Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

6.12 対日本戦 Socceroos のスタメンはこれだ !!!!!! ?

2012-06-12 | 夏季五輪

いよいよワールドカップ予選の前半戦の山場、アウェーのオーストラリア戦を本日迎える。
現地からの報道によると前日の6月7日は雨が降っていた。そしてピッチ状態は3日前にラグビーの試合があったらしくやや乱れ気味。
試合前にもまとまった雨が降ったりするとピッチコンディションはホームのオーストラリアに味方する様になるだろう。 そして更に追い討ちを掛けるようにCB今野が発熱で前日練習を休んだと報道された。 
それでもオーストラリア側も20時間近く掛けてオマーンから移動し日本よりも後に“オーストラリア入り”した Socceroos は Lukas Neil 主将をして
“英国のブックメーカーではオーストラリア有利としているが我々は Underdog ( 負けそうな闘犬) である。”と弱気な発言が新聞紙上で見られた。

 Travel-weary Socceroos the Underdogs
試合の行われる Suncorp Stadium には40,000人以上の観客動員がよそうされるが、その熱気をしても週末の長距離移動を終えた Socceroos の調子を上げられるのは厳しいと心配されている。
日本は土曜日の夜にオーストラリア代表よりも早くしかも短いフライト時間で東京からブリスベン入りしておりここで2度の全体練習を行っているがオーストラリアは1度だけだ。 
Neil は日本の準備体制が更に日本を強くしていると信じている。
“このゲームは重要だ。なぜなら我々のホームゲームであり我々が臨む試合全て最大の勝点が必要である。 しかし現実を考えればこの試合は日本有利だ。
彼らはホームゲーム2試合をこなしておりそれが良い準備となっている。 我々より早く日本はここに現地入りしている。そして彼らは自信に満ちている。 そして大変組織的なチームである。
しかし悪いことばかり見るのは意味がない。 我々は Underdog のタグが好きだ。 我々は大変タフな試合に臨むことは解っているが、試合はファンタスティックなものにり我々が勝てる試合でもあると信じている。 日本はここで勝点を9に伸ばすことを信じているが勝点7でも受け入れるだろう。” 

その一方で Neil は試合の日程について言及する。 “ 日本がFIFA Confederations Cupへの出場権を得たことが試合日程に好影響を及ぼしている。そのしわ寄せがこちらにも来ている。 ” 
とも地元紙に述べている。

      
 
Holger Osieck 監督は“ 日本は大変強い。2連勝をしたことは大変な自信になる。そしてそれに乗じることが出来る。 今やスケジュールは日本に有利に働いている。しかし我々はここにプレゼントを与える為にいるのではない。 例え日本がトップチームであっても我々も同じようにいいチームであることを示しそして自分たちの結果を目指す。”

Osieck 監督はオマーン戦とあまりメンバーを変えないと思われるが、 名古屋グランパスのストライカー Josh Kennedy のと組む FWには Harry Kewell よりも清水エスパルスでプレーする Alex Brosque の起用が予想される。 Tim Cahill はもし Kennedy が起用されればベンチスタートとなるだろうが、 Osieck 監督は “ Tim は絶対的に常にスタメン候補である。”と地元紙に語っている。

Socceroos coach not ruling out Cahill
日本戦に向けて地元では“日本キラー”の Tim Cahill に期待が掛っているが、オマーン戦はベンチスタートで最後まで出番が無かった。2006年6月12日灼熱のカイザースラウテルンでの2ゴール。
2009 年6月17日 M.C.G でのワールドカップ予選最終戦。Cahill は連続ゴールを奪い日本から逆転勝利をもぎ取っている。 オマーン戦では90分間ベンチに座らざるを得なかったが
“オーストラリアは Group B のトップを行くホームゲームで2連勝し9得点も挙げた Japanese juggernaut ( 日本の巨大な破壊力 ) をとめるには something special が必要である。 そして Osieck 監督は Cahill を“常にスタメンのオプションである。”と話している。
“チームを見渡すとリストにある誰もがピッチに出られる可能性を持つ。 まだ Tim を起用するかどうかは決めていないが彼は常にスタメンのオプションだ。”
スタメンではないにしてもワールドカップドイツ大会の時の様に試合の途中から出てくるかもしれない。 



Now payback time for Socceroos
Socceroos が延長戦の末敗北を喫したAsian Cup 2011決勝戦 から18ヶ月が経った。しかし Sasa Ognenovski は決勝戦の夜の痛みが自分たちのチームにこのワールドカップ予選においてリベンジの意思を引き出すことが出来るほど奮起させると信じている。 Ognenovski は Asian Cup を機に代表入りが定着したが、カタールの地を離れるときに多くの他の Socceroos 達が今でも少しばかり日本と同じ様に自分たちも勝者に値していたと信じている。 あの決勝戦をプレーした選手としてそれは大きなモチベーションとなる。あの試合、我々は恐らく勝利すべきだったと感じているし、12日の日本戦では結果を残せることを望んでいる。 我々はそういう試合を臨むにあたり必要なモチベーションを手に入れた。我々は全力でプレーし正しいと思うことをやるまでである。 日本は更にスケールアップしている Alberto Zaccheroni に導かれたチームは Shinji Kagawa, Keisuke Honda, Yuto Nagatomo, Atsuto Uchida そして主将のMakoto Hasebe らドイツやイタリア、イングランドでも有数のクラブで中心選手となっているメンバーが含まれるゴールデンチームとなっている。

しかし Socceroos 日本の独裁を喫するわけにはいかない。 

“どういう試合展開になるかによるが、日本はカウンター狙いとなるだろうが、それはよくわからない。立ち上がりの10分か15分で彼らのゲームプランがわかりそれが我々のゲームプランとなるだろう。”
日本が最初の2試合をホームで戦ったがオーストラリアは最初の4試合の中でホームゲームはこの日本戦だけである。 従って日本戦にかてればワールドカップ予選突破に向けて大きく前進することが出来る。 
“明らかに、ホームゲームで大観衆の前でプレーするのは大きな違いである。特にそれがタフな相手であれば。 彼らは自分たちのスピリットを上げてそれがチーム状態を押し上げる。すばらしい競技場の大観衆の前でプレーすることは違う。 もし全てのホームゲームで勝利を納め、アウェーゲームで引き分けられれば予選突破に大きく近づく”  Ognenovski はこのように結んでいる。 ポジション別に予想するスタメンは下記の通り。

GK Shcwarzer は“鉄板”
Fullham でプレーする Mark Schwarzer 以外にありえない。 オマーンの Al Habsi そして Schwarzer がアジア No.1 GKの座を争っているといえる。
日本は幸運にも早い時間に オマーンから先制ゴールを奪い終始主導権を握りながら戦い続けられたが、今日のオーストラリア戦も早い時間に先制ゴールを奪うのが理想だ。 しかしSchwarzer からもゴールを奪うのは容易ではない。 ただここ数年 Schwarzer の神通力も歳と共に下降気味。南アフリカ大のアジア地区最終予選では最終戦で闘莉王にヘッドを決められるまで7試合連続無失点を記録していたが3次予選では既に5失点を喫している。(最後の2失点は最終予選進出が決まったあとのサウジアラビア戦)  GKの失点数は決してGKだけの責任ではない。それだけDF陣が前回ほど強固ではないのかもしれない。
このワールドカップ予選にはいつも第二GKとしてベンチ入りしている Adam Federici が怪我で離脱したのでかつての香川の同僚、 Borssia Dortmund のGK Mitch Langerak が第3GKとして選出された。

   

DF スピードには対応出来る様になったが…
2年前のワールドカップ初戦のドイツ戦。アジア No.1 のオーストラリアがどれだけドイツとやるか楽しみにしていた。
しかしその期待は10分も持たなかった。開始8分に Podolski に先制ゴールを決められ26分には Klose に追加点をあっさり許し…アジア諸国が打ち破れなかった屈強なDF陣が紙の様に引き裂かれ、GK Schwarzer が最終的には4ゴールも許すなんて….. ショックでたまらなかった。 
Öezil, Müllar といった早い中盤に Neil をはじめDF、MF陣は完全に後手を踏んでいた。そして同時に日本もこうやれば予選でオーストラリアいに苦戦しなかったのではと思った。
3次予選ではのべ11人のDFがベンチ入りをした。その中でも中心となるのが今でも Lukas Neil 。34歳になった Neil は3回目のワールドカップ出場を狙うが。
所属先の UAE Pro-League の Al Jazira との契約を延長できなかった。 ACLの Roud 16 で敗れたことと昨シーズンチームが4位に終わったことのスケープゴードとされている模様。 隣国のサウジアラビアか A-League への帰還。はたまた中国超級、 K-League 入りも噂されている。 ここは愛するサンガがとってくれないかなぁ?と思うけどサンガも若いCBはいるからなぁ…..

Neil と組むCBは個人的な希望は浦和 REDS でプレーする Matthew Spiranovic の起用を期待したいところだけど、恐らく Sasa Ognenovski だと思う。
ただ3次予選での出場暦は Spiranovic が5試合。Ognenovski が2試合。 本来ならサウジアラビア戦の様にSpiranovic とOgnenovski がCB に並ぶのが“世代交代”がうまく言っていると言う証明であろう。 右サイドバックは Luke Wilkshire 。ワールドカップドイツ大会そして2009年のメルボルンで行われた南ア大会の日本戦にも出場している。2001年FIFA U-20 アルゼンチン大会の日本戦でも69分から出場しており試合は Young Socceroos が 2-0 で日本U-20を破っている。 Asian Cup 2011 決勝戦でも出場しているがワールドカップ絡みでは今のところ対日本戦負け知らずだ。 



左SB にはウズベキスタン FC Bunyodkor でプレーする David Carney. 何度も言うが Carney は本来攻撃的な選手。 彼はむしろ中盤から前で起用されたときのほうが怖い。
3次予選では当時の所属先 Blackpool, AD Alcorcon ( スペイン ) で出番が無く最後のサウジアラビア戦で8分間プレーしたのみであったが、 来シーズンから Aston Villa でプレーする Chris Herd の怪我による離脱、新天地 FC Buyodkor での活躍が評価されてオマーン戦ではスタメンフル出場を果たした。Osieck 監督になって試合途中から左SB からMFにあげられることもあった。 
そうなったときの方が危険だ。 

  

DF陣はかつて Neil と Craig Moore が鉄壁のCBコンビでもあったがワールドカップではスピード不足が露呈された。 両SB は攻撃力があるが肝心の守備にやや難がある。彼らがあいた裏のスペースを突けば Socceroos の攻撃は減退するだろう。 南アフリカ大会予選での日本はがっちり固められた守備網の中割って入るような動きは少なかった。しかし今は本田、香川らがドリブルでその中に入ってくるのが大きく変わったところ。それに対応できるか??

世代交代の中盤は…
かつて定番だったボランチ、攻撃的MF Jason Culina と守備的MF Vince Grella は Asian Cup 2011 以降召集されていない。
替わって Carl Valeri ( Sassuolo ) , コンサドーレ札幌でプレーするJade North,  Michael Jedinak ( Crystal Palace ) そして Mark Milligan (JEF 千葉 ) らが起用される様になったが、12日の日本戦はまず Carl Valeri は当確だろう。 もう一人は Mile Jedinak か?サイドバックが上がったときにその後方を Jedinak は埋めるのがうまい。  守備的なスタメンというならば Jade North か?

2列目はワントップか2トップかでかなり替わってくる。 ワントップだと左に Asian Cup 2011 でブレークした Matt McKay ( 釜山 アイコンズ ) トップしたには Alex Brosque ( 清水エスパルス ) そして右には御夫人の第二子出産でオマーン戦に合流できなかった Brett Holman ( Aston Villa ) が配置されると思う。  オマーン戦ではサウジアラビア戦で代表に復帰した Mark Bresciano ( Al-Nasr ) 起用されたが32歳と言う年齢からくるスピード不足で日本戦はスタメンは厳しいだろう。 

  

確かに Bresciano はすばらしいクロスをあげてくるが。 要注意は清水エスパルスで活躍する Alex Brosque 。その才能は高く評価され続けるも前政権の Verbeek 時代はまったく召集されず、
J-League の清水移籍後その才能が大爆発。 J-League を良く知る Holger Osieck が代表監督に就任したことも幸運だったがこれまでの不運を一気に取り返す活躍。こういう選手は一番怖い。

       

ワントップか2トップか
最も物議を醸しているポジション。 Verbeek 時代はワントップが主流でそのために Scott McDonald が最後にワールドカップメンバーからはずされた。
Osieck 政権になり、ワントップも2トップも起用されている。 もし Josh Kennedy の体調がよければ Kennedy のワントップで決まりだろう。 
そしてコンビを組む2列目は Brosqu だと思われるが、2トップなら Brosque と Cahill または Harry Kewell 。とにかく Brosque が主軸だろう。 日本のCB、吉田が離脱。今野が出場微妙となれば Kennedy のワントップになるだろう。 ただ前半は Kennedy を温存し2009年2月、横浜での日本戦の様にCahill のワントップ となるか?
2009年6月17日MCG での豪日戦は中澤が試合前に風邪で離脱。阿部が急造CBとして闘莉王と組んだが Cahill に連続ゴールを許した。 “CBに中澤がいなかったのが大きかった。”試合後  Cahill はこのように語った。 あの時は Kennedy のワントップに Cahill がトップ下だった。



私が独断で予想する Socceroos のフォーメーションは下記の通りか?

                              Josh Kennedy
                                ( 名古屋 )

           Matt Mckay            Alex Brosqe        Brett Holman
            ( 釜山 )                ( 清水 )           ( Aston Villa )

                Jade North                        Carl Valeri
                 ( 札幌 )                         ( Sassuolo )

      David Carney       Sasa Ognenovski    Lucas Neil     Luke Wilkshire
      ( FC Bunyodkor )         ( 城南 )                ( Dynamo Moscow )

                             GK Mark Schwarzer ( Fullham )

何人あたるだろうか? 

