五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

奈良のお水取り

2008年03月10日 | 第2章 五感と体感
今年も懲りずに行ってきました。

お天気に恵まれ、奈良盆地の凛とする空気に包まれながら、1日から15日まで続く8日のお松明を拝んできました。

日中と深夜から明け方までは、二月堂のお堂に上がることができ、練行衆の声明を目前で聴くことができます。
その間行われる、様々な動きも、格子越しに伺うことができ、スケジュールさえ把握していれば、懺悔の行も共に拝むことができます。
頭を垂れ、一心に祈る情動に駆られます。

11人の練行衆を統括する大導師の声明でしょうか。素晴らしいお声でした。
腹の内から響く声明は、聴く者すべての身体と心と魂を震わし、生ける者としての喜びが湧きあがってくるのです。

30分ほど、お堂の畳に上がり、格子越しに正座し、練行衆の祈りに耳を澄ましました。
聴こえる声明は自分の体内に宿る一粒一粒の細胞まで響き渡り、それが連鎖し、私の奥深くに宿る魂が呼び起こされ、その魂が夜のお松明の魂と一つになり、心と体が浄化されていくのを感じるのです。

松明の炎は、打ち震える魂と魂の混じり合う美しい姿です。

美しい。ほんとうに美しい。

しんしんと冷える闇に、燃え立つ炎から永遠普遍のなにかを感じ取るのです。

今年も行けてよかった、としみじみ思います。
四旬節の間に、神仏もキリスト教も、復活祭、お花祭りの光を予感し、祈りの連鎖の季節です。

東大寺の華厳の教えは、一粒一粒を繋げることの意味を説いています。
細胞の繋がりは、私をつくり、私と繋がる人との連鎖で、何かを成すことができるのです。
その繋がりは、無限の可能性を秘めています。

成せば成る。

これから数年かけて、もう少し勉強し、夜半の声明に目標設定です。
蝋燭の灯に照らされた練行衆の声明、そして、闇の中で何を見るか、それは、その時のお楽しみ。

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