Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

浦和 REDS ベスト8を目指して Persik Kediri戦 その1

2007-05-10 | Football Asia
ようやくマスコミも注目し始めた Asia Champions League の予選リーグも終盤を迎えた。今年こそと期待したJリーグ勢、川崎フロンターレはベスト8にリーチがかかった上に次のツモが盲パイでもわかる当たりパイの“白”が指先でしっかりと確認出来た状態。そしれ浦和レッズは卓を囲む中で3人が一向聴(イーシャンテン)の状態。そしてその当たり牌はまだまだ沢山積まれているって感じか…… 5月9日、インドネシア、ジャワ島の中心部に位置する Solo City に乗り込んだ浦和REDSは Persik Kediri との正念場となる試合に臨んだ。Persik のホームでの強さは周知のところだが、私は3月21日にホームで上海申花を 1-0 で破った時に“これまでとは異なる”と思った。ACLでのインドネシア勢は2002/03 大会の Qualifying Round Zone 2 ( 東アジア地区 ) でPetrokimia Purta が上海申花をホームで3-1 と破った実績があるが、現在のフォーマットとなった2004年大会以降は日本、中国、韓国のクラブチームから1勝も挙げた事がなく今大会の上海申花戦の勝利が彼らに勢いづかせる事となった。そして4月11日は同じくホームで Sydney FC を逆転で下この浦和戦に勝てば Persik Kediri が大きく一歩ベスト8へ前進する事になる。それだけに試合前から地元では大変な関心が寄せられていたと容易に想像できる。一方の浦和は4月21日にホームで川崎に敗れて以来苦戦が続いている。4月29日アウェーの鹿島戦はポンテの一発で勝利を収めたが4月25日ACL上海申花 ( 0-0 ) 5月3日千葉 ( 1-1 ) 5月6日大宮 ( 1-1 ) と勝ちきれない試合が続く。ここ19日間で Persik 戦を入れると5試合の過密日程の上に上海、Solo City とのアウェーの強行軍も加わりその上闘莉王、山田と言った主力選手を累積警告で欠く。これだけの条件を羅列すればこの試合がいかに厳しいものかは誰もが解るところだ。 午後3時半キックオフの Manahan Stadium の気温は33度、湿度は84%。最近は日本も気温が上昇しているがこれほどの高温そして多湿では無いので浦和の選手達のスタミナが心配だ。試合は立ち上がりからホームの Persik が攻勢に出る。3分ネネが左サイドでPersik MFの Putra を倒してFKを与え、そのHarianto の FKを Purta がフリーでヘッドを放つがクロスバーを越える。4分にはポンテのドリブルを累積警告で出場停止のDF Zainuri に替って起用された Restu がスライディングで止めそのこぼれ球がブラジル人MF Fernando に渡りそれをダイレクトでインドネシア代表の Erol Iba に繋がれるとワントップのウルグアイ人FW Gonzalez とのワンツーで抜け出した Iba がクロスを入れる。それをネネがヘッドでクリアーを試みるも浦和ゴール前に飛び都築がようやくパンチでペナルティーエリア外に弾き出すがそのこぼれ球を更に拾われゴール前に入れられるがGonzalez がオフサイド。5分には小野が左サイドをドリブルで上るが逆に奪われワンタッチで繋がれ最後は Kumiawan に鋭いクロスを入れられる。6分にも右サイドを突かれて最後はコーナーに逃げるなど浦和は劣勢に立たされる。3月7日はさいたまスタジアム2002で浦和は3-0 とPersik を一蹴しているがやはりホームでは容易に行かない。3月の試合ではGKは控えの Wahyudi であったがこの日は正GKの Kumia Sundy フォーメーションも2トップから Gonzalez のワントップに替え Putra を起用し中盤を厚くしている。何とか序盤の劣勢を堪えて、と思った9分、浦和ゴールのペナルティーエリアの少し前からネネが前線にロングボールを送ると永井が Iba と競りながら走り込んで来たポンテに落とし、ポンテはそのままドリブルでPersik ゴールエリアに侵入すると後方から入った Restu のタックルがファールに取られてPKを得た。この日の審判団はハサン主審、アウデゥル線審、アマナット線審のバングラデッシュ・ユニット。極端なホームタウンデシジョンを心配したがここはPKを取ってくれた。