Osieck 監督が就任しようやく世代交代が進んだか?
Craig Moore, Michael Beachamp, Scott Chipperfield, Mile Sterjovsky, Jason Culina, Vince Grella といったレギュラーは召集されなくなり、Ruben Zadkovich, Ricard Garcia そして Scott McDonald まで呼ばれなくなってしまった。それだけに Bresciano の召集は少し驚いたけど。


この試合残念ながら現場観戦できい。試合後“あ~ぁ、あの試合見に行ったらよかったなぁ~”という試合結果をもたらしてくれる事を願う。 


Qantas Socceroos beaten by Denmark Denmark 2-0 Australia 2nd June 2012

2012-06-12 | 夏季五輪
日本がオマーンを 3-0 で降した前日。 Copenhagen に遠征した Australia 代表は Denmark 代表に 0-2 で敗れた。
オーストラリアは予選の日程が日本と異なり初戦は6月8日のアウェーでのオマーン戦だった。 
その“準備試合”として Denmark 代表と対戦する事となった。 
Denmark の方も6月9日に欧州選手権 EURO2012 の開幕戦オランダ戦を控えての最終調整試合であった。
Denmarkと言えば今でも多くの人が忘れられないだろう、ワールドカップの1次リーグ最終戦で日本が 3-1 で破った相手。今でもデンマーク人の顧客にはかならずこの試合の話をする事にしている。
あれから2年。 FIFA ランクも10位にまで上がった Denmark のこの日のスタメンはワールドカップの日本戦に出場した CB Daniel Agger, 左SB Simon Poulsen, 右SB Lars Jacobsen, MF Chrstian Eriksen, Daniel Rommendahl そして ArsenalでプレーするFW Nicklas Bendtner ら6選手がスタメン出場。



1週間前にブラジルに 3-1 で敗れた時のスタメンから4人を入れ替えて臨んだ。本田、遠藤のFKを浴びた GK Thomas Sorensen はブラジル戦の前半25分に負傷を負い Stephan Andersen と交替でベンチに下がり EURO2012 のメンバーからも離脱をせざるを得なくなった。 



オーストラリアは2月のサウジアラビア戦のスタメンから Mark Milligan, Sasa Ognenovski を下げて Luke Wilkshire, Mile Jedinak を DF ラインに投入し、Brett Emerton, James Troisi に替って MF Matthew McKay そして Hyundai A-League 、 Melbourne Victory のFW Archie Thompson がスタメンで起用された。
Josh Kennedy, David Carney は ACL の試合で合流できず、 来シーズンから Aston Villa でプレーするBrett Holman は2人目の子供の出産に立ち会う為にデンマーク遠征には参加しなかった。
スタメンの平均年齢は30歳を越え、6年以上に亘り代表でプレーし続けているMark Schwarzer, Lucas Neill, Luke Wilkshire, Mark Bresciano and Harry Kewell  らを、そしてつい最近代表入りした Matt McKay, Mile Jedinak, Matt Spiranovic, Alex Brosque そしてArchie Thompson, Jade North といった中堅の選手で構成された。



試合は地力に勝る Denmark が前半32分、デンマークの Daniel Agger 主将がPKを決め、後半68分に Andreas Bjelland が追加点となるゴールを上げて2-0 でオーストラリを退けた。
開始早々からホームのデンマークが主導権を握り、 Rommedahl , Bendtner が相次いでオーストラリアゴールにシュートを放つ。 特にオーストラリアの左サイドをどんどん突いて来る。
オーストラリアも Luke Wilkshire が Simon Poulsen と競り合いながらHarry Kewell にボールを送り Alex Brosque に Thompson, Jedinal を経由して送られ Brosque はシュートに持ち込むが弾道はポストの横に外れて行く。

6分には Agger のワンタッチパスから、7分には Eriksen からのパスから共に Bendtner がシュートを放つ。
32分、 Agger がオーストラリアPA内に侵入し Eriksen からのヒールパスを受けてシュート体勢に入ろうとしたところをとマークに入った浦和レッズ所属の Matthew Spiranovic に倒されPKを得ると自らPKを蹴り込みデンマークが先制をする。



リードを許したオーストラリアは3次予選のサウジアラビア戦から代表に再召集された Mark Bresciano が2度ミドルレンジからシュートを放つがゴールネットは揺らせない。
後半に入り Kewell が相手のバックパスのミスを拾って放ったシュートはゴールの枠を逸れて行く。その直後 Kewell がヘッドで落としたところを Brosque がショートに持ち込むがGK Andersen の正面に。 Brosque のシュートは利き脚で無い右脚で放ったシュートであった。
さらに左サイドを上がった Thompson から中央の Jedinak に渡り前線の Brosque へ縦パスが通るが Brosque のショットはわずかに外れた。この一連の動きはこの試合一番目を見張るものだったらしい。

68分には Matthew Spiranovic のバックパスを拾った Bendtner が Schwarzer の守るゴールを破り追加点を上げた。



この試合で2失点に絡んでしまった Spiranovic はオマーン戦のスタメンから外れてしまった。



オーストラリアは追加点を決められる前の65分に Mile Jedinak を下げて Mark Milligan を, Archie Thompson を下げて David Carney を投入する。69分には Harry Kewell, Luke Wilkshire を下げて Tim Cahill, Robbie Kruse を投入する。 この試合も Kewellと Cahill が同じピッチでプレーする時間は無かった。
75分には Mark Bresciano に替って Neil Kilkeny が投入されるが最後までゴールは奪えなかった。




Result flattered Denmark, says Archie

2010年 Holger Osieck が最初に Socceroos の指揮を執って以来4敗目を喫した Socceroos であるが Archie Thompson はこの敗戦をあまり深刻には受け取っていないようだ。

“2-0 と云う結果はデンマークをそれ以上に喜ばせるものだと思う。彼らは前半は特に素晴らしいプレーを披露した。しかし後半は我々もチャンスを作りそのうちいくつかは決められるべきチャンスだっただろう。 この試合はどちらかと言えばオマーン戦への準備試合。肯定的なものはよくとらえ、否定的なものは修正しオマーン戦がどうなるか見てみたい。”

この試合の Thompson は左サイドから Alex Brosque と共にチャンスを何度も演出していた。

“今日の終わりには、決めなければチャンスであったと思うだろうし、私が出来た事はチャンスを決めるポジションにいたと思われる事だ。ただこれは親善試合だ。また別の試合では恐らくもう少し後悔していただろう。私はこの試合で他の選手達と共にゴールを決められるチャンスを作った事に良い感じを掴めた事に満足している。 もしそう言ったチャンスを決められなけれは、オマーン戦でも日本戦でも厄介な事になるだろう。”  Brosque はこう語った。



この試合の1週間後、EURO2012 の初戦に臨んだデンマークは見事に 1-0 でオランダを降し2年前のワールドカップの雪辱を果たした。 日本はここまだワールドカップ、予選、Asian Cup では90分間でオーストラリアを降した事は無い。

それが明日6月12日に実現する事を願う。    続く

前半最大の山場 対 Socceroos に向けて Oman 0-0 Australia 8th June 2012

2012-06-11 | 夏季五輪
日本がヨルダンに大勝した翌朝。窓の外は雨が降っている。この雨は1日中降り続いた。 私はMuscat で行われた Oman vs Australia の結果を調べるべく早速AFC のサイトにアクセスした。 

Oman 0-0 Australian という文字が目に飛び込んで来た。

3次予選でも両国は対戦しており、その時は Oman がホームでは 1-0 で勝利を納めていた。それだけに少し期待していたのだが…

初戦、日本に 0-3 で敗れたオマーンはスタメンを3人替えた。DF Al Owaisiに替って3次予選全てスタメンフル出場していた Mohamamed Albalushi が起用され、日本戦ではスタメンだったMF Ali Farah に替って Ashoor Al Ajma が起用される。日本戦ではスタメンが Ali Farah 、66分に Ali Farah に替って Ashoor Al Ajma が3次予選のオーストラリア戦 (キャンベラ) 以来のスタメン起用。 またもう1人の MF Ahmed Hadid に替って3次予選ではキャンベラで行われたオーストラリア戦のみ起用された Al Mukhaini がスタメンに。 
日本戦では起用しなかった本来はレギュラーDFのAl Balaushiを、そしてアウェーのオーストラリア戦で起用された選手をスタメンに起用するあたりLe Guen 監督がホーム初戦に掛けているのが良く解った。





一方の Socceroos は6月2日に行われたデンマーク戦からスタメンを4人替えたスタメン。
GK はいつもの Mark Schwarzer。4バックのDFラインは Lucas Neil と組んだCBは浦和REDS でプレーする Matthew Spiranovic ではなく K-League 城南一和でプレーする Sasa Ognenovski 。左SBにはACLの試合の為にデンマーク戦に出場出来なかったウズベキスタンのブニョドコールでプレーする David Carney 。右SBには札幌でプレーする Jade North 。
Luke Wilkshire。ボランチにはが守備的MF. デンマーク戦は所属先のイタリア Sassulo の Seire B のプレーオフの日程と重なった為出場出来なかったCarl Valery が起用とデンマーク戦に続いてMatthew Makay。 2列目には左サイドにMark Bresciano 。右には Luke Wilkshireがそれぞれデンマーク戦に続いて起用された。前線は Harry Kewell, エスパルスでプレーするAlex Brosque と云うデンマーク戦と同じ2トップ。
ACL の為にデンマーク戦を欠場した名古屋グランパスエイトのFW Josh Kennedy 、中東行きの噂のある Everton 所属の“日本キラー” Tim Cahill,  Asian Cup でブレークした Robbie Thomas Kruse , デンマーク戦では途中出場だった Neil Kilkenny らはベンチスタート。 来シーズンから Aston Villa は御夫人の出産の為にデンマーク戦に続いてワールドカップ予選最終予選初欠場となった。



日本戦と異なりさすがにホームでのオマーンは積極的に前に出て来たらしい。 それにオーストラリアには7か月前に勝利を納めている。その時にプレーしたメンバー7人がこの試合のスタメンに。 
Socceroos は GK Schwarzer, Neil, Wilkshire, Valely , McKay , Kewell の6選手のみ。 DF Rhys Williams の怪我が痛い??

開催国側はまだ気温が40度程である午後5時のキックオフ時間を主張した。
Socceroosのゲームプランは明確だった。消耗を避けポゼッションを上げて試合のテンポを遅らせる。そして試合開始時はオマーンに主導権を握らせる。

試合前の記者会見では Neil 主将は天候とオーストラリアは決して対戦相手を甘く見ていないと言う内容で答えを出している。
“天候はどちらにとっても同じ要素だ。 どちらかと言えばオマーンの方が暑さ対策をよく準備しているに違いない。 しかし我々も気候に慣れる為にここに来るのが比較的早かった。 そして暑さを試合結果の要因にするつもりはない。 
6月2日に引け分けたデンマーク戦よりも次のオマーン戦に向けての方が選手達は自分達のエネルギーを試合に集約させようとしている様だ。
“我々は自分達のパフォーマンスを上げる事に集中している。 デンマーク戦のビデオから自分で分析しながらもデンマーク戦の出来にはあまりとらわれすぎずに過去のオマーン戦のものから分析をする。
例え天候が仕合のペースを遅くするであろうが、 Neil と Socceroos は例えどんな結果になろうとも準備は怠らない。
“誰も試合がどうなるかなんて解らない。なぜなら相手がどんなペースで来るか解らないからだ。 我々は出来るだけ経済的に効率よく試合を進めたいが、ゲームの状況は我々が望んだものと違った展開にもなるだろう。 しかし、常に100%その通りに試みても天候だけはどうなるか予想するのは不可能だ。 もし試合が我々の望む様に歩く様なペースで進めば素晴らしい事だが現実の状態を踏まえてプレーをし、どんな事が起ころうとも発汗量をコントロールせねばならない。” 


開始6分に Sasa Ognenovski がイエローカードを受け10分には中央から Al Hosni がヘッドを放つが Schwarzer の正面に。
そして徐々に主導権を握りだした Socceroos は David Carney, Carl Valeri がロングシュートを放つが GK Al Habsi がナイスセーブでクリアー。 Valeri が35分に放った 12m のショットは Harry Kewell からのパスを受けたもの。
気温も下がり始めた後半、オマーンが徐々に試合を押す展開に。
Al Hosni の56分に放ったヘッドは Schwarzer がファインセーブで左側に弾き出してストップ。 Al Hosni は地面を叩いて悔しがった。昨年11月に Muscat で行われたオーストラリア戦では中央から決勝ゴールを決めている。 
59分には Harry Kewell が下がり同じ Melbourne Victory でプレーする Archie Thompson が投入されるが次に決定機を演じたのも Al Hosni 。アクロバティックなボレーを放つが弾道はサイドに外れて行った。
75分に Alex Brosque が Thompson からボールを受けシュートに持ち込むが Al Habsi がブロック。
82分には Brosque, Thompson がゴール前に迫るが得点には至らなかった。 
83分、 Luke Wilkshire に替って Robbie Kruse が投入され Thompson に絶妙のラストパスを送るがまたも Al Habsi が Thompson のシュートをストップ。ロスタイムにも Thompson はヘッドを放つがサイドに外れてしまった。

Schwarzer ( Fullham ) , Al Habsi ( Wigan Athletics ) 共に English Premiership でプレーするGK。
アジアで1,2を競うGKが連発するファインセーブがお互いに失点を許さず 0-0 のドローとなったと言えるだろう。



試合後Luca Neil 主将は試合結果に満足しているとのコメントを残す。
“我々は勝点1を得られて満足している。 エアコンの効いた部屋でテレビで試合観戦をする分には我々がどんなコンディションの中で試合をしていたかわからないだろうが、選手達を誇りに思う。  ( 来週の火曜日 ) は大変重要な試合になる。ブリスベンの大観衆の声援がやや疲労した身体を後押しするのに役立つだろう。”  

他の選手達も暑い気候に就いてコメントを残した。
Carl Valeri は “試合前は 1.5kg はオーバーウェイトであったが試合後はそれも解消された。 78kg あったであろう体重が仕合後74.5kg nになった。 かなりの汗をかきそれは私を疲れさせるものであったがメディカルスタッフはファンタスティックであった。彼らはよく面倒をみてくれた。

