10月後半はとにかく忙しかった…
丁度12日の韓日戦を境に強烈に仕事量が増えてしまいそのまま11月初旬からの出張に雪崩込んでしまった。そして商用で訪れているここ北欧のヘルシンキは氷点下の寒さ。疲れに寒さのダブルパンチ。しかも北欧独特の日の入りの早さで夕方は早くに暗くなり、日中は南中高度が低いので日差しがもろに目に入る..
そんな中、広州で始まったAsian Games 初戦、日本が中国を 3-0 で破ったという吉報が届いた…. 尖閣諸島問題(といっても中国が勝手に喧嘩を売っているだけと思うんだけど) もあり “完全アウェー” の日本U-21チームが中国を撃破し多くの日本人の溜飲を下げてくれたのではないかな…
この中国との問題で常に“中国様の御機嫌”を気遣っておられる官房長官の心中は…、まぁ御気の毒に…と言っておきましょう…
日本サッカー界と云うよりもアジアサッカー界においてアジア大会は結構重要な大会とされていた。そう、過去形だ。 1998年バンコック大会から日本はフル代表で無く2年後に向けた五輪候補チームを派遣するようになった。1980年代、五輪予選と並んでアジア大会は日本でも重要な大会であった…はずだ。
私は当時、アジア大会は数少ない国際大会として非常に楽しみにしていた。
特に1982年インド、ニューデリー大会。1次リーグではイラン、韓国の強豪を破り3連勝で準々決勝に進出。そして当時アジアナンバー1だったイラクと激戦の末延長戦で敗れて準決勝進出はならなかったが韓国を日本以外の地で初めて破ったNHKのダイジェストで見た5分ほどの試合模様は本当に良い思い出だ….
恐らくワールドカップフランス大会からアジア地域の出場枠も増え、ワールドカップと同年に行われるアジア大会のサッカーにアジアの列強もその位置づけが替って来たと思う….それに欧州ベースの選手も増えて次第にベストメンバーが組めなくなってきた事実もあったと思う。
1994年広島大会で当時 Genoa に所属していた我らが King KAZU がこの大会の為に帰国した時は嬉しかった。
11月7日 アジア大会の開会式前に開幕を迎えた種目、男子サッカー。
10月20日から合宿を張り本大会に臨んだ地元中国五輪候補チームは Tianhe Sports Centre で日本U-21チームを迎えた。ここに集った約30,000人の観衆は誰もが地元中国が日本を粉砕する事を期待していたのではないかな…. そして初戦が地元中国戦と解った時、ちょっといやな気になった日本サポーター達もいたのではないかな…. しかし結果は 3-0 で日本の快勝。
地元中国紙はこの結果を下記の通りに伝えていた。
全てにおいて日本が勝っていた…
試合後会見に臨んだ中国チームの 孫衛監督と張琳芃主将は下記の様に試合を総括したらしい。
試合には敗れたが我々は粘り強いモラルをフィールド上で示す事が出来た。
この日は対戦相手が強すぎたがまだ2試合残っている。残り試合に就いてはまだまだやれると思う。この日の中国チームのパフォーマンスに就いては本当によくプレーできており少しの改善さえあれば失点を防げた。
しかし3失点に就いては張琳芃主将をはじめとしたDF陣は初戦と云う事ですこし神経質になりすぎておりいくらかの責任はある。そして全体的に相手ボールになった時、マークが甘くそれが失点を招いた。
だがこれでグループリーグ敗退が決まった分けではないので残り2試合最後まで全力を尽くす。
( 負傷でスタメン出場が不可能視されていた ) GK王大雷の起用に就いては、怪我の回復も著しくチームドクターと相談し、何よりも本人がプレーを望んでいたのでスタメンに起用した。
36年振りの黒星スタート中国にとってこの日本戦の敗戦はアジア大会では1974年のテヘラン大会の初戦で北朝鮮に 0-2 で敗れて以来の初戦黒星スタートらしい。
その時のアジア大会は中国が何十年ぶりかほぼ初めて国際大会に出場した大会と記憶している。名前は忘れたけど幻の走り高跳びの世界記録保持者が中国の選手だったとも報道されていたなぁ…
そして3点差負けはアジア大会史上中国が最も得点差をつけられた敗戦との事。
確かに日本はアジアでも最列強国。年齢制限はあるとはいえ、この日本チームは J-League ではレギュラー選手でないメンバーと学生で構成されたチーム。
一方の中国はGK 王大雷、FW 栄博軒、DF 趙宏略 、楊博宇 そして張琳芃主将ら所属する中国超級でもレギュラーを張る選手達が揃っていた。
それだけにこの試合結果に中国マスコミは失望を隠せない様だ。
中国男子サッカーのアジア大会の最高記録は1994年広島大会での銀メダル。
今回は地元開催なので最低でもメダル。そして決勝進出を地元では期待されているらしい。しかしその初戦、1974年大会で北朝鮮に 0-2 で敗れて以来の黒星スタートとなってしまった。 前回のドーハ大会では初戦、イラクを激戦の末に 1-0 で破った。
そしてそのイラクは決勝まで進出した。
アジア大会での中国の入ったグループはそんなに厳しくは無い。
しかしスケジュールは厳しい。初戦が強豪である日本戦であったが中国超級との兼ね合いから大会直前に合流した選手も少なくない。日本戦の直前にランニングと軽い練習をこなして臨まざるを得なかった選手が多かった。
しかしこの日の日本のスタメンは最強のチームではなく永井、山村、實藤ら学生選手3人を含んでいた。
学生が含まれているチームに完敗したことがそんなに屈辱的かいな??