このPKを小野がきっちり決めて待望の先制点を得た。ここ Manahan Stadium に集った約数百人のレッズサポーターから大歓声が上がる。その声量は数でいえば50倍は下らないであろう地元サポと同じか少し上回るくらいだ。このREDSサポ達から更に雄叫びが上がる事を期待するがこの後、ホームのPersik がまた攻勢に出る。その直後のキックオフから右サイドをもう一人のウルグアイ人 MF Fagundez と Iba に崩されクロスが中に入った Fernandez に渡る。それを相馬が引き倒しPKを取られてもおかしくなかったがノーホイッスルで一安心。12分には DF Praseitaya からのロングフィードがフリーの Gonzalez に渡りそうになるが堀之内がその前にヘッドでクリアー。13分には左サイドを粘られ入れられたクロスが Gonzalez に渡り今度は坪井が抱えて止めるがこれもノーホィッスル。相馬も坪井もマークが後手に回っている。Persik の南米の選手達は中盤でも浦和の選手のシャツを引っ張っておきながら自分から上手く転んでファールを貰おうとするのでハサン主審はかえってバイタルエリアでは厳しくPKを与えないのかも知れない。しかし中盤の攻防はPersik が優勢だ。浦和は悪いピッチを考慮してか浮玉のパスが多いがホームのPersik はショートパスを上手く前線の南米コンビに繋いでくる。浦和は21分に永井のキープからDFのIndarto, Prasetiya の二人を引き付けポンテに落しポンテの惜しいシュートを演出するがそれ以外はピッチの悪さも手伝って得点チャンスを作れない。そして23分とうとうPersik は同点に追いつく。ネネ、平川が相次いで怪我でピッチを離れ、ネネは戻ったが平川に替って細貝が準備を始めた時、右サイドを Iba に破られ中にいた Purta にボールが渡る。ネネが体を寄せると Purta はピッチに倒れ、ハサン主審は今度はPKのスポットを指した。Restu と抱き合って喜ぶ Purta 。そのPKを Gonzalez が落ち着いて決めて同点とされてしまった。PKを与えた事は痛かったが平川を怪我で失った事も痛かった。しかしこれで目が醒めたか浦和は攻勢に出る。26分永井がポンテとのワンツーで抜け出し右サイドから侵入するともう一度ポンテにスルーを出すとポンテは Prasetiya を振り切り中の小野に入れる。小野が身体を反転させ放ったシュートはゴールネットを揺らすがその前に Indarto の足を踏んだとの事でノーゴール。30分を過ぎると鈴木啓太が上がってくる様になったりシュートチャンスを伺うが31分、中盤でポンテが Fagundez を倒してFKを与えると早いリスタートから Fernando に渡り右サイドを上がって来た Gonzalez にスルーパスが通る、そしてそのまま Gonzalez は堀之内が追いつく前にノートラップで左足を一振りするとそのショットはGK都築を破って逆点のゴールを許してしまった。大歓声に沸くスタンドに駆け寄る Gonzalez 。他の南米人選手、Fernando, Fagundez も同様にプライドはある。ACL を勝ち抜いて Club World Cup で南米のクラブ相手に一泡吹かせてやろうと言う野望があっても不思議では無い。インドネシアにもFootball はあるんだと言う自負心は彼らも強いだろう。15年前、20年前にラモスが思っていた様に。浦和は同点ゴールを狙うべく相手ゴールに迫る。34分にFKから左サイドにいた小野に渡り逆サイドの堀之内にふわりと浮かせたボールが渡る。そして中に入れるとファーポストにいた阿倍が豪快なバイシクルでゴールを狙うが惜しくも枠を外れる。阿倍のプレーは浦和イレブンの気力を奮い立たせるかと思ったがその後もPersik が優位に展開する。ワントップの Gonzalez を先頭に右サイドを Iba, Fernando に、左サイドを Fagundez, Kurumiawan, に制されて何度もペナルティエリアまで侵入を許す。攻撃に転じてもタイトなマークと悪いピッチで思う様にボールが扱えず小野はイライラがつのっているのがよく解る。当地でもワールトカップ3回出場の小野はよく知れ渡りマークも厳しくっている様だ。しかしここで追加点を献上すればこの試合と言うよりもベスト8進出は危うくなってくる。後半の残り約10分を何とか凌いでハーフタイムを迎えた。展開が4月11日の Sydney FC 戦と似てきた。後半浦和はどの様に挽回をするのだろう…..                後半に続く

