五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

琵琶湖勉強会

2014年03月12日 | 第2章 五感と体感
昨日は、表装の作業を目標までなんとか進めることができ、ホッとするのも束の間、週末からの琵琶湖の資料を一気に作り上げました。やることに追われているお陰で、集中力も高くなります(笑;)

とはいっても、数ヶ月前から琵琶湖の地図を眺め、平家物語のおさらいなんぞをしながら温めてきたものはあったのですが、最終的には、琵琶湖に纏わる能楽の謡曲を私なりにまとめてみることが歴史や地形、風土、文学を知ってもらうには一番手っ取り早いという思いが湧き出し、いくつかの能楽を連ねてみました。

琵琶湖がまだ湖でなかった頃、太古の人々は大阪から山を分け入り、肥沃な良い土地を見つけ住みついたのがこのあたりだったようです。
天智天皇は、近江に都を遷都し、政治の拠点としました。壬申の乱を経て、天武天皇の頃には大和の国に拠点が戻されます。
近江京を辿るには、住宅地をうろうろしなくてはなりませんが、湖に向かって勾配のある土地に立つと、清々しい気分になるのは、私の思い込みの強さ故でしょうか?でも、この辺りに住む人々は「好い気の場所に住んでいらっしゃる」と、感じた事は確かです。

そこから少し北に向かうと比叡山のお膝元である坂本があります。日吉大社から比叡山に入るのですが、平城京の頃は京都の裏鬼門にあたり、邪気を払う場所でもあったようです。
そうは言いながらも真正面には神の宿る伊吹山を望み、神々しい場所であることを未だに感じます。

坂本の少し北には堅田があります。堅田水軍です。源氏が平氏を倒すに当たり、リベンジの期を狙い力を蓄えたところもでありますし、義経が鞍馬を抜けだした時もこのあたりの山から下りてきたようです。

大津の辺りは、昔から宿場町として栄えていましたが、粟津ヶ原というと古戦場であり、木曽義仲が壮絶な死を遂げたばしょでもあります。
能楽も、このあたりを題材にしたものも多く、謡いの中の道行きを読むと、その情景が目に浮かんできます。

まだまだ、書き足りませんが、このような事をツラツラ思いながら昨夜は琵琶湖巡りを頭の中でしていました。

とにもかくにも歴史好きには堪らん場所が琵琶湖です。

京都、大和、紀伊を歩きつつ、今年は琵琶湖をもう少し学びたい年でもあります。手始めに唐崎に泊まり、琵琶湖の湖畔で三井寺なんぞを謡いながら参加者の皆様と共に「生き甲斐の心理学」の学びを深めていきたいと思います。
自分が生まれ育った国のアイデンティティを歴史と風土を通して意識化することは、何度も書いていますがフィールドに立つことが大事だと教えられてきました。

琵琶湖に佇み、あれこれと思索する時間を大切にしたいものです。

金曜日からの勉強会を楽しみにしています。寒さ対策していらしてくださいませ。

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東日本大震災追悼

2014年03月11日 | 第2章 五感と体感
今日は3月11日です。
3年前のこの日は、新宿御苑ギャラリーの下見がてら新宿御苑を散策し、ぽかぽかの春の日差しを満喫してから神宮前の表具の師匠のビルに行きました。そして午後の表具研修会のさ中、地震が起こりました。
師匠の持ちビルであることが幸いし、その日は畳の部屋に宿泊させて頂き、翌日の朝、東横線で帰路に着きました。

夜中、暗がりの明治通りを何もしゃべらず黙々と歩く人の列がビルの窓から見え、その映像が未だに頭から消えません。

家族と行き場を失った卒業を間近に控えた息子の大学の先輩とで、震災二日目、三日目は、このメンバーで悶々とテレビの画面を見続けました。

あれから3年です。
先月訪問した宮城県山元町の親しい方々からは、あの日の事をより具体的に聞くようになりました。

復興が進む中、やるべきことに追われていらっしゃる方が多いことでしょう。それと共に、心に湧き上がる感情は、時が経てば経つほどより深く、具体的な思いが湧いてくるようです。

言葉にできない、言葉にしたくない、感情が整理できない状態から、徐々に紐が解けていく時期だからこそ、「傾聴者」が必要なのだと感じています。
身の丈の活動を三年間続けてきて、これからも宮城で出会った方々と親交を深めていきたいと願っています。

魂を祈り、住まう方々の健康と良き方向に導かれていかれることを心からお祈りします。

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親子の道行き

2014年03月09日 | 第2章 五感と体感
私が関わる学校の卒業式は3月3日でした。卒業生を見送り、直ぐに期末試験があり、ようやく春休みが具体的に見えてきたころではないでしょうか?

