投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月17日(水)22時19分1秒
>筆綾丸さん
>3,000(部)程
筧克彦はつかみどころのない人ですが、一時は相当に人気があったらしいので、この数字は一桁、あるいはもしかしたら二桁違うかもしれませんね。
金子拓氏の『織田信長<天下人>の実像』、今頃やっと読み終えたのですが、確かに良い本ですね。
金子氏による新出史料の丁寧な分析の結果、信長と公家との関係は、一時的に公家側が信長の期待に十分応えられなかった時期があるにせよ、基本的には一貫して親和的であった考えてよさそうであり、これは金子氏の大きな功績なんでしょうね。
問題はやはり「天下」の意味で、これが終章の結論にも直接影響しますね。
金子氏が立脚する神田千里説で固まったかというと、堀新氏の「織田政権論」(『岩波講座日本歴史第10巻 近世1』)あたりを見る限り、まだまだ議論は続きそうですね。
また、「麟」については筆綾丸さんがおっしゃる通りの疑問を私も感じました。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのリンクあり。
信長のユーモア 2014/08/23(土) 21:50:36(筆綾丸さん)
小太郎さん
ロベスピエールはなんとなく優男のようなイメージがありましたが、強面のデスマスクからは、こいつ、何人くらい殺めたのだろう、という感じがしてきますね。
ちなみに、マラーの暗殺現場は、パリ6区、メトロのオデオン駅を出てすぐ、パリ第5大学の構内のどこかで、むかし探検したとき、何の案内版もなくて、歴史にうるさいパリにしては珍しいな、と思ったものです。この大学は通称ルネ・デカルト大学という医学校ですが、マラーの死と何か関係があるのか、医師マラーを踏まえたものなのか、これもわかりませんでした。
金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』は、ひさしぶりに良書に出会えた、という感じです。キーパーソンは三条西実枝で、この人物の分析はとても面白いですね。ただ、「終章 信長の「天下」」は残念ながら尻切れトンボのような気がします。
興福寺別当職相論に関して、信長が正親町天皇を叱責し、誠仁親王が天皇に代わって詫びる、という書状の中に「瓜」が出てきますが、本文を能とすれば、これは狂言に相当するのでしょうね。
信長「・・・さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候。些少候といえども、濃州真桑と申し候て、名物に候あいだ、かくのごとく候。・・・」
誠仁「・・・まずまずこの瓜名物と候えば、ひとしお珍しく眺め入り候。・・・」
信長のとぼけたユーモア感覚といい、親王の返しといい(すぐ食べないで眺め入る、というところがよく、ひょっとすると、ポンポンと鼓のように叩いている気配すらあります)、狂言の名場面のようです。この場合、親王はシテ、信長はアド、ということで君臣の秩序は保たれているのかな。
大蔵流あたりで、この話を適当に脚色し新作狂言として上演してほしい。題はもちろん、真桑瓜、です。
注記
金子氏は、「さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候」を「とはいえ冥加のため、この瓜を親王様に献上します」と訳していますが、「冥加」のニュアンスが掴みにくいですね。神の御加護を得るために、あるいは、神の御加護に謝するために、と理解したとしても、神の御加護に対して、名物とはいえ、なぜたかが瓜なんだろう、神の御加護と瓜ではバランスがとれまい、という気がします。
些末なことですが、「塙直政」に「はのう なおまさ」とふりがなしてありますが(81頁)、塙保己一は「はなわ ほきいち」、塙直政は「ばん なおまさ」と記憶している者としては、この「はのう」の根拠は何なのか、知りたいと思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E7%9B%B4%E6%94%BF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E4%BF%9D%E5%B7%B1%E4%B8%80
小太郎さん
ロベスピエールはなんとなく優男のようなイメージがありましたが、強面のデスマスクからは、こいつ、何人くらい殺めたのだろう、という感じがしてきますね。
ちなみに、マラーの暗殺現場は、パリ6区、メトロのオデオン駅を出てすぐ、パリ第5大学の構内のどこかで、むかし探検したとき、何の案内版もなくて、歴史にうるさいパリにしては珍しいな、と思ったものです。この大学は通称ルネ・デカルト大学という医学校ですが、マラーの死と何か関係があるのか、医師マラーを踏まえたものなのか、これもわかりませんでした。
金子拓氏の『織田信長〈天下人〉の実像』は、ひさしぶりに良書に出会えた、という感じです。キーパーソンは三条西実枝で、この人物の分析はとても面白いですね。ただ、「終章 信長の「天下」」は残念ながら尻切れトンボのような気がします。
興福寺別当職相論に関して、信長が正親町天皇を叱責し、誠仁親王が天皇に代わって詫びる、という書状の中に「瓜」が出てきますが、本文を能とすれば、これは狂言に相当するのでしょうね。
信長「・・・さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候。些少候といえども、濃州真桑と申し候て、名物に候あいだ、かくのごとく候。・・・」
誠仁「・・・まずまずこの瓜名物と候えば、ひとしお珍しく眺め入り候。・・・」
