五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

空想力

2008年04月27日 | 第2章 五感と体感
今日は、午後から勉強会でした。
気の合う仲間と気の合う会話。
そこから見えてくるものを語り合いながら、のんびりと時を過ごします。

日常の体験と湧きだす感情は、生きている以上、とどまることろを知りません。

そんな中で、やっぱり自分の体験の解釈、というのは、「自分にとっての常識」であり、「他人にとっては非常識」なのだと、しみじみと語り合いました。

幼いころ、不安感にかられると、よく見た夢があります。

それは、いつも同じものでした。

私は祖母と手を繋ぎ、永平寺の杉の森を歩いています。
そこに、白装束のお坊さんが何人か音もなく歩いてきます。
棺を持ち、私たちの前を通り過ぎます。
私も祖母も無言でその人たちを見送ります。

黒い森に、白い着物が際立ちます。

印象的な映像の夢です。

不思議とそこには恐怖感もなく、黄泉の国に思う自分の想いが夢となって現われたのかもしれないと、大人になってから勝手に解釈しました。

幼いころの空想は、いつしか夢想となり、それが現実かそうでないか、わからなくなることもしばしば経験しました。一人で歩きながら、空想すると、つまらない風景にも意味深いものが見えてきて、それが積み上がっていきます。幼いころに、どうもその癖をつけてしまったようです。
現実逃避するくらい、現実を受け入れがたいものがあったのは、住まう場所の変化により自分をとりまく環境に適応する術だったのだと思うのです。

そのころ身につけた「五感の体験」は今ではすっかり私の個性となっています。

夢見心地な空想から生まれる解釈は、今でも私自身の暮らしを助けてくれているようです。

空想。想像。

これらは、食べること、寝ることと同じように、私の大切な欲求かもしれません。

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