五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分自身に留まる

2012年02月11日 | 第2章 五感と体感
不安感が増してくると、自分のすべてが不安になってきます。

自分のことだけでなく、子供のこと、パートナーの事、親の事、それだけでは済まず、職場や学校、世間、社会、日本、地球、宇宙のことまでが我が事のように不安になってしまうことは、私自身を振り返っても随分経験しています。

自分の不安感だけで留まることができるか否か、意識する時間を持つことができるでしょうか?

私自身の心を体感できるでしょうか?

子供のことも忘れ、パートナーの事も忘れ、自分のことだけを考えることができるでしょうか?

不穏で形の定まらない不安が増長しているのであれば、まず、「私の不安感は何?」と自分自身に問いかけてみると良いようです。
「自分と他者をきちんと分けることができているか…。」(目の中に入れても痛くない我が子であっても他者です)
自分自身に留まる、ということは、「私は私であって、私以外の何者でもない」ということです。

自分の周囲を不安の対象にすることで、自分自身の不安感を置き去りにしていると、フォーカシング(昨日のブログ)がしにくく、不安な事を数えることが難しいかもしれません。

不安なことを一つだけ選ぶことができたら、それだけで何かがすっきりするかもしれないのです。そのようなわけで「自分の不安をひとつだけ選ぶ」作業はとても大切なことなのです。

不安の原因だと思っていたことが、意外にも違うところにあることは、私もしばしば経験しています。

人の心は不思議です。
もしかしたら宇宙よりも広いかもしれないし、1ミリの隙もないくらい狭いかもしれないし、とどのつまり、そのスケールを決めるのは自分自身かもしれません。

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不安感と向き合う

2012年02月10日 | 第2章 五感と体感
2011年3月11日から11カ月が経ちます。

私自身も、自ら湧きあがる不安感と向き合ってきました。

自分の不安感は、他の誰かに自分の不安感を拭ってもらおうと思っても、それは叶うものではありません。
自分の内には必ずそれを解決する答えがあるはずなのですが、不安で悩むことが多いと、それが見えづらくなっていることもあるようです。

1☆自分の悩みや不安なことは、いくつあるのでしょう?

2☆数えることができたら、その中の一つだけを選んでください。

3☆そして、その一つ選んだ悩みや不安の「感情」はどんなものなのでしょう?

4☆一つ選んだ悩みや不安の最高のシュミレーションはどんなものでしょう?

5☆または、一つ選んだ悩みや不安の最悪のシュミレーションはどんなものでしょう?

6☆上記で思い浮かべたことについて、どのように自分が統合していくか…。折り合いをつけていくのでしょう…


上記をじっくりと自問自答してみることも、心の余裕が無いとできないかもしれませんが、ちょっと一休みしてこれらのことを自問自答してみると、もやもやして形の無い不安の塊に、何らかの変化があるかもしれません。

不安なことを一つ選んでみるだけでも良いようです。

自分を諌めないでじっくりと自問自答のできる時間を持ってみてください。

(フォーカシングの技法)

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嵐の江の島で考えた

2012年02月08日 | 第2章 五感と体感
昨日は、2012年腰越勉強会の第一回目でした。腰越では、鎌倉や藤沢周辺の方々を対象にこじんまりと始め、今年で7年目となりました。

落ち着いた雰囲気と贅沢な空間と穏やかな交流は、平素の生活のちょっとした深呼吸になるかもしれません。
世話人のお人柄に惚れている方も多いかもしれません。

ともかく、昨日ものんびりとした午後のひと時を「自分が何か欠けているとしたら、もしくは自分に反省があるとしたら、それをどのようにしていきたいか」ということを副題に、「自分は何のために生きているのか」というテーマをじっくりと語り合いました。

心理療法の勉強会ではありますが、現生人類の普遍的なテーマを思索する時間に留まることは、学びの基本だと思います。

自分の解釈が鋼(ハガネ)のようであれば、これほど辛いものはありません。
かといって、哲学的な問いを考えたことのない人生も、損な気がします。

湧き出した感情や体験したことで悩み苦しみ、そこから解決策を見い出し、解釈を変えながら生き延びてゆくことは、人が螺旋状に昇っていくために与えられた本質そのものかもしれないと思います。

