8月10日の日韓戦をテレビ観戦して…初めて日韓戦をテレビ観戦した時を思い出した。
1972年9月14日東京国立競技場で開催された第1回日韓定期戦だった。
この年からサッカーというよりも日本代表の試合に興味を持ち出した。それは同年5月26日にサントスが来日。あの神様ペレが出場したその試合を見てからだった。ペレが2ゴールを決めたのを憶えている。
そしてそれから数試合日本代表の試合のテレビ中継を見た。
資料によるとサントスとの親善試合の後日韓定期戦までの3ヶ月半の間に日本代表はムルデカ大会で7試合そしてその直後にシンガポールで開催されたペスタスカン大会で行われた2試合を含め15試合もこなしていた。国内で行われた試合が6試合あるので何度かテレビ中継もあったわけで試合終了直前にPK戦で敗れた試合 ( 後で解ったがそれは Coventry City との試合だった) 等記憶にあるがどれも負け試合だった。
そして9月14日に韓国を迎えてのゲームを前に、“韓国には勝つだろうなぁ…” とNHK が生中継するこの試合を楽しみに見ていたが試合前に前年に韓国で行われたミュンヘン五輪予選の韓日戦( それも後で知った。)の映像が流れ
”この試合の前に両国は既に出場権を失っていました…“と紹介し、過去の対韓国戦をボードで映し出された時に
”この様に過去日本が3度勝っただけで他は全て韓国の勝利か引分けです….” と言っていたのも憶えている。
その3度はメルボルン五輪、ローマ五輪の両予選と1967年B代表が Asian Cup 予選で韓国A代表に勝った試合だった。
この日韓定期戦はミュンヘン五輪予選で共にマレーシアに敗れた為に日韓の強化の為に始まったと後で知った。
そしてこの第一回定期戦は釜本の先制ゴールで始まり韓国が連続ゴールで日本を逆転、“あぁ日本はブラジルや欧州のチームばかりでなく韓国にも勝てないのかぁ….”と思っていた終了間際に釜本がシュートを韓国ゴールに蹴り込み引き分けた。その釜本のシュートは今でも覚えている。稲妻の様に早くあっという間にゴールネットに突き刺さった記憶がある….
あれから39年間、日本が韓国に優位に立った時があった記憶は無い。確かに1974年の第3回日韓定期戦で韓国を 4-1 で破ったがこの試合の事はずっと後で知ったし、モントリオール五輪予選 ( 1-3, 2-2 ) ワールドカップアルゼンチン大会予選 ( 0-0, 0-1 ) 1978年アジア大会 ( 1-3 ) モスクワ五輪予選 ( 1-3 ) 。
その後1982年アジア大会 ( 2-1 ) 1984年日韓定期戦 ( 2-1 ) での勝利を収める事が出来たがワールドカップメキシコ大会予選 ( 1-2, 0-1 )で敗れ以降90年代初旬には韓国に相手にされなくなっているのではないか…と思うくらいの差をつけられた気がしてならなかった。
しかし遂に1992年のダイナスティカップで好勝負を演じると ( 0-0, 2-2 PK勝) 1993年ドーハで行われたワールドカップアメリカ大会予選では遂に King Kazu のゴールで1-0 で勝利を収める。しかしそれ以降も韓国に対日苦手意識を植え付ける事は出来ていない…
それだけに今回の勝利は本当に対韓国戦に向けて非常に良い結果をもたらすのではないか…との期待を感じさせてくれた…
車杜里先発…
注目の両国のスタメン。まず韓国は右SB に車杜里がスタメンに。怪我で離脱していると思っていたのに…だけどこれでこちらのサイドから攻撃が出来ると思った。そしてフォーメーションだが 4-2-3-1 ではなく 4-1-4-1 。DF陣は左SBに大宮所属の金英権。愛する京都でプレーした李正秀と組む CBは残念ながらもう1人の愛する京都の卒業生郭泰輝では無く蔚山所属の李宰誠。
朴周昊、曹永哲といった J-League でプレーする、またはかつてプレーした選手達はベンチスタートだった。
でも李宰誠と金英権。身長だけをみるとポジションが反対に見えたけどなぁ…
1ボランチには Celtic でプレーする奇誠庸。(また猿の真似でもするのか見ものだったけどそんな彼のゴールシーンは皆目見られなかった。)朴主永のワントップの後方に並ぶMF4人は右サイドにトップ下と予想した今シーズンから長谷部の同僚となる具滋哲、左サイドにはG大阪でプレーする李根鍋。真ん中には金正友と李容来。水原所属の李容来は奇誠庸とボランチを組むと思ったんだけどなぁ… 。スタメンの中で欧州組みは4人、 J-League 組みは2人。そして他にも J-League 経験者は李正秀と金正友 ( 名古屋。現在光州尚武 ) がいた。
代表から引退した朴智星そして李栄杓、そして怪我で離脱した李青龍 ( Bolton ) の抜けた穴は最後まで埋まらなかった様だった。
北京五輪メンバーが中心。だから豪華メンバー…
欧州組み6人 ( 岡崎、本田、香川、長谷部、吉田、内田 ) そしてワントップには李忠成が起用された。2列目には右から香川( Dortmund ) 本田 ( CSKA Moscow ) 岡崎 ( Stuttgart ) が並ぶ非常に豪華なメンバー。
ボランチには遠藤 ( G 大阪 ) と長谷部 ( Wolfsburg ) DFラインは肩の手術で不在だった長友に替って駒野( 磐田 ) がスタメン。右SBには11月の韓国戦以来の駒野、CB はVVV Venlo の吉田とFC東京の今野。伊野波、栗原は起用されなかった。
闘莉王はどうなるのだろう…
それにしてもマスコミをはじめ谷底の世代なんてボロクソに言っていた1次リーグ3連敗に終わった北京五輪。そのメンバーから5人 ( 李、香川、本田、岡崎、内田 、吉田 )がこの試合のスタメン。そして今や代表の中心選手。他にも家長、柏木、細貝そして長友…。あれからたった3年しか経っていない。確かに我が国には言論の自由は認められている….
