男女の愛にしても信仰の世界での神仏との愛の世界でも、また親子、友情の世界にしても、理性、五感、体感、そのいづれにおいても暗いものを感じずに何か凄く神聖で豊かで爽やかな世界を漂うことがあります。この宇宙のような暖かい広がりは数十年経過しても、どう考えてもあれが神の世界だなあ、と思うことがあります。この場合は倫理道徳、規則は存在しませんがそこには荘厳な何とも言えない深くて何ものにも代え難い尊厳が存在していて、もはや言葉は不要でひたすら命の充実を感じます。神が存在するかどうか等はもう、どうでもよい世界で、存在は当然のもの、という世界で森羅万象を解釈していくのです。愛の世界は自由で神聖で秩序もあり居心地がいいのです。生きながら既に天国に生きているような世界は解釈いかんで誰にでも生まれてくるような気がします。自分の死は単なる通過儀礼にすぎず、その後は生きているときと同じように永遠に生き続ける、そんな解釈も生きている間に可能だと私は考えています。しかしこの解釈は信仰の世界、かつ、贖罪と復活の思想に裏付けられているのかもしれません。
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