本日は所沢でフットサルに参加しました。メンバーは会社の同僚が中心にその子供達に彼女、そして元社員。全員身内と言うことで和気あいあいと楽しめました。私のこのブログを見る人達は”サッカーやっていたときはどのこポジションでした?”と訊くのだが、私はサッカー未経験者(偉そうなこと書いてすみません)しかし、他のスポーツはバリバリにやっていたぞ、とここで言ってもなんともなんの効果なし。私より15歳以上も年下の若いサッカー経験者はやっぱりちがう。こちらのイメージは Pele や Maradona ( 古いか?)なんだけど技術と体力が... 男女混じってMIX で Game をするので、接触プレーには女の子相手や、子供相手のマッチアップは気を使います。でもこんなに楽しめたのも昨今のサッカー、フットサル ブームのおかげあと10年,15年はやくこんなブームが来てくれていたらなぁ?と思います。バリバリの体育会選手であった学生時代、スポーツに打ち込む私を女子大生達には”ネクラ”の一言で片付けられたのです。ワールドカップはバレーボール。サッカーは子供のやるもの、サッカー観戦なんてなんなのそれ??って殆どの同年代女性は言い放っていたなぁ。劇的に替わったのは J League がスタートした1993年でした。今のスポーツ少年達、スポーツを続けるんだぞよ。スポーツはいいぞ。けっしてネクラじゃないぞよ。とおもいつつ今日のユニフォーム等洗濯にいそしんだ私でした。あぁ明日は筋肉痛が....
トリノ五輪の不振が続く中で今日はフィンランドとの試合が行われる。世界ランク46位は セルビア=モンテネグロ より1つ上で、スロヴァキア の1つ下だ。人によっては仮想オーストラリアともクロアチアとも言われているが、来日メンバー18名の中でDF トニ=カリオの 194cm を筆頭に長身選手が並び180cm以下の選手は5人だけ。さすが北欧という感じだ。今行われている冬季五輪種目(中でもアイスホッケー, ノルディック 種目 )や陸上競技の長距離種目が得意だ。しかし、サッカーでは欧州の激戦を勝ち抜いて世界の舞台に出たという記憶は私には無い。2003年の FIFA U-17大会のホスト国であったが、初戦の中国戦には 2-1 で勝ったものの、続くメキシコ、コロンビアに連敗し準々決勝進出はならなかった。特にコロンビアには 1-9 と完全に粉砕されてしまた。
ワールドカップ予選では Holland, Czech Republic, Romania ら7カ国中5勝1分6敗で4位。しかし5勝は全て下位の Macedonia, Armenia, Andorra から挙げたもので上位3カ国には Czech とのホームゲーム で 3-4 の激闘を演じたのが印象に残るくらいで6戦全敗であった。Finland と言えば、今でも中心選手は Sweden の F.F. Malmö で プレー する Jari=Olavi Litmanen 。かつて Ajax, Barcelona, Liverpool と言った Majour Club に所属した。今の F.F. Malmö も 1978-79 の Champions Cup では ファイナリスト だった。 そのハイライトは1994-95 での UEFA Champions League の タイトル。そして同年の TOYOTA CUP の優勝。しかし、 Litmanen 自身は両方とも途中で下げられ、優勝の瞬間はピッチに立てなかった。その鬱憤の半分は翌年の Champions League の決勝戦、41分に自身この大会9得点目で同点に追いついた時には晴らせのかもしれない。試合は結局PK 戦で Juventus の軍門に降ったが当時の ファン=ハール監督に率いられた Ajax は GK ファン =デルサール デ・ブール 兄弟、ダービッツ、カヌー、クライファート らタレンントが揃いその攻撃の中心は リトマネン であった。そして地元フィンランドでは天才の誕生にサッカーでも世界の舞台へと期待された。しかし 1995年3 月、地元 Helsinki で行われたロシアとの欧州選手権予選の試合で 0-6 と惨敗してしまう。それはスポーツの国際試合での敗戦だけではなかった。フィンランドは元々フン族というアジア系のフィン人が居住していたが、スウェーデンとロシアの2大勢力の相克場となり13世紀末にはスウェーデンの支配を受け時に公国とされた。1809年ナポレオン戦争の結果ロシアに割譲される。しかしその頃からフィン人としての民族意識が高まり19世紀末にからロシア帝政の抵抗が始まった。ロマノフ王朝が倒れた1917年には独立を宣言した。第二次世界大戦中はソ連-フィンランド戦争が起こる。1941年にドイツがソ連に参戦をするとドイツのいる(と言うよりもソ連に対する)枢軸国側についたが、その為に敗戦国となり、以降ソ連との“保護国”関係を保たざるを得なく中立政策を確立していった。そしてソ連邦崩壊後、1995年ようやくEUに加盟し、ソ連の亡霊から脱却出来たのだった。そのロシアに大敗したのだから国民の心境を察するのは容易だ。しかし今、携帯電話の大普及により NOKIA が世界でも屈指の大企業となり、財政は潤い始める。そしてかつての支配国、ロシアが原油バブルで空前の好景気に沸き、物流の窓口としての Helsinki Route が確立している。