過去のアジア大会での中国チームの初戦の戦績は下記の通りだった。
2006 China 1-0 Iraq
2002 Chinese 4 - 0Turkmenistan
1998 China 4-1 Lebanon
1994 China 4-0 Yemen
1990 China 5-1 Singapore
1986 China 2-1 India
1982 China 1-0 Malaysia
1978 China 1-0 Saudi Arabia
1974 China 0-2 North Korea 0-2
1990年北京アジア大会では上位進出が期待されたが準々決勝でタイに 0-1 で足元をすくわれてしまった。タイは結構アジア大会に強いんだなぁ。
学生相手にあまりにも幼稚な試合展開…
中国五輪候補チームは大学生がリードする日本五輪候補チームに対してあまりにも幼稚な試合展開を繰り広げ初戦を 0-3 で落とした…
何人かの人達は五輪候補チームのトレーニングは不充分すぎると言っているがこれは今回に限った事では無い。確かに全員が揃った合宿期間は短かったかもしれない。しかし選手達は中国超級でプレーする選手が主体で日本はアマチュアの大学生ですらメンバー入りしたチーム。こう言ったチームにしかもホームで36年振りのアジア大会初戦敗戦を喫してしまうなんて…
過去36年間で最悪のスタート。
今回のアジア大会に中国代表で最初に登場した中国五輪候補チームは日本相手に 0-3 の敗戦を喫した。 アジア大会で 3点差負けを喫したのもワースト記録。ワースト2の2点差負けは1994年アジア大会決勝戦のウズベキスタン戦の 2-4。
それでも2ゴールを上げる事が出来た。
10月18日にアジア大会メンバーが発表されて以来、20人全員が揃うのはこれが初めてであった。確かに大会に向けての合宿期間は長く取られたが多くの選手が合流できなかった。
日本戦は前線の2人は呼吸が合わない様に見えた。そして特に左サイドバック位置でのセカンドボールはことごとく相手に支配されていた。これらは練習不足が招いたものであった。このメンバーの中でA代表の経験があるのは GK 王大雷と DF の張琳芃の2人だけであったことから攻撃力不足を露呈したとも言えるだろう。
今年6月 Liu Chunming 前監督時代とは多くの選手が入れ替えられた。そして11月2日に UAE 五輪候補チームと対戦し 1-1 で引き分けた。
今年に入りアジア大会に向けて行われた五輪候補チームの強化試合は23試合で
9勝5分9敗の戦績となったが総得点は22得点で1試合平均1点以下である。
悲劇!日本の大学生が600 万元のDF陣を翻弄…
ここ数年間で見られなかった対日本戦での3点差負けに終わったアジア大会の初戦であった。中国チームは中国超級でプレーする選手達で構成され、日本は J-League のみでなく6人の学生選手を含み Jリーガーでも常時ベンチ入りする選手ばかりでは無かった。しかしそういった選手達に次々とゴールを決められた。日中の差は広がるばかりだ…
日本の得点シーンを見てみると 中国超級では外国人選手だけが見せる様な非常に高いテクニックが披露された。
永井はフィジカルアタックを難なくかわして山崎にボールを送り、山崎のボレーは身体を一捻りしただけのプレーで、永井の2得点目は巧みにヘッドで落としてからのショットだった。 中国DF陣は日本の攻撃陣を掴む事が出来なかった。 そして日本の3得点目のDF鈴木大輔のヘッドに対しては誰も対応出来ていなかった。
今、日本の J-League は終盤を迎え優勝争いのクライマックスを迎えつつあるのでこの国際大会にレギュラー選手を送る事が出来ない。しかも有資格者である香川は現在 Dortmund でプレー中だ。なのにどうやってこんなに強いチームをこの国際 A Class の揃わない大会に送れるのだろう??
永井の将来は素晴らしいものだろう。恐らく神戸か福岡に入団するだろうが今の所属は大学生だ。それは中国チームには見られない事だ。
他の選手達はどうだろう? 山崎亮平は磐田に所属しているが長期間骨折とハイパーシンドローム( と報道されていたが正確には甲状腺機能亢進症 )の為に戦列を離れていた。
鈴木大輔は新潟で背番号4を付けているが今季Jリーグでは出場機会が少ない
( 5試合115分 )選手だ。
中国のDF陣はそんなに経験が無かったのか?
この試合で動きの鈍かった楊博宇は大連実徳で急成長を見せていた。
かつて Manchester United にも所属した張琳芃は600万元の移籍金で広州に移籍し吴曦は上海申花で成功をしている選手。そして趙宏略も大連実徳では台頭して来ている選手だ。
ただ張遠( 成都) 、栄博軒 ( 上海申花) の2人のスピードは効果的なサイド攻撃を見せたがこの日の悪天候がそれを妨げた不運もあった。
日本は中盤に素晴らしい選手が揃っておりこの試合ではその差が如実に表れた。中盤は完全に日本に支配されていた。
張琳芃は今年2月の東アジア選手権では中国代表選手として日本戦そして韓国戦にも出場した選手。
日本は続くマレーシア戦でも2-0 と完封勝ちし次のラウンドへの進出を決めた。 中国もキルギスタンを2-1 で破った。
このアジア大会、もっとも気になるのは北朝鮮。初戦で韓国を破った。北朝鮮は前回のドーハ大会では準々決勝で韓国に 0-3 で敗れている。
北朝鮮は今年の AFC U-19, U-16 で優勝しておりこの大会でも勝てば年齢別大会3冠王となる。 でもアジアでの列強であるサウジアラビアがエントリーしていないんだなぁ...
サウジアラビアは1994年大会に U-23 チームを派遣以来アジア大会には選手団を送っていない。
1982年のニューデリー大会も選手団を送らなかった。なぜなんだろう?宗教的な問題があるのか?
私の好きなアジア大会。本当はもっとゆっくりとテレビ観戦出来ればなぁ……
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