キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

溜まった書類を処分した

2024年06月10日 | Weblog
地区長と町内会長を2年やったが、随分と書類が2mばかり溜まり、2か月たったので新しい役員の方からの問い合わせも少なくなり落ち着いたので、不要な書類を朝から処分したら50㎝ほどになった。
子供のころから本については大切なものだと親から教えられてきたので、古くなって不要なものでもなかなか捨てられないが、書類の束だと逡巡なく捨てられるから不思議だ。

就学前に買ってもらった絵本が随分あったが、特に思い出深い10冊程度を残して後は捨てたが、これが小学校に入ってから買ってもらった少年少女世界文学全集だとか日本文学全集などは箱が擦り切れ紙も褐変していて、生きているうちに再読する可能性はまずないのに捨てられない。
母の衣類や小物を処分した時のように、8畳に広げてお経をあげてからなら処分できるような気がする。

平凡社が最初に出した林達夫が編集責任者だった大辞典は、数年前に捨てることが出来た。
それでも既に加藤周一編集での改訂版が出来て半世紀近く経っていた。
母が近代書房の店主と百科事典を色々吟味して、新たに発売される「平凡社世界大百科事典」に決め、店主が発売の度に届けて来てくれたが、こういったものは初版を買うべきじゃなく、毎回正誤表も届けられた。
大学生になって、林達夫の著作集を買ったが、井上ひさしの推しもあったが、編集長としての名前を覚えていたからだ。

本を処分した後は、チョットした罪悪感と寂寥感があるが、書類を処分した後はもっぱら爽快感だね。

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母のベッドで寝てみて

2024年06月10日 | Weblog
昨夜は8畳と6畳の前の廊下の雨戸が閉められないため、防犯の意味で母のベッドで寝た。
雨戸が6枚あり戸袋に入れるのにチョット梃子を使ったコツがいるんだけど、長年やっているうちに腱鞘炎になって、雨戸が締められなくなった。
今は妻か次男が閉めてるが、昨夕は二人とも早く寝てしまったので開けたままだったのだ。

思えば秦野にあった「丸福」という家具屋がうちの御用達ようなもので、広告が入ると、父母が二人で出かけてなにがしらのものを購入してきた。
1970年80年代とはそんな時代だった。
後年、僕も洋服ダンスを2竿買ったけど、やっぱり馴染みというものが人間には大きな安心なんだろうね。
母のベッドは40年位前になるのかなあ、母と二人で行き、僕が価格交渉をして20数万円で買ったが、後から母が私は20万円までにするつもりだったと云っていた。

母はこういった交渉が好きで、行商の植木屋から蘇鉄を買って根腐れしていて騙されたり、行商の石屋から庭石を60万円で買ったこともあった。
トイレの脱臭装置や親子電話なども飛び込みのセールスマンから買っていた。
僕なんかの時代は、店を構えているところじゃないと、胡散臭くて買えなかったけど、今はまたヴァーチャルなショップから買うようになっているね。
デパートでも価格交渉をする僕の性癖は、母は譲りなのかもしれない。

ともあれ、このベッドは日本ベッド製で皇室御用達とのこと、横になってみると背筋が伸びて大変良かった。
昨夜も僕が何時も寝ているベッドに比べて硬かったが、朝5時まで6時間ぐっすり眠られたところをみると、ヤッパリ皇室御用達も伊達じゃないのかもしれないと思った。
ちなみに僕のベッドは15年くらい前に無印で10万円で購入した。
子供の頃のベッドはフランスベッド製で、もっと高価だったと記憶しているが、ベッドは品質が良くなり価格が下がったのだろうか。
電子機器などはベラボーに品質が良くなり廉くなったが、こういったアナログ製品はどうも違うような気がするな。



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