「私は、何のために生きているのか」という問いを何年も、意識し思索しているにも関わらず、私自身、確定的な答えはありません。
でも、いずれ死んでいく私を思い浮かべ、「ああ、こんな人生だったのね。。。と、自分の人生をありのまま受容できるくらいになるための修業」が私の生きる意味なのかな、と云う思いが私の頭にいつも思い浮かぶので、きっと私の答えはおぼろげながらもそうなのかな、と解釈しています。

「生き甲斐の積み重ねが、自分が生きることの意味を感じさせてくれる」というのも、私が自分に感じる真実(リアリティ)なのです。

津波で破壊された山元町の土地に立ち、ますますその思いが強くなったかもしれません。

物は儚いものでも、魂の触れ合いは永遠の喜びに繋がることも私の感じている私の真実です。

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白石での講演会

2012年02月06日 | 第2章 五感と体感
1月29日日曜日に、宮城県のカトリック白石教会を訪問しました。
心理療法家の植村先生の講演会のサポーターとして、です。

宮城県県南4教会合同の講演会:「白石・大河原・角田・亘理」
テーマは「傾聴」

寒波の朝、遠いところからいらしてくださった方も多く、講演を興味深く聞いてくださったことに深く感謝しています。
テキストをお渡ししてありますが、このテキストを読みこなしていくことはなかなか難しいかもしれません。
でも、「人の身体は神の神殿であり、悩みの答えは必ず自分の内にある」という言葉は、留めていただいたと思っています。

他者の話を聴くとき、聴き役には他者の答えは持っていません。他人の思考と感情は自分には解らないものです。自分の持っている考え方や解釈を悩んでいる他者に伝えることは傾聴とは違います。
互いの信頼関係があればこそ、他者は心に浮かんでいることを、つまり真実をそのまま受け容れることができるようになるようです。「自分は今、疲れてる」とか「自分は、今、このことが口に出せないの」とか、遠い未来の解決策を見い出すことではありません。今、この時の感情を自分自身が意識化することが傾聴の目的なのだと思います。
傾聴は、よそ者であれば良い場合もあるでしょうが、やはり、地元の風土を知り尽くしている者同士が理想的です。身近な人に話すことを憚る気持が、ますますストレスを生んでいくことが実際多いようにも感じました。
食事をしながら、何気ない会話の中から、「傾聴」ということを意識させないで傾聴していくことが、今とても必要で大事なことかもしれません。

「傾聴している。傾聴されている。」という互いのスタンスを忘れるくらいが良いかもしれません。


「生き甲斐の心理学教育普及」の活動をしている私達にとって、時期的にもとてもありがたいオファーだったと感じています。

被災された方々の中で、まだまだ疲れを感じるまでにいかない方が多くいらっしゃるように思います。
話すことが大事だと言っても、言葉に出そうとすると感情が先立ち、言葉が悲しみで呑み込まれてしまうのは、当然のことだと思います。
生きること、前に進むこと、そして通常では考えられないくらいの人との関わりの中で、苦しみや悲しみを抑制しながら生活していらっしゃる事を胸が痛くなるほど感じ取らせていただきました。

仙台教区の小野寺神父様が、健康そうな笑顔を見せてくださり、明るい言葉で私達に語ってくださいましたが、現況を語り出したらキリが無いことを承知なゆえ、気持を切り替えていらっしゃることも、よくよく感じ取りました。
行動派の頼りがいのある方だとお見受けいたしました。

カトリック白石教会の委員長さんが、きめ細かくお世話をしてくださり、その温かさにホッとし、ついつい甘えて白石うーめんまで御馳走になり、感謝しています。
苗木を植えて60年の桜の木。地震で痛んだ教会を補修し、歴史の深みが美しい教会の建物。白石で生まれ育った委員長さんの語りが、今回の旅の癒しに繋がっていることは確かのようです。

