Mr.コンティのRising JAPAN

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ワールドカップサッカー・アジア予選6

2005-02-01 | Football Asia
<アジア一次予選の戦跡と北朝鮮>
北朝鮮が組み入れられた一次予選第5組は前回、二次予選まで進出を果たしたUAEとタイが同居しており、他の7組と比較して最も厳しいグループであった。UAE が前々回二次予選で日本と戦った事を憶えている人も多いだろう。地元開催とはいえ96年のアジアカップでは準優勝、日本が地元優勝を果たした92年大会ではベスト4で、90年のイタリアワールド杯にアジア代表で出場を果たした強豪だ。
タイもアジアカップには92年大会から4大会連続して本大会に進出を果たし、98年、2002年のアジア大会ではベスト4の東南アジアの強豪で、ホームゲームでは滅法強いと言う定評があり、98年地元開催のアジア大会では準々決勝で韓国を破っている。私個人的にもタイのサッカーに興味がある。
この2カ国を相手に、前年のアジアカップの地区予選でイラン、ヨルダンに惨敗を喫した北朝鮮がどこまで戦えるか見ものであった。 
だが蓋を開ければ一試合を残して2次予選進出を決めると言う予想外の展開と言えた。
圧巻は敵地バンコックに乗り込み、若手タレントのサティー、チャイカムディーそして復帰したエースキャティサックを擁しホームゲームで満を持したタイを4-1と粉砕した6月9日の試合であった。
この試合の前まで北朝鮮は2戦2分けの勝ち点2でUAE(勝ち点4)、タイ(勝ち点3)に次いで3番目につけていた。タイとしてもこの試合に勝って、一次予選突破に弾みをつけたかったのだが、先制を許すとエースのキャティサックがPKを外すなど完敗を喫し、失望したタクシン首相に“スピリットが感じられない”と酷評される始末。事実上タイの今回の挑戦はこの試合で霧散したと言えた。 
何人かの評論家はこの試合の直後から、北朝鮮の復活を強調する人もいるが、実際は少し割り引いて考える必要があるだろう。まず、北朝鮮は当地で開催されたキングスカップに2002年(優勝)2003年(準優勝)出場しており、敵地をよく知っていた。そして何よりタイ代表チームの選手の規律が乱れており試合前の合宿に集合日にこなかった選手までいたらしい。
だがこの試合を機に次の平壌でのタイ戦(4-1)そして上記の10月のイエメン戦と連勝を飾り、勝ち点の伸びないUAEとタイを尻目に、1試合を残して3大会振りの二次予選進出となった。
日本と異なり、国の事情からサッカー選手とはいえ海外でプレーする事がまず不可能なので、メンバーを固定して総合力を上げられるという利点はある。最初の2試合(イエメン、UAE)を引分けた後に試合を重ねる度にチーム力がアップされたという事は容易に想像がつく。
ツートップのキム・ヨンス(2得点)、ホン・ヨンジョ(4得点)の二人が一次予選11得点中半分以上を挙げているが、9月のタイ戦から注目の在日選手、安英学、李ハンジェが合流すると中盤が厚くなりホン・ヨンジョが彼らのアシストから2得点を挙げている。キム・ヨンスも得点こそ無いが、その長身を生かすべく多くのハイクロスがアン、リから配球されたらしい。 また、2得点を挙げた中盤のシン・ヨンナムにも要注意だ。
今回は在日Jリーガーの二人が話題になっているが、Jリーグが始まる前から北朝鮮代表チームへ何人かが在日朝鮮蹴球団から選ばれていた。92年アジアカップ、ダイナスティ杯ではキム・ジョンソンという在日の選手が選ばれておりダイナスティ杯では日本相手に得点を上げている。89年のワールド杯予選でも在日蹴球団から2名の選手が選ばれた。
そして始まるアジア最終予選。北朝鮮戦では、個々の能力では日本が一枚も二枚も上手であるだろう。しかし、このチームは1年以上同じ釜の飯を食ってきた選手で構成されており、その組織力は侮れない。 我々がタイと同じ轍を踏むとは考えたくないがいつ、いかなる相手でも油断は禁物である。

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