Harry Kewell はこのコンディションを他に同じ組に入った国々に警告を発した。
“アジア地域にはいったと云う事は、こう言う事も克服せねばならないと言う事だ。対戦相手のみでなく天候も同じ事だ。我々だけがここで午後5時からのキックオフ時間を迎えるわけではない。 他の対戦相手も難しい試合になるだろう。” 

またも好セーブ連発でチームの窮地を救った GK Schwarzer は少なくともキックオフ時間をあと1時間遅らせればもっと違ったレベルのプレーが出来たと強調。 
この時期に午後5時からプレーするなんて馬鹿げている。 あと1時間試合を遅らせれば違った事になっていただろう。しかしオマーン側は少しでも自分達に有利になる様にこの時間のプレーを望んだ。
Holger Osieck監督はこの状況下での試合が選手達にとって大変難しいものになった事を認め、彼らの勝点1を納めた努力を “ superhuman “ と称賛した。



“この状況下と気温の下で引き分けられた事に満足している。 選手達は素晴らしく、相手チームに若い良く走る選手がいるにもかかわらず引き分けられるぐらい上手く試合をコントロールした。まず第一に勝点1を得た。 第二にこの環境を化が得ねばならない。試合に先駆け私には懸念があったがこの日の選手達がやった事は superhuman で、この競技場に来た人でなければその意味は解らないだろう。 オマーン戦はもう終わった。 我々の集中は我々が長い移動距離を掛けてホームに帰還する一方で、それより短い移動距離で我々よりコンディションの少し良い日本との試合に向けねばならない。”


日本も2008年にオマーンで試合をした時は 2-2 の引分けだった。

Kennedy を温存し、 Holman が日本戦にはおそらく合流できるであろう Socceroos はオマーン戦よりはパワーアップしたチームとなるだろう。 Cahill も起用されると思う。

今度こそ日本がワールドカップ予選でオーストラリアから勝利を上げてくれる事を願う………続く


ゴールラッシュで連勝。さあ豪州征伐だ !! 日本 6-0 ヨルダン 8th June 2012

2012-06-10 | 夏季五輪
あと何ゴール決まるのだろう。得点は多ければ多いほど良いのはわかっているけどこれはワールドカップ予選。目の前で起こっている事が少し信じられなくなって来た。 まぁこう言う事なら良いのだけど。周囲の席は何故か女性ばかり。私よりも年配と思われる方も多かった。 試合終了まであと2,3分かなぁ.. バックスタンドのサポーター達が手を振って連呼するリズムに乗って彼女達も手を左右に振ったり握りこぶしを突き上げたり。 本当に幸せな時代だ。僅か?20年前なら全く考えられない。大体女性と云う生物は何故スポーツをする男性の事を馬鹿にするのだろう? 自分達もマハラジャやジュリアナでは結構な運動量を披露しているのになぁ~と思っていた時代はまだ社会の教科書に紹介される程古い事象の事ではないのだけれど。
90分が過ぎ、韓国人の金東慎主審のタイムアップのホイッスルが鳴った。5日前にも勝るとも劣らない大歓声が沸き上がった。
それにしてもヨルダン、こんなに弱かったかなぁ? オマーンよりも強いと思っていたんだけど….

オマーン戦の快勝から5日後のヨルダン戦。この日は金曜日。会社はあるがこういう大切な日はいつもは普段の売上実績をたてに誰が何と言おうと午前11時には会社を後にするのだけどこの日はあいにく出張者や見本市のアテンド者が相次ぎ少なくとも社則に定められた終業時刻まではいなければならなかった。
定時を数秒過ぎて会社を後にし直接さいたまスタジアムに向かうがいつも通勤で使う埼玉高速鉄道は大変な混雑に加えその影響で遅れる始末。 朝の通勤時でもこれだけ混む事はなく、ましてや混雑で遅れる事等皆無に近かったのだけど。
スタジアムに入る直前に両チームのスタメン発表が始まり着席した時はキックオフの5分前あった。
オマーン戦の座席はカテゴリー2.このヨルダン戦はカテゴリー1であったが、後方だったので2階席に遮られてバックスタンドの後方に設置されているスクリーンは見られなかった。 全体の見晴らしもカテゴリー1クラスとはとても言えず、オマーン戦で観戦したカテゴリー2の方がずっとよくピッチを見られた。 それに後方には香取慎吾ちゃんや石橋貴明らも来ていたし….
もうこれからカテゴリー1のバックアローは買わない。 カテゴリーのホームアローが無ければカテゴリー2を選ぼうとこの時誓った。

日本のスタメンはオマーン戦と同じメンバー。ヨルダンは前節のイラク戦から4選手を入れ替えた。
4バックのDFライン、⑲Anas Bani Yassen と組む CB は⑧ Bashr Bani Yaseen ではなく② Mohammad Munir。Asian Cup 2011 では日本戦を覗く3試合にスタメンフル出場したが3次予選は最終戦の中国戦以外はベンチにいて出番が無かった選手。右SBにはベテラン31歳の ⑮Shadi Abu Hashhashに替って本来MFの⑬ Khalil Baniateyah が回ってきた。④ Baha’a Abdulrahman と組むボランチは常にベンチ入りは果たすのだがAsian Cup 2011では出番が無く, 3次予選では初戦のイラク戦、最後の中国戦の2試合合わせて17分しか出場時間が無く、イラク戦でも最後までベンチで過ごした⑥ Saeed Al Mur が起用され、攻撃陣は2トップ⑩ Anmed Hayel Ibrahim とルーマニアの Gaz Matan Medias でプレーする ⑱ Ther Al Bawab が初めて起用された。イラク戦スタメンだった ⑳ Hamza Al Daradreh はベンチスタート。 2列目右サイドはイラク戦に続いて⑨ Odai Al Saify 。左サイドにはイラク戦では ⑮ Al Daradeh に替って後半から投入された⑭ Abdallah Deeb Salim が起用された。 
Asian Cup 2011 の日本戦のスタメン出場経験者は GK Amer Shafi, ④ Baha’a Abdularahman ⑨ Odai Al Saify ⑭ Abdallah Deebの4選手のみ。⑧ Bashr Bani Yaseen ⑮Shadi Abu Hashhash の様なレギュラー選手が何故起用されなかったんだろう?3次予選では2得点を挙げた⑦ Amer Deeb の怪我による離脱も痛かったか。





日本のキックオフで始まった試合はこの試合も大歓声に後押しされ日本がヨルダンゴールに迫る。47秒にはショートパスでビルドアップしヨルダンPA付近でワンタッチパスを繋ぎ最後は長谷部がミドルを放つが相手MFがブロックしカウンター攻撃に移られるが高い位置で前田がマークに入り遅らせるとすぐに攻撃に転じる。 本田の中央から前線へのパスがCB ② Monir に当たりゴール前に上がったところに岡崎がGK Shafi と競り合いながら飛び込むがここは GK Shafi がキャッチ。 Shafi はキーパーチャージを金東慎主審にアピールしそれが認められる。
3分14秒には左サイド本田からのパスを受けた香川が浮球のパスを長友に送り再び長友からボールを受けシュート体勢に入るが② Monir, ④Abdulrahman が香川の足元にスライディングを入れてシュートを撃たせない。
4分32秒には早くも決定的なチャンスを迎える。右サイドの浅い位置から斜め前方に繋ぎ香川から左サイドの長友に送られ⑬ Baniateyah のマークをかわして遠藤に戻すと遠藤はヨルダンゴール前にロブを送る。 フリーで抜け出た岡崎が胸でトラップし後ろ向きの態勢でシュートに持ち込むが GK Shafi がストップ。 惜しいチャンスだった。そして遠藤のすばらしいパスだった。
8分58秒には香川からの縦パスに走り込んだ長友が左サイドを突破 ⑬ Baniateyah を振り切り逆サイドの本田に上げるがヨルダンもマークに2人付きシュートを撃たせない。
オマーンはどちらかと言えば中を絞ってと云う守備で両サイドに面白い様に侵入で来たが立ち上がりからヨルダンはオマーンと異なり両サイドバックまたは2列目の選手が日本の両サイドを埋めてサイド攻撃に対応していた。そして何よりも身体の強さを見せていた。それでも日本は遠い位置から相手DFラインの背後を狙う様なロビングを上げて来る。
10分21秒、長谷部から縦パスを受けた岡崎がヨルダンゴール左ポスト際に浮球を送るとそこに香川と前田が雪崩込むが ⑬ Baniateyah がヘッドでCKに逃れる。そのCKを遠藤が直接ヨルダンゴールに向かって曲がるが GK Shafi がパンチでコーナーに。
12分16秒に長谷部が内田からボールを受けそのままドリブルシュートを放つが ② Monir がクリアーでCKに。
そのCKを本田が入れるが GK Shafi で今度は前にクリアー。 ゴール前の空中戦ではGK Shafi が良く出て来てクリアーをする。
16分12秒、香川から中央の本田に送られそのままダイレクトで放たれたショットはGK Shafi が好セーブでストップ。オマーン戦と異なり結構シュートまで持ち込めていた。ただオマーン戦で最初にシュートが撃たれたのは11分。そしてそれが先制ゴールであったが。 
しかし18分に日本に先制ゴールが生まれる。 この日5本目のCKを香川のリターンを受けた遠藤がファーサイドに送り今野が
相手DFと競り合いながら飛び込むがCKに。その6本目のCKに前田が⑥ Al Murjan と競りながら“肩”でヨルダンゴールに
押し込み対ヨルダン戦初めて先制ゴールが決まった。 前の試合同様早い時間にリードを奪う事が出来た。



そしてオマーン戦と違い、この試合はすぐに追加点を奪えた。遠藤から入れられた浮球のパスに本田が走り込み ⑥ Al Murja,
⑲ Bani Yassen のマークをすり抜けそのままヨルダンゴールにシュートを叩きこんだ。遠藤からのパスが出る前に内田がパスをカットされたがその後内田も直ぐにボールを追い、ミスパスを誘いそれを遠藤が拾って前に送った。



25分45秒劣勢のヨルダンに追いうちを掛ける出来事が。 中盤で長谷部と空中で競り合った時に長谷部の額に ⑭Abdallah
Deeb の肘が入りこのプレーにイエローカードが出され、⑭Abdallah Deeb は24分24秒にも前田へのチャージに警告を受けていたので2枚目のイエローカードと云う事で退場となってしまった。長谷部はこのあと頭部にバンテージを巻いてプレーする事に。



これでヨルダンはFW ⑱ Thaer Bawab を2列目左に下げて⑩ Hayel Ibrahim のワントップにした。
ヨルダンはShafi がGKを蹴る時でもDFラインはあまり上がらず 浅い位置から2トップめがけてボールを放り込んでいた。そして
2列目が早い押し上げで最前線をサポートしようとしていた。ただ日本の攻撃を警戒してDFラインはあまり高い位置を取らなかった。
相手より1人多くなった日本は31分岡崎がヨルダンPA内右サイドで遠藤からのロブを受け放ったシュートが⑯ Basem Fathi
に当たり本田の前に転がったところを本田が押し込んでこの試合2ゴール目。日本がリードを3点に拡げた。⑯ Fathi に当たらなければ岡崎のショットはそのままヨルダンゴールに吸い込まれていたか? 本田は何か持っているのかもしれないなぁ。
遠藤の2点目に続いた浮球のゴール前のナイスパスも見逃せなかった。



こうなるとこの試合はあと香川がゴールを上げられるかに興味が大きく移って来た。



しかしそれは早く実現する。 35分本田のワンタッチパスが右サイドに走り込んだ長谷部に送られ⑯Fathi と競りながら中央に入った前田にクロスに岡崎が飛び込むとボールはゴール中央に。一旦は前田と競ったGK Shafi が弾き出すがこぼれ球を拾った内田が左にいた香川に送ると香川は⑲ Bani Yassem がマークに入る前に狙いすましたようにミドルを放つとそのままヨルダンゴールネットにシュートが突き刺さった。 これでリードはあっという間に4点差に広がった。こんな展開誰が予想しただろう…..





しかし良い事ばかりは続かない。 37分中盤で吉田が④ Baha’a Abdullahman と競り合った際に脚を滑らせ膝を痛めて倒れて起き上れなくなってしまった。 プレーが続いていたが ⑬ Baniateyah がボールを外に出してプレーを切って担架が入る。
吉田もスタッフもOKのサインを出してプレーに戻ったが私はここは無理せずベンチに下がってくれれば…と思った。 
そして44分に吉田は再びピッチに座り込み、日本ベンチは栗原を投入する事になった。 翌日の朝刊に膝の内側の靱帯を痛めたと言う事でオーストラリア戦は欠場となった。 上背のある Socceroos を相手に吉田の離脱は痛いなぁ…と思った。





同時にヨルダンベンチは⑤ Mohamed Abdulsamee を⑯ Fathiに替えて投入する。
日本の4ゴール目が入っても岡崎、長谷部が惜しいシュートを放つなど更に得点が入りそうな雰囲気のままロスタイム3分も過ぎ
前半が終わった。日本のシュート数は13.ヨルダンは1本もシュートを撃てなかった。 


後半に入り立ち上がりはヨルダンが攻勢に試合に入って来た。 トップの ⑩ Hayel Ibrahim の両脇に2列目の ⑱Thaer Bawab ⑨ Odai Al Saify が近い位置からサポートをしボールを前線に運んだ。 
47分18秒には長友が ⑬ Baniateyah を倒してFKを与えると ⑬ Baniateyah が入れたFKに中央で 前田のマークの前に入った⑥ AL Murjan がヘッドで合わせ日本ゴールを襲う。弾道はゴールポストの左に外れてくれたが危ないシーンだった。
47分29秒には ⑱ Taher Bawab のドリブル突破を許し右サイドにパスが送られると ⑨ Odai Al Saify の強烈なショットが日本ゴールに飛ぶがポストの左に外れて行った。 ⑱ Thaer Bawab のドリブルの時周囲に数人選手がいたが誰もマークに入らなかった。49分54秒、香川のミストラップを拾った ⑱ Thaer Bawab がドリブルで上がり右側に上がった⑩ Hayel Ibrahim がミドルを放つが川島の正面に。


