Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

EURO 2008 6.26 Viva Espana !! 睡魔と闘いながら…….

2008-06-29 | EURO Football
ドイツが決勝進出を決めた翌朝。6時前に目が醒めDusseldörf の Old Town までジョギングを。石畳の上を走るが歳と共に膝に少しずつこたえる。ここも EURO 一色。昨夜は多くのドイツ人、トルコ人そして観光客達で賑わったのか....... 

 

この日は Dusseldörf のみでの仕事。夕方仕事を終えても日が高いので得をした気分になってしまう。中央駅付近には昨日と異なり国旗を持ったりレプリカを着る人達が少ない。ホテルでメールをチェックしてからコインランドリーに行く。
出張で一番困るのは洗濯。東南アジアの様にホテルのクリーニング代が安ければいいが欧州ではそうもいかず行程も1泊ずつで移動する街が多いとなかなかホテルのクリーニングに出せない。オーストラリアやニュージーランドの様にホテルに Guest Laundry が付いていれば良いのだが.....
従ってここの様にコインランドリーがある街は “貴重” で洗濯物の溜まるタイミングで行程を組まねばならない。 ただ日本と違って洗濯と乾燥の間約1時間洗濯ものが取られない様にそこを動けに無いのが辛い。でもこの日は洗濯機に衣類などを放り込んでそのまま外に出る人ばかりであった。でも自分は持参した文庫本を読みながら時間を潰すことに..........

ホテルに帰ると外はまだ明るいが8時45分少し前。キックオフ直前だった。共同開催なので同じグループのチームがもう一度準決勝であたってしまう。ロシアは快勝した準々決勝のオランダ戦で警告を受けたCBの Denis Kolosin が累積警告で出場停止。替りに Vasili Berezutski がCBに入る。スペインにはグループリーグ初戦で 1-4 と破れている。しかしこの時はエースの Andrei Arshavin が出場停止だった。Arshavin をはじめ4人の選手が初戦のスペイン戦から入れ替わった。一方イタリアと死闘の末準決勝に勝ち上がったスペインはイタリア戦と同じスタメン。グループリーグのロシア戦とも同じスタメンで“消化試合”となったグループリーグ最終戦のギリシア戦以外の3試合はすべて同じスタメンであった。それだけスタメンイレブンに Luis Aragonez 監督は信頼を置きそして選手達は累積警告を受けていないという事だ。
その点メンバーを対戦相手によってめまぐるしく替える Hiddink ロシア監督とは対照的だ。

会場の Ernst Happel Stadion は相当な雨が降っている。これでロシア対スペイン戦は2試合とも雨の中試合となった。グループリーグの時、この天候は気象条件の厳しい国からやってきたロシアに味方するかと思ったがそうでなかった。試合日程ではロシアの方が1日長くインターバルがある。スペインは前のイタリア戦もここウィーンで戦っているがロシア対オランダ戦が行われたインスブルックからの距離を考えるとロシアの移動はそんなに苦にならなかっただろう。
スタンドのロシア人サポーター達もかなりの数だ。1988年西ドイツ大会の決勝戦はオレンジ一色に染まりプロタソフ、ベラノフ、ミハイリチェンコ、ダサエフらを擁したソ連をサポートする人は数十人程度だった事を思い出し時代の流れを感じる。この試合の見所は何と言っても Arshavin が入った事でロシアが16日前に惨敗したスペイン相手にどう戦うか。オランダ戦で相手のサイド攻撃を封じた戦術の変更もどの程度通じるか?

しかし試合は立ち上がりからスペインの攻勢が続く。6分にはセンターサークル付近から大きく右サイドにフィードされたボールを Villa が受けて中の Torres へ Torres が体を反転させて放ったシュートは何とか GK Akinifeev がブロックするがその直後には Hernandez Xavi が Zyryanov, Ignashevich をかわしてミドルを放つがこれはクロスバーを越えた。11分には Villa が Ignashevich をかわして左サイドからミドルを放つがこれも GK Akinfeev がセーブ。劣勢のロシアは16分ようやくボールを受けた Arshavin のドリブル突破を Puyol がファールでストップし得たゴール正面からのFKを Pavlychenko が直接狙うがクロスバーの上を越えてしまった。これがロシアサポーター達が初めて沸いたシーンであった。しかしその後もしばらくスペインの攻勢が続く。24分には Ramos, 27分には Torres がミドルを撃つがゴールを外れて行く。テレビ画面には奥方のレティシア=オルテイス妃を伴ったアストゥリアス公フェリペ王子がなんども映し出されるが、はやくゴールがみたいのではないかな……..
だが30分過ぎからロシアが攻勢に出る。前線でボールが繋がり Arshavin からボールを受けた Pavlychenko がミドルを放つがポストの右に外れて行く。レプレイを見るとGK Casillas の指先に触れていたが触れなくても這うzれたと思う。32分に  Fabregas がベンチに呼ばれた。何だろうと思うと数分後 Villa が座り込んで動けない。どうやら直接FKを蹴った時に足を痛めた様だ。34分にベンチに下がり準々決勝のイタリア戦のPK戦でスペイン最後のPKを蹴った Fabregas が投入される。グループリーグのロシア戦で3点を決め、この試合もロシアDF陣を翻弄していただけにスペインにとっては痛い負傷退場だ。それに乗ずるかの様に35分には左サイドからのクロスを Pavlychenkoが胸でワントラップしMarchena, Capdevilla に囲まれながもシュートを打つがポストの左に外れる。36分には右サイド Anykov が Inista がチェックに入る前に低いクロスを中に入れると腰を折り曲げて Pavlychenko が Ramos, Puyol の前でヘッドで合わせるがポストの右に外れて行く。 このどれかが決まっていれば結果は違ったものになっていたかもしれない。そしてロシアがスペインサポーター達を脅かしたのはこの5分程度であった。
前半は共に無得点で終わったが準々決勝のオランダ戦では相手のサイド攻撃を完璧に抑えたロシアだったがスペインのサイドから中に入ったり縦にフィードされる速くて正確なロングパスの前の大苦戦。 エースArshavin はなかなかボールが貰えない展開であったが、 Villa が下がってくれた分ロシアにも後半チャンスはあるかなとこの時は思った。そして私には睡魔が襲ってきた。


どれくらい眠ってしまったのだろう?テレビからの大歓声で目が覚めた。50分 Xavi Hernandez の先制ゴールが決まった。真ん中でボールを受けた Xaviが左の Iniesta に預けロシアゴールに向けて走り出す。IniestaはSanenko と Anyukov をかわしてゴール前に送ると走り込んできた Xavi がそのまま押し込み決めたゴールシーンであった。二人とも Barcelona 所属の選手達。ここにボールが、人がと理解しての動きだったか。以降はスペインのシュート練習の様にほぼ一方的な展開。ロシアベンチも Semshov, Sychev といった選手を入れて同点を狙うがシュートに持ち込めない。右サイドの Ramos, 左サイドの Capdevilla がサイドを抑えており守備から攻撃への切り替えが早い。 UEFA Champions League 等ではBarcelona の一員としてレベルの高いパフォーマンスを見せる Puyol がスペイン代表のユニフォームでこれだけ存在価値を見せるのは何年振りだろう……
スペインは73分に Güiza Daniel が Fabregas の技ありの浮かしたボールをロシアDF陣の裏で受け,最後はシュートの瞬間足首を右にひねってGK Akineev の動きをかわして追加点を挙げてロシアを突き放し、 82分にはDa右サイドを Inisieta の縦パスを受けた Fabregas が上がり、中にセンタリングを入れるとボールは Berezutski のつま先をかすめるように 中のDavid Silvia に届きZhirkov のマークをかわしてゴールを決めて試合も決めてしまった。これでグループリーグのゲームと同じように3点差がついてしまった。雨の中この日のロシア選手達は動きがやや重そうであった。それともスペインの早いパス回しに翻弄されたか....... 

  

試合終了後の両チームの握手のシーン、サポーター達の表情をみて欧州戦選手権が始まった1960年代は優勝をあらそった両国だと思いだす。本でしか読んだ事は無いが第1回大会は準々決勝で当時の独裁者フランコ総統が“共産国”ソ連の入国を拒否し大会を棄権したが4年後は Santiago Bernabeu Stadium ではスペイン、ソ連両国が熱戦を展開。先制されたスペインがレフ=ヤシンの守るソ連ゴールから2ゴールを奪い逆転し大会2連覇を果たした。4年前の遺恨など感じさせられない素晴らしい試合だったそうだ。
スペインがメジャー大会(と言ってもワールドカップと欧州選手権の2大会)で決勝に進出するのは 1984年の欧州選手権以来。その時にスペインはグループリーグ最終戦のドイツ戦でロスタイムにMaceda Frances のゴールで準決勝進出を決めた。以降90年代からビッグタイトルから遠ざかりドイツ、フランス、イタリアそしてオランダにここ20年ほど遅れをとっていたがようやくビッグタイトル獲得のチャンスを迎えた。 Villa の欠場は決定でその代役には交替出場の Fabregas が濃厚か?
ドイツのテレビは連日 Ballack の“脚”を映し続けている........

それにしてもホストシティーはどんだけ盛り上がるのだろう............... 

  

EURO 2008 6.25 ドイツしぶとく決勝進出

2008-06-29 | EURO Football
6月25日、 Köln, Bonn での仕事を終えると最後の顧客もよく “理解” してくれて “ Halbfinale を視たいんだろう?それじゃ Dinner は次回にしよう。どこのホテルだ? Düsseldorf か?それじゃ早く行かないと。 Hauptbahnhof まで送ろう.......“
車中で話すのは EURO2008 の話ばかり。
”実は私も試合が楽しみなんだ。子供と一緒にテレビで看る約束もしているし....... „
あぁそうか、日本なら時差で深夜の試合。ちょっと子供とはテレビ観戦もできないなぁ........
" たいていのドイツ人はグループリーグには興味を持たない。 Vietelfinale から真剣に視る。ただしこの大会の出だしはさっぱりだったけど。“ 
”でもポルトガル戦は見事だった。日本じゃポルトガルを好むファンが多い。 Christiana Ronald らが華やかに見えるらしい。もっとも70年代からドイツを知る私はその偉大さをしっているけど。“ 
”今日のトルコ戦はどうなると想うか?“ 
”トルコはミラクルな勝ち方をしているがドイツが勝つと思う。彼らは何をすべきかを分かっている。それに監督がコーチ時代から続いて長くチームを率いているのからチームをよく掌握している......“

そんな話をしていると Bonn 中央駅に到着した。年内の再会を約束して車を降りた。首尾よく15分程でDüsseldorf にも停車する Inter City が入って来た。 Kiosk で買った地元紙に目を通す。トルコ紙だけでなくドイツ紙も特に EXPRESS や Bild 等の大衆紙も Jogi Lowe ドイツ代表監督と Fatih Terim トルコ代表監督の写真を並べたりしているが。トルコで夫の指揮を見守るTerim 監督夫人の写真まで。 „ Heute heisse Duell auf dem Rasen, morgen sind wir wieder Freunde ( 今日はいわゆる競技場でのデュエルだが明日はまた友達に戻れる。昨日の敵は今日の友??)という小さいながら赤字のキャプションが。中の記事でも“ 総領事や政治家がファン達に友好的なEM ( 欧州選手権 )パーティーを呼び掛けても Freundschaft siegen ( 友情の勝利 ) を望もう。” という見出しも。ドイツに多く住むトルコ系住人に気を使ってか?
またこの試合の観戦の為の Klinsman 前ドイツ代表監督が会場のある Basel 入りする事も.......
一方のトルコ紙だけどトルコ語はさっぱり解らないがこちらは写真のサイズが大きく迫力がある。 Hurriyet 紙はAltintop と Ballack の写真を並べて“エース対決”を煽っている頁が一面だが中の紙面には両チームの集合写真を一面を使って半分ずつのスペースで掲載。もっともトルコが上側だったけど。ただそこにはトルコ語とドイツ語で“友情が勝利であるべきだ。 Siegen soll die Freundshcaft ” とのキャプションも...... ホテルに帰りメール等を片付け、外に出たのは午後8時20分ごろ。夏時間とは言えまだ外は明るい。さすが初夏の欧州。しかしいつもは多くの人で賑わう中央駅付近も人通りがちらほら程度。あぁしまったもう試合を“楽しむ場所”に人が移動した後か....... 街をぶらぶらしているとやっぱりトルコ国旗が目立つなぁ........