子を育てると、このような区切りが人生の節目と捉える事ができ、その節目を体験する毎に、新たな気持ちを体験することを繰り返してきたように思います。

社会に送り出すまでの保護者の気配りは、それぞれ違うかもしれませんが、就学の時期を終え社会人として一歩踏み出す節目は、今までに体験したことの無い節目を感じました。これはきっと子育てをしてきた人が唯一味わうことのできる御褒美のようにも思います。

成人以降、親子共で自己実現を成す人もいますが、たいていの場合、親子一体から分離し、高校を卒業する頃には親子共々色々な事を経験し、子は親を離れてゆきます。

子供の自己実現を親が成り変わることはできません。

子供の自己実現をサポートすることはできても、子供は子供の人生を歩んでいくわけで、親子一体となるわけにはいきません。
そんな時に、「自立とは?」ということを考えてみるのもよいかもしれません。
家庭の中での役割を再認識してみると、それぞれの暮らし方の傾向も見えてくることにも繋がります。
「自立」の概念は、人それぞれでありましょう。

「あなたのために言っているのよ」や「あなたのためにやっているのよ」と親が言い続けているとしたら、その言葉は、長い時間かけて子にとっての刃の言葉となっていきます。言い続けてきたその言葉は親である自分自身の「理想の自己実現そのもの」に過ぎません。

愛して育てた子には、親に愛されたように生き抜く力が備わっているはずです。

「子の行く末を信じる」ことは、「自分に具わっている愛を信じている」ことと同じことなのです。

「どこで手を離すか。。。」
それは、人によってそれぞれですが、「親と子はいつなんどきも離れられない関係性ある故に、、」ぐらいの事は、時々思い出してみると、「自立とは何か」の意味が自分自身に湧いてくるように思います。

「答え」は「応え」であり、世間一般の画一的な答えなんてありません。自分の内から湧き出てきた「応え」が自分の「答え」でありましょう。

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ハルカスはればれ

2014年03月08日 | 第2章 五感と体感
あべのハルカスがいよいよ本格オープンです。
昨年秋には、待ちきれなくてレストランの階までは昇りました。

正直言って、私は東京スカイツリーで関東平野を眺めるよりも、あべのハルカスのほうが断然魅力を感じています。

何故かって^^?

真下には天王寺、住吉大社、ちょっと斜め下には難波宮跡、もう少し先には大阪城(石山本願寺)、神戸方面、淡路島、京都方面、そして和歌山方面、そしてそして、東側には、奈良の西にそびえる生駒山、金剛山に、葛城山、二上山が見えるのです。

持統天皇である鵜野讃良はこのあたりで育ち、後の天武天皇と出会い、壮大な人生を送ります。

かつて、多くの行幸があり、この場所を通り、熊野詣でが成されてきました。

海洋交易の窓口でもあった場所でもあり、私自身の父方の祖先もこのあたりを拠点に瀬戸物を船に積み北海道へ運び、北海道からは海産物を積んで商いを大きくしていきました。
まさしく、今NHKで放映している「ごちそうさん」の時代の昆布が、私の祖先が商っていた物だと思うと、感情移入して観入ってしまいます。

自分の中に感ずるDNAの情報量を思うに、関西の割合が高いと思うのは、こんな背景があるからだと、妄想好きの私はひとり納得しています。

何かと私の興味を引く場所にこれだけの高さのビルが建ったのだから、昇るしかありません(笑)。

吉野の金峯山寺の奥あたりにある展望台からは大阪城が見えると聞きましたが、昨年訪ねた時にはそこまでは見渡すことができませんでした。

ならば、あべのハルカス最上階の展望台から360度、太古の人々が治めた土地を見てみたいものです。

秀吉も叶わなかった高みの見物を庶民の私達が出来るのであるから、ものすごい時代に生を受けたものだと、有難い気分です。

古代史好きの仲間と「あべのハルカス・レストラン階」で生駒山や金剛山を眺め、二上山を見つけた時には、あわあわと興奮したわけですから、あ最上階の展望フロアーではどうなることやら。。。