信長のとぼけたユーモア感覚といい、親王の返しといい(すぐ食べないで眺め入る、というところがよく、ひょっとすると、ポンポンと鼓のように叩いている気配すらあります)、狂言の名場面のようです。この場合、親王はシテ、信長はアド、ということで君臣の秩序は保たれているのかな。
大蔵流あたりで、この話を適当に脚色し新作狂言として上演してほしい。題はもちろん、真桑瓜、です。
注記
金子氏は、「さりながら冥加のために候あいだ、この瓜親王様へ進上候」を「とはいえ冥加のため、この瓜を親王様に献上します」と訳していますが、「冥加」のニュアンスが掴みにくいですね。神の御加護を得るために、あるいは、神の御加護に謝するために、と理解したとしても、神の御加護に対して、名物とはいえ、なぜたかが瓜なんだろう、神の御加護と瓜ではバランスがとれまい、という気がします。
些末なことですが、「塙直政」に「はのう なおまさ」とふりがなしてありますが(81頁)、塙保己一は「はなわ ほきいち」、塙直政は「ばん なおまさ」と記憶している者としては、この「はのう」の根拠は何なのか、知りたいと思いました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E7%9B%B4%E6%94%BF
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%99%E4%BF%9D%E5%B7%B1%E4%B8%80
天尽しの綸旨 2014/08/24(日) 17:36:00
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ところが最近、高木叙子氏によって、「麟」花押が示唆する聖人君主とは義昭であり、この花押は義昭による理想の世の中の達成を願望したものではなかったかという議論が提起された(「天下人『信長』の実像?」)。「麟」花押が見られるのは永禄八年(一五六五)頃に義昭から上洛への協力要請が届いた時期であることから、この頃の信長は義昭に仕え幕府に入りこもうと考え、「麟」花押を考案したというのである。信長が室町将軍による政治秩序の枠組みを継承して登場したことを考えると、高木氏の「麟」花押論はすこぶる納得のゆくものである。(「織田信長<天下人>の実像」267頁)
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天正改元の問題から、信長の天下静謐のための役割認識・考え方へと話が拡がった。これは、天正へと改元をうながしたことが、義昭追放後天下人の立場となった信長が最初に着手した行動であるとともに、かつてみずからが義昭に諫言した内容を誠実に履行したことを示す重要なできごとだからである。(同書55頁)
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高木説の論理によれば、義昭を追放した後、信長は「麟」花押を破棄し新たな花押にしてもよさそうですが、追放後も同じ花押を信長はなぜ使い続けたのか、という素朴な疑問が湧いてきて、「すこぶる納得のゆくものである」と金子氏はいうけれども、まったく納得がゆかないですね。当該論文を読むべきなんでしょうが、他人のために自らの花押を考案するなどというのは、非常識というか、私の感性にいたく抵触するものがあります。義昭追放直後、天皇に改元を迫った信長が、義昭のための「麟」花押をのんびりと使い続けますかね。人は何を信じてもいいけれども、私には寝耳に水のようなアンビリーバブルな話です。
一部の戦国大名が足利将軍家の武家花押のマネをして、似たような花押を使用していますが、この場合であれば、ひたすら将軍家の弥栄を念じたもので他意はない、と言えなくもないけれども、やはり牽強付会でしょうね。というような訳で、当該論文を読んでみようかしら、という意欲は湧いてきません。
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改元執行せられ、年号天正と相定まり候。珍重に候。いよいよ天下静謐安穏の基、この時にしくべからざるの条、満足に察し思し食さるるの旨、天気候ところなり。よって執達くだんのごとし。
七月廿九日 左中将親綱
織田弾正忠殿 (『東山御文庫所蔵史料』勅封三八函-六九)(同書56頁)
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信長による蘭奢待の切り取りの時と同じように、『東山御文庫所蔵史料』の勅封も勅使派遣により開かれたのでしょうね。
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ところが最近、高木叙子氏によって、「麟」花押が示唆する聖人君主とは義昭であり、この花押は義昭による理想の世の中の達成を願望したものではなかったかという議論が提起された(「天下人『信長』の実像?」)。「麟」花押が見られるのは永禄八年(一五六五)頃に義昭から上洛への協力要請が届いた時期であることから、この頃の信長は義昭に仕え幕府に入りこもうと考え、「麟」花押を考案したというのである。信長が室町将軍による政治秩序の枠組みを継承して登場したことを考えると、高木氏の「麟」花押論はすこぶる納得のゆくものである。(「織田信長<天下人>の実像」267頁)
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天正改元の問題から、信長の天下静謐のための役割認識・考え方へと話が拡がった。これは、天正へと改元をうながしたことが、義昭追放後天下人の立場となった信長が最初に着手した行動であるとともに、かつてみずからが義昭に諫言した内容を誠実に履行したことを示す重要なできごとだからである。(同書55頁)