 
立ち上がりちょっといやな展開はあっさりと払拭される。左サイドでボールを受けた前田が巧みなステップで ⑬ Baniateyah を抜きにかかると ⑬Baniateyah の脚が前田に掛かり転倒。金主審はすかさずペナルティースポットを指し、⑬ Baniateyah にはイエローカードが出される。誰がPKを蹴るんだろう、とPA内に目を移すと本田がボールを抱えている。 そして本田がそのPKを決めリードをまたまた拡げた。これで本田はハットトリック。代表Aマッチでのハットトリックは Asian Cup 2011サウジアラビア戦の岡崎以来。ワールドカップ予選ではあの King Kazu 以来と云う事だった。



5点差となり私はもうノートを閉まってメモを取るのを止めた。 
日本ベンチは57分、殊勲の本田を下げて中村憲剛が投入される。私のお気に入りの憲剛の登場にこちらも興奮するが周囲の女性サポーター達からも喜びの歓声が。 本田にはしっかりと休んでオーストラリア戦でまたゴールを決めて欲しいと願った。



憲剛は59分19秒に中央から素晴らしいミドルを放った。



5点差を付けられたヨルダンはその直後にMF⑱ Thaer Bawad を下げて23. Anas Jamal Mohammad Hijah を投入する。
そして72分に今野が下がりビッセル神戸の伊野波が投入される。 このワールドカップ予選では今野に替ってのスタメンも…と思ったのだけど。  74分50秒には遠藤のCKから栗原がヘッドを放ちゴール枠を捉えるが④ Abdulrahman がクリアー。そのこぼれ球を伊野波が撃つがここも Abdulrahman が身体に当てて跳ね返す惜しいシーンだった。
76分28秒大量リードされているヨルダンベンチは FW ⑩ Hayel Ibrahim を下げて⑮ Shadi Abu-Hashhash を投入する。イラク戦にはスタメンフル出場し、3次予選も6試合フル出場。 Asian Cup 2011は1次リーグ3試合全てフル出場し最後のシリア戦で警告を受け準々決勝のウズベキスタン戦には出場出来なかった選手なのに何故彼の実績をこの試合で生かさなかったのだろう? その直後に伊野波が相手DFを倒して献上したいやな位置からの、正面からのFKは⑲ Anas Bani-Yaseen が直接狙うがクロスバーを大きく越えてくれた。 
残り時間は約15分。日本はもう失点しない事と無駄なイエローカードを貰わない事と怪我をしない事を願った。
しかし失点もイエローカードもこれ以上の怪我人も無く、89分の終了間際、日本に6点目が入る。遠藤のショートコーナーから憲剛を経て長友がフリーで逆サイドに送るとドンピシャのタイミングで栗原が競った ⑤Mohamed Abdulsamee のはるか上から叩きつけたヘッドがヨルダンゴールに突き刺さり遂に 6-0 となった。



いったいあとは何点はいるのだろう… そんな事を思い始めた。

ヨルダンはもっともっとやると思った。試合の前々日にようやく日本入りする事が出来ると言う厳しいコンディションの中実力の半分も出せなかっただろう。 アウェーのヨルダン戦はこうはいかないだろう。 
Adnan Haman 監督が試合後に話した “ 今日の出来ならブラジルと対戦しても勝てる。”が現実になれば良いが。



ホーム2戦2勝で終えて次のアウェーのオーストラリア戦は引き分ける事が出来る…まぁ専門分野のオーストラリアの分析はこれからじっくりとしよう….そんな事を考えながらピッチを眺め、駐輪場に向かった。 さいたまスタジアムを振り返り私は少しの寂しさを感じた。 これでワールドカップ予選のホームゲーム2試合が終わった。 恐らく次の9月のイラク戦は仕事が入るだろうしなぁ~、そうなると来年6月のオーストラリア戦か~。 あと1年待たねば次のワールドカップ予選を観戦できないのか…

“帰ったら今夜は EURO を見ようよ。” “対戦相手はポーランドとどこだったっけ?”とはなす女性サポーター達の声が聞こえた。
あぁ幸せな時代になった。 欧州選手権、 Europermeisterchaft なんて知っている女性なんて1990年代にはどれだけいたかなぁ?1980年代は皆無に近かった。 それにワールドカップも…..

それにしても、 Brisbane に行きたかったなぁ~…




快勝のスタート ヨルダン戦も是非…. 日本 3-0 オマーン 3rd June 2012

2012-06-08 | 夏季五輪
後半42分を少し過ぎた時場内アナウンスでこの日の公式入場者数が 63,551 人だった事が発表された。
3点のリードを奪い、興奮の坩堝と化した競技場から更に大きな歓声が上がった。後で知ったけどさいたまスタジアムでは過去最高の入場者数だったらしい。 あぁあのワールドカップのベルギー戦よりも入ったのか…あの時は空席がいっぱい見られたしなぁ….あの試合のチケット買い損ねたんだよなぁ…. と10年前の事を思い出していた。 



その直後、細貝からの縦パスを受けた清武がゴール前に入れるとそこには本田が走り込む。しかし DF ③Jabe; A; Owaisi が必死のクリアーでCKに。 その左からのCKにファーサイドで待ち構えていた吉田が ⑮ Ismail Sulaiman Ashoor Al-Ajmi と Al Owaisi の2人のマークの上からヘッドで折り返すと ⑫Ahmed Mubakrak がそれをヘッドでクリアーがそのクリアーを香川が相手DFと競り合いながら放ったヘッドはクロスバーを越える。 
89分、右サイドを突破した酒井からボールを受けた香川が浮球のパスを右サイドに送るとそこにはボールを出した酒井が走り込み中に折り返す。 本田がAhmed Mubarak のマークを振り切り放ったショットは GK Al Habsi がブロック。そしてそのこぼれ球を清武が撃つがまたも Al Habsi がストップ。 観衆から溜息が洩れる。 さすがアジア No.1 のGKやなぁ…と感心してしまう。
そしてロスタイムも過ぎて主審のホイッスルが鳴り響いた。 ワールドカップ予選の初戦でこれだけバシッとした勝試合はあったかなぁ…と思いつつ、安堵の嘆息を漏らした。ただ好アシストを演じた香川にゴールも決めさせたかったなぁとも思った。
後方には満面の笑みの香取慎吾ちゃんが皆に手を振っている。 試合中何度か彼を振り返ったが真剣な表情で微動だにせずピッチ上を凝視するその姿を見ていっぺんに彼が好きになってしまった……

いよいよ始まったワールドカップブラジル大会アジア地区最終予選。 ワールドカップ、オリンピックを追い掛けていればあっという間に年月を重ねてしまう。 テレビ等では連日ワールドカップ予選3連戦の事を取り上げていた。 こういう日程を組むFIFAの真意を知りたいものであるが、日程は当然変わらない。(当たり前か?)この3連戦を好成績で乗り切る為には初戦のオマーン戦で確実に勝点3を稼ぐ事が大事、とは誰もが願う事。 70年代から五輪、ワールドカップ予選で日本が敗退するのを何度も見て来た私はこの試合でまさかの事態にならないだろうか…と1人で勝手に心配をする時間も少なくなかった。

試合当日の昼前に週末のジョギングを兼ねて競技場周囲のランニングコースまで走りに出た。 12時前だと言うのに多くの青色のレプリカを着た人達が既に競技場の周囲に集っており、カテゴリー5の自由席のチケットを持つであろう人々が列を成して開門時間を待っていた。 
自分はカテゴリー2の入場券を確保する事が出来た。その幸運に感謝しつつ自宅に戻り、再び競技場にやって来て着席したのはキックオフ半時間前であった。 そしてカテゴリー5のゾーンは既に満席になっていた。



着席した時に日本の選手が大歓声を浴びてピッチに出て来た。そして大観衆に一礼をすると更なる完成が上がりスタメン組とベンチスタート組に分かれてアップを始めた。 スクリーンに映し出される日本選手を見ながら日本のスタメンを確認する。
所属先のガンバ大阪が不振なので CB は今野ではなく伊野波が、3月に故障から回復したばかりの岡崎に替り清武が、不調の長谷部に替って昨シーズン Augsburg でシーズン通して好調だった細貝が、内田でなく右サイドバックには酒井宏樹が、と思ったけど結局今野、岡崎、長谷部、内田らのメンバーはGK川島、 左SB 長友、 CB 吉田、ボランチ遠藤、2列目左に香川、トップ下本田、ワントップ前田らと共にいわゆる“鉄板”のイレブンとなった。



一方のオマーンは “鉄板”のGK Al Habsi こそスタメンであったが他のポジションはかなり予想を外れた。
DFラインは4バックであったが左SBには3次予選初戦で2分間だけ起用された五輪チームメンバーの ②Mohamed Al-Musalami 。右SBには左SBだと予想した⑪ Saad Suhail 。 ⑬ Abudul Sallam と組むCBは3次予選で出番の無かった Jabel Al Owaisi 。 ⑫Ahmed Mubarak Obaid が2列目でなくアンカーの位置に入り、21. Ahmed Hadid と組むボランチは 攻撃的MFと思われた⑩ Fawzi Bashir Doorbeen 。2列目右の ⑥ Read Ibrahim Saler は五輪予代表選手であったが最終予選の召集は一度も無く、2列目左にはボランチと思った⑦ Al Hadhri Hussain が起用され、ワントップ ⑳ Amad Ali Al Hosni は予想通りのスタメン。 3次予選6試合フル出場の DF Mohammed Al Balushiはベンチスタート。3次予選5試合スタメン出場に31歳ベテラン DF Al Gheilan Yousef Madhafer はベンチにも入っていなかった。 次のオーストラリア戦への保存か…..



そしていよいよ選手入場と云う時に前方の方から歓声が上がった。彼らの目線を追い振り返るとなんと SMPA の香取慎吾さんの姿が。お付きの人が写真を取らないで欲しい旨を書いた紙をこちらに見せて写真撮影を止めようとするも皆一斉に携帯カメラやデジカメを彼に向ける。しかし香取慎吾ちゃんは嫌な顔一つせずこちら皆に手を振ったりポーズを取る。 
ドイツ大会予選から“日本代表応援団長”という“肩書”で予選の度にテレビ出演をするのを見る度に “何で彼が団長なんや?”と思っていたけど、この瞬間に彼がいっぺんに好きになってしまった。 そして試合中の真剣なまなざしでピッチに目を向ける姿を見て
彼も純粋なサッカーファンなんだと思った。 それにさすが芸能人、何とも言えないオーラを発していた……

日本のキックオフで始まった試合は開始から地力に勝る日本が一気果敢に攻め立てる。 35秒、スローインを受けた岡崎が右サイドを上がり、3分には前田からのパスを受けた内田がゴール前に入れる。それぞれオマーンDFがCKに逃れるがその後はゴールに迄は至らない。 8分には遠藤からの縦パスを受けた内田が香川に送るがその前にオマーンDFがクリアー。 
吉田が積極的に前に上がってくるがその際には遠藤が後方に入る等動きが良いだけでなくバックアップも良い。 そしてやはり存在感を示すのは本田圭祐。 左右に動いてボールの受けてとなりそこからの突破やパス回しも良い.。
7分46秒岡崎からボールを受けた内田がドリブルで前線に上がろうとするが後方から Jabel Al Owaisi がタックルに入って止めるがここは御咎めが無い。 イエローが出てもおかしくないプレーだったけど。この日のウズベキスタン人のイルマトフ主審はこの程度のチャージでは最後までファールは取らなかった。
しかし9分に Bashir Doorbeen のプレーが反則に取られそれに着いて文句を着けた際にはしっかりとイエローカードを提示した。



日本が優勢なうちに早く先制ゴールが欲しいと思う11分57秒、それまで内田、岡崎のいる右サイドからの攻撃ばかりであったが初めて左サイドの長友がボールを受けそして上げたクロスに中央で走り込んだ本田がダイレクトで蹴り込んだシュートがオマーンゴールネットに突き刺さり、非常に良い時間で素晴らしい先制ゴールが決まった。 本田圭祐、ワールドカップブラジル大会初ゴール、というよりもこの試合が初出場であった。 
本田のシュートも素晴らしかったが、長友のクロスが上がる前、今野が相手のクリアーボールを拾い、左サイドに流れた前田を経由し香川に送られ更に左サイドを駆け上がった長友に送られたその一連のボールの繋がりが全てワンタッチで展開されると言う素晴らしい連動性も見られた。そして兎にも角にも早い時間に先制ゴールを上げられた幸先良いスタートに試合前の不安が一掃された気になった。



そしてオマーンDF陣が落ち着かない立ち上がりに追加点をと思う先制直後の13分45秒、今度は右サイドを岡崎が内田とのパス交換で抜け出しゴール前に入れられたところに香川が飛び込んだがぎりぎりオフサイドの旗が上がった。 それでもゴール前に飛び込んだ香川が浮球をGK Al Habsi と競りながらゴールにボールを押し込んだプレーは高度なテクニックとの印象だった。 Al Habsi はこの香川のプレーをホイッスル後のプレーなのでカードを出せとばかりにイルマトフ主審に迫ったが…
このプレーの直後にも長谷部からボールを受けた本田が前線の香川に送りシュートに持ち込むがここは DF Abdul Sallam が何とかクリアーし追加点を阻まれた。
劣勢のオマーンは19分25秒左サイドタッチライン付近から Bashir Doorbeen が逆サイドの Saad Suhail に振りそのままアーリークロスを入れるそこに Ahmed Hadid が走り込むがここは吉田がマークに着きシュートを撃たせなかった。これがこの試合オマーンが初めて日本ゴールに迫ったシーンだった。 このプレーからオマーンは落ち着き始めたのかワントップの Al Hosni を前線に残し中盤とDFラインの間をコンパクトに保ち日本のパスワークに対応するとともに本田のマークに近くの選手が交替で着く様になった。 
本田とは言え次々にマークに着かれると思う様にボールをキープしにくくなった。
そうなると日本は相手DFラインの裏にボールを放り込みDFラインを下げさせたりするなど対策を講ずる。そして35分を過ぎると香川にボールが集まりだす。 だが追加点を奪えぬまま前半は終わった。



