Mr.コンティのRising JAPAN

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Celtic Bayern アイデェンティティを求めて

2007-04-10 | Aussie & Kiwi
Cairns から空路約2時間。同じ Queensland 州の州都 Brisbane に向かい、そこからレンタカーで約1時間。豪州最大のリゾート地 Gold Coast に到着した。天気は快晴中の快晴。街は家族づれや恋人同士の観光客でごった返している。訪問した時期が悪すぎた。
復活祭 Easter の真っ最中。そう言えばレンタカーもいつもはネットで容易に予約できるのに今回はかなり骨を折った。そしてその料金はこれまでのほぼ2倍。ホテルも Golad Coast の常宿はいつもの2倍料金で他をあたったがなかなか取れなくて、ようやく手頃な価格のホテルが取れた。そこは典型的な家族で訪れるリゾートホテル。一人でしかもネクタイを締めてチェックインをしたのは私一人ではないかな? 荷物を解いてすぐにお得意さんに会いに。そこで言われてしまった。“オーストラリアのカレンダーを送ってやるからそれをよく見て出張計画を組め。Gold Coast は観光地だからレストランだって開いているけど、他の街は閉まっているぞ。みな休みだぞ。”
それでも従業員の人数名と合わせて時間を作ってくれて商談やら、終わってから食事に行ったり何とか仕事はこなせた。

翌日ホテルのロビーで Celtic のレプリカを着ている男性が。寄って行って “ NAKAMURA !! “ と声を掛けると、中村の賛辞を2,3口に出しながらかれの方から右手を差し出す。 Champions League での AC Milan 戦そして Manchester United 戦の立ち話をする。
この時私はネクタイを締めていたが、今回の出張は仕事がおわると大概 Celtic の Nakamura のレプリカ(と言ってもタイで買ったやつだけど。)を着て街を歩いた。もっと気温が低いと思い、半袖のシャツはこれしか持ってこなかったからだ。
しかし、これを見て結構な人が声を掛けて来る。特に Perth では毎日5~6人の人が、そしてホテルのレセプションの人達も声を掛けてきた。訊いてみると彼らの中の半分はIrish 系だった。その昔 Celtic はカソリック系のシンボルと言われた時期があったが Ireland もカソリックが多いのでそういう関係があるのかも知れない。 Perth, Auckland のIrish Bar は Celtic Fun Club のメンバーの“巣窟”となっているらしい。 中には Celtic の Tattoo をしている人も。そして2004年の Champions League の サンシーロで行われたAC Milan 戦を観に行った人もいた。
Auckland には Celtic ファンご用達?としての有名な Irish Bar がある。昨年英国紙にも紹介された PUB だ。プールバーの壁には選手達の直筆のサインが入れられている Celtic のユニフォームが展示されている。いつの時代のものなのか?そこの初老の男性と話をした。中村俊輔がManchester United 戦で決めた2本のFKの事や訪問時に少し噂になっていたベッカムのCeltic 移籍の噂話( これについて彼は“ポッシュ(ベッカム夫人)が Glasgow に来るわけないだろう。” と切り捨てた。)1967 年に UEFA Champions Cup のタイトルを取った時はまだ移民してくる前だったということ。 すごい訛りの英語だったけど彼がいかに Celtic を愛しているかが分り、こういう人と Celtic Park に行き、中村俊輔のFKを一緒に見たいなぁと思った。

Brisbane, Gold Coast 地区を巡回するには上記した通りレンタカーを借りるのだが、ドライブインでプリペイド携帯のリチャージカードを買おうとした時、私の携帯ストラップを見た女の子が隣の男性の店員に嬉しそうに話かけだした。“見て見て、これ Bayern Munchen よ。ドイツの有名なFootball チームよ….” そこで私がドイツ語で話し掛ける。彼女は驚いたようにこちらの話に応じる。訊けばオーストラリアに来て4か月。寒い欧州と異なりここにずっといたいとの事。 Working Holiday かな?故郷は Nurnberg 。ワールトカップでは Croatia 戦があったところだ。昨年ワールトカップ観戦に出掛け、私がそこを訪れ日本代表の試合を観戦した事を話す。その間隣の男性は話題に入れない。 日本人が偶然持っていた携帯のストラップに故国を感じたのだろう。 気持はわかるなぁ。

Brisbane のある公園で記念碑を見つけた。ベトナム戦争時にオーストラリア政府はアメリカ軍と共に南ベトナム政府軍を支援し兵士を従軍させた。その記念碑にはオーストラリア国旗と今は無き南ベトナム国旗が描かれていた。 オーストラリアにはベトナムからの移民も多い。私はほとんどが70年代終わりのベトナム戦争が終わって数年経ってからの難民達だと思っていたが、中には北ベトナム共産軍(通称ベトコン)から逃れる為に、また共産圏政権から逃れる為にオーストラリアに渡って来た人も多いらしい。
アジアカップでは日本は1次リーグをベトナムで戦い、オーストラリアはタイで1次リーグに臨む。これが逆になっていれば......
今シーズンの ACL では Adelaide United がベトナムのDong Tam Long An と同組で3月21日にはアウェーながら 2-0 で快勝している。最終節の5月23日は Adelaide でこのカードが行われるが、ベトナムからの移民達は Dong Tam Long An に故国を重ねるのだろうか??  日本で生まれ、そこから離れて生活を築いた期間が短く、今日本に生活基盤のある私にはわからない事がこの国にはたくさんあるのだろう。 


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2 コメント

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セルティック (鍼灸)
2007-04-14 01:12:11
オセアニアや北米にもセルティックのサポ組織がいろいろあるみたいですね。
しかもサイトをのぞいてみると、頻繁にパーティーややったり試合のPVやったり、ヨーロッパまで観戦ツアーに行ったり、各地のサポ組織同士で交流したりと結構アクティブです。
Aリーグのサポ組織よりアクティブなのではないか、とまで思えてしまいます。
経歴とか見てると、イギリスから移住してきてる人も多いようです。
県人会的な面もあるんでしょうか。

http://www.ains.net.au/~nack/SHFCSC/ ←オセアニア版のサイト

↓は北米版ですけど、カナダやアメリカのこんな都市にもというような所にもサポ組織があるのに驚きました。
http://www.nafcsc.com/
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Irish Pub (Mr.コンティ)
2007-04-14 23:05:17
鍼灸様 

いつもありがとうございます。
写真の看板は New Zeland Auckland にある Claddagh Irish Pub のものです。
Perth でも道行く人にここにある Pub に行ってみればと勧められましたが時間が取れなくていけませんでした。 中村が Celtic に在籍する間に何とか行ってみたいと思います。来シーズンも残留するらしいので。
在留邦人会の中でもそんなスポーツチームを通じたクラブはあるのでしょうか? 昔、嘘か本当かブラジルに阪神タイガースのファンクラブ的組織があったとか聞いたことがありますが....

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