GK 1 鄭成龍(水原) 184/85 DF 22車杜里( Celtic)181/79, 14 李正秀(Al-Saad)185/76, 3 李宰誠(蔚山)180/75,
4 金英権(大宮)187/74, MF 16 奇誠庸(Celtic)186/75, 13 具滋哲(Wolfsburg)182/73, 8 金正友(光州尚武) 182/71,
6 李容来(水原) 175/71, 11 李根鍋(G大阪)177/75, FW 10 朴主永 ( AS Monaco ) 183/72
GK 1 川島 (Lierse) 186/80 DF 3 駒野 (磐田) 172/76, 15 今野(FC東京) 178/73,20 吉田 (VVV)189/80,
6 内田 (Schalke) 176/67, MF 7 遠藤 (G大阪) 178/75, 17 長谷部 (Wolfsburg) 177/65, 10 香川 (Dortmund) 172/63,
18 本田 (CSKA Moscow) 182/76, 9 岡崎 (Stuttgart) 174/75, FW19 李忠成 ( 広島 ) 182/73
松田直樹を偲んで…そして日本の猛攻…
試合前国歌斉唱(このシーンはテレビ中継されず)に続いて6日前に亡くなった松田直樹選手の為に黙とうがささげられた。
地元開催の夢のワールドカップ。あの時の事を思い出すととても幸せな気分になる。それからもう9年が経った。まだまだこれから人生が続く選手だったのに残念だ。それとともに自身の健康も..と思わせられた。
この日のピッチ上のメンバーで2002年大会の経験者は車杜里と松田だけになってしまっていた……
韓国のキックオフで始まった試合は開始から日本がシュートシーンを見せる。1分15秒長谷部のパスを受けた本田がDF3人に囲まれながら岡崎にパスを出しシュートを導き、3分24秒にはワンタッチパスを繋いで本田が今度はシュートを放ち
CKを得ると遠藤が入れたCKに逆サイドから走り込んだ長谷部が折り返し攻撃参加した吉田に送るが惜しくも合わない。
その後は車杜里が攻撃に絡み韓国のシュートシーンが演出される。6分37秒、奇誠庸から具滋哲に送られ右サイドを上がった車杜里を経て金正友に渡り上げられたクロスに李根鍋がヘッドを放ちクロスバーを越え、7分29秒には車杜里が2002大会を彷彿させるドリブルシュートを放つがこれはGK川島正面。この時間帯車杜里のマークが少し甘い様に見えた。
これがワールドカップ予選を含めた何かの大会であれば両チームとも相手の立ち上がりの様子をもっと見たかもしれない
その後は本田、香川を中心として前線でボールが廻る様になる。本田にボールが入るとマークが次々に寄って来るが上手くかわし囲まれても振り切るシーンが最後まで目立った。17分15秒にはついに奇誠庸が止めたチャージにイエローカードが出された。
それでも今度は朴主永、李根鍋が攻撃に絡み韓国がシュートシーンを見せる。18分15秒には朴主永からボールを受けた李根鍋が左サイドから挙げたクロスに金正友がフリーでヘッドを放つが駒野が身体を入れてゴール枠を外させ、20分47秒にも右サイドから李根鍋が起点となり李容来に渡り逆サイドに走り込んだ朴主永が駒野がマークに入る前にシュートを放つがサイドネットを直撃した。
22分を過ぎると日本のワンタッチパスがどんどんつながり日本が主導権を握る。 23分には本田が内田とワンツーで抜けるところを李根鍋が倒した。当然イエローが出されると思ったがウズベキスタン人のイルマトフ主審はカードを出さなかった。
24分韓国は金英権が怪我でベンチに下がり朴源載(全北)が投入される。金英権は3日後の清水戦も欠場してしまった。この交替も韓国に苦戦を招いた一因となっただろう。
24分41秒から日本は3連続CKのチャンスを得たがゴールは奪えなかったが韓国を完全に自軍ゴール前に釘付けにしていた。31分54秒にはカウンターから香川がドルブルで突破し李忠成に送り朴源載をかわしてシュートを放つが惜しくも決まらない。先制ゴールが生まれそうな雰囲気が続く中34分、韓国はカウンターに転じたが李根鍋からボールを奪った遠藤が(2人ともガンバだけど。)相手DFを引きつけ右サイドから中に入れると李忠成がワンタッチで角度を変えると走り込んで受けた香川が朴主永と李正秀をかわして撃ったシュートが韓国ゴールに突き刺さった。
10分42秒と21分37秒(この時は鄭成龍がナイスセーブ)に惜しいシュートを放っていた香川が3度目の正直で決めてくれた。
昔の代表は優勢に試合を進めているうちに何とか得点をと思っていても反対に失点を喫する事が多かったが最近はゴールを決めてくれる時の方が多いと思わせられる。
先制ゴール直後に岡崎がベンチに下がりC大阪の清武が投入された。 岡崎は18分に足を痛めていた…帰国後のMenchengladbach戦は欠場した。
すると今度は12分前に投入された朴源載がベンチに下がってしまった。遠藤の放ったシュートを顔面に受けたその後遺症らしい。次に投入された右SBはかつて中田浩二が所属したスイス Basel でプレーする朴周昊。磐田、鹿島でもプレーした選手。スタメンかなぁ…とも思っていたのだけど。この日対峙したかつての僚友内田の印象はどうだったのだろう。
40分長谷部からボールを受けた清武が李宰誠がマークに入る前に李忠成に送り中央の本田に折り返すが本田のシュートは惜しくも決まらない。 本田の表情から得点を決めたいと言う気持ちが溢れ出る。
その1分後今度は中央やや右の朴主永が中央から朴周昊のパスを受けてシュートに持ち込むがゴールポストの右に外れて行く。