未だに東京スカイツリーは昇っていない私は、「あべのハルカス」にうきうきしています。

「はるかす」古語辞典では、「はればれとした」と書かれてあります。

ネーミングも気に入っています。

まさにハレの場所でありましょう。

混雑するのは必至でありますので、すこし間を置いて登頂を成功させたいと思います。

その時は、古代史好き仲間を招集することとなると思いますので、「この指とーまれ!」で、展望フロアーにおいて「あべのハルカス古代史コンベンション」でも開催いたしましょう^^。

あべのハルカス企画部さんで、そのようなイベントをどんどん企画していただきたいと、期待しております。

歴史の勉強は、「その場所」に立ってこそ学びが深まり繋がっていくものです。

よき場所によき建て物ができたおかげで、本当にカミサマになった気分も味わえるかもしれません^^/

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ローリングストーンズ

2014年03月07日 | 第2章 五感と体感
ローリングストーンズ最終日、3月6日のライブに行ってきました。
ストーンズはあれこれと問題があり1990年が初来日。私はそれ以来の再会でした。

1989年のTシャツも持っているのですが、多分ワールドツアーの締めが1990年の日本公演だったようなことが段々思い出されてきました。かつてあれだけ盛り上がっても記憶は彼方へ行くもんだ、、、と、呆れています。

ビートルズの解散は私が小学生の時です。
中学生になってからロックを聴きだし、その頃は、ラジオ関東やFEN、ミュージックライフやロッキングオンで情報収集していました。ロック全盛の時代、私が中学生の頃も既にストーンズは伝説的な存在でした。そんなことを思い、電卓で計算してみるとミックジャガーは、その頃既に32歳。伝説的で当たり前だと改めて気付きました。

あれこれと思い出しながら、東京ドームで再会した彼らの音は、正真正銘のロックでした。
勿論、25年ぶりに会うミックもキースもチャーリーもロンも歳は重ねていましたが、ほんとうにカッコ良かったです。
キースりチャーズには特別な思い入れがあるので、同じ空気を今吸ってるんだ、、、と、いう思いが湧いてくるだけで幸福感がこみ上げてきました。

メロディも歌詞もリズムもシンプルそのもの。

世界中で指折りのエンターテナーであるミックジャガーは、最高でした。平均年齢は云いたくありませんが、70歳という現実を吹き飛ばし、終始ロックを貫き通し、客をノリノリにさせ、帰宅してからも放心状態にさせるパワーは物凄いものです。

あまりの放心状態で、今朝のブログは、こんなもので終わらせて頂きます(笑;)

サザンオールスターズの観客の平均年齢をはるかに超えた客層に、はたまた同世代空気で息投合した節もあり、ストーンズ初体感の息子のコメントが「ミックの関節を曲げるあの体躯は、まさに瞑想状態でアドレナリンが湧き出していないと絶対にできないな。共感した。」と、いと興味深いコメントを語っていました。
ひょっとしたら、親が聴き続けてきた音楽であるゆえに既に遺伝子に組み込まれている??、と、妙に納得した次第です。

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文化を結ぶ

2014年03月06日 | 第2章 五感と体感
友人から表具の本が送られてきました。

何故、送られてきたかは、本の内容で解りました。

願わくば、飽くなき探求を実行しながら暮らしていきたいと望む私達の共通の領域事項であり、離れて暮らしていても望んでいるものの質が似通っていることに、微かな誇りを心に留めました。

自分は何をしたいか?

自分はどこに流れていくか?