 宜しくお願いいたします。

ASIA は UEFA につづく事が出来るのか??

2007-05-06 | Football Asia

アジアサッカー界の“背景”にいる“Money Man “ はいつの日か Asian Champions League が UEFA Champions League の様に成り得る事を信じている。 ACLが今のフォーマットになってから4年目になるが2009年には大幅な見直しが施されることになると思う。 シンガポール人で世界のスポーツビジネスに関わっている Seamun O’Brien 氏は“今後20年の間にビジネスから見たアジアのサッカーは欧州地区に次いで世界で2番目の市場となると信じており、AFCは ACLの参加クラブ数を現行の28から2009年のシーズンに32に増やしその中から16チームが決勝トーナメントに進出し優勝賞金もUA$1億(約118億円)にまで引き上げられる事を検討中だ。そして大会エントリーの締切も替えられるであろう。それは現行の A- League の日程と日本の天皇杯の日程が年をまたいで行われており前の年の優勝チームが ACL に参加すると言う現状が“改善”され様としている。現状であると今年 ACL に参加している A League に Sydney FC は昨年度2005-06 の優勝チームで Adelaide United は 同じ年のA League のレギュラーシーズンの首位チームだった。これが2009-10のシーズンから優勝チームがそのまま ACL に出場できる様に検討しようと言う事だ。今年2月に終わった2年目 A-League の2006-07 シーズンは Melbourne Victory がレギュラーシーズンを独走で優勝し、Final Series でも Grand Final で Adelaide United を 6-0 で粉砕し見事な優勝を飾ったのだが彼らが ACL に出場できるのは来年3月開幕の2008年度のシリーズから。それをそのまま Grand Final 終了から中1カ月程度で ACL に臨ませようと言う事だ。 今年ACLに参戦している Sydney FC のDF Nicolay Topor Stanley はACL1次リーグ終了後は Perth Glory への移籍が決まっており、Adelaide United はACL期間中にチームの重鎮であった Ross Aloisi が怪我の為に退団を表明したにも関わらず新生 Wellington Phoenix と契約をし周囲を驚かせたり MF Matthew Kemp も期間中に 来シーズンからのMelbourne Victory との契約を締結したり、“健康的で無い”事が大会中に起こっている。それに Branco Clina Sydney FC 監督、Aurelio Vidmar Adelaide United 監督、共にACL開始当時は“暫定”監督であり、大会期間中に来シーズン以降の契約が締結されている。それも“昨年度”の成績を基に出場クラブが決められているからで、その様な事態も改善しようと言う事だ。しかし大会エントリーに就いては現状のままでは A League からの出場枠を増やす事は出来ないだろうと O’Brien は語る。今年からACLに参戦している A-League の出場権利を増やすのはいかに League の Expansion が成功するかにかかっているであろう。 “イラン、サウジアラビア、中国、日本、そしてうまく行けば韓国そしてオーストラリアが出場枠拡大の恩恵を受けられそうだが、オーストラリアに就いてはA League のチーム数が現状8チームのままだとこれ以上出場枠は増やし辛い。リーグ内の4分の1以上のチームに出場権は…..と言う事だ。 韓国K League は現状14チーム。それを16~18 チームにまで増やす計画であるが、興味を引くのはこの国に存在する兵役制度。光州尚武フェニックスと言うチームがリーグ参加しているがこれは韓国軍隊のチームでここに所属する兵士は国家を代表するスポーツ選手として特別扱いされ、身分は兵士でありながら、軍事訓練はほとんど行わず練習に打ち込める。尚武はサッカー以外にもさまざまな個人競技、団体競技のチームがあり、野球チームは韓国プロ野球の2軍リーグに参戦している。李東國、金度勲、崔成勇、崔龍洙、宰榛そして洪明甫らが所属したが。尚武は選手枠が少ない為に入部の為に入隊する前から国家代表レベルの実績を上げておかねばならず、未来あるスポーツ青年の芽を兵役が妨げにしないと言う役割を充分に果たしているとは言い難い。そこでKリーグには陸、海、空軍のチームも参戦させてほしいとの意見もあるが、もし軍隊のチームが海外遠征となれば…興味があるなぁ。 70年代は陽地と言う韓国中央情報部 KCIA 直轄のクラブチームがあり金正男、丁炳卓、金基福と言った国家代表の選手達がいた。そして海兵隊や陸軍所属の代表選手達もいた。

ただACLが肥大していくと予算が潤沢に準備できるチームでないと上位進出出来ないのではと言う懸念が広がるがそれに就いて O’Briuen 氏は “ PSV Eindhoven や AS Monaco の様なクラブが欧州で実績を残している。“と言うがそれは外れていると思う。欧州大陸が潤うのは東西南北にだだっ広いわけでなくインフラも発達しており、隣国や隣々国くらいなら大型バスで移動出来てしまう。アジアでバスを使って移動しようとすれば山賊が出て来て大変であろう。その他、インフラの不整備からかえって費用がかかると思われる。そして大陸間での経済格差はUEFA 内の比では無い。国家代表よりもつぎ込む事が容易と言うところのオイルダラーが潤沢にある中近東諸国のクラブチームとベトナムやタイ、インドネシアの ASEAN 諸国とのチーム力の差を想像するとすぐにわかる。同様の事は現在、今はリーグ存続が優先されサラリーキャップ制度を施行している A League にも当てはまる。