このシーン、後方から入れられたボールに一旦駒野が追い付いたが後方から追った李根鍋にかかとを踏まれて転倒。こぼれ球は吉田がヘッドでCKに逃れようとするが李根鍋の駒野へのプレーがファールに取られたと思った吉田がボールを拾いに行った李根鍋を追うのを止めたがイルマトフ主審は笛を吹かずプレーは続けられ李根鍋が朴周昊に折り返し繋がれシュートに持ち込まれた。
ワールドカップ予選でアジアの主審はこういうときでも笛を吹かない時があるので最後まで…と解説者も言っていた。
そして前半は日本リードで終えた。日本リードで前半を終えたのは…あの1998年の Dynasty Cup 以来かな….
でも久々と言うよりも初めて日本が韓国をほぼ45分間圧倒し続けたのを見た。
2追加ゴールそして完封勝ち!
1失点後韓国は朴主永と李根鍋のポジションが入れ替り李根鍋がワントップに入った。朴主永は後半見せ場を創れず58分にはベンチに下がった。これまで各年代代表の試合を含めて何度か彼に苦しめられたがこの試合はまだ来シーズンの所属先が決まっていない中個人練習は続けていたのだろうが調整不足も否めなかっただろう。
日本は先制ゴール後ワントップの李忠成を残してブロックを創って引いていたが後半開始からは再び総攻撃を仕掛けた。
早々に李忠成が倒されて得たFKを本田が直接狙うが壁に当たってCK。遠藤が入れたCKは吉田がヘッドを放つが惜しくも決まらない。その直後には右サイドでスローインを受けた清武が中に入れると李忠成がスルーをし香川のショットを導くが車杜里に当たり決まらない。48分22秒には内田のスローインを李忠成がヘッドで落とし清武が拾って本田に渡すがシュートにやや力が無くGK鄭成龍の正面に。49分6秒には吉田からボールを受けた李忠成を李宰誠が倒してイエローが出される。
劣勢の韓国は52分に李容来、李根鍋を下げ金信旭を1トップに入れて2列目にC大阪の金甫を投入し打開を測るが、その直後に日本に追加点が生まれる。遠藤からボールを受けた香川が左サイドを上がった駒野に送り朴主永をかわしてシュートを放つ。鄭成龍が何とか弾き出すもこぼれ球を拾った清武が中央の本田に送ると本田が数歩バックしながらも放ったシュートは韓国ゴールに突き刺さった。
本田の喜びようを見ると本当にゴールに飢えていたと思った。それは対韓国戦へのゴールだろうか…
その3分後遠藤が奇誠庸からボールを奪うと李忠成、本田を経由して香川に送られ更に右サイドを上がった清武に繋ぐ。清武はそのままドリブルで上がり入れたクロスに香川が走り込んで合わせてリードを3点差に広げるゴールが決まった。
そして長谷部に促されて選手達が天を指さした。 松田にも届いたと思う。
自分は韓国相手に3点目を奪うのを見たのは初めてだった。
それにしても韓国DF陣、李正秀、李宰誠そして金正友は完全にマークが遅れていた。
3点差をつけられた韓国は58分朴主永に替って尹比家林が入る。196cm長身の金信旭が1トップ。2列目には右から具滋哲、トップ下に金正友、左に金甫が入りボランチに奇誠庸と尹比家林が入った。奇誠庸は比較的前に出て来る様になった。
こうなると日本に是非4点目を、出来れば李忠成に決めて欲しいと思ったが57分内田のクロスにそして65分10分前に駒野に替って左SBに入った槙野のクロスに合わせたヘッドは惜しくも決まらなかった。
70分には相手からボールを奪った内田が李忠成とパス交換で抜け出しほぼ中央をドリブルで突破。マークに入った李宰誠、奇誠庸を振り切り放ったドリブルシュートはGK鄭成龍も破ったが右ポストを直撃する惜しいシュートに終わった。これが決まって入れば歴史的な4点差になっていたのに…..
韓国も対日本戦で何とかリードを縮め様とワントップの金信旭にボールを集めゴールを狙う。59分16秒には金正友からのロビングに金信旭が飛び込むが吉田が身体を入れて思う様にヘッドを撃たせない。71分30秒には65分に遠藤に替ってボランチに入っていた阿部のファールで得たFKを奇誠庸がゴール前に放り込み具滋哲がフリーでヘッドを放つがゴールポストの左に外れる。73分20秒には車杜里のクロスに金信旭がシュートを放とうとするもここも吉田が身体を張りシュートコースを外させる。3点差がついていたと言う事もあるが、韓国の決定力不足、そしてこの試合の結果を物語るシーンであった。
後半は車杜里が一人気を吐くシーンが何度かあった。昨年は2大会ぶりにワールドカップ出場を果たした。父親車範根には何度も日本はやられてばかりで本人も“もっとも印象に残っている日韓戦は1972年のアジアユース準決勝戦。代表との試合で接戦だった記憶が無い。”と言われてしまったが、子息はそうは思わなくなっただろう。
結局スコアーは動かず日本が6年振り、そしてホームでは13年振りの勝利を収めた。
2010年2月の東アジア選手権、5月のキリンチャンレンジカップでの連敗、試合内容と比較するマスコミも多いがその試合は共に韓国の方が日本戦の前に試合を入れておりコンディションに差があった。コンディションさえ同じなら昨年10月のソウルでの韓日戦も Asian Cup でも試合内容は互角以上。
韓国はやはり李栄杓の抜けたSBの人材不足そして朴智星の存在が埋まらない事が改めて浮き彫りにされた。
それにしても韓国の選手達、一体どうしたのだろう?いつもの様にがつがつと当たって来る印象が薄かった。それは日本の各選手達のテクニックが完全に韓国の選手達の当たりを凌駕していたと言う事もあるが、コンディションが整わなかったのか?