今日の日本戦。ワールドカップ予選時の監督ユルキ=ヘリスコスキ氏から引き継いだロイ=ホジソン監督はかつて Inter Milan でも指揮を取った。来日メンバーで先のワールドカップ予選に出場、エントリー をされた選手は10名。DF トニ=クイバスト は9試合に出場したレギュラー格と言えよう。他には トニ=カリオ が5試合に出ているしかし、リトマネン を始め シェフキ=クチィ ( Blackbarn Rovers ) フォルッセル ( Barmingham ) の England 組や予選4得点の アレクセイ=エレメンコ Jr ( レッチェ ) は来日せず。11人がフィンランド国内リーグFinnish Veikkausliga に所属する。国内リーグは気候の影響もあり既に全日程を終えている。(7月頃に始まるらしい)他には Sweden Norway のリーグに所属しており、ダニエル=ショルンド は Budesliga の Werder Bremen に所属する。 日本はこの高い壁をどう破るのだろうか?でも今私はトリノ五輪の Ice hockey の SUOMI ( Finland の人は自国の事をこう呼ぶのです。)の方が気になるのです。
ワールドカップ予選では Holland, Czech Republic, Romania ら7カ国中5勝1分6敗で4位。しかし5勝は全て下位の Macedonia, Armenia, Andorra から挙げたもので上位3カ国には Czech とのホームゲーム で 3-4 の激闘を演じたのが印象に残るくらいで6戦全敗であった。Finland と言えば、今でも中心選手は Sweden の F.F. Malmö で プレー する Jari=Olavi Litmanen 。かつて Ajax, Barcelona, Liverpool と言った Majour Club に所属した。今の F.F. Malmö も 1978-79 の Champions Cup では ファイナリスト だった。 そのハイライトは1994-95 での UEFA Champions League の タイトル。そして同年の TOYOTA CUP の優勝。しかし、 Litmanen 自身は両方とも途中で下げられ、優勝の瞬間はピッチに立てなかった。その鬱憤の半分は翌年の Champions League の決勝戦、41分に自身この大会9得点目で同点に追いついた時には晴らせのかもしれない。試合は結局PK 戦で Juventus の軍門に降ったが当時の ファン=ハール監督に率いられた Ajax は GK ファン =デルサール デ・ブール 兄弟、ダービッツ、カヌー、クライファート らタレンントが揃いその攻撃の中心は リトマネン であった。そして地元フィンランドでは天才の誕生にサッカーでも世界の舞台へと期待された。しかし 1995年3 月、地元 Helsinki で行われたロシアとの欧州選手権予選の試合で 0-6 と惨敗してしまう。それはスポーツの国際試合での敗戦だけではなかった。フィンランドは元々フン族というアジア系のフィン人が居住していたが、スウェーデンとロシアの2大勢力の相克場となり13世紀末にはスウェーデンの支配を受け時に公国とされた。1809年ナポレオン戦争の結果ロシアに割譲される。しかしその頃からフィン人としての民族意識が高まり19世紀末にからロシア帝政の抵抗が始まった。ロマノフ王朝が倒れた1917年には独立を宣言した。第二次世界大戦中はソ連-フィンランド戦争が起こる。1941年にドイツがソ連に参戦をするとドイツのいる(と言うよりもソ連に対する)枢軸国側についたが、その為に敗戦国となり、以降ソ連との“保護国”関係を保たざるを得なく中立政策を確立していった。そしてソ連邦崩壊後、1995年ようやくEUに加盟し、ソ連の亡霊から脱却出来たのだった。そのロシアに大敗したのだから国民の心境を察するのは容易だ。しかし今、携帯電話の大普及により NOKIA が世界でも屈指の大企業となり、財政は潤い始める。そしてかつての支配国、ロシアが原油バブルで空前の好景気に沸き、物流の窓口としての Helsinki Route が確立している。
今日の日本戦。ワールドカップ予選時の監督ユルキ=ヘリスコスキ氏から引き継いだロイ=ホジソン監督はかつて Inter Milan でも指揮を取った。来日メンバーで先のワールドカップ予選に出場、エントリー をされた選手は10名。DF トニ=クイバスト は9試合に出場したレギュラー格と言えよう。他には トニ=カリオ が5試合に出ているしかし、リトマネン を始め シェフキ=クチィ ( Blackbarn Rovers ) フォルッセル ( Barmingham ) の England 組や予選4得点の アレクセイ=エレメンコ Jr ( レッチェ ) は来日せず。11人がフィンランド国内リーグFinnish Veikkausliga に所属する。国内リーグは気候の影響もあり既に全日程を終えている。(7月頃に始まるらしい)他には Sweden Norway のリーグに所属しており、ダニエル=ショルンド は Budesliga の Werder Bremen に所属する。 日本はこの高い壁をどう破るのだろうか?でも今私はトリノ五輪の Ice hockey の SUOMI ( Finland の人は自国の事をこう呼ぶのです。)の方が気になるのです。