そのA-League は来シーズンの Marquee : 観客動員力 選手として白羽の矢を立てているのが PSV Eindohoven の Philip Cocu だ。PSV は4月29日の EREDIVISIEの最終戦でVitesse Arnhem を5-1 と降しライバルの Ajax Amsterdam を同勝点ながら得失点差で上回りリーグ優勝を飾った。その最終戦で5得点目、シーズン最終得点を決めたのが Cocu だ。

そして36歳の Cocu は今シーズン限りでの退団を決めておりその後の去就が注目されている。“来シーズンもプレーをするつもりだが PSV のユニフォームでは無く海外のユニフォームを着てだけど..” 巷では Cocu がQatar リーグへ移籍するのではとも言われているが Sydney FC の Branco Culina 監督は Cocu 獲得への自信を隠さない。実現すれば36歳とは言え2大会のワールトカップ、3大会の欧州選手権に出場し、PSV, バルセロナと名門クラブの中心選手であった Cocu がSydney FC と言うよりも A-League 入りすれば様々な作用が働くであろう。 しかし Plan B も準備されているらしい。現在カタールでプレーする33歳のナイジェリア人Jay-Jay Okocha, 35歳のトルコリーグGalatasaray でプレーする35歳のHakan Sukur そして Cocu のチームメイトでもあるオランダ代表でも中心選手であったPatrick Kluivert そしてEngland のストライカーRobbie Fowler。そしてCulina 監督は今回ACLで対戦したインドネシアPersik Kediri のフルバック28歳のErol Iba, の獲得も前向きに検討しているとの事。これはアビスパ福岡に移籍してしまったフルバックのAlvin Ceccoli の穴埋めと言われている。 発足間もない A League は人気を定着させる為にスーパースターの導入が必要なのだろうが1993年の J League 発足時にジーコやリネカーそしてリトバルスキーらが来日した時とは少し様相が違う気がする。リネカーを除くと彼らスーパースター達は日本サッカー界の発展に尽力をしジーコは(J League 発足する前に来日したけど)代表監督にまでなり、リネカーも(離婚してまで)横浜FCの監督に就任した。それは日本に外地からの“先生”を受け入れる土壌があった為でオーストラリアはどうなのだろう?? ただ人気獲得無くてはA League もクラブ数が増えないと言う事もある。

ACL の拡大、そして定着は楽しみだ。70年代に UEFA Champions Cup の様子を専門誌で知った時に“アジアでもこう言う大会は無いのかな?アジアの国にはどんなクラブチームがあるのだろう?ヤンマーディーゼルや東洋工業と戦ったらどうなるのだろう?と想像したものだが30年近く経った今その一部が現実化している。そして近い将来は北朝鮮のクラブチームも参加出来ないかな?今の政治情勢だと対戦チームも限られ、1次リーグから日本や韓国とは同組にはなれないだろう。1980年代までの東西冷戦時代は東西ドイツクラブチームが早い段階で当たらない様になっており、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアと言った実力的には欧州でも中堅クラスの東側陣営同士が(またはオーストリア勢と)1回戦で当たる事がしばしばあった。しかし平壌4.25 と浦和レッズが真剣勝負をするなんて想像するだけでわくわくするではないか?

アウェーゲームでは平壌に1,000~2,000 人のレッズサポーターが乗り込み試合開始前はお決まりの観光コースに赤いシャツの集団が闊歩し、試合時には一角を赤く染める…… しかし、赤色は共産主義の色、逆に平壌4.25 を勇気づけるかもしれないなぁ… そして平壌は急遽他のクラブチームから国家代表選手を集めメンバ-を構成するかもなぁ…そして韓国の尚武や陸、海、空軍のチームは受け入れられるのだろうか…..こう言う想像もすぐに実現するかもしれない…..
しかし愛する京都サンガがこの様な晴れ舞台に出れる日は...想像で終わらない事を祈るよ....


Asian Cup に臨む Socceroos グレッラ ブレッシアーノ 日本は大丈夫?