仙台から駆けつけてくださったNPOのお仲間Aさん、巨大津波の被害に遭われた「ささえ愛山元」の皆様、この訪問を実現に至らせてくださった「ささえ愛」のBさん、ありがとうございました。

私達の活動をどのように生かしていくか、まだ思案中ですが、テキストを携えて山元町を訪れる機会を持ちたいと思っています。地元の方々を支えていこうと活動していらっしゃるプロの方々との繋がりを大切にしていきたいです。

一週間にわたり、山元町のこと、白石のことを書きましたが、まだまだ書き足りないことがありそうなので、それはボチボチ書いていこうと思います。この一週間、多くの方が読んでくださったことに感謝しています。今後ともよろしくお願いいたします。

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受験生のみなさま

2012年02月05日 | 第2章 五感と体感


これから関わるであろう生徒さんの中学受験が終わりました。
御縁を楽しみにしています、、、とは、中高生と関わる私としては、あまり大きな声で云えないかもしれませんが、御縁のあった生徒さんたちとの関わりは私の宝物となっているので、私自身は「楽しみ」と表現しても良いかな、と思っています。

そして、今現在、関わっている高校生の皆さんは、大学受験の真っただ中です。
もしかしたら、祝杯を挙げている人も居るかもしれません。
大学受験は、気力と体力が勝負のようです。身体に配慮しながら受験期間を乗り切ってほしいです。

まだまだ始まったばかり…。心配してるし、応援してるし、祈っています。

私のところに気楽に訪ねてきてくださいね。
日当たりのよいポカポカのお部屋でお待ちしています。

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宮城 山元町 八重垣神社

2012年02月04日 | 第2章 五感と体感
山元町No.5

山元町には、お天王さまと親しまれている八重垣神社があります。明治初期までは「牛頭天王社」と称されていたそうです。

西暦804年に創建され、500年ほど前から6月15日に例祭が続けられてきました。

6月14日の宵祭りは、仙南三大祭りと云われ多くの人に愛されてきたようです。
15日の本祭りには神楽が舞われ、神輿渡御、つまり浜降り神事も行われ、威勢良く御輿を担ぎ海に入る姿は勇壮だったそうです。

5分も歩けば遠浅の海岸があり、この神社の御祀神はスサノオノミコト、海を司る神様です。

こんな時こそ、神様に手を合わせることは必要だということで、現在は支援によって小さなお社が建立されています。

心を糺し、礼拝する心は、それを口にするしないに関わらず人の内に備わっているようです。
生きる事とは、そういうことなのかもしれないと思うのです。

今回の訪問では、神事のこと、民話のことを詳しくお聞きするまでは至りませんでしたが、次の機会には是非学ばせて頂きたいと思っています。
そして、まっ直ぐな海岸線から昇る太陽を拝み、山に沈む太陽を拝みたいものです。

本日は、立春です。
始まる季節に思いを託して…。

参考文献:やまもと民話の会「巨大津波」

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宮城県 山元町・ストロベリーロード

2012年02月03日 | 第2章 五感と体感
山元町N0.4

北半球が寒気に包まれ、寒い寒い節分の朝を迎えました。

今日は、鬼は外!福は内!!と大きな声を出して豆まきをします。

山元町の山を越えた町はきっと先週よりも雪が積もっているのではないでしょうか?
皆様、風邪はひいてませんか?

山元町には、常磐自動車道のほかに、南北を貫く道路は三本あります。西側(山側)には通称アップルラインの東街道、町の中央を南北に貫く国道六号線、そして常磐線よりも海側(東側)を走る相馬亘理線、通称ストロベリーラインです。

巨大津波は町の真ん中を走る国道6号ぎりぎりのところまで津波が迫りました。津波が国道6号線を越えてしまったところもあります。
そして、ストロベリーラインと呼ばれている相馬亘理線は、津波の直撃を受けました。
そのストロベリーラインには、今、瓦礫を山と積んだ大きなトラックが走っています。
トラックが私の横を通った時に初めて「トラック大きいんだ」と思いました。少し離れた所から見る限りでは大きなトラックが小さなトラックに見えるのです。そのくらい被災した土地が広いのです。