オマーンのキックオフで始まった後半開始早々の 46分48秒にはCKから前田が Ahmed Mubarak の後方から惜しいヘッドを放つ。 オマーンは後半から Bashir Doorbeenが左サイドに入り Al-Hadori が中に入りボランチの位置に入った。そしてその Doorbeen が48分24秒にカウンターからドルブルで日本ゴールに迫ろうとするがシュートは撃てない。
今度も早い時間にゴールシーンをと願うと51分、本田が遠藤との縦パスの交換から前線に上がり左サイドの香川にボールを渡す。香川はそのままドリブルで中央に寄りゴール前にボールを入れるとオフサイドぎりぎり(それともオフサイドだったか?)でボールを受けた前田が上手くトラップして Al Habsi を破ってオマーンゴールに押し込み追加点を挙げた。 
香川のドリブルからのラストパスも素晴らしかったが、香川にボールを出した本田が中央に走り込み相手DFを引き付けたオフ・ザ・ボールの動きも良かった。それにしても香川のドリブルはボールがあたかもゴルフボールがグリーン上のパットの時の様に滑らかに動いていた。 
これで2点差。オマーンの攻撃力からしてこのあと3点取る事は考えられないのでこの時点で勝点1は確実に上げられたと思った。



追加点から3分後今度は勝点3を確実にするゴールが決まる。 長友が左サイドから遠藤を経由して香川にボールが送られ、香川が再びドリブルから右サイドに流れた前田に送る。Al Musalani のマークを受けながらも前田が放ったシュートは Al Owaisi に当たり岡崎の前に転がり Abdul Sallam を振り切り岡崎が放ったシュートがオマーンゴールに突き刺さりリードを3点差に拡げた。
あとはリードを広げる事というよりも無失点で試合を終える事を願った。もっともリードが広がればもっとよかったのだけど。
1997年ワールドカップフランス大会最終予選の初戦。ウズベキスタン相手に3ゴールを先制した後に2失点を喫し最終的に 6-3 で勝利を収めたけど6ゴール上げて勝った事よりも3失点した事の方が気になりその後苦戦続き出あった事を思い出した。



57分リードしている日本ベンチが先に選手交替を行う。 右SB内田に替って酒井宏樹が投入される。この時は五輪を控える酒井に怪我だけはしないでくれよと思った。 
59分。日本がFKを得る。本田がボールをセットする。本田にとっては射程内だ。彼のFKを期待すべく歓声が上がるが本田はすぐにショートパスを送った…..
劣勢続きのオマーンは64分にようやく選手交替を行う。 Al Hadid に替って3次予選で第5節のサウジアラビア戦だけに出場した Ali Hilal Saud を投入する。 そしてその前に負傷をして外に運び出された FW Al Hosni がそのままアウトとなり Pan Arabic Games 優勝メンバーだった Al-Maqbali がピッチに送られる。 Al-Maqbali は3次予選では第3節のアウェーでのオーストラリア戦以降スタメン起用され最後のタイ戦ではゴールも決めている。 日本戦は当然スタメンと思ったけどスタメン起用されなかったのは既に1枚警告を受けていたからか?そうなるとオーストラリア戦にスタメンか? 
更にオマーンベンチは MF Al Hadri を下げて Ashoor Al-Ajmi が送られる。  Al-Ajmi は3次予選全てに出場するがスタメンは2試合。第4節からは全て交替出場だった選手。 これで前線は Al Hosni のワントップから Al-Maqbali と Al-Ajmi の2トップになった。 
だけど攻勢を続けるのは日本。 こうなると香川のゴールを見たくなる。68分には遠藤のCKを前田が落として香川がシュートに持ち込むが惜しくも外れる。 Dortmund ではゴールを決めるだけでなくゴールアシストもよく演じていたがこれからのこの試合はゴールを狙っても良いと思った。
73分日本ベンチは岡崎を下げて清武を投入する。 岡崎は4月にドイツで見た時よりも身体は絞れている様だった。故障も完治したのか? 清武も活躍よりの怪我はして欲しくないなぁ~との思いが強かった。 しかし清武も80分にはサイド突破から本田の惜しいシュートチャンスを演出する等サイドをどんどん突破し存在を見せつける。 
残り時間10分を切るとオマーンも右サイドを Ibrahim Saler , Saad Suhail の2人が結構突破してくるシーンが。そして結構深い位置でもフリーにしていた。シュートにまでは持ち込ませなかったけど….
周囲の観客席からは“次は宮市が見たい。”と云う声が多く上がっていたけど、親善試合ならともかく、まだ宮市をライバル国に見せる必要は無いと思った。 そして86分に遠藤に替って細貝萌が投入された。 さいたまスタジアムをホームにする浦和レッズからは槙野がベンチ入りから外れたのでこの試合には誰も出場していない。 “卒業生”の細貝の投入、そして長谷部の活躍には特別な思いをしたレッズサポーターもいただろう…。そして私は無失点で試合を終える事を再び願った……。

70年代からずっとサッカーを見続けた私も“ King of Asia “ をどこの国でも堂々と云う事が出来る現状を再確認し、幸福な気持ちで家路に着く事が出来た。

翌日以降に発売されたスポーツ紙、専門紙そして専門雑誌には“完璧な第一歩。(ダイジェスト)” “威風堂々。(マガジン)”
“会心ニッポン。(エルゴラッソ)”の見出しが本田の写真と共に躍った。 90分本田がプレー出来た事に次の試合以降も期待がかかる。 テレビ報道も快勝に最大の賛辞を送る。 



オマーンの Paul Le Guen 監督は日本は格が違うと言う様なコメントを試合後残したが、次のホームでのオーストラリア戦では“ベストメンバー”を組んでくるだろう。 11月のアウェーでのオマーン戦ではこの試合の様にイージーには行かないはずだ。
ただ MF Doorbeen は次のオーストラリア戦は累積警告で出場停止。これは Le Guen 監督も頭が痛いだろう。

4点目が奪えなかった、終盤は高い位置で相手選手をフリーにした等快勝の陰に隠れた改善点もあると思う。 それはしっかりと修正して次のヨルダン戦に臨んでくれるだろう。 その前にまず選手は疲れを取って….と勝手に選手を気遣った….

第二戦のヨルダン戦は5日後に再びさいたまスタジアム。 本当に今住んでいるところに家を建ててよかったわ….
6月8日も雨は降らんといてくれよ。いや中東チーム相手だと降った方が良いのか…..??


難敵ヨルダン戦 初勝利を目指して

2012-06-07 | 夏季五輪

2004年7月31日、重慶オリンピックセンターで行われた Asian Cup 準々決勝戦。試合は延長戦でも決着がつかずPK戦に。 
日本は一人目の中村俊輔、二人目の三都主が大きくはずしてしまう一方、ヨルダンの Abdullah Abu Zama はしっかりと決める。
公式発表 52,000人の観衆うち9割はヨルダンの応援だ。あっという間に劣勢に絶たされた日本の状況を大喜びしている。 
テレビを見ていた私はこのままヨルダンに敗れるというよりも観衆の嘲笑が続くことを考えると気が狂いそうになった。

ここで宮本がマレーシア人の Subkhiddin Mohd Salleh 主審になにやらアピールをする。 
最初は高圧的というよりも主審にとって必要範囲内の威厳的な態度だったSalleh 主審は宮本の話に耳を傾けそして恐らく Match Commissioner のところに駆け寄りしばらくして副審達のところに戻りそして選手団の方を向いてホイッスルを鳴らし反対側のゴールを指差した。ぬかるんだペナルティースポット周辺がぬかるんでいるこちらのゴールはPK戦に適さない。反対側のゴールを使いましょと言う日本側の要求が受け入れられた。
大歓声の中選手、審判団そして報道陣は反対側のゴールに移動する。そして三都主がPKを蹴ろうとボールをセットするが Salleh 主審は彼に近づき“もう君の番は終わったんだよ。”と説明をしている様に見えた。そして彼の口の動きから “ I am referee “ と言っている様に見えた。 
公平を規す為にも三都主から蹴りなおすのが筋だと思われたが、次のキッカーはヨルダンの Rateb Al Awadat だった。
そして Al Awadat はPKを決めヨルダンが圧倒的優位に立った。PKを失敗した俊輔と三都主は左利き。残りの日本代表選手を考えればゴールを変える必要は無かったかなぁ、ヨルダン選手は何人左利きがいるかなぁ、と思った。

後がない日本は3人目の福西が決め、ヨルダンは3人目の Hatem Agel も決める。もうヨルダンは勝ちを意識し始めたポーズをとる、それに呼応する競技場の地元重慶の観客達。 
日本4人目の中田浩二が決めたがヨルダン4人目の Haitham Al Shboul が決めたら日本の Asian Cup は終わってしまう。 しかし川口が左手一本、必死のセーブで何とか持ちこたえる。
日本5人目の鈴木が決めるがヨルダン5人目の Faisal Ibrahim が決めれば日本の負けが決まってしまう。 しかし Faisal Ibrahim のショットはポストの右に外れてこれで両チーム5人ずつ終わって二人ずつの失敗となり、サドンデスに突入する。 生き返ったはずの日本であったが6人目中澤のショットは GK Amer Shafia がストップ。再び活気ずくスタジアムの中国人観衆。 

あぁせっかく追いついたのに….私は絶句してしまった。 

だけどここでまたもや川口が日本を救う。 Anas Al- Zboun のショットを左に飛んで弾き出す。
この川口のスーパーセーブ連発に私は大声を張り上げた。 日本6人目の宮本が冷静に左下隅に決め、初めて日本がこのPK戦でリードをする。 そしてそのプレッシャーに負けたのがヨルダン6人目 Bashar Bani Yaseen が左脚で蹴った弾道は左ポストを直撃し激戦に終止符が打たれた。 
日本代表が勝ったというよりも観客席の中国人達の口を塞いだという事が嬉しかった。あの大観衆に勝ったのだ。
喜ばせておいて最後は失望させるという最高の勝利、結末だった。

ざまぁみろ !!!!

何度もテレビのブラウン管に向かって叫んだ。そして嫁ハンに怒られた…

時折映し出されるヨルダン代表チームのレプリカを着て現地で観戦する Abdullah 国王の姿が印象的だった。 
後に知ったけど年齢が私と変わらないことにもショックを受けてしまった…

  

ヨルダンとは7年後の Asian Cup でも対戦し大苦戦の末に終了直前吉田のヘッドで何とか引き分けた。
この Asian Cup もヨルダンは日本と引き分けた後サウジアラビアを 1-0 で、シリアを 2-1でそれぞれ中東のライバル国を連破し準々決勝に進出。 ウズベキスタンに 1-2 で破れた。 DFの中心選手 Basem Fathi Omar Othman が累積警告で出場できなかったのが痛かった。 
2004年大会のヨルダンは日本と対戦する前の1次リーグでは初戦の韓国戦で 0-0 と引き分け続くクウェートを 2-0 で破り最後は UAE と0-0で引き分け準々決勝進出を決めた。日本が苦戦したのも今更ながらに理解できた。



今回のワールドカップ予選。ヨルダンは3次予選でイラク、シンガポール、中国と同組となった。
この組み合わせは幸運だったと思う。4カ国とも前回のワールドカップ予選は最終予選まで残れなかった。
3次予選で日本が入ったグループは前回のワールドカップ出場国であった北朝鮮、アジア地区最終予選まで進出したウズベキスタンという列強が入った。

ヨルダンは初戦でイラクとのアウェー戦で 2-0 の勝利を収めそこで勢いが付き中国をホームに向かえ 2-1 で破り、第3節はアウェーとはいえ格下のシンガポール戦であった。ここでシンガポールを 3-0 で一蹴するがこの試合で警告を受けた DF Basem Fathi Omar Othman, FW Odai Yousef Ismail Alsaify が次の試合で出場停止となったが対戦相手がシンガポールでしかもホームゲーム。 Ahmer Deeb Omhammad Khalil, Ahmad Hayel Ibrahim Ibrahin のゴールで 2-0の快勝を収め4戦4連勝で残り2試合を残して最終予選進出を決めた。 

3次予選の中心メンバーは昨年1月の Asian Cup メンバーが中心。というよりもほぼ固定メンバー。
Asian Cup 2011で日本戦以外の3試合にスタメンフル出場を果たした Moh’d Monir、4試合すべてスタメンフル出場だった DF Sulim Al Salman にかわって Anas Bani Yaseen 、 MF Khalil Baniateyah が起用される様になった。
更に最も警戒すべき Ahmad Hayel Ibrahim も Asian Cup ではメンバー入りしていなかったがワールドカップ予選後にレギュラーとなったストライカー。 3次予選ではシンガポール戦の連戦で共にゴールを決めており、最終予選前には所属先の Al Faisaly で4試合連続ゴールを決めたばかりか前のイラク戦でも同点ゴールを決めている。 
ただしこれは Baha’a Abdulrahman のロングシュートを イラクGK Mohammad Gassid が弾いたのを押し込んだものだった。 

Asian Cup 2011 で1次リーグ3試合スタメンだった Odai Al Saify は1次リーグ最後のシリア戦で負傷したのか終了直前にベンチに下がり次のウズベキスタン戦には出場しなかった。 そして3次予選でもスタメン出場は第3節のシンガポール戦だけだった。 
しかし、6月3日のイラク戦ではスタメン出場だった。その Al Saify に替って3次予選でレギュラー出場する機会が得たのが Ahmad Hayel Ibrahim だった。 
日本戦ではイラク戦の様に両者が出場するだろう。 23歳のDF Anas Bani Yassen は昨年末の Pan Arab Games 準優勝メンバー。 そして Khalil Baniateyah も21歳で Pan Arab Games のメンバー。 

GK Amer Shafi’ DF Bashar Bani Yaseen , MF Amer Deeb らは 2004年大会重慶で対戦した時のメンバー。 
Asian Cup 2011, 3次予選では控えに回ることが多いが DF Hatem Aqel も重慶での日本戦に出場した選手だ。
日本戦のスタメンはイラク戦と同じメンバー、下記のフォーメーションだと思う。

                                   Ahmad Hayel Ibrahim
                                                   ( Al Faisaly ) 

     Hawza Al Daradreh                     Odai Al Saify                         Amer Deeb
                                              ( Al Salmiyah UAE )                    ( Al Faisaly )

       Baha's Abdelrahman                  Khalil Baniateyah
          ( Al Faisaly )                       ( Al Faisaly )

   Basem Fathi   Bashar Bani Yassem   Anas Bani Yaseen    Shadi Abu Hashhash
   ( Al Wihdat )      ( Al Wihdat )        ( Najam KSA )       ( Al Fateh )

                           GK Amer Shafi
                            ( Al Wihdat )

2列目左にはイラク戦後半から Hawza Al Daradreh に替って起用されたAbdllah Khaled Deeb Salim が日本戦のスタメンに起用されるかもしれない。  Asian Cup 2011 で日本戦では得点を決めた Hassan Abdel-Fattah Hassan Mahmoud は3次予選でもスタメンで起用され続けたが最終節の中国戦とイラク戦ではベンチ入りしていない。 怪我でもしたのかな?