  

するとある“中東”の雰囲気が漂うオープンレストランが。中を覗くとそこはまさに 
“トルコワールド” 半分以上の人達が赤いユニフォームを着ている。そのうちの一人と目が合い、中に入ってこいとばかりに手まねきをする。恐る恐る中にはいると水パイプの独特の匂いが。こりゃぁ明日はこの服は着られないなぁ......着ていたのは Celtic のユニフォーム。2月にオーストラリア在住の Celtic サポと交換したものでオフィシャルなユニフォーム。ただ背番号は付いていないけど。 
中の人達はみな数台あるスクリーンに集中している。ただ座る場所がないので経ちっ放しかぁ........ ドイツゴール前に迫る度にみな立ち上がるがゴールにならないと大きな落胆の声を洩らしながら席に着く。だがトルコ選手が攻守にわたって無いスプレーを見せると拍手を送る。 これでトルコがゴールを決めたらどうなるのだろう.... と思いながら店を出た。立ちっ放しは辛いしスクリーンが少し遠いので見難い。 

そのレストランから100m程度離れた所にまたオープンレストランがあり、そこでも中継を映し出している。よく中を見るとスクリーンも3面ある上に空席が結構ある。試合も始まっているので歩きまわるのは得策でないと考えここに入ることに。奥にあるカウンターに腰を下ろしビールを注文し €2.50 ( 約425円 ) を払い前方の少し大きめのスクリーンを視る。

数分後トルコに先制ゴールが生まれるスローインを受けた右サイドの Kazim が突破しそこからクロスを上げると Semih が Metzelder ともつれながらシュートに持ち込む。ボールはクロスバーにあたりゴール正面に落ちたところを詰めていたBoral Ugur が押しんだ。クロスを上げたのKazim は試合開始から再三ドイツの左サイドを切り裂いていており、Phillip Lahm がなかなか上がれ無い。大喜びのトルコ系の客。 前のレストランだったらもっと大騒ぎになっていただろうなぁ........。

しかしその4分後ドイツが追い付く。 Podolski が右サイドタッチライン沿いに突破し Sabri を振り切りセンタリングを送り込んだところに走り込んだ Schweinsteiger が Mehmet Topal と競り合いながらワンタッチでRüstü の守るトルコゴールに沈めた。
すると今度は前の方に座っていた地元ドイツ人の客が立ち上がる。Düsseldorf の人じゃないのかな? 反対にトルコ系の人は頭をかかえる。 それにしてもこの一連は見事だった。 Podolski , Schweinsteiger はBayern München の所属それが功を奏したか?。他にも ドイツのワントップを担う Miroslov Klose, 右サイドバックの Lahm , 更にトルコの中心選手 Hamit Altintop 、ドイツの控え選手 Marcell Jansen もBayern 所属だ。

