Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

EURO2008 残すところあと3試合になっていた…….

2008-06-25 | EURO Football

“ポルトガル負けたなぁ。やっぱりドイツはしぶとい。”
先週末、会社の後輩に話しかけた後の彼の反応は….
“先輩ヨーロッパにも興味あったのですか?アジアとオーストラリアが専門じゃなかったのでは…..“ おいおい、最近は少し ASEAN やオーストラリアに執心していたけどやっぱり欧州にも興味はあるのだぞ…

後輩とは年齢が20歳近く離れており普通の会社なら”口もきけない“程の役職の差があるらしいがそこはずっこけた我が社にずっこけた私。きさくに若い奴らと話せる良い雰囲気….でも無いか……

6月7日に開幕した欧州選手権、 EURO2008 も準々決勝2試合が終わっていた。今回はワールドカップアジア地区予選と開催期間が重なったのと家内が勝手に WOWWOW との契約を打ち切っていたのであまり EURO を楽しむ間もなくベスト4まで決まっていた。 若い後輩とではやはり欧州の勢力図の印象には隔たりがある様だ。例えば6月20日のドイツ対ポルトガル戦。私達の世代は今でもドイツの勝負強さと言うかあのベッケンバウアー達を擁してワールドカップタイトルを奪った時の印象が残っているが、彼らは2000年フィーゴやルイコスタ達のいたポルトガルの方が魅力的らしい。
そして今は Cristino Ronaldo や Deco と言った華やかな選手達がいる。 
それだけに準々決勝でドイツに敗れたのはショックだったらしい………

6月23日、雨の中のさいたまスタジアム親子観戦を終えて一路欧州へ旅立つ。トランジットのフランクフルト空港でも目的地のアムステルダム Schipol 空港でもEURO2008 一色とまではいかないが欧州選手権の臭いが随所に。新聞、雑誌等を販売しているKiosk ではトルコの新聞が大いに目立つ。6月20日は準々決勝でクロアチアを降し見事ベスト4に進出した。クロアチアは2年前のワールドカップでそしてトルコは2002年大会でそれぞれ日本と対戦していたのでこの試合は私は大変注目をしていた。 クロアチアのスタメンにはGK の Pleticosa をはじめ Robert Kovac, Niko Kovac, Dario Simic Ivica Olic Luka Modric そして Niko Kranicar に川口にPKを止められた Darijo Srna と8人の選手が2年前Nurnberg の日本戦に出場した選手達。あの時は大会前にクロアチア選手達の特徴を必死で調べたけど今はまったく忘れてしまった………..

トルコは6年前仙台での日本戦にスタメン出場した GK Rustu Recber, 途中から出場した Nihat Kahveci そして日本戦は累積警告で出場停止だった DF Emre Asik, MF Emre Belezoglu の4人が2002年大会3位の経験者だった。 
試合は選手権史上屈指の好ゲームとなり119分、ワールドカップ日本戦でスタメン出場でこの試合は途中から出場となっていたIvan Klasnic のゴールでクロアチアが均衡を破った時は誰もがクロアチアのベスト4を信じた。

その3分後、オフサイドの判定からFKを貰ったトルコが GK Recber がゴール前に大きく放り込み Semih Sentruk が相手DF2人に挟まれながらも同点ゴールをねじ込みトルコが正に土壇場で追い付く展開。

  

グループリーグ最終戦の Nihat Kahvedi の残り3分でも連続ゴールを思い出させる劇的なゴール。クロアチアの Slaven Bilic 監督が既にロスタイム2分を過ぎているじゃないかとの猛抗議も印象的。

 