通称通り、山元町は林檎と苺が名産です。
ささえ愛山元さんで頂いた林檎は甘くてシャリッとした食感で、林檎好きの私には堪らない美味しさでした。山元町自慢の林檎の味はほっきめしと同じく忘れられない味となりました。
でも、食卓には苺はありませんでした。

東北の湘南と云われる山元町は燦々と降り注ぐ太陽を生かし、苺栽培のビニールハウスが並んでいたそうです。それがすべて無くなってしまったのです。

私達が訪れた先週の段階では、平坦な土地に数件のビニールハウスが見ることができました。

私が住まう横浜のスーパーにも今年は苺の入荷が少なく、例年なら毎日頂いているのですが今年は毎日と云うわけにはいきません。これだけ福島や宮城に果物や野菜を依存していたのかと意識化する一年でもありました。ビニールハウスがどんどん建てられて栽培ができる体制に早くなりますよう…。苺の復活も心待ちにしています。

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宮城県 山元町 No.3

2012年02月02日 | 第2章 五感と体感


山元町の最南、新地町との境に磯浜漁港があります。

海を目の前にし、漁港に立った右側の海岸には小高い丘が迫り、夏になると海水浴客が訪れる風光明媚な海岸があったそうです。丘は数十メートルの高さで、頂上には展望台がありました。そこに昇る階段は頂上近くまで津波で削られ木はなぎ倒され、地肌が丸出しになっています。

漁港のテトラポットだけが整然と積まれており、波でえぐられた漁港の土台はあちらこちらに傾き、防波堤の向こうから聞こえてくる波の音は普段聞く波音と変わりありません。
でも、漁港から海水浴場のほうに目を向けると、右に見える海岸に迫る波が底無しのように恐ろしく、私は波際に立つことができませんでした。

巨大津波の迫る中、あの丘に登って助かった方々が町が呑み込まれていく瞬間を目の当たりにされたと思うと胸が詰まります。

春にはスズキ、夏にはホヤ、冬にはヒラメ、とやまもと民話の会編集の「巨大津波」に書かれてあります。
勿論、山元名物の「ほっきめし」のほっき貝も豊かに水揚げされていたことでしょう。

1隻の小さな船がぽつんと港に上げられてあったのが印象的でした。一筋の光のような可能性をその船に託す気持で港を後にしたのです。次に私が訪れる時は、船がもう少し増えていることを願いつつ…。

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宮城県・山元町 No.2

2012年02月01日 | 第2章 五感と体感
ささえ愛山元さんのBさんに案内していただきタクシーは跡形もなくなっている山下駅近くから国道6号線を走り常磐線坂元駅へ。

駅のホームはかろうじて残っています。ホームに上がるための階段も破壊され、よじ登らないとホームに立つことはできません。山元町は国道6号線より東側は平地です。ホームによじ登り、そこから360度見渡すと、永遠かと思ってしまうくらい何も無いのです。瓦礫撤去は、少しずつ進み、原型の残る家以外は、ほとんど更地の状態です。

ホームから300メートル先くらいに見える海がここまで押し寄せてくると誰が考えたでしょう。
そのホームも簡単に越えて、その倍以上のところまで津波は押し寄せたのです。
坂元駅の打ちっぱなしで建てられたポストモダン風のトイレの外壁は残り、この建物が楯となり、鉄骨で組まれた山元町の地図だけが何事も無かったかのようにそのまま残されていました。

ホームの下を覗くと、そこには茶色く錆びた線路がありました。ホームを過ぎると、線路は跡形もありません。

ホームから海側を走る「相馬亘理線(ストロベリーロード)」には、瓦礫を積んだ大きなトラックが土埃を巻き上げて走っていました。

続きはまた明日に。

写真は撮りましたが、スケール感や空気を伝えることはできないので虚しく感じます。なので、敢えて掲載しません。

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