2007-05-03 | Aussie & Kiwi

Harry Kwell の復帰に先駆けてオーストラリア代表Graham Arnold が気に架けていたのはSeire A の Parma でプレーする Vince Grella の怪我からの回復だ。 Grella も昨年のワールトカップにはレギュラーとして4試合にスタメン出場。決勝トーナメント進出のかかったクロアチア戦では63分にアロイージと交替する為にベンチに下がったがこれは 1-2 とリードされた場面でヒディング監督が同点にすべく攻撃的な布陣にシフトする為でこの16分後に今やオーストラリア人の間で伝説となっている Kewell の同点ゴールが生まれた。ワールトカップ時のオーストラリアのフォーメーションを見てみると初戦の日本戦こそ Kewell, Viduka の2トップを置いた時間があったが以降は Viduka のワントップに2列目をブラジル戦はクリーナ(右)ステリョフスキー(左)、クロアチア戦はステリョフスキー(右)キューウェル(左)と置き、イタリア戦ではステリョフスキー(右)ブレッシアーノ(左)とメンバーを替え続けその後ろのポジションも日本戦以外はケーヒルをスタメンから真ん中に置き続けたのを除いては対戦相手によってメンバーを変え続けた。それはブラジル、クロアチア、イタリアと格上を相手にせねばならなったと言う事とクロアチア戦は決勝トーナメント進出の為に勝点を取りに行かねばならなかったと言う事は充分に理解出来る。たが Grella のポジション、3バックの前方真ん中に置かれた1ボランチと言うよりもディフェンシブハーフ のポジションは不動であった。従ってハッキリ言って格下相手の Asian Cup でも Grella のポジションは Grella が最適と Arnold 監督も考えているに違いない。今シーズンの Grella は所属先のSerie A Parmaでは2月28日のアスコナ戦以降ハムストリングと膝の怪我でベンチを外れてからフル出場を果たしていない。4月18日のフィオレンティーナ戦に後半36分から約10分間プレーをし3月18日シエーナ戦以来4試合振りに出場を果たした。以降パレルモ(後半23分から)カリアリ(後半34分から)連続出場を果たしはしているがまだハムストリングの負傷の回復が思わしくないしかし Grella は Asian Cup に出場する事を宣言している。“ 私はそこに100%の状態で行く。もう一度言おうか? 100% だ。そして6月2日のシドニーでのウルグアイ戦には間に合わせる。私は Asian Cup を非常に楽しみにしている例えそれが長期のトーナメントになってもワールドカップ同様の長期のものになってもしかし大会に参加するのは良い事だ。” .Grella の怪我を悪化させたのは Parma の Serie A 残留争いと2回の監督交代劇と言われている。2月には Stefano Pioli 前監督が更迭され、元 Chelsea コーチ Claudio Ranieri が就任。 “私は日曜日から日曜日まで怪我から回復ための十分な時間がなく試合を休むことも出来なかった、それが最初は膝にあった軽い炎症が大問題に発展する事になった。全ての試合が Serie A 残留への重要な試合だった。しかし下位からの脱出は出来ずにいた。そして Ranieri が監督に就任した。彼は私が必要だと言った。私は Ranieri に怪我で苦しんでいると言ったが彼はまた私が必要だと言った。” そして Grella は出場する事を拒否し5週間ベンチを外れた。シーズン終了後は契約も切れるのでこの困難なチームを離れることも視野に入れた。そしてチームが降格した時には批判の対象とされる事も自覚した。 “契約最後の年の選手に就いて言えば、サポーター達はその選手のプレーに期待をしている一方で常にその選手は自分の事しか考えていないと思いがちだ。それがサッカー界での術で常に頭の中を過っている。2月のデンマーク戦と3月の中国戦の間には膝の状態のせいで週に1回しかトレーニング出来ずにいた。そしてとても代表レベルではなかった。私のハムストリングは少し裂けていたが Parma は私のカムバックを必要としていた。中国戦の前の日曜日には15分間だけプレーをした。それが怪我で戦列を離れてから5週間後の復帰戦であった。 Palermo のブレッシアーノは 1-0 の後あわや2ゴール目のシュートをゴールライン上でクリアーをし2点目を許してくれなかった、そして決定的な同点のチャンスを造ろうとしとしたが それはならなかった“と Socceroos の僚友ブレッシアーノに就いて言及した。先週、Parma の劇的な Palermo 戦の勝利は Parma を降格ゾーンから脱出させたばかりでなく Palermo の UEFA Champions League 出場権を険しいものにした。退場者を出した Palermo は同点のチャンスを遠いものとし Ranieri 監督はGrella を投入する事によって試合の主導権を握ろうとした。 “10人になった Parelmo はボールに触れる事が出来ずに、我々は次々に追加点を重ね 4-0とし、5点目も決まるところであった。 ハッキリ言ってこの試合のベストプレーヤーはブレッシアーノだ” Grella は来シーズンこの Palermo 入りが濃厚視されている。しかし今シーズン終了迄には Grella の怪我の回復の扱いは決まっていない。 “Palermo は私の怪我の回復具合を注視している。”と Grella は付け加える。しかしながら既に 500MRI レベルのスキャンを通して膝には異常がない事が証明されている。それはただの炎症である事を証明したかった。 Palermo は 前England 代表監督Sven-Goran Eriksson 氏をしつこく勧誘しているとの事だ。. ブレッシアーノ、グレッラそしてキューウェル…… Socceroos の臨戦態勢の整備具合が足音高らかに聞こえて来る。オーストラリアはやはり優勝の筆頭候補か?それを追いかけるのは…イラン、韓国、サウジアラビア….日本は入っているのだろうか?AFC加盟直後にあっさり優勝をさらわれては他の大陸からはアジア諸国は何をやっていたのか?と言われてしまう。まして2連覇中の日本はオーストラリア人から“ワールトカップで完敗した相手”と言うレッテルと並んで“オーストラリア抜きの大会で3回優勝していた”と言われるだろう。 All for 2010 ???? Asian Cup があってこそのワールトカップでは無いのか???オシム監督。もし貴方が欧州の代表国を指揮した時に “欧州選手権よりもワールトカップ”と公言できますか??



