生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自答

2018年04月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が感じる「嫌い」という感情の裏に人類の生存を支配するものがあるらしい、と思ったことはありませんか?ふん、と思う人は、この記事を是非、お読みください。さて、嫌いという感情の裏には、神聖で深く大きな幸福を示唆する知恵への道かなあ、と少しでも感じとれた方は是非、読み続けて下さい。嫌いという感情には自分の生命がかかわっているのです。例えば、神様が嫌い、と本気で思う人は死ぬ時、どうなるのでしょうか?自分が何が好きで、何が嫌いか、その傾向を楽しみながら勉強していきましょう。京都奈良を旅をして、どんな神社仏閣が好きで、どんな所が嫌いか、正直に五感と体感で感じ取れる人は幸せ者。何が好きで、何が嫌いかを口に出す必要はありませんが、意識の上で正直に感じ取る訓練を楽しみましょう。どんな神様、仏様が好きか、嫌いか、どんな人が好きで、どんな人が嫌いか、その傾向が人類には必ずありますので、倫理道徳で自己否定することなく感じ取りましょう。正直にです、そうしないと人格が変形していきます。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き、と明確に意識化しないと、結局は偽善的となり、不正直な人となり、道をあやまっていきます。建前だけを言う人を人は嫌います。本音だけを言う人も、これまた嫌われます。程々のバランスがあると、人に愛されます。食物も同じ、異性も同じ、森羅万象も好きか嫌いかを明確に解釈していきましょう。さて魂の問題ですが、この自分の死と直結したテーマについては早急な結論は出さずに、生涯、こつこつと楽しみながら思索されたほうがよさそうです。自分が死んだらどうなるか、その答えは死んでみないと分からないだけに、実に恐ろしい嫌な問題、課題、テーマなのです。自分の死は嫌な問題の最たる領域ですが、今は嫌いな課題でも、この自分の死への嫌な感情だけは、あまり嫌わずに、すこしづつ、楽しむ雰囲気を哲学的に成長させていきましょう。自分の死を楽しく考えることを「メメントモリ」といいます。このメメントモリが人類を大きく幸せにした嫌な領域での大テーマでした。自分にとり、嫌な感情こそ、そこに最高の幸せへの道を示唆している、という先輩の教えに気付いてくださると有難く思います。
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