この同点ゴールはトルコそしてトルコサポーター達の勢いを完全に削ぐものであった。 33分にもドイツは Podlski が CB Gökhan がタックルに入る前にミドルを放つがポストの上。
この日のドイツは準々決勝のポルトガル戦同様Klose のワントップで2列目に左から Podolski, Ballack そして Schweinsteiger が並ぶ布陣。Torsten Frings が怪我でこの日もベンチスタートだがコンディションが戻った Schweinsteiger がこの日も切れている。ただサイド攻撃というよりも Podlski, Schweinsteiger も顕著に中に切れ込んでくる様に見えた。 それがいいのかも知れないが。 
一方のトルコは怪我人や出場停止選手がいて死闘を演じたクロアチア戦のスタメンから3人が入れ替わった。CB Aski Emre に替ってボランチの Mehmet Topol が入り Topol のボランチのポジションには Fenerbache の Aurellio が起用された。MF Sanli Tuncay の替わりに Akman Ayhan Turan Arda の替わりに Baral Ugar, そして1トップにはクロアチア戦で奇跡の同点ゴールを決めた Sentürk Semih が Kahveci Nihat に替って起用された。 Ugar, Semih はクロアチア戦では途中出場。この Ugar が先制ゴールを挙げた。

画面では頻繁にミシェル=プラティニ UEFA 会長とドイツのメルケル首相が2ショットで映し出され時折二人は談笑もしているが何語で話しているのだろう。少なくとも英語ではなさそう。するとメルケル首相がフランス語を理解するのか....... EU加盟に際してまだまだ問題が残っていそうなトルコ国民はこのシーンをどう思うだろう..... でもEU加盟に一般トルコ人はそれほど固執しないか???

40分にドイツの Rolfes とトルコのAyhan が空中戦での交錯しRolfes は頭を切ったようだ。外に運び出されている藍でのトルコの右サイドバック Sabri のミドルが飛ぶ。これは自身の右突破から生まれたチャンス。肋骨の心配のある Frings が呼ばれるがここは絆創膏をした Rolfes がピッチに戻る。ロスタイムは1分あったが前半は 1-1 のまま終わる。ここで私は2杯目のビールを注文した。私にしては珍しいがなんだか欧州のビールはどんどん進んでしまう。欧州だからそうなのかビールがそうなのか??

後半に入ると結局怪我の Rolfes がベンチに下がり Frings が投入される。 後半にはいると1対1で激しいぶつかり合いが顕著になる。空中戦ではそのあとどちらかの選手が倒れる。Altintop の突破には正面から Hitztsperger がぶつかる。 Lahm が Kazim をかわして左サイドを突破したあと右サイドバックの Sabri が激しくタックルにはいるがノーホイッスル。 52分には Semih のSchweinsteiger へのチャージにイエローカードが出されるがこれがこの試合唯一のカードだった。日本がいずれかを相手にすると闘莉王、中澤でも跳ね飛ばされるのではないかな..... 56分には Ballack に Altintop がチャージにはいるがこれはノーファール。 Ballack も少し興奮気味にファールをアピール。68分には Lahm が Kazim のシャツを引っ張り突破を止めるがこれもノーファール。72分には Ugur が左サイドを突破しシュートを放てば、73分には Hitzsperger が Altintop がチャックに入る前にミドルを放つ。共に得点にはならないが豪快なシュートはさすが本場だ。

そして79分Klose が CB Topol と GK Rüstü と競りながらも右サイド後方から Lahm のあげたロングボールを頭でとらえて逆転のゴールを挙げる。 Klose のヘッドも Lahm のロングフィードも流石という得点。天を仰ぐ GK Rüstüを見て残り時間を考えるとトルコの決勝進出は.....と思えた。

  