今回は日本が3点差の勝利だったが、李青龍、池東元がいたら、そしてもう少し他の選手達のコンディションが上がっていればもう少し違った結果になっていたかもしれない。
試合後長谷部が “これで韓国に対日本戦へ苦手意識が植え付けられれば。”と語っていたがそれはこの次の試合結果に委ねられると思う。日本はまだ韓国戦に“連勝”した事が2度しかない。
1974年9月28日に 東京国立競技場で4-1 で勝利を収めた次の韓国戦は翌年8月9日マレーシアで行われたムルデカ大会。車範根、金在漢、李栄武、朴成華、趙栄増、朴商寅そして復帰した金鎮国らを加える等大敗した日韓戦から選手10人を入れ替えた韓国は車範根の3ゴールで 1-3 で完敗し更に約1カ月後韓国ソウルで行われた韓日定期戦でも 3-0 で日本を破り半年後国立競技場で行われたモントリオール五輪予選でも 2-0 で日本を破り ( 翌週ソウルで行われた同予選では釜本の2ゴールで 2-2 の引分け )完敗を完全に払拭されてしまった。
次にいつ韓国と対戦するか解らないがもう一度完勝を収め今度こそこれまでの立ち位置を逆転させてほしい。
いやその前に9月2日に朝鮮民主主義人民共和国を破って対南北朝鮮に連勝を収めてほしい。
1972年9月14日東京国立競技場で開催された第1回日韓定期戦だった。
この年からサッカーというよりも日本代表の試合に興味を持ち出した。それは同年5月26日にサントスが来日。あの神様ペレが出場したその試合を見てからだった。ペレが2ゴールを決めたのを憶えている。
そしてそれから数試合日本代表の試合のテレビ中継を見た。
資料によるとサントスとの親善試合の後日韓定期戦までの3ヶ月半の間に日本代表はムルデカ大会で7試合そしてその直後にシンガポールで開催されたペスタスカン大会で行われた2試合を含め15試合もこなしていた。国内で行われた試合が6試合あるので何度かテレビ中継もあったわけで試合終了直前にPK戦で敗れた試合 ( 後で解ったがそれは Coventry City との試合だった) 等記憶にあるがどれも負け試合だった。
そして9月14日に韓国を迎えてのゲームを前に、“韓国には勝つだろうなぁ…” とNHK が生中継するこの試合を楽しみに見ていたが試合前に前年に韓国で行われたミュンヘン五輪予選の韓日戦( それも後で知った。)の映像が流れ
”この試合の前に両国は既に出場権を失っていました…“と紹介し、過去の対韓国戦をボードで映し出された時に
”この様に過去日本が3度勝っただけで他は全て韓国の勝利か引分けです….” と言っていたのも憶えている。
その3度はメルボルン五輪、ローマ五輪の両予選と1967年B代表が Asian Cup 予選で韓国A代表に勝った試合だった。
この日韓定期戦はミュンヘン五輪予選で共にマレーシアに敗れた為に日韓の強化の為に始まったと後で知った。
そしてこの第一回定期戦は釜本の先制ゴールで始まり韓国が連続ゴールで日本を逆転、“あぁ日本はブラジルや欧州のチームばかりでなく韓国にも勝てないのかぁ….”と思っていた終了間際に釜本がシュートを韓国ゴールに蹴り込み引き分けた。その釜本のシュートは今でも覚えている。稲妻の様に早くあっという間にゴールネットに突き刺さった記憶がある….
あれから39年間、日本が韓国に優位に立った時があった記憶は無い。確かに1974年の第3回日韓定期戦で韓国を 4-1 で破ったがこの試合の事はずっと後で知ったし、モントリオール五輪予選 ( 1-3, 2-2 ) ワールドカップアルゼンチン大会予選 ( 0-0, 0-1 ) 1978年アジア大会 ( 1-3 ) モスクワ五輪予選 ( 1-3 ) 。
その後1982年アジア大会 ( 2-1 ) 1984年日韓定期戦 ( 2-1 ) での勝利を収める事が出来たがワールドカップメキシコ大会予選 ( 1-2, 0-1 )で敗れ以降90年代初旬には韓国に相手にされなくなっているのではないか…と思うくらいの差をつけられた気がしてならなかった。
しかし遂に1992年のダイナスティカップで好勝負を演じると ( 0-0, 2-2 PK勝) 1993年ドーハで行われたワールドカップアメリカ大会予選では遂に King Kazu のゴールで1-0 で勝利を収める。しかしそれ以降も韓国に対日苦手意識を植え付ける事は出来ていない…
それだけに今回の勝利は本当に対韓国戦に向けて非常に良い結果をもたらすのではないか…との期待を感じさせてくれた…
車杜里先発…
注目の両国のスタメン。まず韓国は右SB に車杜里がスタメンに。怪我で離脱していると思っていたのに…だけどこれでこちらのサイドから攻撃が出来ると思った。そしてフォーメーションだが 4-2-3-1 ではなく 4-1-4-1 。DF陣は左SBに大宮所属の金英権。愛する京都でプレーした李正秀と組む CBは残念ながらもう1人の愛する京都の卒業生郭泰輝では無く蔚山所属の李宰誠。
朴周昊、曹永哲といった J-League でプレーする、またはかつてプレーした選手達はベンチスタートだった。
でも李宰誠と金英権。身長だけをみるとポジションが反対に見えたけどなぁ…
1ボランチには Celtic でプレーする奇誠庸。(また猿の真似でもするのか見ものだったけどそんな彼のゴールシーンは皆目見られなかった。)朴主永のワントップの後方に並ぶMF4人は右サイドにトップ下と予想した今シーズンから長谷部の同僚となる具滋哲、左サイドにはG大阪でプレーする李根鍋。真ん中には金正友と李容来。水原所属の李容来は奇誠庸とボランチを組むと思ったんだけどなぁ… 。スタメンの中で欧州組みは4人、 J-League 組みは2人。そして他にも J-League 経験者は李正秀と金正友 ( 名古屋。現在光州尚武 ) がいた。
代表から引退した朴智星そして李栄杓、そして怪我で離脱した李青龍 ( Bolton ) の抜けた穴は最後まで埋まらなかった様だった。
北京五輪メンバーが中心。だから豪華メンバー…
欧州組み6人 ( 岡崎、本田、香川、長谷部、吉田、内田 ) そしてワントップには李忠成が起用された。2列目には右から香川( Dortmund ) 本田 ( CSKA Moscow ) 岡崎 ( Stuttgart ) が並ぶ非常に豪華なメンバー。
ボランチには遠藤 ( G 大阪 ) と長谷部 ( Wolfsburg ) DFラインは肩の手術で不在だった長友に替って駒野( 磐田 ) がスタメン。右SBには11月の韓国戦以来の駒野、CB はVVV Venlo の吉田とFC東京の今野。伊野波、栗原は起用されなかった。
闘莉王はどうなるのだろう…
それにしてもマスコミをはじめ谷底の世代なんてボロクソに言っていた1次リーグ3連敗に終わった北京五輪。そのメンバーから5人 ( 李、香川、本田、岡崎、内田 、吉田 )がこの試合のスタメン。そして今や代表の中心選手。他にも家長、柏木、細貝そして長友…。あれからたった3年しか経っていない。確かに我が国には言論の自由は認められている….
GK 1 鄭成龍(水原) 184/85 DF 22車杜里( Celtic)181/79, 14 李正秀(Al-Saad)185/76, 3 李宰誠(蔚山)180/75,
4 金英権(大宮)187/74, MF 16 奇誠庸(Celtic)186/75, 13 具滋哲(Wolfsburg)182/73, 8 金正友(光州尚武) 182/71,
6 李容来(水原) 175/71, 11 李根鍋(G大阪)177/75, FW 10 朴主永 ( AS Monaco ) 183/72
GK 1 川島 (Lierse) 186/80 DF 3 駒野 (磐田) 172/76, 15 今野(FC東京) 178/73,20 吉田 (VVV)189/80,
6 内田 (Schalke) 176/67, MF 7 遠藤 (G大阪) 178/75, 17 長谷部 (Wolfsburg) 177/65, 10 香川 (Dortmund) 172/63,
18 本田 (CSKA Moscow) 182/76, 9 岡崎 (Stuttgart) 174/75, FW19 李忠成 ( 広島 ) 182/73
松田直樹を偲んで…そして日本の猛攻…
試合前国歌斉唱(このシーンはテレビ中継されず)に続いて6日前に亡くなった松田直樹選手の為に黙とうがささげられた。
地元開催の夢のワールドカップ。あの時の事を思い出すととても幸せな気分になる。それからもう9年が経った。まだまだこれから人生が続く選手だったのに残念だ。それとともに自身の健康も..と思わせられた。
この日のピッチ上のメンバーで2002年大会の経験者は車杜里と松田だけになってしまっていた……
韓国のキックオフで始まった試合は開始から日本がシュートシーンを見せる。1分15秒長谷部のパスを受けた本田がDF3人に囲まれながら岡崎にパスを出しシュートを導き、3分24秒にはワンタッチパスを繋いで本田が今度はシュートを放ち
CKを得ると遠藤が入れたCKに逆サイドから走り込んだ長谷部が折り返し攻撃参加した吉田に送るが惜しくも合わない。
その後は車杜里が攻撃に絡み韓国のシュートシーンが演出される。6分37秒、奇誠庸から具滋哲に送られ右サイドを上がった車杜里を経て金正友に渡り上げられたクロスに李根鍋がヘッドを放ちクロスバーを越え、7分29秒には車杜里が2002大会を彷彿させるドリブルシュートを放つがこれはGK川島正面。この時間帯車杜里のマークが少し甘い様に見えた。
これがワールドカップ予選を含めた何かの大会であれば両チームとも相手の立ち上がりの様子をもっと見たかもしれない
その後は本田、香川を中心として前線でボールが廻る様になる。本田にボールが入るとマークが次々に寄って来るが上手くかわし囲まれても振り切るシーンが最後まで目立った。17分15秒にはついに奇誠庸が止めたチャージにイエローカードが出された。
それでも今度は朴主永、李根鍋が攻撃に絡み韓国がシュートシーンを見せる。18分15秒には朴主永からボールを受けた李根鍋が左サイドから挙げたクロスに金正友がフリーでヘッドを放つが駒野が身体を入れてゴール枠を外させ、20分47秒にも右サイドから李根鍋が起点となり李容来に渡り逆サイドに走り込んだ朴主永が駒野がマークに入る前にシュートを放つがサイドネットを直撃した。
22分を過ぎると日本のワンタッチパスがどんどんつながり日本が主導権を握る。 23分には本田が内田とワンツーで抜けるところを李根鍋が倒した。当然イエローが出されると思ったがウズベキスタン人のイルマトフ主審はカードを出さなかった。
24分韓国は金英権が怪我でベンチに下がり朴源載(全北)が投入される。金英権は3日後の清水戦も欠場してしまった。この交替も韓国に苦戦を招いた一因となっただろう。
24分41秒から日本は3連続CKのチャンスを得たがゴールは奪えなかったが韓国を完全に自軍ゴール前に釘付けにしていた。31分54秒にはカウンターから香川がドルブルで突破し李忠成に送り朴源載をかわしてシュートを放つが惜しくも決まらない。先制ゴールが生まれそうな雰囲気が続く中34分、韓国はカウンターに転じたが李根鍋からボールを奪った遠藤が(2人ともガンバだけど。)相手DFを引きつけ右サイドから中に入れると李忠成がワンタッチで角度を変えると走り込んで受けた香川が朴主永と李正秀をかわして撃ったシュートが韓国ゴールに突き刺さった。
10分42秒と21分37秒(この時は鄭成龍がナイスセーブ)に惜しいシュートを放っていた香川が3度目の正直で決めてくれた。
昔の代表は優勢に試合を進めているうちに何とか得点をと思っていても反対に失点を喫する事が多かったが最近はゴールを決めてくれる時の方が多いと思わせられる。
先制ゴール直後に岡崎がベンチに下がりC大阪の清武が投入された。 岡崎は18分に足を痛めていた…帰国後のMenchengladbach戦は欠場した。
すると今度は12分前に投入された朴源載がベンチに下がってしまった。遠藤の放ったシュートを顔面に受けたその後遺症らしい。次に投入された右SBはかつて中田浩二が所属したスイス Basel でプレーする朴周昊。磐田、鹿島でもプレーした選手。スタメンかなぁ…とも思っていたのだけど。この日対峙したかつての僚友内田の印象はどうだったのだろう。
40分長谷部からボールを受けた清武が李宰誠がマークに入る前に李忠成に送り中央の本田に折り返すが本田のシュートは惜しくも決まらない。 本田の表情から得点を決めたいと言う気持ちが溢れ出る。
その1分後今度は中央やや右の朴主永が中央から朴周昊のパスを受けてシュートに持ち込むがゴールポストの右に外れて行く。
このシーン、後方から入れられたボールに一旦駒野が追い付いたが後方から追った李根鍋にかかとを踏まれて転倒。こぼれ球は吉田がヘッドでCKに逃れようとするが李根鍋の駒野へのプレーがファールに取られたと思った吉田がボールを拾いに行った李根鍋を追うのを止めたがイルマトフ主審は笛を吹かずプレーは続けられ李根鍋が朴周昊に折り返し繋がれシュートに持ち込まれた。
ワールドカップ予選でアジアの主審はこういうときでも笛を吹かない時があるので最後まで…と解説者も言っていた。
そして前半は日本リードで終えた。日本リードで前半を終えたのは…あの1998年の Dynasty Cup 以来かな….
でも久々と言うよりも初めて日本が韓国をほぼ45分間圧倒し続けたのを見た。
2追加ゴールそして完封勝ち!
1失点後韓国は朴主永と李根鍋のポジションが入れ替り李根鍋がワントップに入った。朴主永は後半見せ場を創れず58分にはベンチに下がった。これまで各年代代表の試合を含めて何度か彼に苦しめられたがこの試合はまだ来シーズンの所属先が決まっていない中個人練習は続けていたのだろうが調整不足も否めなかっただろう。
日本は先制ゴール後ワントップの李忠成を残してブロックを創って引いていたが後半開始からは再び総攻撃を仕掛けた。
早々に李忠成が倒されて得たFKを本田が直接狙うが壁に当たってCK。遠藤が入れたCKは吉田がヘッドを放つが惜しくも決まらない。その直後には右サイドでスローインを受けた清武が中に入れると李忠成がスルーをし香川のショットを導くが車杜里に当たり決まらない。48分22秒には内田のスローインを李忠成がヘッドで落とし清武が拾って本田に渡すがシュートにやや力が無くGK鄭成龍の正面に。49分6秒には吉田からボールを受けた李忠成を李宰誠が倒してイエローが出される。
劣勢の韓国は52分に李容来、李根鍋を下げ金信旭を1トップに入れて2列目にC大阪の金甫を投入し打開を測るが、その直後に日本に追加点が生まれる。遠藤からボールを受けた香川が左サイドを上がった駒野に送り朴主永をかわしてシュートを放つ。鄭成龍が何とか弾き出すもこぼれ球を拾った清武が中央の本田に送ると本田が数歩バックしながらも放ったシュートは韓国ゴールに突き刺さった。
本田の喜びようを見ると本当にゴールに飢えていたと思った。それは対韓国戦へのゴールだろうか…
その3分後遠藤が奇誠庸からボールを奪うと李忠成、本田を経由して香川に送られ更に右サイドを上がった清武に繋ぐ。清武はそのままドリブルで上がり入れたクロスに香川が走り込んで合わせてリードを3点差に広げるゴールが決まった。
そして長谷部に促されて選手達が天を指さした。 松田にも届いたと思う。
自分は韓国相手に3点目を奪うのを見たのは初めてだった。
それにしても韓国DF陣、李正秀、李宰誠そして金正友は完全にマークが遅れていた。
3点差をつけられた韓国は58分朴主永に替って尹比家林が入る。196cm長身の金信旭が1トップ。2列目には右から具滋哲、トップ下に金正友、左に金甫が入りボランチに奇誠庸と尹比家林が入った。奇誠庸は比較的前に出て来る様になった。
こうなると日本に是非4点目を、出来れば李忠成に決めて欲しいと思ったが57分内田のクロスにそして65分10分前に駒野に替って左SBに入った槙野のクロスに合わせたヘッドは惜しくも決まらなかった。
70分には相手からボールを奪った内田が李忠成とパス交換で抜け出しほぼ中央をドリブルで突破。マークに入った李宰誠、奇誠庸を振り切り放ったドリブルシュートはGK鄭成龍も破ったが右ポストを直撃する惜しいシュートに終わった。これが決まって入れば歴史的な4点差になっていたのに…..
韓国も対日本戦で何とかリードを縮め様とワントップの金信旭にボールを集めゴールを狙う。59分16秒には金正友からのロビングに金信旭が飛び込むが吉田が身体を入れて思う様にヘッドを撃たせない。71分30秒には65分に遠藤に替ってボランチに入っていた阿部のファールで得たFKを奇誠庸がゴール前に放り込み具滋哲がフリーでヘッドを放つがゴールポストの左に外れる。73分20秒には車杜里のクロスに金信旭がシュートを放とうとするもここも吉田が身体を張りシュートコースを外させる。3点差がついていたと言う事もあるが、韓国の決定力不足、そしてこの試合の結果を物語るシーンであった。
後半は車杜里が一人気を吐くシーンが何度かあった。昨年は2大会ぶりにワールドカップ出場を果たした。父親車範根には何度も日本はやられてばかりで本人も“もっとも印象に残っている日韓戦は1972年のアジアユース準決勝戦。代表との試合で接戦だった記憶が無い。”と言われてしまったが、子息はそうは思わなくなっただろう。
結局スコアーは動かず日本が6年振り、そしてホームでは13年振りの勝利を収めた。
2010年2月の東アジア選手権、5月のキリンチャンレンジカップでの連敗、試合内容と比較するマスコミも多いがその試合は共に韓国の方が日本戦の前に試合を入れておりコンディションに差があった。コンディションさえ同じなら昨年10月のソウルでの韓日戦も Asian Cup でも試合内容は互角以上。
韓国はやはり李栄杓の抜けたSBの人材不足そして朴智星の存在が埋まらない事が改めて浮き彫りにされた。
それにしても韓国の選手達、一体どうしたのだろう?いつもの様にがつがつと当たって来る印象が薄かった。それは日本の各選手達のテクニックが完全に韓国の選手達の当たりを凌駕していたと言う事もあるが、コンディションが整わなかったのか?
今回は日本が3点差の勝利だったが、李青龍、池東元がいたら、そしてもう少し他の選手達のコンディションが上がっていればもう少し違った結果になっていたかもしれない。
試合後長谷部が “これで韓国に対日本戦へ苦手意識が植え付けられれば。”と語っていたがそれはこの次の試合結果に委ねられると思う。日本はまだ韓国戦に“連勝”した事が2度しかない。
1974年9月28日に 東京国立競技場で4-1 で勝利を収めた次の韓国戦は翌年8月9日マレーシアで行われたムルデカ大会。車範根、金在漢、李栄武、朴成華、趙栄増、朴商寅そして復帰した金鎮国らを加える等大敗した日韓戦から選手10人を入れ替えた韓国は車範根の3ゴールで 1-3 で完敗し更に約1カ月後韓国ソウルで行われた韓日定期戦でも 3-0 で日本を破り半年後国立競技場で行われたモントリオール五輪予選でも 2-0 で日本を破り ( 翌週ソウルで行われた同予選では釜本の2ゴールで 2-2 の引分け )完敗を完全に払拭されてしまった。
次にいつ韓国と対戦するか解らないがもう一度完勝を収め今度こそこれまでの立ち位置を逆転させてほしい。
いやその前に9月2日に朝鮮民主主義人民共和国を破って対南北朝鮮に連勝を収めてほしい。
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