PK 戦ではトルコ選手達が次々に決める中、クロアチアは Modric, Rakitic が外し4人目の Petric のPKを Recber がストップ。グループリーグでは初戦のポルトガル戦に敗れたが因縁のホスト国スイス戦で勝利を収め、チェコ、クロアチアと東欧勢を撃破し2002年ワールドカップ以来のメジャー大会(と言ってもワールドカップと EURO だけなんだけど。)Semi Final 進出を果たした。 
この快進撃はVolkan Demirel, Emre Belözoglu Hamit Altıntop, Tümer Metin  Tuncay Şanlı.ら2005年11月イスタンブールで行われたワールドカップ予選のスイス戦に出場した選手達にとって本当に喜びもひとしおだろう。ただ大会前に怪我で離脱した中心選手Hakan Sukur がいないのは少し淋しいが。

トルコと言えば今や欧州でも列強と肩を並べる実力国となったが1980年代までは1954年ワールドカップスイス大会こそ出場経験があるが他は全く振るわなかった。そのトルコが一躍スポットを浴びたのが1988-89に行われたワールドカップイタリア大会予選。欧州第三組にソ連、オーストリア、東ドイツ、アイスランドと共に組み分けられたトルコは東ドイツをホームで 3-1 アウェーで 2-0 で降すなどかつてない進撃を見せる。そしてアイスランドがソ連相手にホームとアウェーでそれぞれ 1-1 で引き分けるなど混戦に拍車をかける。1989年10月25日イスタンブールで行われたオーストリア戦で 3-0 と勝利しグループ2位に躍り出る。(上位2カ国までが出場出来た。) この時点で首位ソ連、そして3位東ドイツ、4位オーストリアまでの4カ国に翌月最終戦の結果ではワールドカップ出場の可能性が残される大混戦。トルコは最終戦のアウェーのソ連戦に勝てば36年振りのワールドカップ出場というところまで漕ぎ着けた。しかし11月15日クリミア自治共和国シンフェロポリで行われたソ連とのアウェーゲームはプロタソフの2ゴールで 0-2 と完敗。同日ウィーンでオーストリアが東ドイツをポルスターのゴールなどで 3-0 で降し、ソ連とオーストリアが本大会出場を決めた。最後は前年欧州選手権準優勝のソ連に地力の差を見せつけられたが予選を盛り上げたトルコ、アイスランドは大いに話題となった。この時のトルコの原動力がエースのタンジューク=コラク。しかし数年後かれは中古自動車の不正輸入で逮捕された。
その報道を欧州出張時に現地のニュース番組で視た時はショックだった………..

準決勝のドイツの対戦相手はドイツ。このドイツと言うところが興味をそそる。
ドイツに滞在する多くのトルコ系移民達はこの試合に自分たちのアイデンティティーを大いに見出そうとするに違いない。 6月23日付の  Frankfurt Allgemine Sonntagszeitung には Michael Ballack のインタビューが掲載されている。そこには Gnaz klar : Wir Wollen Europameister warden ( 我々は必ず欧州王者になる ) とのヘッドラインが。

インタビューの内容には次の対戦相手のトルコは unberechenbar ( 何をしでかすかわからない相手 ) と表現する。そして彼らの醸しだす独特の雰囲気から考えられない力を発揮するとも。そして多くのトルコ人選手が Bundesliga でプレーし、多くのドイツ人指導者がトルコで指揮を執っている事からトルコは“ドイツ的”とも。一昨年のワールドカップの前から(ドイツ)代表は得点も多かったが失点も多かった事も自ら指摘し。その後 Schweinsteiger が左に入り Berund Schnider が右に入り自分( Ballack ) が Torsten Frings と共に攻撃的な役割を果たせ得失点を改善出来ていたがこの大会 EURO 2008 は大会開始直前まで Schneider が怪我、大会に入っても Schwweinsteiger がトップフォームで居られなかったことがグループリーグでの不調の原因と語っている。またクロアチア戦の敗戦後は主将として責任を感じていてが続くポーランド戦は思いのほか入れ込まずに試合に臨めたことが良かったと。そして現在のJoachim Löw代表監督については先のワールドカップからコーチとしてチームに帯同しているので今のチーム状態をよく掌握しているとの事。最後にもう一度トルコ戦は unberechenbar な相手で油断ならないがタイトル奪出を断言できるとインタビューを結んでいた。

  


アムステルダム中央駅からドイツ自慢の超特急 ICE で約2時間程度走るとそこは日本人街として知られるドイツの Düsseldorf 。ドイツはホスト国では無いがきっとそこでは2年前と異なった雰囲気が醸し出されていることだろう…….