Deeb Salim はFIFA U-20 2007 のザンビア戦、スペイン戦でゴールを決めた経歴を持つ選手。 
後にベルギーの KV Mechelen でプレーしヨルダン史上初めて UEFA Cup でプレーした選手。
今は地元ヨルダンの Al Faisaly でプレーする。
どこの国にもサッカーはある。サッカーの歴史がると思わされた。色々調べると勉強になる。

それからイラク人監督のAdnan Hamad Majid Al-Abbassi 監督。アテネ五輪でイラクチームを Semi Finalist に導いた名将。私の好きな監督だ。 
何故かイラク代表監督時代は西アジア選手権でチームを3位に導きながらAsian Cup 2000 の直前に監督を降板させられたり、ワールドカップ2002大会予選時にはバーレーン、サウジアラビアに連敗するとまた解任させられたり。ワールドカップ終了後にシリアで開催された西アジア選手権では延長に入りヨルダン戦で“ドラマチックな勝利”を納めた。 その試合が縁で今はヨルダンの指揮をしているのか?

歴史は学んでこそ生きる。 中近東の歴史書にも目を通さねばならないか??
ヨルダンが産油国ではない事はとっくに知っていたけど。

頑張れニッポン!!


日本戦に臨むオマーンのスタメンは……

2012-06-02 | 夏季五輪
1995年 FIFA U-17 で準決勝にまで進出したオマーンはその後アジアの壁を破ることは出来なかった。
日本との直接対決でもFIFA ランクほど( 日本30位 オマーン90位 )得点差、試合内容に差を感じなかった。
むしろ FIFA ランク100位を割ってきたのか、という印象。それだけ彼らが“進歩”をしていると思われる。
今年のロンドン五輪予選では各グループ2位の3カ国がベトナムのハノイに集って“アジア4位”を決めるプレーオフを勝ち抜いた。
残念ながらコベントリーで行われた最後の五輪切符を掛けて行われたセネガルとの大陸間プレーオフには 0-2 で敗れた。
それでも近年は2009年の Gulf Cup of Nations で2004年、2007年大会での準優勝に続いて遂に優勝を果たし、2011年12月にドーハで開催された Pan Arabic Games でも U-23 メンバーで臨み優勝を果たす等中東諸国サッカー界で徐々にその存在感を示し始めている。

史上初めてワールドカップ最終予選に進出を果たしたオマーン、自国の存在感をアジアサッカー界に知らしめるためにどういうメンバーで初戦の日本戦に臨んでくるのだろうか…

アジアナンバー1 GK Ali Abdullah Harib Ali Habsi
Wigan Athletics でプレーする194cm 長身の Ali Al Habsi がオマーンゴールを守る。  2002年から代表歴がありこれまでA代表72試合に出場する実績を持つ。対日本戦も2004年のワールドカップドイツ大会予選、2004年 Asian Cup, 2008年ワールドカップ南アフリカ大会予選、5試合対戦歴がある。対戦成績は日本の4勝1分であるが ワールドカップドイツ大会予選のホーム&アウェー、Asian Cup の3試合が1-0 。 ワールドカップ南アフリカ大会では ホーム 3-0 アウェー 1-1 だった。
2003年に Norway の Lyn Oslo に移籍し 2004年シーズンには Norwegian Goal Keeper of the Year を受賞すると 2006年には English Premier の Bolton Wanderers に移籍。中田英寿とは恐らく入れ替りではなかったか?(関係無いか?)
Bolton 時代は正GKだった Jussi Jaaskelaina が怪我から復帰する等出場機会に恵まれなかったが 2010年に Wigan Athletics にローン移籍し出場機会を得ると 2010-11 シーズンには34試合そして完全移籍となった 2011-12 シーズンは37試合 English Premier League に出場を果たす。
Socceroos の Mark Schwarzer に替って今やアジアナンバーワンの GK ではないかと思われる。
今回のワールドカップ3次予選でも6試合すべてにフル出場。第4節のオーストラリア戦から3試合連続無失点と鉄壁の守備を見せている。 日本の攻撃陣は出来れば早い時間に Ali Al Habi のゴールを破りたいが…..それは容易な mission でけっしてない。



メンバーを入れ替えて守備力アップ。そして最終予選進出。
相手を完封するのはGK Ali Al Habsi 1人では出来ない。強固なDFラインがあってのことだ。
3次予選、前半の3戦を1分2敗 ( Hサウジ 0-0 ,Aタイ 0-2, A オーストラリア 0-3 ) 無得点5失点で折り返した。
第4節ホームでのオーストラリア戦では それまでフル出場だった Al Farsi Rashid Juma Mubarak に替ってサウジアラビ Al Read でプレーするAl Mukhaini Abdul Sallam を起用し183cm の Al Balaushi Mubarak ( Mohammed Al Balushi : Al Wahda UAE )とCBを組むようになり劇的に守備力がアップ。第4節でオーストラリアを 1-0 で完封すると以降サウジアラビア 0-0, タイ 2-0 と無失点2勝1分で乗り切り見事グループ2位に入り最終予選進出を決めた。 
右サイドバックの Al Gheilan Hassan Yousef ( Hassan Yousef Mudhafar ) は31歳サウジアラビアのAl Ittifaq でプレーする。
3次予選では 0-3 で敗れたアウェーのオーストラリア戦以外全てスタメン出場。 
左サイドバックは3次予選6試合フル出場24歳の Al Mukhaini Saad Suhail Juma ( Saad Suhail ) 。 オマーンの Al Swaiq に所属する。しかし今オマーンの国内リーグはまだ開幕していないのでコンディションがどうなのだろう?  Yousef, Suhail ともに AFC の資料ではFW登録。それだけ攻撃力があるのだろうか?



年齢的には脂の乗り切った中盤
ボランチは Al Hadhri Hussain Ali Farh ( Al Hadhri ) と Al Mukhaini Thuwaini ( Ahmed Hadid ) 。 Al Hadhri は22歳 オマーンの Dhufar に所属する。優勝した Pan African Games のメンバーでロンドン五輪予選にも出場、ハノイでのプレーオフではPKも蹴っていた。3次予選では最初の3試合迄スタメン出場では起用されなかったが(サウジ戦、タイ戦は後半から起用された。)第4節のオーストラリア戦から3試合連続してスタメン出場。最終戦タイ戦では先制ゴールを決めている。
恐らく攻撃時は Al Hadhri 絡んでくるのではないか?
27歳のAhmed Hadid はカタールの El Jaish でプレーし ている。2010-11シーズンまではサウジアラビアの名門 Al Ittihad でプレーし2009年のACL準優勝メンバー。 しかし Le Guen 監督は累積警告で出場停止である Al Maashari Juma Darwish ( Al Oruba オマーン ) を起用したかったか? 
2列目左には クウェート Ali Nassar でプレーする 27歳の Al Mahajir Ahmed Mubarak Obaid ( Ahmed Kano ) 。累積警告で出場出来なかった第5節のサウジアラビア戦以外はスタメンフル出場。 クウェート Premier Leagueでは今年に入り出場機会が少なかったが直近2試合では出場している。 
右サイドには Fawzi Bashir Rajab Bait Doorbeen ( Fawzi Bashir ) 28歳 175cm のMF。 UAE のBani Yas でプレーし今年のACLにも出場したがチームは1次リーグで敗退した。3次リーグではオーストラリア戦以外はスタメン出場を果たしたがホームのオーストラリア戦は60分から途中出場をすると多くのチャンスを演出したらしい。
また21歳、五輪予選にも出場していたAL Oruba ( オマーン ) でプレーする Eid Mohammed Eid AL Farsi ( Eid Mohammed ) も試合途中から起用されるかもしれない。 EId Mohammed はホームでのオーストラリア戦、サウジアラビア戦にスタメンフル出場を果たし、他にもアウェーのオーストラリア戦、最後のタイ戦にも途中出場で起用された。



3次予選6試合3得点の攻撃陣….
6試合中3得点のオマーン。そのうち2得点は最後のタイ戦。そして1点がホームでのオーストラリア戦。しかしアウェー3試合では無得点だった。これまでオマーンは日本とのアウェー戦は3戦して1得点( ’97 : 1-1, 04 : 1-0, 08 : 3-0 ) 得点力は高い様ではないみたいだ。
日本戦は Amad Ali Sulaiman Al Hosni ( Amad Al Hosni ) と Abdul Aziz Humaid Mubarak Al Maqbali ( Adbul Al Muqbali )の2トップとなるだろう。
27歳のAmad Al Hosni はかつてベルギーの Sporting Charleroi でプレーし今はサウジアラビアの名門 AL Ahli でプレーする。 2011-12 シーズンは22試合15得点を挙げた。今シーズンの Al Ahli はACLでも UAE のAl Jazira をPK戦で降してベスト8進出を決めた。 182cmの長身を生かして高さを生かすプレーをするだろう。 ホームのオーストラリア戦では決勝ゴールを決めている。
Adbul Al Muqbali は23歳。 Pan Arab Games 優勝メンバー。最終予選は第3節のオーストラリア戦以降スタメン出場を続けタイ戦ではロスタイムにダメ押しのゴールを決め最終予選進出を確実にした。


最悪の試合パターンは早い時間に失点し攻めまくっても GK Ali Al Habsi を中心とした守備陣に守りきられる事。 1997年6月28日国立競技場で行われたワールドカップフランス大会予選では開始4分に中田英寿が先制ゴールを決めたがその後日本は攻めあぐみ63分にマジディー・ジャーパン・サミールに同点ゴールを喫するとそのまま試合は引分けに終わり最終予選へ不安を残した。

兎に角大事な初戦。 ここできちっと先制ゴールを早い時間に決めて、着実に追加点を決めて勝ち点3を確保して頂きたい。

明日は天気大丈夫かな……

ワールドカップ最終予選  大事な初戦の対戦相手はオマーン

2012-06-01 | 夏季五輪
いよいよ始まるFIFA World Cup 最終予選。ワールドカップやオリンピックを追いかけていると本当に月日の経つのが早い。それだけ歳をとっているわけか?
五輪イヤァーを向かえ、昔ほど出場枠を獲得できなくなった日本スポーツ界であるがサッカーだけは別。
厳しいアジアの戦いを勝ち抜いて男女共に出場権を勝ち取った。女子はメダル候補でもある。
ワールドカップ出場権獲得の可能性を高める為にも五輪開幕前の日本スポーツ界に勢いをつける意味でも、6月のワールドカップ予選3連戦ではしっかりと勝ち点を稼いで頂きたい。
それには初戦のオマーン戦が非常に大切である。

初戦のオマーン戦
このフレーズを聞くのは今回が初めてではない。 1997年3月23日、 Sultan Qaboos Sports Complex で行われたワールドカップフランス大会アジア地区1次予選、2004年2月18日さいたまスタジアムでのワールドカップドイツ大会アジア地区予選2次予選。 2004年7月20日 重慶オリンピックスポーツセンターで行われた AFC Asian Cup 中国大会と初戦で対戦しておりいずれも 1-0 の勝利を収めている。私の印象はいずれも “スコアーの 1-0 以上に競った試合内容”と記憶している。 特に2004年2月の試合は中村俊輔がPKを失敗するなど終始攻勢でありながら中々オマーンゴールを破ることが出来ずロスタイムに久保竜二が決めた決勝ゴールでようやく勝利に辿り着いた。
この時のGKが今でもオマーンゴールを守る English Premiership Wigan Athletics でプレーする Ali Abdullah こと Ali Abdullah Harib Al-Habsi 。
オマーンとは上記の他にも南アフリカ大会3次予選でも対戦しており 3-0 ( 横浜 ) 1-1 ( Damascus ) の戦跡となっており通算7回対戦して5勝2分、得点9、失点2となっている。




1分2敗から3次予選を勝ち抜く
オマーンが所属した3次予選 D組はオーストラリア、サウジアラビア、タイが同じ組にいた比較的“激戦区”であった。
当初はオーストラリアとサウジアラビアが有力視されていた。 オーストラリアは開幕から3連勝を飾りその強さを見せ付けた。
2位争いは第3節を終わって第2節でオマーンを破ったタイが勝点4で2番手のつけておりオマーンは勝点1でサウジアラビア(この時点で勝点2)にも遅れをとり最下位だった。
そして2011年11月11日、オマーンはホームMuscat にオーストラリアを迎えることとなっていた。この試合でオーストラリアが勝てばオーストラリアの3次予選突破が決まりオマーンの3次予選突破がかなり厳しくなるとことろであった。

Preview: Oman v Qantas Socceroos

それまで4度あった両者(オーストラリア、オマーン)の直接対決はオーストラリアの3勝1分であった。
1ヶ月前の10月11日、Sydney ANZ Stadium で行われた試合はオーストラリアが 3-0 で勝利を収めていた。

"If it ain't broke, don't fix it" ( 壊れてないものを直すな。うまくいってることに対しては干渉しない方がいい。 )
これは1999年オーストラリアの国民投票前に君主主義者の間で言われたキャッチコピーだった。 

