生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

神や魂は存在しているか?

2013年01月11日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
神が存在するかどうかの問題は人類の永遠の課題ですが比較宗教学・比較文化では存在論としての信ぴょう性はその筋の学者にお任せしています。その代わりキリスト教、仏教、ヒンズー教、イスラム教等の信徒を統計的、臨床的に洞察しつつ何を見ているか、神仏をどう見ているか、その信じ方のありようを洞察して「信じて見えているもの、見えないもの」を学問として理解しようと努力しています。例えば私の場合、カトリツクの三位一体の愛である神を信じた時に見えた親の愛は、信じる前のものと相当違いました。高校時代に洗礼を受けましたが煩い親の干渉が何とも言えない深い親の愛として理解出来ました。何気ない散歩の途中に見るアリの大群が自然の摂理という美しいものに変身しました。身辺の悲劇の奥にある意味を考えるようにもなり、過去の歴史の解釈も激変しました。このように信じると見えてくる世界がある、という事にも驚きでした。存在論からの神の存在を自分が思索するよりも「信じて見えたもの」が余りにも魅力的な愛である神なので存在論は大事ですがもう、どうでもいいなあ、という信仰の世界に変換されました。信仰の世界は議論の世界ではなく幸福曲線(平安感、友好的感情、健康観、幸福感、統御感)の世界なので他者が入り込めない世界なのです。丁度、愛する二人の世界のようなもので、神と自分との問題となります。それだけに他者から信仰者を見た場合、そこにもし教養と礼節と真善美を感じない場合、その人の信仰とその宗教の意味は激しい侮蔑の対象となります。常識と教養の無い信仰者が恐れられるゆえんでしょう。 

:<比較宗教学の視点からの心の旅:7>

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