その2分後トルコベンチは Ayhan に替って FW Mevlüt を投入し2トップにする。そして86分、右サイドを Sabri が Lahn を振り切り渾身のセンタリングを送ると Metzelder の足先を通過したボールの先にはAurello を振り切ったクロアチア戦の立役者 Semih が走り込んで放ったシュートがドイツゴールネットを揺らしトルコが追い付く。観客席のトルコサポーターもレストラン内のトルコ系移民も大喜び。 Semih は観客に向けて唇に人差し指を立てるパフォーマンスで応える。 この試合もトルコが奇跡を起こすかと本当に思った。そして私は3杯目はビールで無くコーラを注文したら同じ €2.50 でつまみもつかなかった。
ロスタイムは何分だろうと思った89分左サイドから Lahmが中に切れ込み中のHitzlsperger に戻すが Lahm はそのままトルコゴールに向かって中に切れ込むとそこには Hitzlsperger からボールがフィードされLahm がSabi とZan の間に割って入り放ったシュートがトルコゴールネットに突き刺さりまたドイツがリードを奪う。守備では散々自分側の左サイドを破られていた Lahm だがそれを帳消しするかのゴールだった。
トルコベンチは Kazim に替って Tümer が投入される。ロスタイムは3分まだチャンスはのこされている。この大会こう言う時でもトルコはゴールを決めて来た。そして93分、ゴール正面からドリルでドイツPAに迫る Tümer を Ballack が横からスライディングで止めるとスイス人の Busacca 主審がFKを与える。 Ballack が珍しく怒りを隠さない。確かにタックルはボールに入っているしかしその前に Tümer の右腕を引っ張っていた。真正面の位置からのFK シーズン中の中村俊輔なら造作なく決めるであろうポジションだ。絶好の同点機が最後に巡って来た。Tümer がゆっくりとボールをセットする。ドイツはほぼ全員がエリア内に入る。多くのトルコサポーター達が祈っているのが映し出される。しかし Tümer の蹴ったボールはクロスバーの遙かに上を飛び万事休す。ドイツサポーターの歓声だけが残りタイムアップのホイッスルが吹かれた。

   
ドイツが“難敵”トルコを降したが、このトルコの進撃に 2000年のポルトガルを重ねる人は.....少ないだろうなぁ....... でも後半は何度も画像が途切れてはらはらした。

店内を見渡すと涙ぐんでいる人が。彼はブルガリア出身だがトルコ系とのことであった。すかさずかつての英雄 “ナイム・スレイマノグル !! ”の名前を出すと、彼は私に抱きついて来た。そして周囲の人にスレイマノグルの説明を始めだした。
1980年代共産圏下のブルガリアではトルコ系住民は弾圧され遂に共産党はブルガリア式に“創氏改名”を強制。1986年ワールドカップの為にオーストリアに滞在していたスレイマノグルは直ちにトルコへの亡命を表明。その2年後ソウル五輪前に共産党はスレイマノグルがトルコ代表で出場を許す代わりに 100万ドルをトルコ政府に要求。トルコ政府はそれを受諾し。スレイマノグルは以降重量挙げで五輪3連覇を果たしたが、トルコ系ブルガリア人の英雄でもあるスレイマノグルの偉大さが再確認された。ようやく抱擁から解放された私は店の女主人達とも抱擁をかわしホテルへの帰途に着いた。彼女達はギリシア系であった......... そして画面ではメルケル首相のインタビューが続く........選手は着替え中かな????

  

ホテルまでの道中、多くの車がクラクションを鳴らしてドイツの勝利を祝っていた。
中央駅付近では多くの警官隊が待機していた。トルコ国旗を持って “トルキェ、トルキェ”と叫ぶ若者達が多くいたが危険度は皆無であった。中にはこれを機会にトルコ系であろう女の子達を“これから一杯飲もう”とナンパしているドイツのユニフォームやトルコのユニフォームを着た男達も。そこは国境はなしか........

  

1979年欧州選手権予選でドイツはマルタに続いてトルコとも引き分け予選突破が不安視されたが結局は欧州王者に輝いた。この大会、これで優勝に王手をかけたが、やっぱり最後はドイツだろうか........

ホテルに帰ってシャワーを浴びてそのまま倒れこむように寝入ってしまったが翌朝は早く起きてよく走れた.............

やっぱり欧州の初夏はたまらない。