これは同時にオマーン戦を控えた Socceroos のHolger Osieck 監督にも当てはまる難問でもあった。
オマーン戦のスタメンを決めることについては1999年の国民投票の時ほど政治色は無いが、Brett Emerton をHyundai A-League のシーズン開幕戦のSydney FCでのデビュー戦出場を容認し、
10月11日に Sydney で行われたオマーン戦の準備試合の為にキャンベラで開催されたマレーシアとの準備試合に召集しないという外交手腕は発揮された。
Osieck 監督は同じ好意を Harry Kewell にも見せて彼をオマーン戦 ( 11月11日 ) とタイ戦 ( 11月17日 )の遠征メンバーに加えた。

しかし Kewell と Emerton という経験あるベテラン2選手の遠征招集は歓迎される選択であるはずだった。
そして Ange Postecoglou 監督の指揮下、目覚しい成長を遂げた Brisbane Roar のMF Mitch Nichols が2009年以来の代表召集となった。前に召集されたのは Pim Verbeek 監督時代の Asian Cup 予選のクウェート戦でこの試合には62分に交代出場を果たしたものの試合は 0-1 で敗れた。

例え今回のオマーン、タイ遠征メンバーの中では Kewell と Emerton 以外はNichols だけが A-League 所属の選手ではあるが彼の召集と Hyundai A-League の選手が国際レベルでプレーすることにより自信を育むことは同等のものである。しかしNicholas の召集は他の候補選手であった、Aston Villa の Youngster である Chris Herd が怪我で召集を辞退したためにお鉢が回ってきたと言う事も書き落としてはならない。
Heard は土曜日(2011年11月5日 ) の Norwich City 戦では90分プレーしたが遠征に耐えられない程の負傷を足首に負った。 

10月にオマーンを 3-0 で破り直近8試合で5連勝を飾った試合の布陣を変えるのかどうか、また変えるとしたらどの様に変えるのか?
Kewell をスタメンに入れるのであればここ4試合で6ゴールを決めている Josh Kennedy のスタメンは難しくなる。
Emerton を起用するなら Luke Wilkshire を守備に回し Rhys Williams を起用することになるだろう。10月のオマーン戦では背筋痛で出場できなかった正GK Mark Schwarzer は今回 Adam Federici に替わって起用されそうだ。

Australia v Oman - An unlikely rivalry

ワールドカップドイツ大会を終えてAFC に加盟したオーストラリアが最初に臨んだ公式大会が2007年東南アジア4カ国で開催された AFC Asian Cup 。
その初戦で対戦した相手がオマーンだった。
バンコクのRajamangala National Stadium には約5,000 人の Green and Gold Army ( Socceroos サポーター ) が駆けつけたが彼らの前で繰り広げられた Socceroos のパフォーマンスは前年のワールドカップメンバー10人を含んだスタメンイレブンであったがドイツで見せたものとは程遠いものであった。
当時 FIFA ランク74位だったオマーンは 32分にルーズなマークを縫って Bader Al Maimani が先制ゴールを決めると後は守備を固める。
東南アジア独特の高温多湿のコンディションにあえぐ Socceroos 達は同点に追いつくチャンスを作れず時間が過ぎていくばかりであった。そしてロスタイムに入りようやく Mark Bresciano のシュートの跳ね返りを Tim Cahill が押し込んで何とか勝点1を確保した。
当時の Graham Arnold 監督は試合後オーストラリアはある選手は試合後体重が 5kg も減るなど気候に順応できなかったことを認め “牢屋を出たばかり。”と語った。
しかしそれは今大会、準々決勝戦で日本に敗れた大会の悪夢のスタートに過ぎなかった。
次の対戦は Asian Cup 予選であった。 2009年3月5日、キャンベラで行われた試合は0-0 のまま試合が進みまたも Tim Cahill が74分にゴールを上げ均衡を破りオーストラリアが辛勝を収めた。
当時のClaude Le Roy オマーン代表監督は試合後の記者会見でオーストラリア代表の役員達に侮辱されたと訴えた。

オーストラリア人たちは最初から我々が時間稼ぎをするものだと考えていた。しかし私はけっしてそんなことは指示しなかった。選手たちには前に、前にと指示した。オーストラリアは技術のある選手をたくさん含んだ大変すばらしいチームだワールドカップ2010年大会では彼らを支持する。しかし彼らが次に Muscat に来る前に我々はしっかりと準備を整えるであろう。

そのフランス人監督の“しっかりと準備する”という警告は Muscat でのリターンマッチで充分に知らしめられた。

15分にPKを得たオマーンはその時に Le Roy と彼の選手達がなにやら約束を果たした様なRhys Williams も退場で失うという立ち上がりであった。そして観客席から花火が David Carney の近くに放り込まれるなど緊張は高まるばかりであった。
Socceroos 達は Luke Willkshire が前半43分に同点ゴールを決めると観客席からの敵対心を振り払い 82分に Brett Emerton の逆転ゴールで勝利を収めた。
そしてオマーンの Asian Cup へのチャレンジは最終戦ホームでのクウェート戦を引き分け本戦出場は叶わず Le Roy は解任されることとなった。
この Asian Cup 予選でオマーンを連破しオーストラリアは 2007年大会のオマーンの亡霊を振り払うことが出来た。 
そして2014年ワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選で再び両国は同じ組となり Paul Le Guen 監督下、再び彼らの挑戦を受けることとなったが2011年10月11日シドニーで行われた第3節の試合では8分に Brett Holman が先制ゴールを決めると前半は試合を試合する。そして65分に Kennedy がゴールを決めリードを広げると最後は Jedinak がダメ押しのゴールを決めて 3-0 で Socceroos が勝利を収めた。

Osieck demands perfection from Socceroos
Muscat でのオマーン戦を前に Holger Osieck 監督は勝利以上のものを求めている。それは全勝で予選を終えアジアでの確固たる地位を築くという事だ。 Sultan Qaboos Stadium でオマーンを降せば2試合を残して最終予選進出が決まる。
しかし Osieck 監督はそれでは不十分であると思い、選手たちには残るタイ戦と2月のサウジアラビア戦でも手綱を緩めることなく全勝で日程を3次予選を終了することを望んでいる。
それは他のアジア諸国に Socceoos の脅威を当たることを意味するのだろうか?
“ 脅威とは多分大げさだろう。精神的に優位に立ちたい。 我々がチームとして進化し続けている間、我々がやろうとしている football を披露しそれを良く続けている間は、対戦相手は注意を払うっているということは認められるだろう。 
オマーン戦での勝利はレギュラー選手たちが次のタイ戦、サウジアラビア戦ではモチベーションを低下させる可能性があるとおもわれがちだが Osieck 監督は決してチーム力は低下しないと繰り返す。

“ 他の選手はアピールの場を得られるだろうが彼らはまだ挑戦を続け出場した試合を勝つという義務がある。 選手を Socceroosに召集した選手は常に勝利のメンタルを兼ね備えて貰いたいと思う。我々は決して1896年の五輪の時の様に参加することに意義があるというスタンスではない。”
Osieck の全勝の考えは勝利の文化を確立するばかりでなく FIFA ランクの上位を維持し最終予選で日本とならんでシードされることも視野に入れている。

“私は危ない橋を渡りたくはない。 誰もこのシステムはわからない。 だからシードされるということはシードされるチームであるということだ。恐らく最高の一流ということではない。 日本は大変危険だ。しかし違った質を持っている。だから FIFA ランクは維持したい。”
試合を前に Osieck はMark Schwarzer をGKに起用すること意外、スタメンの言明を避けた。Brett Emerton と Sasa Ognenovski の起用についても最後の瞬間に決定を下したいと語った。
オマーンはまだオーストラリアを破ったことは無いがこの試合はタフなものになると予想している。シドニーとの試合ではメンバー入りしなかった Fawzi Bashir が Paul Le Guen に召集される事となった。

“試合はタフなものとなるだろう。オマーンはこの試合に敗れれば予選が終わってしまうというところにいる。だから彼らは大変攻撃的に来るだろう。そしてやるかやられるかの勢いで臨んで来て我々を打ち負かそうとするだろう。彼らは恐らくシドニーでの試合よりもいいプレーをするだろう。それは確かだ。”




Disjointed Socceroos shocked by Oman
前半18分 Amad Ali Hosin のゴールが決勝点となり予選突破に望みを繋いだ。そしてオーストラリアは連動とゴール前の突破に欠けた。
Socceroos は高いボール支配率を維持し多くのチャンスを掴んだが相手GKを恐れさす程ではなかった。
この試合のオマーンは守備面でかなりの改善を見せそれが対オーストラリア戦初勝利に繋がった。
先制ゴールを許した Socceroos は27分 Brett Holman がゴールを割ったがオフサイドで認められず、後半 Luke Wilkshire がPA 内で倒されたがホイッスルは鳴らなかった。
前半、オマーンGK Al Habsi は Holman のシュートを難なく防ぎ、セットプレーからの Spiranovic, Jedinak のヘッドはそれぞれゴール枠を捉えられなかった。
Kewell の 2度のシュートそして Luke Wilkshire のショットはゴールを外した。
試合を決めたシュートはオマーン陣内深くからMohammed Al Makhaini から1本のロングパスが Al- Hosni Amad に送られ、 Rhys Williams の鼻先で受けた Al-Hosni のドリブルシュートが GK Mark Schwarzer の守るゴールを破り , 2011年7月24日ワールドカップ2次予選のミャンマー戦で Ismail Al Ajmi がゴールを決めて以来400分間続いた得点空白期間に終止符を打つことなった。
Al Mukhaini Hadid Thuwaini はその後あわや追加点と思われた直接FKを2度放った。
オーストラリア74分に Rhys Williams を下げてベテランMF Brett Emerton を投入し同点ゴールを狙ったが最後まで得点を挙げることが出来ず、このワールドカップ予選4試合目で初完封負けを喫した。この敗戦は Osieck 監督下20試合目にして3敗目であった。



Bausher Sports Complex で行われたオーストラリア戦。  Paul Marie Jospeh Le Guen 監督は10月11日のアウェーでのオーストラリア戦からメンバーを5人入れ替えてホームのオーストラリア戦に臨んだ。
オーストラリアの Holgar Osieck 監督は GK に負傷の癒えた Mark Schwarzer を第2GK Adam Federici に替わって起用し、前節起用された Michael Zullo に替わって Harry Kewell が起用し、 Josh Kennedy と2トップを組んだ。 しかし Kewell は55分に Robbie Kruse と替わってベンチに下がった 。Mitch Nichols はベンチ入りしたものの出場機会は最後まで無かった。

前節のホームでのオマーン戦の前にキャンベラで行われた“準備試合”で2ゴールをあげた清水エスパルスでプレーするアレックスこと Alex Brosque はこの試合も出番が無かった。しかしLukas Neil と組むCBとして 戦前ではSasa Ognenovski の起用が予想されたが浦和レッズ所属の Matthew Spiranovich がスタメン起用され90分間プレーした。



Australia (4-4-2): GK : Mark Schwarzer; DF : Rhys Williams ( 74’ Brett Holman ) , Lucas Neill (c), Matthew Spiranovic, MF ; Luke Wilkshire, Carl Valeri, Michael Jedinak, Matthew McKay, FW ; Harry Kewell ( 54’ Robbie Kruse ) , Josh Kennedy.

Oman (4-3-3): GK ; Al -Habsi , DF ; Abdullah Mubarak Al Balaushi, Al Amur Juma, Al Mukhaini Juma, Al Yousuf Madhafar ( 80’ Said Sanjoor ) , MF ; Al-Farsi, Al Hadhri Farah ( 70’ Ismail Al Ajmi ) , Hadhri, Al Mubarak Obaid, Al Mukhaini Thuwaini FW; Abdul Al-Maqbali , Amad Al Hosin ( 60’ Bashir Rajab ) ,

Not in use
Australia ; GK Nathan Coe, Adam Fedrici ; DF Sasa Ognenovski, Michael Zullo, MF ; Adam Sarota, Neil Kilkenny, FW James Troisi, Alex Brosque, Nicholas Mitchell,

Oman ;
GK ; Faiyz Al Rusheidi, Al Hawaidi Sulaiman, MF ; Nasser Al Ali, Mohamed Mukhaini FW ; Badar Bamasila, Abdullah Mukhaini, Al-Housni Suwaidan, Hamood Al Sadi

試合後 Osieck 監督は”我々はけっして勝利に値しないチームではなかった。”とコメントを残したが、試合内容はシドニーでの試合とは格段の差があったらしい。 GK が Schwarzer でなければ2点以上失っていたかもしれない。
そして Kewell はこの試合次の対戦相手国タイには行かずオーストラリアに帰国することとなった。



オマーンはこのオーストラリア戦の勝利をきっかけに生き返り最終的にはサウジアラビア、タイを抑えて最終予選進出を決めた。


 それにしても中東の選手は名前が長くて覚え切れない。かつてAFCが決めたとおり1選手1背番号制度を復活させてくれないかな?選手が一度つけた背番号を変えられないという規則。だから背番号が50番台の選手もいた。これは二重登録や登録詐称を避ける為だけれどこれはむしろ中東諸国の不正を防ぐため。この規則が廃止されたのは後に会長になった Mohammed Bin Hammam の影響か?     続く



キタ---------------------ッツ Soccerooooooooos !!!!!

