学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「若者集団の雄叫びのような報告」(by深谷克己氏)

2014-09-05 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月 5日(金)20時26分33秒

『深谷克己近世史論集 第六巻 歴史学徒のいとなみ』の「序」、更に少し引用してみます。(p11以下)

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(前略)Ⅱ「社会の変容を実感する」には七本の論考を収めた。今では気恥ずかしく、自分で編集すれば除いたに違いないものもある。しかし編集の労をとってくれた若い研究者たちから、書かれた年次ということも大事で、時勢の証言性をもつという意見が出て、収録に同意した。要するに、証拠の品である。
 なかでも第5章「七〇年闘争とわれわれの歴史学」は、今では顔があかくなるような昂揚した論調で、当時の歴史科学協議会の大会は、このような若者集団の雄叫びのような報告を組み込んで行なわれたのであった。当時、私はまだ大学院生で、生まれたばかりの歴史科学協議会の東京での基盤である東京歴史科学研究会を活動の拠点としていた。そこでのいわば議論を煮詰めた代表報告であるが、世の中には深谷の報告として通り、年配の研究者で記憶に残している人が多いことはしばしば耳にする。この報告には、現実も歴史も人民闘争の視界に取り込もうとする意気込みが溢れ出ている。四〇年たった今では忸怩たる気持ちであるが、自分はこういうところから出て来たのだなという感慨も大事にしようと思っている。第6章「なにをどのように読むべきか」も、同じ頃に書いたもので、今では手前勝手な論調に汗顔の思いになる。マルクス主義文献、革命志向文献を読むことを勧めているのは、当時の若手の言説としてはゆるされると思うが、歴史書をはじめ、なんでもかでも重要なものは読むべきだと決めつけているのは、研究者の態度ではない。そんなことが誰にもできるはずはなく、若気の至りと言うほかはない。(後略)
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私も第5章「七〇年闘争とわれわれの歴史学」と第6章「なにをどのように読むべきか」を読んでみましたが、確かに赤の他人の私が読んでも少し恥ずかしい内容でした。
深谷氏個人にとっては「自分はこういうところから出て来たのだなという感慨も大事」なのでしょうが、こういう時代の雰囲気の中では、歴史研究者としての才能に恵まれ、学問的な意欲に溢れていた人であっても、周囲になじめずに離脱して行った例も多いのでしょうね。
私には早稲田の文学部を出て、今は美術関係の仕事をしている年上の知人がいるのですが、その方は本当は大学院で日本史の研究を続けたかったけれど、思想的・イデオロギー的な面がわずらわしくてやめてしまった、と言われていました。
ま、その方は深谷氏とは世代的には重なりませんが、深谷氏の文章を読んで、深谷氏とは別の感慨を催す人も多いでしょうね。

コメント
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早稲田の人よ。

2014-09-05 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月 5日(金)09時39分18秒

『深谷克己近世史論集』全六巻、特にその「月報」を読むと、深谷克己氏は歴史学界において広く先輩・友人・弟子に恵まれ、人望が厚くて、大学教授としてはずいぶん恵まれた人生を送った人であることが分かりますね。
『第六巻 歴史学徒のいとなみ』(校倉書房、2010)の「序」は1939年生まれの深谷氏のミニ自叙伝となっています。

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 私は、保育園、病気長欠、浪人生活、予備校通いなど、およそはみ出たことを経験しないまま、一八才で東京の大学に入った。ところが一年目でいきなり行き詰ってしまい、その後、三年間、浮遊的回路を経た。ただ浮遊といっても、生家に戻って農家の両親と葡萄や梨や米を作って暮らしていたという毎日で、浮浪したのではない。定住、律儀の性向は変わらないが、前途が見えなかったというのが浮遊の意味で、近隣や親戚からは跡取りになるかもしれないと期待されていたろうと思う。この三年間は向かうべき方途についてのある種の自意識の土台を養ってくれたようで、両親も家業を強いなかったから、もう一度大学に入りなおし、それ以後はとうとう大学だけの暮らしで今日に至った。最初の入学も二度目の入学も、政治経済学部から文学部へと学部は変えたが、どちらも早稲田大学で、他の大学を受験したこともない。だから受験で落ちたという経験もない。なにがなんでもの早稲田好きというタイプではなかったが、当時はずいぶん地方出が多く、規格からほどよく自由で、それに老舗というイメージがあって、私が選ぶのにふさわしかった。(中略)
 三〇歳過ぎからは、大学の教壇から日本近世史を教えるという生活に入ったが、時代別に何人もの専任研究者がいて、少なからぬ非常勤の専門家もふくめて科目担任者が配されるという日本史専攻に所属していたので、ほかの時代や特別の科目を担当することもなく、近世史の演習か講義かの違いくらいで毎年毎年を過ごしてきた。大学の教師でも、専門外の科目を受け持って四苦八苦した話はいくらも聞いているが、私にはそういう経験もない。いわゆる「職業的研究者」として三〇歳過ぎから七〇歳の定年まで、ほぼ四〇年間もの時間を、一直線としか言いようのない形で生きてきたわけだが、これは同時に必然的に、「知識人」「大学人」と呼ばれる社会的外貌をずっと持ちつづけてきたことでもある。
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深谷氏の定義では「職業的研究者」ではない人=「在野」のようですね。
羽仁五郎が東大史料編纂所に在籍していたのはごく短期間で、羽仁は裕福な職業的革命家、というか革命を趣味として生きた人であり、林基・藤間生大は人生の後半で大学に籍を置いたとしても、社会的に一番活躍していた時期には大学人ではなかったので、結局、学問的業績の如何にかかわらず、また「知識人」としてのレベルにかかわらず、深谷氏にとっては三人とも「在野」ということですね。
ついでに先に引用した部分の続きも載せてみます。

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 そんな次第だから、学歴・職歴・生活歴ともに、むしろ平凡で山や谷の起伏の小さい人間である。ただ、それだけに自分の意向・意志だけとは言えない、「大学人」だからこその恵まれた自由さ、また多分早稲田大学がひろく蓄積してきている無形の土台にも助けられて、好んだ場所での歴史学の交わりが可能となり、この史論集に集めたような論点の提示やメッセージを書き貯めることができたのだと思う。私は、ことさらに思想癖がある性格でもなく、また特段の読書人でもない。本巻に収録した問題意識にかかわる論点は、歴史学徒であればどこかで何度も議論になり、また研究・教育のマナーとして留意すべきあれこれの事柄である。しかし、私のように時宜に応じて文章化し、その時々の企画に応えてくると、いつしか数がかさみ、量が質にもなり、いつのまにか学界でも比較的発言の多い研究者という印象になったのだと思う。
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深谷氏は羽仁五郎のようなケレン味とは縁のない人ですから、もちろん謙遜は含まれるとしても、基本的には額面通り受け取ってよいのでしょうね。
『大系日本の歴史9 士農工商の世』(小学館、1988)の冒頭で、深谷氏は徳川家康の生涯をかなり好意的に描いていますが、信長や秀吉のような派手さはなくとも、学界の動向に沿って着実に業績を積み上げ、知己を広げ、弟子を育てて数十年の深谷氏は、武士であれば家康のようなタイプですかね。
ま、「定住、律儀の性向」からすれば深谷氏に一番似合うのは「農」でしょうから、「早稲田」といういかにも農村的な名前の大学を選んだのは人生の必然なんでしょうね。
深谷氏が書かれているように、昔の早稲田は地方出身者が多いという印象がありましたが、今はずいぶん変わってしまったみたいですね。

>ザゲィムプレィアさん
『天皇と東大』はもともとが週刊誌の連載なので読みやすいのですが、例えば天皇機関説の説明など、ちょっと乱暴だなと思わせる箇所も多いですね。

>筆綾丸さん
ミトコンドリアの記事は途中まで読みましたが、ずいぶん難しい話ですね。

※ザゲィムプレィアさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Re: 「ははーんと思いましたね」(by 山口啓二氏) 2014/09/02(火) 22:46:27(ザゲィムプレィアさん)
>小太郎さん
色々と教えて頂き、有難うございます。
『天皇と東大』は以前から読もうと思っていたので、これを機会に読んでみます。

閑話ー内閣改造とサル学 2014/09/04(木) 11:37:41(筆綾丸さん)
http://www.bbc.com/news/science-environment-29013592
こんな研究が学問と呼べるのか、甚だ疑問ですが、 fMRI (functional magnetic resonance imaging) の分析の結果、上位のサルと下位のサルとでは脳の一部のデカさに相違があるとのことです。25 macaque monkeys くらいの例では普遍的なことは言えないはずですが、言い切ってしまうところが、何とも凄いですね(ちなみに閣僚ポストは全部で19)。
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In monkeys at the top of their social group, three particular bits of the brain tended to be larger (specifically the amygdala, the hypothalamus and the raphe nucleus). In subordinate monkeys, the tendency was for a different cluster of regions to be bigger (all within the striatum).
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そして、
There is no reason to suspect that the correlations identified in the study would not apply to other primates, like apes and humans.
なんだけれども、
But in our society, social position can vary considerably in different situations - so it is might be difficult to define "dominance" for a human study.
なんだそうです。

http://www.bbc.com/news/magazine-28986843
生殖について、こういう技術があるとは知りませんでした。細胞核由来の重要な遺伝子23,000個に対し、ミトコンドリア由来の重要な遺伝子は僅か13個なので、
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Alana agrees with her mum. "I think it would be nice to thank her. But I wouldn't want to have a relationship or connection with her. The DNA I have of her is just so small."
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と彼女が言うのはごく自然な感情でしょうが、このミトコンドリアがなかったならば、と考えると、僅か13個ながら、決定的なファクターなんですね。
コメント
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