五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ブラジル・ベレン

2008年03月20日 | 第9章 愛
テレビ番組、ダーツの旅をたまたまつけたら、その地名に記憶が蘇ってきました。
それは去年、日本から赴任先のブラジルに帰る途中に寄ったN.Yで帰天したI神父さんの住んでいた街の名前でした。

アマゾン川河口に近い街。ベレン。

大河というより、海と思える川が流れています。

漁師がとった魚を料理をし、レポーターが、美味しいと言いながら食べていました。
川魚を油で揚げ、スープにしていました。
水上生活の家族のお宅に泊まることとなり、家のご主人が、ハンモックを準備しだします。でも、夜になると川面から蚊が出現し、身体中刺されるので、ハンモックの布を身体に巻きつけて眠ります。

I神父さんは、まかないの方に食事をお任せしていたため、昼食の残りが夕食なんだ、とおっしゃっていました。

水とか油は、お腹を壊すには最短の方法です。
いくら海外生活に慣れていたとはいえ、きつかっただろうなぁ、と思います。

蚊のこともおっしゃっていました。「キンチョーの蚊取り線香が欲しい!」と。
でも、ベレンの人には、あの匂いはダメだろうから。。。そんな気づかいもしていました。

大きな街には立派な聖堂があり、画面に映ったその建物の扉を彼も押したのだろうな。。。とも思いました。

ブラジルの大きな地図を持ち、訪問する家庭で広げ、「そうですかねぇ~」と照れながら云い、茶目っ気を出して、人の言葉を待つのです。

この街の人々に愛されて、この街の人々を愛してやまなかったI神父さん。
テレビに登場する人々の笑顔と人懐っこさは、何か彼を思い起こさせる共通のものがあるように思いました。

偶然につけたテレビではありますが、必然を感じています。

天国にいる彼のイタズラなのでしょうか。
聖週間という大切な週、ベレンを見ることができたことに深い意味を感じます。

ひょっとしたらブラジルよりも、天国のほうが近いのかもしれません。





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自分との対話

2008年03月20日 | 第2章 五感と体感
「ガンジス川の流れに自分の変わりゆく感情を重ね、ヒマラヤ(須弥山)の山々に神を観ました。」

これは、私という箱を私が信じて観えてきたものを言語化したものです。

自分が信じてるものを相手に伝えようとしても、相手は、自分の概念で解釈します。
そこに心理学の面白さがあるのです。

私が発した言葉で、読んだ方は、いろいろなことを思い浮かべるはずです。
でも、「私が発した言葉」聞き、他人が「私」を理解することは、たぶん無理です。

まず、体が別のものである。
生まれてきた環境と成育史は、まったく別のものである。
その人の成育史から発せられた言葉には、必ず深い深い意味があるはずです。

だから、
「他人を理解している」というよりも、「他人を自分の思いで想像している」に過ぎないのです。

「思いやる」ことはできても、私は「あなた」にはなれません。


「人の身体は神の神殿」という聖書の言葉があります。
自分の内に答えがあり、自分という存在は、それだけ自由であり、深くもあり、広いのです。

自分との対話。
湧きあがる感情が自己の内面に表出されたら、それは、「私の真実」なのだと思っています。

今日は、復活祭を前にした聖木曜日です。

自分との対話のために、最適な環境を自分で作るのも、生き抜く知恵です。
自分と向き合う時間をあえて自分に課してみると、余計なものが身体から放出されるかもしれません。

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