6.23 成田空港にて マチャラ軍団と遭遇

2008-06-25 | 夏季五輪
雨の中の“激戦(劇戦?)”を“制した”バーレン戦を久々にスタジアム観戦をした翌朝、私は商用の為一路欧州に旅立つ為成田空港に向かった。 朝4時半起きはきつく、早朝の為電車の乗り継ぎもスムースに行かずようやく空港駅に到着チェックインをすませ、やれやれと思った所に赤いシャツの集団が………. 昨夜アウェーの雨の中の試合にもかかわらず日本を“苦しめた”バーレーン代表一行であった。これはすごい….と思いながらマチャラ監督の姿を探す。 彼だけはお揃いの赤いシャツを着ておらずリラックスした私服にリラックスした表情。 私のミーハー根性が激しく燃え上がる。 早速彼の元に駆け寄り昔仕事で覚えたチェコ語で話しかけ(と言ってもこんにちは、お元気ですか?くらいしか出て来なかったけど。)記念撮影をお願いする。 新聞や雑誌でみるあの“憎たらしい”表情とは全く異なり非常に温和な愛想の良い面持ちで快く写真撮影を承諾してくれた。 そしてシャッターを押してくれたのは前日の試合もそして3月のマナマでの試合でも日本を攻守にわたって苦しめた背番号16番 Mohamed Adnan Husain 。マチャラ監督には “彼は昨日のナンバー16では無いですか?” と訊くと “ナンバーは憶えていないよ。” とおどけた表情。更に前日の試合や2月の試合そしてこれからの予選の事日本の事など5分程英語で立ち話に付き合ってくれた。 もちろんかれから多くは語らないが ( まぁ当り前か…) 終始ニコニコ….. 最後に ”お手柔らかに、南アフリカで一緒に会いましょう。“ と手を差し出すと丁寧に握手をしてくれ、”日本はストロングチーム、アジアナンバーワン“と言った。(でも本音じゃないだろうなぁ…….)
更にアシスタントコーチとも少しお話を……日本は良い所だって言っていたけど彼も秋葉原にいったのかな?そして選手達、最後にもう一度長身のDF選手、上記した Mohamed Adnan Husain とも記念撮影しお話を….. 昨日は子供と試合を見に行った、といってデジカメに保存していた写真をみせた。かなり真剣にみていたなぁ…
そして日本は強い、技術が高いと言っていたけどある程度社交辞令は入っているだろうなぁ….. Your son はここに来ていないのか?ともいってくれた、優しいなぁ……. 彼にも“南アフリカで会いましょう….” と言うと両手を横に広げていた、自信ないんかいな?? でもたばこ吸っていたなぁ……
  
  

選手やコーチはみな英語で話しかけても英語で答えていたぞ……息子よトップアスリートになるには英語も不可欠だ…….. みんな温和な表情、試合結果と言うよりも既に最終予選進出を決めている余裕か……..
バーレ-ンが日本と同じ組にならずに日本と一緒に最終予選を通過すればいいのになぁ….. と思ってしまった。俺も影響されやすいなぁ………

搭乗カウンターの近くで再びマチャラ監督やバーレ-ン選手達と遭遇した。今度は向こうも私を憶えていて手をふってくれた、そしてマチャラ監督には “ アホイ、ナスクレダノフ !! “ ( チェコ語でさよなら ) と言うとニコニコ顔で ”アホイ !! “ と手を振ってくれた。  どこ経由で帰国するのだろう…….

あぁ早起きは三文の得 ( あんまり関係ないか??) 、という感じで私はルフトハンザ機に乗り込んだ…….

尚試合のレポートはおって掲載致します…( 誰も期待していないか??)