復活の狼煙を上げたライバル国のエース

2007-05-03 | Aussie & Kiwi
Socceroo のエース Harry Kewell がついに昨年のワールトカップの Croatia 戦以来ほぼ10カ月振りにピッチに登場し復活の狼煙を上げた。4月30日北ウェールズのWrexham にあるRacecourse Ground で行われた Everton との Reserve Game 、55分にピッチに投入され試合終了までの約35分間をプレー。 投入されて5分もしないうちに相手DF二人を置き去りにしチームメイトのCraig Lindfield のゴールを演出した。そしてさらにもう1ゴールのお膳立てをし一時は5月2日の UEFA Champions League の Chelsea 戦にベンチ入りかもとの噂も出たほどであったがそれは実現しなかった。しかし今シーズン Liverpool は5月5日Fulham, 13日Charlton そして23日アテネでの UEFA Champions League 決勝戦の3試合を残している。Liverpool は現在勝点67 で3位。2位 Chelsea が勝点80, 4位がArsenal で勝点66。もう2位の可能性は無く勝点66 の Arsenal と4位争いをしているが5位 Bolton が勝点55となっており、上位4チームに与えられる翌シーズンの UEFA Champions League への出場権を既に獲得しており 23日の Champions League の決勝戦へのベンチ入りはまだまだ未定であるが Premiership の残り2試合には出場の可能性は出てきている。 6月2日にはシドニーでウルグアイとのAマッチが予定されており、Asian Cup の初戦、オマーン戦は7月8日に使われる事が現実味を帯びてきた。 Kewell の復帰そして Mark Viduka のここ数試合の絶好調ぶりは Asian Cup 初登場となるオーストラリアにとって頼もしい状況。日本にとっては3連覇への脅威となる。 Kewell の復活を誰よりも喜ばせているのは Socceroos の Graham Arnold 監督だ。この Racecourse の Everton 戦は Arnold 監督も観戦。 “フィジカル的には申し分ない。 Liverpool は Harry が果たされたテストの全てをクリアーするまでピッチにもどさないだろうが今の彼は私がかつて見た Harry Kewell だ。彼が実戦に戻って来た事がこの上なく素晴らしい。彼はよく動き回っていた。これは彼にとって大きな足掛かりだった。Harry がこれまでやって来た事はこの日の為だ。そして今いくつかのゲームを経験してフィットネスを上げていくだろう。そして彼は Liverpool のスポーツ科学に従事する人々やまたオーストラリア代表の理学療治師の恵まれそれらが事態を肯定的にさせた。”と語った。 Kewell が Asian Cup のスタメン候補であるかと言う問いに就いては “見よ、そこに多くの水が橋の下に流れている。”これは Simon & Garfunkel の Bridge Over Troubled Water の引用だろう。 “Liverpool 首脳陣が Harry を残りのシーズンにどう起用するかは解らないが、これからの3週間彼がどの様に成るかが非常に重要だ。” Liverpool の Rafa Benitez 監督は言わずと知れたKewellの崇拝者で2年前のイスタンブールの様に Champions League の決勝戦への進出が決まったがまだ彼をその試合で起用するかはわからない。 Arnold 監督はこの数週間欧州を行脚し欧州でプレーするScooeroos 候補の選手の様子を所属クラブの関係者を通じても掌握したようだ。Everton に所属する Tim Cahill の様子を David Moyes 監督に尋ねる時間を取って貰う様に依頼したところ当初20分程度時間を貰えると思っていたのが実際は2時間も時間を割いて貰ったと語っていて、この“欧州遠征”は非常に収穫のあるものと結んでいる。 Asian Cup まであと2か月。日本の3連覇は大丈夫かなぁ.......


FIFA World Cup 2010 は日本開催?????