この問い掛けに応えようとするならば、「表装の設えを整えるかのように生きてゆきたい」と、カッコ良く言い切りたい願望とともに、根拠は無くとも確信する方向に流れて行く様な気がしている自分が居ます。

僅かなことしか出来ていませんが、ガンジスの砂の一粒である自分は、その文化の担い手として手を動かし足を動かしていると思うと、自分の内からとうとうとした喜びが湧いてくるのです。
多分、それが生き甲斐であるのかもしれません。

時代の流れによって、手間暇を掛けることに対しての価値が世間に認められなくなってきた昨今だからこそ、このことをし続けていくことが文化を結ぶ私の役割であるようにも思います。

審美する眼を養うには、見えないものを読み取る感性と知を繋ぐ感性が求められます。
作ることは最終的な行動であり、その前に思索するべき事が深く求められるのが日本の文化の伝承されてきたものの特徴でもありましょう。

利休好みにも近衛好みにも成れやしませんが、学び続け、繋げ続け、それらを結びながら、うつくしきものを作り続けてゆきたいものです。

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琵琶湖巡りと司馬遼太郎

2014年03月05日 | 第2章 五感と体感
琵琶湖の唐崎に向かうには京都から湖西線に乗ります。
幼い頃は、米原から北陸本線に乗っていたため、琵琶湖の風景は幼い目に焼き付いていたはずなのですが、さっぱり覚えておりません。数年前に大津周辺を廻り、いつかじっくり廻ろうと思いつつ、ついつい奈良や京都に。。。

今、夜な夜な琵琶湖の地図を眺めながら行きたいところに印をつけ、「司馬遼太郎の街道をゆく」シリーズを読み直しています。司馬さんも琵琶湖に取りつかれた時期は5年に渡って毎年京都に宿を取り、琵琶湖周辺を訪れたそうです。
時を置いて訪れることを数年続けると、咀嚼の時間が含まれ、より深い学びができるはずです。
奈良時代から平安時代の勉強が進んできたおかげで、司馬遼太郎の紡ぐ文章が段々と私の咀嚼の媒体になっています。
司馬遼太郎さんは、ほんとうに深く学びを続けた人です。
このように日本中を廻られたことを思うと、卓越した整理力に脱帽です。

そして、「点」を「線」で繋ぐセンスが素晴らしいのです。
読者にも興味の幅を広げさせていきます。

「街道をゆく」シリーズの「近江散歩、奈良散歩」の近江編を何度も読み返しているのですが、司馬さんは場に立つと見えてくるものの「見えないものを掴む力」が長けていらっしゃいます。歴史や文化、風土を学んでいるからこその見え方であり、森羅万象の本質を捉えているからこその文章でありましょう。

旅と学びを続けながら、さらに私の中にどんな点と線を描くことができるか、これからが楽しみです。

今回は天智天皇の御陵を参拝したいと思っています。そんなわけで、一気に室町までの学びもできそうです。
まだまだ私の読書と地図の確認は続きます。。。

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卒業式

2014年03月03日 | 第2章 五感と体感
受験もそろそろ終盤戦です。
先週あたりから卒業式の話題が聞こえるようになってきました。

私の関わる学校も紅白の枝垂れ梅が塩梅良く満開となり、本日が卒業式です。

今年の卒業生が中学生となった年に関わるようになったので、感慨深いものを感じます。
中高の六年間を過ごした生徒さんや保護者の皆様と同じ年月を歩んできたことを思うと、私も一巡したような心持となっています。

学校から旅立ち、それぞれの道に進んで行かれても6年間過ごし学んできた母校のアイデンティティは、自分の心身にしっかりと根付いていることに卒業し時が経つにつれ意識化されていくことと思います。

「私は私である。しなやかに逞しく。」という校長先生のお言葉を聞く毎に、育まれてきたお恵みを確認している自分がいます

今日の式で6年間一巡した私自身も多少の達成感を持たせていただくことになりそうです。

おめでとうございます。

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自問自答集の勉強会

2014年03月02日 | 第2章 五感と体感
2005年にNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会を設立し早いもので9年。
身の丈に合いすぎる(笑)活動のため、ほんとうに地味な活動をコツコツと積み上げてきました。

