学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「野次将軍独眼竜」

2014-09-01 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月 1日(月)09時38分59秒

ネットで得られる山口政二の情報としては、ウィキペディアより「歴史が眠る多磨霊園」 サイトがよいですね。

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埼玉県出身。県立川越中学校、第一高等学校を経て1914(T3)東京帝国大学独法科卒業。一高時代は応援団として『野次将軍独眼竜(片目の視力を失っていた)』の名を校内外に轟かせた。
 大学卒業後、朝鮮総督府試補・同事務官、陸軍省御用掛を歴任。'17(T6)青島守備軍民政府事務官。武断的な日本の朝鮮・中国政策を実際に体験し強い不満を持ち、これを改めさせるには政治家になるしかないと考え、'22官職を辞し、まず弁護士を開業した。(後略)

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yamaguchi_ma.html

若き独眼流将軍は女性にすこぶる人気があって、斎藤阿具のお嬢さんは、自宅を訪問した数多くの一高の俊秀の中から独眼流将軍を見初めたそうですね。
南原繁は1889年生まれなので年齢的には独眼流将軍より2歳下ですが、一高では同級生だったらしくて、多少の接点があったのではないかと思っているのですが、今のところ具体的な情報は得ていません。
何かご存知の方は、この掲示板ないしメールにてご教示願います。
ちなみに若い頃の南原繁はカエルみたいな風貌で、休日でも図書館に籠もってひたすら勉強していたガリ勉タイプですから、女性にはあまり人気がなかったでしょうね。
コメント
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