2007-05-01 | FIFA World Cup


大型連休の序盤の3連休は穏やかに過ぎようとしている。明日から二日間出勤すればその後は4連休。まぁ会社に居ても仕事もしないスチャラカ社員の私は休んでもいいんだけど、“営業成績トップのお前が真面目にしてくれないと示しがつかない。”なんて営業部長から専務までこちらに勤務態度の模範になって頂戴とお願いしに来る変な会社ですから….. それに四半期の末日が近づく度に“もっと売ってくれないか?”と私の所に拡販詣でに来るのだから、3月中旬には腹が立つから“俺は打ち出の小槌じゃないぞ。給料を上げる権限を持っていない人は黙ってて下さい。”と一喝した。ここ数年私は一般のサラリーマンが夢見ているような会社生活を送っているが、その昔に想像していたみたいに快適でもないなぁ… 仕事量は増えるが給料は上がらないし、故に時間当たりの給料は低下線をたどる一方。会社の独身女性からは不倫の対象には見てくれないし。(俺はそんなにルックスだって悪くないぞ。身長も175cm あるし。でも金がないか?それにルックスを判断するのは女の子達だしなぁ)この奇跡的に持続されている販売成績がひたたび少しでも落ちれば“それ見た事か…”と散々私が見下してきた無能な課長や腰巾着部長どもが逆襲してくるに決まっている。だから今の内にせいぜい横暴に振る舞ってもっと見下してやろうと思う。

しかし、それは会社の中での話。家に帰れば17年連れ添った女房には頭が上がらない。今日はショックな事を言われた。計画していた7月の Asian Cup 遠征を切り出すとたった一言。

“ダメ”

 “昨年のワールトカップは反対しなかったじゃないか”
“毎年毎年いけません。”
“それでは(6年生の)子供と行くよ” するとマザコンの抜け切らない一人息子は

“ママが行かないならテレビで観る。”

“お前去年のワールトカップもそう言っただろう。ホテルもチケットも手配済みだったのに。” すると女房は
“ほら私が入っていなかった。”
“お前のチケットも後で入手しただろう?”
“後で手配したのが気に入らない”
“今それは関係ないやろ??”

夕立が始まる直前の空の様に一気に暗雲が私を覆い始めた3連休目の夜だった。 しかしそんな私に目を疑うニュースが。

2010年W杯振替国に日本も

かつては2.0以上を誇った俺の視力も….. と一瞬思ったが…. だが伏線はあったのだ。 4月12日付の BBC News では2010年 ワールトカップ ホスト国の南アフリカが異例のコメントを発表した。
Mandela and Desmond Tutu with the World Cup trophy 
参加国は大会期間中近隣諸国にベースキャンプを張っても良いのではないか? Danny Jordan Chief Executive は“多くのアフリカ諸国に2010年大会に関わって貰いたい一存だ”とコメントしているが。これは建前に過ぎないだろう。競技場は何とかなっても31カ国も受け入れられるだけの施設が無いのだ。しかし大会が始まる7日前迄に開催国に入らねばならないと言う ワールトカップ の規約違反。その特例を FIFA に求めたのだ。しかしこんなのは最初から判っていたこと、立候補をする時点でいや、少なくとも開催が決まった時に申請すべき事だ。 Jordan 氏は大会当局が FIFA に試合が開催される都市から飛行機で90分以内の所にベースを張って試合日の前日までに試合のある都市に入れる事を認めて貰う様に要請すると語っている。例えばブラジルは旧ポルトガル領だったモザンビークに留まりたいであろうしスワジランドはトレーニングキャンプには適している所だ。ともコメントしている。この Jordan 氏は恐らくスポーツをした事がないのだろう。言葉の問題よりも移動距離を減らす事がどれだけ選手のコンディションにとって重要か??それでも Jordan 氏はFIFAはこの規約変更には同情的であるだろうとコメントしている。更に大会期間中は世界から35万人から40万人の人が訪れると予想しているが、もし自分の国がベースキャンプを張る近隣諸国を根城にしてくれれば開催国、南アフリカのホテル事情が緩和されるとも言っているが、こういう人が Chief Executive を務める国ではワールトカップを開催すべきでは無い。例えば(いや絶対に)日本がアジア予選を突破し大会に参加した場合、1次リーグは中4日から5日の間隔で3試合が行われるが、その間他の試合は見れないってことかぃ??更に Townships ( 都市郊外の黒人居住地区 ) の人々の為に Affordable Ticket ( 安価な購入しやすいチケット ) の準備を要求するつもりだと無茶苦茶なコメント。チケットの価格決定等は開催国ではなく FIFA に権利がある。その上昨年ドイツで各都市に設置された 大型のスクリーンを含めた Fun Zone の設置を FIFA に頼む始末。確かに FIFA ならそれくらいの財力はあるだろうが Jordan 氏は“アフリカ最初のワールトカップは成功せねばならない。我々は失敗をしたくない全ての人々の興味はこのワールトカップが成功する事でその為に全力を尽くさねばならない”とのコメントで結んでいるが最初から立候補などしなければ良かったんとちゃうんか??ともう呆れてしまう。

