今、「何とか法」が色々の意見として、マスコミに登場しています。昭和20年、終戦前、神奈川県葉山町御用邸裏の海岸で小学生徒の私達は遊んでいますとアメリカの艦載機が襲撃してきました。軍国少年の教育を学校で受けていまして「負けられません、勝つまでは」と帰校時、大きな声で歌いながら帰宅する時代でした。鞄を松林に置いたりして海で遊んでいると、時々、アメリカの戦闘機が飛んできます。4-5人の我々悪童がその戦闘機に向かいお尻を向けましたら機関銃をうたれたことがあります。パイロットが見える距離でしたので、あわてて松林に逃げ込みます。当時、そのような生活をしていますが、夜になると夢遊病のように何かうわごとを言いながら廊下を走ったりしていたようです。今、色々と聞きますと、当時の子供には夜、そのような精神現象がおきていたようです。こうして第2次世界大戦中、小学生だった私の世代なりの思い出があり、その思い出が性格形成に大きな影響を与えています。「負けられません、勝つまでは」という当時の教えは生涯、忘れられませんし、その忍耐と度胸は今、とても役に立っています。こうした世代が社会で生き抜いていきます。良い悪いは難しい問題ですが、子供時代のせいにして、今の自分の陰気な性格を解釈する人もいますし、当時の嫌な思い出を逞しく生きる為の知恵として解釈する同級生もいます。所詮、人間は自分の体験でしか思索出来ませんので、生育史の解釈方法が暗い傾向のある人は、まず、明るく解釈する訓練から再学習する必要があります。暗い解釈は自分と周囲に希望を生みません。あなたは過去の自分の生育史の解釈を明るく解釈していますか、暗く解釈していますか?出来れば、明るく解釈して欲しいです。
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