Mr.コンティのRising JAPAN

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ワールドカップサッカー・アジア予選9

2005-02-07 | Football Asia
1992年11月1日 広島 アジアカップ 一次リーグ 日本1-1 北朝鮮
ダイナスティ杯に優勝を納め、Jリーグ の開幕を半年後に控え、日本国内でのサッカー人気、サッカーファンの市民権もだいぶ上がってきた。 そして開幕したアジアカップ。東アジア勢にはその実力を見せ付けたが、今度はその実力が中東諸国にどれだけ通じるか、そして翌年から始まるワールド杯アメリカ大会予選に向け現在の日本の力を図るには絶好の大会であった。
緒戦のUAE戦を手堅く0-0 で引き分け、第二戦の北朝鮮戦に臨んだ。 試合は開始3分にキム=グアンミンが先制し、ビハインドを追う展開であったが、2ヶ月前のダイナスティ杯で先制を許しながらも4-1と快勝した余裕からか、選手達から焦りは感じられなかった。
しかし、北朝鮮も豊富な運動量で、特にカズを時には二人がかりでマークするなど厳しいチェックでシュートを撃たさない。前半は何と日本のシュート数は0で終えた。
後半になっても余裕からか、攻撃が中へ、中へと展開し、北朝鮮の守備網に引っかかる。65分頃に福田が倒されて得たPKをカズがポストに当ててしまう。 更に福田、ラモスの決定的なシュートが枠を外すなど再び北朝鮮イレブンを勇気付けるいやな展開になりだすが、80分にスーパーサブの中山がコーナーキックからのヘディングで同点ゴールを上げ最悪の結果は免れた。
この中山のゴールはゴールネットを揺らす前にキーパーがはじき出したが、ボールがゴールラインを割ったというラインズマンの判定でゴールが認められるという微妙なゴールであった。
試合終了後、北朝鮮選手団が審判団を取り囲むシーンがあったが、彼らの気持ちも理解は出来ないでもなかった。 日本も慢心が無かったとは言えるのだが、、、、
日本は次のイラン戦でも苦戦を強いられたが、終了直前に井原のパスに反応したカズが値千金のゴールで均衡を破り、ベスト4進出を決め、以降中国( 3-2 ) サウジアラビア(1-0 ) を連覇しアジア王者の称号が戴冠され,翌年のワールド杯予選が大いに期待されることになった。

1993年10月21日 カタール ドーハ ワールドカップ 二次予選  日本3-0 北朝鮮
一次予選で前回アジア地区予選を勝ち抜いたUAEを破り、その勢いをそのままに5月15日、ついに開幕したプロサッカーリーグ、Jリーグ。その爆発的な人気は社会現象になり、同年の流行語大賞にもなった。サッカーが11人で行われる事すら知らない人々がチケットを求めて殺到し、数年前まで“サポーターって医療品ですか?”と真顔でほざいていた局アナがピッチレポートを繰り広げるという何とも白けさせられる日々が続いたが、私はひたすらこのワールド杯二次予選を最大の楽しみにしていた。
だが不安もあった。前年はJリーグ発足前の準備期間でリーグ戦はがなく、リーグ開幕後いきなりこれまで体験したことのない満員のスタンドの雰囲気の中で毎週2回の試合を決着が着くまで、時にはPK戦までこなしたことから選手の体調維持は困難を極め、怪我人が続出。代表では左サイドバックの都並が負傷でこの予選に間に合わなかった。
そのドーハでの2次予選、初戦のサウジアラビアとは無難に 0-0 で引分けたが第2戦は前年のアジアカップの雪辱に燃えるイランのゲームプランにはまり 1-2 と星を落とし、2戦を終え早くも崖淵に立たされた。選手たちは明らかにJリーグの疲労が蓄積していた。
3戦目の北朝鮮戦、累積警告で出場停止の高木、調子の出ない福田に替わって、長谷川、中山が起用され、左サイドバックには三浦泰に替えて勝矢が起用された。 
その勝矢が北朝鮮の攻撃武器である右サイドバック、キム=グァンミンの攻撃参加を完全に封じれば、攻撃陣も長谷川の右サイド突破が北朝鮮のもうひとつの攻撃である左サイドバック、ユン=ジョンスの上がりを抑える事になり攻撃の芽を摘み、日本の攻撃では自らもシュートを放つ中山の豊富な運動量が攻撃の起点になり、完全に日本のペースとなった。
28分にはラモスのフリーキックからカズが頭で合わせて先制すると、51分はカズの突破からの鋭いセンタリング中山が蹴り込み追加点。69分に再びラモスのコーナーキックからカズがダイレクトで合わせて3点目を上げた。
ドイツ人コーチを迎え、欧州スタイルを取り入れようとした北朝鮮であったが、彼らの特徴であった底知れぬ体力、走力が鳴りを潜め試合中盤から運動量が激減し最後まで試合の主導権を握ることは無かった。日本はさらに好機はあったがシュートがポストに当たるなど追加点は上げられなかった。ドーハの悲劇は単に最後のイラク戦のみで語られるべきでなく、イラン戦の敗北やこの北朝鮮の追加点を取れなかったことも合わせて語られるべきである。
この予選の期間、私は海外出張中で試合結果をラジオジャパンのニュースで追いかける日々であった。だが帰国後友人はいってくれた“サッカー狂数十年のお前が見ていなくてよかった。あの瞬間、きっと心臓麻痺を起こしていただろう”

低迷していた時代にはもう戻りたくない。我が代表は約半年後、我々に幸福をもたらして欲しいものである。

<次回はいよいよ北朝鮮戦直前の展望を書きたいと思う>

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