南アフリカ開催をずっと支持してきたFIFA ブラッター会長も南アフリカでワールトカップ開催が出来なかったと言う予期せぬ時の為のプランがある事を認めた。そして南アフリカの準備状況が常に不安が付きまとっていると言う心配も吐露した。BBC のある番組で“ワールトカップの振替国は準備されている”と暗にそれが必要でないであろうが、言う事も語った。その振替開催地は England 頭一つリードしており、他にもアメリカ、メキシコ、スペインそして日本がリストアップされているとの事。ブラッター会長は“もし何かが起こった時の為に断固として振替開催国を決めておかねばならない。前回のドイツ大会でもそうだったが、天災、体制の変化- 誰もがFootball に否定的になった時など…” 昨年ブラッター氏は試合が予定されている10の会場の建設、改装工事の進行具合に不安を感じている事を語り12月には Thabo Mbeki 南アフリカ大統領は2010年大会が他の国で行われることを断固と拒否した。
しかし F.A. ( 勿論 England ) はまだ2010年の ワールトカップ が England で振替開催される事は何も聞いておらず“FIFA とはまだ何も話し合っていない”とBBC Sport にスポークスマンは語っている。 “確かに我 England には最高級の競技場に世界屈指のインフラを誇っているが振替開催は仮想の話だ。我々は南アフリカが2010年のホスト国に向かっていると信じている

Fifa president Sepp Blatter
” ブラッターは何度も2018年のワールトカップホスト国は欧州- English FA はそれを手に入れようとしているが、よりもアジアであると何度も言っている。 “私は開催国のローテーション、南北アメリカ大陸、欧州、アフリカまたはアジア、は守るべきと考える。従って2014年の次のワールトカップはアジア大陸で行われるべきだ。”とコメントをしている。 しかし2018年大会開催は England は並々ならぬ野心を持っている。公式研究によると England が最も開催に適していると言われている。Gordon Brown 長官は“Football を世界に与えた国”にワールトカップを戻すべきだとも語っていた。そして2012年のロンドン五輪に次いで行われる2018年のワールトカップを England に誘致し2010年代を Britain’s Sporting History とすべきとも言っている。 しかし、現在FIFA の規定する競技場は England には6競技場しかなく 2012年のロンドン五輪に次いでわずか6年後にスポーツイベントの為に莫大な予算をつぎ込むべきか?との論議もある。Hugh Robertson スポーツ相は政府の“大変愚かな宣伝の危険な行為だ”と非難する。“ Gordon Brown は彼が引き起こした五輪の予算取りの収拾に腐心すべきだ、さもなくば既に約束をしながらまだ守られていない公約を本当に遂行すべきだ。”と付け加えている。しかし欧州ではイタリア ( 1938, 1990 ) フランス ( 1934, 1998 ) ドイツ ( 1974,2006 ) の列強が既にワールトカップを2回開催しているのにFootball の母国 England がまだ1回、それもライバルドイツがEngland 開催から8年後に最初にワールトカップを開催しながら既に2回も開催しているのが鼻もちならないらしい。2006年大会も当初は England が有力視されていたがフーリガン問題が足を引っ張り大会を誘致出来なかった。それだけに次に欧州にワールトカップが戻ってくる時は England でと言う雰囲気が漂っている。それがまだ England 内部では反対の声が上がっていたのだ。ただ振替開催となると反対に誘致しやすいのではないか?? そして2018年に日本が単独開催と言うのはまだ早計だ。2018年はオーストラリアが立候補予定だ。それにオランダ、ベルギーの植民地大好きコンビがEURO2000以来の Big Event 開催を目論む。だが一つ言える事は3年後のワールトカップは南アフリカでは開催すべきでないと言う事だ。これは私一人の意見では無い。ここに常駐した商社マンやここを担当市場とする営業マンは皆異口同音に“犯罪ワールトカップになりますよ。”と教えてくれた。ついでに私的な結論で 2010年はオーストラリア、ニュージーランド共同開催(実際にこの話昨年発生し、また今再燃焼を始めている。所属する“大陸”が違うが振替開催と言う事でここは大目に特例で??)2014年はブラジル(これはほぼ決まりだろう)そして2018年に England そして2022年に日本単独開催。これでどうだろう。
そうすればまだ何度かワールトカップ観戦にでかけられるチャンスがありそうだ。

今夏アジアカップ遠征が危なくなって来たので是非に……..