そんな私達は、昨年暮れに「生き甲斐の心理学・自問自答集」を発行しました。
支えてくださっている皆様の会費から出版できましたこと、心から感謝しております。

そして、各々が時間と場所を共有し、生き甲斐の心理学の理論を学びながら問い掛けに対しての応えを自分自身がまさに自問自答する勉強会です。

字数の多い本を薦めるよりもこの自問自答集を一冊差し上げたほうが、拒否感も無く、プライドを傷つけられることも無く、問い掛けられることで、何らかのカタチで脳みそが活性化するようです。
禅問答を自分一人で行うことと表現したほうが解りやすいかもしれません。
一人で自問自答するよりも、否定も肯定もせずに聴く相手と共に言葉を紡ぎ、言葉を発しながら自問自答したほうが頭の整理もつきやすくなるはずです。

他者の話を聴くための修行にもなり、言語化することの修行にも繋がります。

人は他者に答えを与えられても、「自分の内から湧き上がる様な納得感や浄化する体感、意識化、気付き」が無くては自分の内の答えとは言えないようです。

昨日は、私の表具の大師匠の持ちビルのギャラリーを借りて、この自問自答集勉強会を開催しました。
平素NPOの会員となってくださり、ご支援くださっている皆様と共に充実した時間を過ごさせて頂きました。

徐々にこの活動を公の場でできるよう活動していきたいと考えております。
その時は改めてお知らせいたします。

昨日の参加者の皆様、ありがとうございました。後会のお茶会も楽しゅうございました。

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生き甲斐の心理学を学ぶ

2014年03月01日 | 第2章 五感と体感
一昨日は、東急セミナーBE「生き甲斐の心理学」でした。
たまプラーザ校は来月で丸二年となります。
もともと私が12年間ほど指導員をさせていただいている表装教室「東急セミナーBE雪谷校」が発端で、東日本大震災の半年後の10月に講座を始めました。
東日本大震災の直後から心の状態が不安定になる方も多く、その上、「自分は何のために生きているのか?」という自問自答を繰り返す方も多くなってきたことを察した講座担当者のIさんがお声を掛けてくださいました。
講座開講以来、多くの人がこの講座の扉を叩いてくださったことに深く感謝しています。

昨日のニュースで、宮城の被災者の健康診断によるデーターでは、鬱傾向の人が受診者の4割に上ると公表されました。
仕事場や学校でやるべきことに集中し、ふと家に帰り一人になると、急に孤独感が増してきたり、経験したことが頭に浮かんだり、哀しみがこみ上げてきたり、、、そのようなことを思い巡らすと、そのような気持にならない人の方が返って問題があるかもしれない、、、と、思ってしまいます。

怖くない。哀しくない。孤独じゃない。落ち込まない。愚痴も無い。怒りも無い。嫉妬も無い。。。
ほんとうに、そんな強靭な心の持ち主は果たしているのでしょうか?
「私には不安が無い」
と、言い切る人に出会うと、「何故不安が無いと言い切るのか?」という観点で私の心に興味が湧いてきます。

孤独を知っている人ほど、不安感を意識している人ほど、他者との関わりの中で自分のスタンスを上手く取ることができるように思います。

自分の主張が果たして他者からどう見られているか?という疑問を持つことが出来ている人ほど、自分が他者と分離していることを意識できている証拠かもしれません。

自分の主張、自我に揺るぎがなければないほど、他者との分離が成されていないことも視野に入れたほうが良いかもしれません。

「人の本質は不安である」という原則を大事にしたいものです。

不安感が無くては、人は危険を回避できないでしょうし、分かれ道の選択で原初感情(怖い・怖くない)を判別できません。
怖くない方向に向かうことこそ、自分自身の生き抜く術でもありましょう。
でも、それにはその人の思う正しい道しかありません。他者がいつまでも道を作るものではないのです。いつか、何らかの時点で岐路に立ち、自分で自分の道を選択する時期がやってくるはずです。それがいつの時期かも人それぞれでしょう。

人にはそれぞれの時期があるはずで、これもまた他者が無理やり手を差し伸べても解決するものでもありません。

自分の中にもやもやを感じたり、違和感を感じた時、「自分は何のために生きているのだろう?」という自問自答が自分自身で健全にできるよう、これからも共に学び続けていきたい所存でおります。
私も大いに学ばせて頂きながら、素敵なお仲間と時を過ごしていきたい願っています。

今日は、NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会主催の「生き甲斐の心理学講座」を行います。皆様との出会いを大切に学びの時を共に紡ぎたいと思います。

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