学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

構想力のない男

2014-09-20 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月20日(土)09時10分30秒

金子拓氏が結論として描き出した信長像は「序章 信長の政治理念」にまとめられていますね。(p26以下)

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 信長が構想していた武家政権としてのあり方は、室町幕府の体制、つまり畿内を中心とした将軍権力と、地域の大名権力が並存してゆるやかな国家をかたちづくるというあり方からそれほど大きくかけ離れたものではなかった。信長が理想としていた統治の仕組みは、天正三年末の時点において彼が近い将来実現するだろうと描いていたようなものだったと考えればよい(第五章参照)。
 たとえば領国の支配体制にしても、近年の研究により明らかにされたように、柴田勝家や羽柴秀吉ら大身の家臣たちに分権的に領国支配を委ね、そのうえに天下人として信長が君臨するようなあり方であって、さして目新しいものではなく、領国統治のための行政制度や租税徴収制度といった面ではむしろ後進的であったという評価もなされている。天下静謐という高邁な理念と旧来的な領国統治のあり方が混じりあわずに併存しているのが、信長権力の基本的な性格であった。
 枠組みとして室町幕府の体制を大きく変えるものではなかったにしても、その中心となる人物が、将軍とは異なる論理でその立場にあった天下人であったという点で、それまで形式的にせよ将軍に従っていた諸大名が違和感を抱き、容易に従おうとしなくなったことは想像できる。最終的には朝倉氏や浅井氏、大坂本願寺のようにはっきりとした敵対行動をとる勢力もあらわれる。それぞれに個別的事情もあるにせよ、彼らはあたらしい武家権力者に対する拒否反応を起こして自己防衛本能がはたらき、逆に攻撃的になり信長に敵対することとなったと考えることができるだろう。
 天下静謐維持を第一義の目標とした信長は、このような敵対勢力を服属させようとして軍事行動を起こし、彼らを滅ぼしたり服属させたりすることにより、結果として、その領国がみずからの支配領域に組みこまれた。信長が全国統一に邁進し領国を拡大していったかのように見えたのは、実はこの行動の反復による結果論にすぎないのだ。
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今は昔、植木等と谷啓のコントに「主体性のない男」というシリーズがありましたが、金子説によれば、織田信長は「天下静謐という高邁な理念」の持ち主であるので主体性に欠けることはないものの、しかし、およそ構想力を持たない人物であった、ということになりますね。
「静謐」を維持してくれさえすれば信長には何の不満もなかったのに、周囲は信長の謙虚な性格を理解してくれなかった。そして信長には何故か他人に「拒否反応」を起させ「自己防衛本能」を喚起させる要素があったため、「はっきりした敵対行動をとる勢力」が次から次へと現われて、信長が「天下静謐という高邁な理念」に基づき、やむなく「敵対勢力」をひとつひとつつぶして行くと、結果的にけっこう広大な領域を支配するようになりましたとさ、ということですね。
まあ、非常に斬新な信長像ではありますが、小説家にとっては甚だ創作意欲を刺激しない人物像ですので、金子説に基づく小説はおそらく登場せず、大河ドラマにもならず、歴史学界においてのみ、ひっそりと地味に評価されることになるのでしょうね。
コメント
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