学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「ははーんと思いましたね」(by 山口啓二氏)

2014-09-02 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月 2日(火)20時56分11秒

今日は閉館間際の図書館で『深谷克己近世史論集』全6巻(校倉書房、2009-10)を大急ぎでめくって、気になった部分を少しコピーしてきました。
感想はのちほど。

>ザゲィムプレィアさん
お知らせ、ありがとうございます。
『昭和天皇独白録』はずいぶん昔に読みましたが、ご指摘の部分は覚えていませんでした。
後で確認してみます。
終戦工作は『聞き書 南原繁回想録』に登場しますが、「聞き書き─山口啓二の人と学問」にも関係する箇所がありますね。(著作集5巻、p164以下)

---------
 南原繁さんを中心とする法学部の戦争反対のグループが地下活動をしていたのです。戦争を早く終わりにもっていくために、いろいろなルートで工作をやっていました。法学部の用務員室が、デポの場所でした。そこでその役を果たすのは特研生なんです。矢沢特研生、雄川一郎特研生。私の同級生です。目立たないようにするために、役を果たしている人は、なんの役をしているのか、わからない。「今日また、南原先生に、用務員室にいてくれと言われているから、僕らは用務員室を出られない」「じゃあ、小使い室に行くから、お喋りしようや」って─「お喋り」というのは、情報を得に行くわけですよ。法学部はいちばん情報が入るから。
 用務員室に座っていると、南原先生が来て、「頼むよ」と封書を置いて、スーッと行ってしまうのです。つぎに何先生が来たときに、それを渡すということで、その何先生という名前を私には言わない。なんか大事なことをしているけれども、その封筒の中身を、実は知らない。そういう面白い連絡網の中に、ちょっとお喋りに行っていました。何回か経験しました。ははーんと思いましたね。お二人とも、ははーんと思ってやっていたと思う。
---------

立花隆の『天皇と東大』にも南原繁の終戦工作が詳しく出ていますが、雄川一郎氏等への言及はありませんでした。
ま、面白いエピソードではあっても、本当に周辺の部分ですからね。
雄川一郎(1920-85)は後に東大法学部の行政法の教授になりますが、私は謹厳な雄川氏の固い論文を読んだことがあるだけで、雄川氏にこのような青春時代があったとは全く知りませんでした。

雄川一郎

※ザゲィムプレィアさんの下記投稿へのレスです。

南原繁の終戦活動 2014/09/01(月) 23:10:12
小太郎さん、こんにちは
最近知ったのですが、南原繁は海軍のブレーントラストである高木八尺の人脈に連なり、終戦について学者グループで検討するだけでなく、
木戸内府に面会して終戦を訴えたそうです。

  昭和天皇独白録、文春文庫、143-144ページ

南原が学会に籠る学者でなくこのような危険と背中合わせの政治活動をしていたとすると、原田慶吉に冷たかったのも納得できます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする