Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

日本がアジアの壁に阻まれていた時代、マレーシアは

2012-03-10 | Football Asia
確か後半もう42分頃だったと思う。スコアーは 1-1だった。中盤右サイドでFKを得た韓国はマレーシアゴール前に放り込むがマレーシアDFがヘッドでクリアーそしてそのこぼれ球を拾った Hassan Sani が中央を素早いドリブルで一気に上がって行く。1人、2人と韓国選手が置き去りにされ遂に韓国PA内に侵入して来た。そしてそこに3人目の韓国選手がマークに入ると彼の左にはフォローに入っていたジェームス=ウォンがフリーで待っていた。 Sani はJ. ウォンにパスを送ると J. ウォンはそのままシュートを韓国ゴールに蹴り込み再びリードをマレーシアに齎した。

http://www.youtube.com/watch?v=S4aKMUYdWBY&feature=related

これでマレーシアのモスクワ五輪出場がほぼ決まった。
この予選、韓国が絶対本命視されていたのに勝ったのはマレーシアだった。
J. ウォンは予選リーグの日本戦でも後半に貴重な同点ゴールを決めていたストライカーだった。
何度でも言おう。 今から32年前、1980年3月にマレーシアのクアラルンプール、 Merdeka Stadium で開催されたモスクワ五輪アジア地区第3組予選は今でも忘れられない。 
当時はマレーシアで集中開催されたサッカーの五輪予選なんてテレビ中継してくれなかった。だから私は韓国のラジオ局が中継する試合の模様を必死で聴いていた。 韓国語はさっぱりわからないけどサッカー用語は同じだった。 スローイン、フリーキック、ペナルティーキック。そして得点が決まった時、アナウンサーはゴールイーン!!と叫びその後に選手の名前を言う。 
韓国戦( 1-3 で敗れた)の 0-3 からの木村のゴール。そしてマレーシア戦 ( 1-1 で引分け)の碓井の先制ゴールはそのアナウンスで解った。 韓国はマレーシア対日本戦までラジオ中継をしていたのだった。 
もちろんマレーシア対韓国の試合も中継され聴いていた。 予選リーグで韓国はPKを失敗する等 0-3 でマレーシアに完敗。
そして1位、2位が直接対決で予選突破チームを決める云わば決勝戦でもマレーシアが先制し韓国が追い付く展開だった。
韓国には李栄武、趙広来、許丁茂らを擁していた。そしてこの予選会は絶対の自信を持っていた。
しかし最後のジェームス=ウォンのゴールに沈んでしまった。 J.ウォンが決勝ゴールを決めてから試合終了までの数分間、韓国ラジオ局のアナウンサーはすっかり声を失い、地元大観衆の大歓声が良く聞こえた。

予選会終了後の韓国の関係者達の落胆ぶりは大変なものだったらしい。 絶対の自信があったから。
勝ったのは地元のマレーシアだった。8年前ソウルで開催されたミュンヘン五輪予選で韓国、日本を降したマレーシアが2大会ぶりに五輪出場を決めたのだった。
しかし…..マレーシアはモスクワ五輪に出場しなかった。
ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議する為にアメリカ、西ドイツ、日本と言った西側陣営に同調し選手団を送り込まなかったからだ。 このボイコットはマレーシアサッカー界にとって大変なマイナスとなってしまった…..

まだまだ我々は追い付く為にはやらねばならない事がたくさんある

昨日(2月22日) National Stadium で行われたロンドン五輪予選で 日本に4-0 で敗れたマレーシアはアジアのベストチームに追い付くにはまだまだ長い道のりが残っていると言う厳しい現実を突きつけられた
この五輪予選9試合目で最も点差の付いた敗戦を喫し 最終予選Group C の戦いでも5連敗中のマレーシア U-23 チームはイマジネーションに欠け、1対1の球際も強さを見せられなかった。
Ong Kim Swee 監督は日本の様なチームと互角にやる為にはもっと多くの事をやらねばならないと言う事を認めた。
“私は誰もが私達は多くの事をやらねばならないと言う事を見る事が出来たと思う。我々は最初の日本戦(昨年の鳥栖での試合)よりも良いチームに敗れた。 多くの人は我々を 2-0 で破った時の日本と比較できると思う。
“この試合で我々は多くの攻撃オプションを試したがそれがいけなかった。我々は90分間コンスタントに闘う必要がある。我々には日本の様な能力が無かった。そして我々は罰を与えられた。
我々はこのレベルに到達する為には何が必要かを学ぶには良いレッスンだった。 それは我々と良くて、更に熟成されたチームとを隔てるものであった。“ 試合後 Kim Swee 監督はこう語った。
これで1999年以来マレーシアは日本五輪チームには7戦7連敗となった。
そしてこの試合のターニングポイントとして前半終了間際に決まったスコアーを 2-0とする大迫のゴールを上げた。
“あのゴールが我々を終わらせた。 2点差を追いつくのは至難だ。あれがターニングポイントだった。選手達は何とかしようとしたが我々は良いプレーをさせて貰えなかった事を認めねばならなかった。”



2007年4カ国共同開催で行われた Asian Cup 。開催国の中でマレーシアだけが勝点0に終わった。
そして4年後のAsian Cup には本大会に進めなかった。(それは他の3カ国も同じ) 
何故マレーシアはこんなに弱体してしまったのだろう。 

原因の一つにこの国にある“民族問題”があげられる。 1970 年代には人口の大多数を占めるマレー系のみでは無くインド系、華僑系、サバ系そしてサワラク系らが融合したチームだったらしい。それが今ではほぼマレー系のみとなっているらしく、この事は2007年 Asian Cup 終了後、代表選手選考を巡り地元のマスコミに報道されていた。
その他にも賭博に絡んだ八百長問題は後を絶たず最近は衛星放送やペイパーヴューの発達で England の Premiership が
多くの人が容易に楽しめる様になった為に誰も“マレーシアサッカー”に興味を持たなくなってしまったらしい…
それでも国内リーグには多くの観客がスタジアムに詰めかけ、優勝の掛かった試合はスタンドが満員になる。そういうシーンを何度も商用でマレーシアに訪れた時にテレビで見た。(テレビ中継もされる。)
J-League 発足前には日本協会の役員がマレーシアに視察団を送ったらしい。それほどマレーシアはアジアでも屈指の“国内サッカー熱狂国”でもあるらしい。
それにしても代表はいつになったら昔の栄光を取り戻すのだろう。

Mokhtar Dahari, R Arumugam , Soh Chin Aun....
1970年代には親善試合で Arsenal をMokhtar Dahari の2ゴールで 2-0 で破っているらしい。Shukor Salleh, Santokh Singh, Wong Choon Wah, Hassan Sani, Chow Chee Keong, Reduan Abadullah, Isa Bakar, Bakri Ibni, Lim Teong Kim, James Wong , そして Abdula Ari ….
彼らの様な選手が揃う事はも無いのだろうか…



AFC U-22 開幕

今年からアジアで新しい大会が始まる。それがAFC U-22 だ。2年毎に開催され、2015年大会はリオデジャネイロ五輪予選も兼ねるらしい。 
今年6月下旬から2013年決勝大会の予選が始まる。 この予選は東西アジアを2つのグループに分け西アジア23カ国を4つのグループに。日本、オーストラリアを含めた18カ国を3つのグループに分け上位2カ国と一番成績の良かった1カ国そして大会ホスト国の16カ国が決勝大会に進出する。
だけどホスト国はどうやって決めるのだろうか??
日本はオーストラリアと同じ Group E 。予選が6月下旬と言う J-League がシーズン中に行われるのでどういう人選で臨むのだろうか? マレーシアはこの前の日本戦から既にこの大会をにらんでの選手選考であったらしい…..

はやくこの大会の概要が完全に決まらないかな….Group E の予選が日本で行われる事を祈るけど…

原発問題がここでどう影響するか….なんだわなぁ…


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