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高木説の論理によれば、義昭を追放した後、信長は「麟」花押を破棄し新たな花押にしてもよさそうですが、追放後も同じ花押を信長はなぜ使い続けたのか、という素朴な疑問が湧いてきて、「すこぶる納得のゆくものである」と金子氏はいうけれども、まったく納得がゆかないですね。当該論文を読むべきなんでしょうが、他人のために自らの花押を考案するなどというのは、非常識というか、私の感性にいたく抵触するものがあります。義昭追放直後、天皇に改元を迫った信長が、義昭のための「麟」花押をのんびりと使い続けますかね。人は何を信じてもいいけれども、私には寝耳に水のようなアンビリーバブルな話です。
一部の戦国大名が足利将軍家の武家花押のマネをして、似たような花押を使用していますが、この場合であれば、ひたすら将軍家の弥栄を念じたもので他意はない、と言えなくもないけれども、やはり牽強付会でしょうね。というような訳で、当該論文を読んでみようかしら、という意欲は湧いてきません。
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改元執行せられ、年号天正と相定まり候。珍重に候。いよいよ天下静謐安穏の基、この時にしくべからざるの条、満足に察し思し食さるるの旨、天気候ところなり。よって執達くだんのごとし。
七月廿九日 左中将親綱
織田弾正忠殿 (『東山御文庫所蔵史料』勅封三八函-六九)(同書56頁)
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信長による蘭奢待の切り取りの時と同じように、『東山御文庫所蔵史料』の勅封も勅使派遣により開かれたのでしょうね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
思想的価値と経済的価値の相剋 2014/09/15(月) 16:18:04
小太郎さん
http://it.wikipedia.org/wiki/Cappella_Brancacci
むかし、マザッチョの『貢の銭』は、これがクワトロチェント初期の傑作だな、とブランカッチ礼拝堂で見上げたことがあります。
『大日本帝國憲法の根本義』の内容にさっぱり興味が湧かず、次のようなことを考えてみました。
? 旧蔵者(あるいは相続人)はなぜ破棄焼却せずに寄贈したのか
? 「昭和53年5月1日寄贈」の「寄贈」は図書館として「受贈」の方が良くはないか
? 「第三刷發行」を最後として全部で1,000×3=3,000(部)程の発行か
? 三千部を津々浦々に散華して一億総国民の頬をひっ叩く確率は如何
? 岩波書店のアーカイヴにデータは有りや無しや
? 帝大教授の月俸に占める「定價貮圓八拾銭」の割合は如何
? (約)参圓÷(月俸)参百圓×100=1%以下か
? 現在、月給500,000円の教職員が5,000円の専門書を買う程の負担(1%)か
? 岩波書店界隈の古本屋の親爺に尋ねれば直答を得るか
? 幾星霜の死蔵・退蔵で骨董的価値は発生するか
? 果たして紙魚(thysanura)の好物となるや否や
? 紙魚(thysanura)は闇米を峻拒した某裁判官を以て範とし餓死の道を択ぶか
・・・・・・・・・
追記
http://www.bsfuji.tv/primenews/
昨今のNHKの報道番組は駄目なので、BSフジのプライムニュースを見ることにしていて、今日(9月17日)は民法120年振りの大改正がテーマでしたが、丸山・松本・篠塚各氏の発言を聞いていると、別に法改正などしなくても今まで通りでいいんじゃないか、この三人には法に対して理念があるのだろうか、と思いました。
いつも感ずるのですが、反町・島田両キャスターはほんとに頭の良い人ですね。
小太郎さん
http://it.wikipedia.org/wiki/Cappella_Brancacci
むかし、マザッチョの『貢の銭』は、これがクワトロチェント初期の傑作だな、とブランカッチ礼拝堂で見上げたことがあります。
『大日本帝國憲法の根本義』の内容にさっぱり興味が湧かず、次のようなことを考えてみました。
? 旧蔵者(あるいは相続人)はなぜ破棄焼却せずに寄贈したのか
? 「昭和53年5月1日寄贈」の「寄贈」は図書館として「受贈」の方が良くはないか
? 「第三刷發行」を最後として全部で1,000×3=3,000(部)程の発行か
? 三千部を津々浦々に散華して一億総国民の頬をひっ叩く確率は如何
? 岩波書店のアーカイヴにデータは有りや無しや
? 帝大教授の月俸に占める「定價貮圓八拾銭」の割合は如何
? (約)参圓÷(月俸)参百圓×100=1%以下か
? 現在、月給500,000円の教職員が5,000円の専門書を買う程の負担(1%)か
? 岩波書店界隈の古本屋の親爺に尋ねれば直答を得るか
? 幾星霜の死蔵・退蔵で骨董的価値は発生するか
? 果たして紙魚(thysanura)の好物となるや否や
? 紙魚(thysanura)は闇米を峻拒した某裁判官を以て範とし餓死の道を択ぶか
・・・・・・・・・
追記
http://www.bsfuji.tv/primenews/
昨今のNHKの報道番組は駄目なので、BSフジのプライムニュースを見ることにしていて、今日(9月17日)は民法120年振りの大改正がテーマでしたが、丸山・松本・篠塚各氏の発言を聞いていると、別に法改正などしなくても今まで通りでいいんじゃないか、この三人には法に対して理念があるのだろうか、と思いました。
いつも感ずるのですが、反町・島田両キャスターはほんとに頭の良い人ですね。