『美しい書物の話』:紀田順一郎氏の書評
>農村の土の匂いに対する消臭剤
『家と村 日本伝統社会と経済発展』が入手できていないので、代わりに渡辺尚志・五味文彦編『新体系日本史3 土地所有史』(山川出版社、2002)の坂根嘉弘氏執筆部分を読んでみたのですが、坂根氏は非常に固い、着実な議論をする人ですね。
苦手な分野ではありますが、もう少し坂根氏の研究を追ってみようと思っています。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
『舞妓はレディ』ー花の色はうつりにけりな 2014/09/24(水) 15:47:24
小太郎さん
http://www.maiko-lady.jp/
『舞妓はレディ』は佳い映画で、主役の上白石萌音は才能豊かな子ですね。
津軽弁と鹿児島弁のバイリンガルの田舎娘が京言葉を覚えて舞妓になるというストーリーでしたが、尾張弁(?)の信長は、京都弁に対してコンプレックスを感じていたろうか、などと思いながら見てました。
金子氏の描くような誠実な信長ならば、京都弁を真似て公家衆と話していたかもしれないのですが、そんな信長はちょっと想像しにくいですね。光秀などは、京都弁も尾張弁も器用に操ったのだろうな、という感じはします。「天下」とは、もしかすると、「京言葉」のことではあるまいか、などと思って、神田千里氏の「天下」の定義を見直すと(『織田信長<天下人>の実像』12頁)、歴史学者は言語学者ではないから、当たり前のことながら、「京言葉」への言及はないですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E5%BF%83%E9%99%A2
映画には、隨心院の書院(方丈?)にイタリア料理をケータリングして、小野小町と深草少将の伝説を語るシーンがありましたが、所在地の「小野御霊町」は小町の御霊を指すのでしょうね。百人一首にある小町の名歌の碑をさりげなく映していて、これは、妻の草刈民代をはじめとして、女優や舞妓への、周防監督のオマージュなんだろうな、思われました。導入部における緋牡丹博徒のお竜さんのパロディは若者にはわからないでしょうが、小町の歌は富司純子にも相応しいですね。
随心院の山号の由来は、パーチメント(parchment)ではなくヴェラム(vellum)に描いた両界曼荼羅を本尊としたからなんですね。
----------------
らんしやたいは、東大寺のみつくらにおさめられたる物にて候。これは、ちやうしやせんの御はからひにはならぬ事にて候。(中略)これは勅ふうにて候まゝ、勅しをたてられ候はねは、ひらかぬみつくらにて候を、こうふく寺のはからひに、わたくしの御氏てらに、このたひなされ候へき事、しやうむてんわうの御いきとをり、てんたうおそろしき事にて候。(後略)(同書98頁~)
----------------
三条西実枝「蘭豪待香開封内奏状案」は同書の解釈が今後の定説になると思われますが、東大寺の三蔵は勅封であって長者宣如きでは開けられぬ、という初歩的なことを知らぬほど正親町天皇の知識は貧しかった、というようなことになり、これでは、公家一統どころではなく、なんだ、そんなことも知らぬのか、馬鹿な奴め、と誠実な信長に軽侮されたのだろうな、と思われました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%85%AC%E6%9D%A1
以前、将棋のタイトル戦が温泉宿で行われて大盤解説会に行ったとき、将棋通の老人たちがモニターの画面を見ながら、(駒は)水無瀬かね、いや、錦旗だね、と話していたことがあります。錦旗は後水尾天皇の書体、水無瀬は水無瀬兼成の書体のことですが、この兼成は三条西実枝の弟なんですね。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG2300V_T20C14A9CR8000/
日経の記事の内、「豊臣秀吉に寄進されたもの」は、助詞の使い方が変で、「文禄は5年で改元されているが、秀吉の治世が続いているため、あえて「文禄」の年号を続けたとみられる」は、理由付けが変ですね。
坂根嘉弘氏の「地主制の成立と農村社会」は、ご引用の僅かな文章に、プレイヤー、アドバンテージ、コスト、カバー、マイナスという風にカタカナ英語がふんだんにばら撒かれていて、農村の土の匂いに対する消臭剤のような感じがしますが、これは、「わが国の伝統的な近代主義(丸山政治学、大塚史学など)やマルクス主義」への意識的な反発なんでしょうか。
私の英語の語感からすると、プレイヤー(「家」)という用語には馴染めないものがありますが、以下の文における「家」を「天皇」に置き換えてもあまり不自然ではなく、「不変の同じプレイヤー(「天皇」)」という概念も導き出せそうな気がしますね。
----------
日本の「家」制度の特徴は、単独相続にある。「家」のあとつぎ(長男が理想とされる)は、家長の地位をはじめ、動産・不動産などの家産をまるごと受け継いだ。日本以外のアジア諸地域はすべて分割相続地帯であったから、アジアで単独相続慣行をもつのは日本の「家」制度だけである。「家」は家長が先祖から受け継いだものであり、子々孫々まで受け渡していかなければいけないものと考えられていた。
----------
小太郎さん
http://www.maiko-lady.jp/
『舞妓はレディ』は佳い映画で、主役の上白石萌音は才能豊かな子ですね。
津軽弁と鹿児島弁のバイリンガルの田舎娘が京言葉を覚えて舞妓になるというストーリーでしたが、尾張弁(?)の信長は、京都弁に対してコンプレックスを感じていたろうか、などと思いながら見てました。
金子氏の描くような誠実な信長ならば、京都弁を真似て公家衆と話していたかもしれないのですが、そんな信長はちょっと想像しにくいですね。光秀などは、京都弁も尾張弁も器用に操ったのだろうな、という感じはします。「天下」とは、もしかすると、「京言葉」のことではあるまいか、などと思って、神田千里氏の「天下」の定義を見直すと(『織田信長<天下人>の実像』12頁)、歴史学者は言語学者ではないから、当たり前のことながら、「京言葉」への言及はないですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E5%BF%83%E9%99%A2
映画には、隨心院の書院(方丈?)にイタリア料理をケータリングして、小野小町と深草少将の伝説を語るシーンがありましたが、所在地の「小野御霊町」は小町の御霊を指すのでしょうね。百人一首にある小町の名歌の碑をさりげなく映していて、これは、妻の草刈民代をはじめとして、女優や舞妓への、周防監督のオマージュなんだろうな、思われました。導入部における緋牡丹博徒のお竜さんのパロディは若者にはわからないでしょうが、小町の歌は富司純子にも相応しいですね。
随心院の山号の由来は、パーチメント(parchment)ではなくヴェラム(vellum)に描いた両界曼荼羅を本尊としたからなんですね。
----------------
らんしやたいは、東大寺のみつくらにおさめられたる物にて候。これは、ちやうしやせんの御はからひにはならぬ事にて候。(中略)これは勅ふうにて候まゝ、勅しをたてられ候はねは、ひらかぬみつくらにて候を、こうふく寺のはからひに、わたくしの御氏てらに、このたひなされ候へき事、しやうむてんわうの御いきとをり、てんたうおそろしき事にて候。(後略)(同書98頁~)
----------------
三条西実枝「蘭豪待香開封内奏状案」は同書の解釈が今後の定説になると思われますが、東大寺の三蔵は勅封であって長者宣如きでは開けられぬ、という初歩的なことを知らぬほど正親町天皇の知識は貧しかった、というようなことになり、これでは、公家一統どころではなく、なんだ、そんなことも知らぬのか、馬鹿な奴め、と誠実な信長に軽侮されたのだろうな、と思われました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E8%A5%BF%E5%85%AC%E6%9D%A1
以前、将棋のタイトル戦が温泉宿で行われて大盤解説会に行ったとき、将棋通の老人たちがモニターの画面を見ながら、(駒は)水無瀬かね、いや、錦旗だね、と話していたことがあります。錦旗は後水尾天皇の書体、水無瀬は水無瀬兼成の書体のことですが、この兼成は三条西実枝の弟なんですね。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG2300V_T20C14A9CR8000/
日経の記事の内、「豊臣秀吉に寄進されたもの」は、助詞の使い方が変で、「文禄は5年で改元されているが、秀吉の治世が続いているため、あえて「文禄」の年号を続けたとみられる」は、理由付けが変ですね。
坂根嘉弘氏の「地主制の成立と農村社会」は、ご引用の僅かな文章に、プレイヤー、アドバンテージ、コスト、カバー、マイナスという風にカタカナ英語がふんだんにばら撒かれていて、農村の土の匂いに対する消臭剤のような感じがしますが、これは、「わが国の伝統的な近代主義(丸山政治学、大塚史学など)やマルクス主義」への意識的な反発なんでしょうか。
私の英語の語感からすると、プレイヤー(「家」)という用語には馴染めないものがありますが、以下の文における「家」を「天皇」に置き換えてもあまり不自然ではなく、「不変の同じプレイヤー(「天皇」)」という概念も導き出せそうな気がしますね。
----------
日本の「家」制度の特徴は、単独相続にある。「家」のあとつぎ(長男が理想とされる)は、家長の地位をはじめ、動産・不動産などの家産をまるごと受け継いだ。日本以外のアジア諸地域はすべて分割相続地帯であったから、アジアで単独相続慣行をもつのは日本の「家」制度だけである。「家」は家長が先祖から受け継いだものであり、子々孫々まで受け渡していかなければいけないものと考えられていた。
----------