2012-03-12 | 夏季五輪
先週初めから商用でオーストラリア大陸を訪れている。
寒い日本を離れて最初に降り立った地が西の端の街パース。 連日40度近い気温に閉口しながら過ごし次の訪問先 Brisbane に到着しチェックインをするや否やこの日に AFC の本部がある Kuala Lumpur で行われたワールドカップ最終予選の組み分けをチェックした。
日本は前回同様オーストラリアと同組。そして私が最も避けたいと思っていたイランは別の組みに振り分けられた。
オーストラリアの地でオーストラリアと同組になる事を知る。 両者が最初に対戦する6月が非常に待ち遠しくなって来た。
日本ではその組み分けを歓迎する報道が流れているらしいが、北朝鮮、ウズベキスタンに連敗中の日本は現時点で2年後のワールドカップに就いては出場が決まったわけでは無い。




Socceroos to resume Japan rivalry in qualifying group for Brazil

Socceroos は日本と共に2014年ワールドカップブラジル大会のアジア地区最終予選で同じ組に組み分けられ新たに始まる競争に臨む事となった。
Socceroos は他にイラク( FIFA ランク 76位 )ヨルダン ( 83位 ) オマーン ( 92位 ) と同じ組となり FIFA ランク20位で AFC 加盟国の中では最高位のオーストラリアの予選突破は大変期待できるものとなっている。

もう一方のグループではアジア諸国の中では2番目にランクの高い韓国がオーストラリアと共にシードされイラン、ウズベキスタンそしてレバノンと同組となった。

Socceroos の Holger Osieck 監督は日本との対戦まで時間が短い事を気に掛けてはいるがこの組み合わせには大変喜んでいる。

“移動の観点から見ればこのグループでOKだ。イラクに就いてはカタールか UAE での試合になるだろうしヨルダンもオマーンもアクセスはOKだ。そして明らかに日本に就いてもである。 ビザの発給に就いても心配する必要はない。

我々は組み分け抽選のずっと前から我々は中東諸国と開幕戦を迎えるであろうと解っていた。だからデンマークとの親善試合を組んだ。そこから中東諸国へのフライトは6時間程度だ。それはオーストラリア人にとって何の問題も無い。 そしてヨルダンからブリスベンに戻らねばならない。おそらくそれが移動に就いては最も懸念されるところだろう。そこ以外は問題ないと思う。ただそれを(移動を)をこなせばいいだけだ。

もし我々が予選を突破したいならばいかなるチームでも倒さねばならない。今や我々は対戦相手が明らかになった。そして我々はそこから始まる。
疑うまでもなく Blue Samurai との2試合にはもっとも注意が注がれるであろう。そして Alberto Zaccheroni
サイドとしても Soccoeroos がリーグトップの地位を賭けて闘う相手であろう。
この両者は2006年のワールドカップでオーストラリアが忘れられない 3-1 での勝利を収めて以来、お互い侮り難い対戦相手で昨年の Asian Cupではオーストラリアを撃破しそれに応じた。
ワールドカップ2010年大会でも両者は同じ組となり日本の試合では 0-0 で引き分け、 MCG では 2-1 でオーストラリアが勝利を収めた。
しかし日本は昨年の Asian Cup 決勝戦の延長戦で 1-0 で勝利を収め最後に- これまで最も高らかに - 笑っている。
現在の FIFA ランクではオーストラリアは日本より13位上回っているが、実際に対戦する段になるとそれは参考には出来ないだろう。

日本、イラク、オマーンとはここ数年で少なくとも3度ずつ対戦している。ヨルダンだけは対戦実績が無い。ヨルダンは3次予選では中国とシンガポールを退けイラクに次いで2番手で最終予選に進出して来た。

“私でさえヨルダンや彼らの football のスタイルは解らない。Asian Cup で彼らを見たがその時は対戦相手の日本の方に関心が偏っていた事を認めねばならない。しかし彼らは大変良くプレーをしており、真剣に闘わねばならない相手だ。そして彼らに関する情報を収集せねばならない。”



Socceroos face arch-rivals Japan in World Cup qualifying group

トップシードのオーストラリアはアジア王者の日本、同様にイラク、ヨルダンそしてオマーンと2014年ワールドカップブラジル大会アジア地区最終予選で対戦せねばならない。
“それはタフなグループとなるだろう。特にアウェーの試合では。” Holger Osieck 監督は金曜夜のクアラルンプールでの抽選会の後で語った。
しかし Osieck 監督は1年間に亘る8つの予選試合をこなして上位2位内に入り3大会連続ワールドカップへの出場権を勝ち取る事に自信を覗かせている。
“遠征に就いては対戦相手の地へのアクセスは容易である。そしてビザ発給の問題は無い。
“我々は何をすべきかが今や明らかになり、何を齎すべきかを解っている。 我々はスタートから適所から始めねばならない。最初の1分から。”
Socceroos にとってその最初の1分は6月8日のオマーンで始まる。そこは最後の Melbourne での Saudi Arabia 戦で勝利を収め6試合中5勝を挙げ1位で通過した3次予選の戦いで我々を唯一打ち破った国のホームである。
Osieck 監督はいかなる突破の期待が非常に高い予選でも最初の試合が最もタフになる事を熟知している。
アウェーでオマーンに 1-0 で敗れた試合は今でも彼らの記憶に新鮮に残っている。
World Cup hat-trick hopes high
アジア最終予選の組み分けが発表されてそれが好まれるものとなりオーストラリアの3大会連続ワールドカップ出場の希望はかなり高くなって来た。

Socceroos が日本、イラク、ヨルダンそしてオマーンと同組になった事はHolger Osieck代表チーム監督に微笑みを齎した。
オーストラリアは最終予選の開幕戦を6月8日にオマーンとのアウェー戦で迎え6月12日にはブリスベンで日本を迎える。

“遠征に就いてはもっと大変になるかと按じたが、この組み合わせをみて良かったと思った。
日本戦に就いてはいつも良い。 彼らは我々をよく扱ってくれる。我々を非常に尊敬してくれて練習場も素晴らしいものを与えてくれる。 我々の様な客でも荷物等丁重に扱ってくれる。“

しかしながら彼はこの予選はピッチ上で多くのチャレンジが演じられる事も認めた。
“私はこの予選会の予想に就いて大変エキサイトしている。我々は何をすべきかが今や明らかになり、何を齎すべきかを解っている。それが今はわかっている。 多くの”しかし“や言い訳はもう出来ない。

“我々は準備を行い、(最初の試合に)集中せねばならない。 我々にはレベルの高い、充分な経験のある選手がいる。彼らはそれら全てを熟知している。なぜならずっと予選を戦っているからだ。
イラクと言う常にタフな相手がいるが Socceroos は Group B の2位内に入る事が予想れれている。
イラクに就いては

“イラクはイランと似た様なスタイルの football をする。彼らは強く、技術も高く戦術にも長けている。昨年の Asian Cup の決勝戦を振り返ってもあれはタフな試合であった。我々は延長戦で勝ったが90分以内で勝つべきであった。” 
日本に就いては
日本に就いては全てを知っている。そして彼らがいかに素晴らしいかも。彼らは大変技術が高く、質の高い選手が多い。“ 
ワールドカップでの戦績では日本は1998年に最初に出場を決めて以来2002年大会2010年大会で決勝トーナメント進出を決めているがオーストラリアは 2006年大会1度のみだ。
Oseick 監督は 2000年代の初めに J-League の浦和レッドダイヤモンズを指揮している。
Socceroos にとって重要な事は彼らは最後の2試合を、7月11日にヨルダンと18日にイラクとそれぞれホームで迎えると言う事だ。

Pim Verbeek 前監督時代のワールドカップ予選は2年間に亘り14試合を行いワールドカップ2010年大会の開催国である南アフリカに進出した。 Socceroos は8試合行われた最終予選で日本に5勝点差をつけて首位で全日程を終えた。そして2試合を残してワールドカップ出場を決めた。
しかし今回の予選はそう簡単には行かないと予想されている。

Socceroos にはMark Schwarzer, Lucas Neill, Tim Cahill, Harry Kewell そしてBrett Emerton ら今回のワールドカップ予選が最後になるであろう高齢者を含んでいる。



オーストラリアの日程は下記の通り。

June 3, 2012 - bye
June 8 - away v Oman
June 12 - home v Japan
Sept 11 - away v Jordan
Oct 16 - away v Iraq
Nov 14 - bye
March 26, 2013 - home v Oman
June 4 - away v Japan
June 11 - home v Jordan
June 18 - home v Iraq.

日本同様、オーストラリアもスタートダッシュに失敗はしたくないところだろう。
最も懸念されるのが最初の2試合。オマーンで試合を行い中三日でブリスベンに戻り日本と対戦せねばならない。
ホームとは言え同じ中3日でも時差のない日本からやってくる Samurai Blue を相手にするのは容易でないはず。
日本はそこにつけ込みたいところだ。
直接対決は共に6月。欧州組みの召集は問題ない時期であるが Socceroos は3月にホームでオマーン戦がある。
この試合にどれだけ欧州組みが“ベストの日程”で召集出来るだろうか….
ただ最後の2連戦がホームでおこなえる日程は羨ましい気がするけど….

Osieck 監督は来年6月どの様な心境でかつてここをホームとしたさいたまスタジアムに“凱旋”するのだろう?
もしかして Brosque, Carney と言った元 Sydney FC の選手達が再びこのピッチに立つのだろうか?
個人的には今度こそ Kewell が日本でプレーする姿を見たいなぁ…





Socceroos to face Scotland in Edinburgh

Socceroos はこの抽選会の前に Edinburgh で8月15日に Scotland と親善試合を行う事が決まっている。
両者の対戦はこれまで4回あるらしく、両チームともこの試合をそれぞれのワールドカップ予選への準備試合と位
“昨年の Wales 戦同様にこういう時期にこの様な試合が組まれる事は新しいシーズンを切るにあたり大変良い機会となる。我々はこの試合を9月から始まるワールドカップ予選の為に選手のクオリティーを上げる試合とするだろう。 Scotland は常にタフな相手である。特に彼らのホームで試合を行う時は。” この様に Osieck 監督は結んでいる。

Craig Levein スコットランド代表監督はも同様にこの試合を重要視しており下記の通りに語っている。
“オートラリアと試合を組むことを確認し、大変喜ばしい。 そしてこの試合を9月のワールドカップ予選への準備試合としたい。昨年オーストラリアはワールドカップ予選で我々と同組の Wales を Cardiff で破っている。そしてそれ以降ワールドカップ予選では好成績を収めている。従ってこの試合が我々にとってタフなテストになる事は疑いの余地は無い。“

両チームが最後に対戦したのは2000年11月15日の Glasgow の Hampden Park 。
その時のメンバーは下記の通りだった。

Scotland 0  Australia 2 (Brett Emerton 12’,David Zdrilic 66’)
Referee: Pascal Garibian (France) Crowd: 30,985

Scotland line-up: Jonathan Gould, David Weir (Matt Elliott 46’), Tom Boyd, Brian O'Neill (Colin Hendry 58’), Christian Dailly, Craig Burley (Paul Dickov 63’), Barry Ferguson, Colin Cameron (Neil McCann 46’), Dominic Matteo, Don Hutchison, Billy Dodds
Coach: Craig Brown (Scotland)

Australia line-up: Mark Schwarzer, Tony Popovic, Shaun Murphy, Kevin Muscat, Stan Lazaridis, Brett Emerton, Josip Skoko (Kasey Wehrman 75’), Paul Okon, Daniel Tiatto (Jacob Burns 67’), Paul Agostino (Mile Sterjovski 46’), David Zdrillic (Clayton Zane 89’)
Coach: Frank Farina (Australia)

オーストラリアは懐かしい顔が並ぶ。しかしこの時からもう Schwarzer, Emerton が代表入りしていた。
’86 ワールドカップメキシコ大会の大陸間予選でも両チームは対戦しておりこの時は Scotland が Australia を破っている。
それが今では….日本だって今では例えアウェーでも Scotland なら良い勝負すると思う。本当に隔世の思いだ。
日本はこの頃どういう対戦相手と試合を組むのだろう。

この頃はきっとかなり気温が上がって冷房の設定温度にも制約が掛けられ暑い夏になっているやろうなぁ~

兎に角楽しみなオーストラリア戦。 俗に言う“サッカージャーナリスト”諸氏達との“対戦”が一番楽しみ。

彼らがどれだけその無知ぶりを晒すだろうか。 とくとご覧あれ、と言いたいけど誰も見ないか ……




連敗で最終予選へ  Japan 0-1 Uzbekistan 29th Feb.

2012-03-03 | 夏季五輪
54分、攻撃に転じていた日本だが香川が浮かしてウズベキスタンゴール前に入れたボールは CB ⑤ Filiposyan がカットし MF ⑳ Magdeev に繋ぐ。 Magdeev は中央から爆発的なドリブルで一気にハーフウェーラインを越えると右サイドを上がった ⑯ Hasanov に送る。 そしてファーサードに入れたクロスに FW ⑪ Nasimov が飛び込みヘッドで合わせる。 GK 川島がそのヘッドをブロックするもリバウンドがFW ⑨ Shadrin の前のこぼれ、そのまま日本ゴールに押し込まれてしまった。 



北朝鮮戦に続いて先制ゴールを許してしまった。しかしこのウズベキスタンのカウンターは見事だたなぁ。まぁゴールが決まる時はいつもそうなんだけど。 ⑳ Magdeev が ⑯ Hasanov にパスを出す時ボランチ ⑱ Kapadze が右から中へ切れ込み遠藤のマークを上手く遅らせていた。 
この失点で日本イレブンの目が醒めると思った。( 北朝鮮戦でも醒めなかったけど ) そして日本がウズベキスタン陣内でボールを回し続ける。 
71分、日本が素晴らしいボール回しを披露する。長友がボランチ ⑦ Haydarov からボールを奪い、中の遠藤に繋ぐ。そして前線の香川に送ると香川がワンタッチで乾に送り更に右サイドの岡崎に戻す。 岡崎は CB ⑥ Filiposyan 左SB⑥ Rakhmatullyev に囲まれながら左の李忠成に送る。 李は中央やや右に走り込んだ乾に戻しゴール前に走り込んだ香川にスルーパスを送る。香川がシュート体勢に入るが右 SB ⑲ Inomov がスライディングでブロックをしゴールに至らない。
73分には遠藤から右サイドの内田に大きく展開されると内田は中の香川に送るとワンタッチで右サイドの岡崎に送るが何故かオフサイドフラッグが上がる。 この約2分間がこの試合最高に沸いたシーンだった。
80分を過ぎるとウズベキシタンイレブンの球際の強さが目立ち始める。スタンドも多くの視聴者も宮市の投入機会を今か今かと心待ちにするが長友が負傷を訴え駒野がアップを始める。そして83分遂に長友がベンチに下がってしまい宮市の出番は無くなってしまった。 




87分30秒、ウズベキスタンはカウンターから ⑥ Rakhmatullyev からボールを受けた ⑪ Nasimov がシュートを放つが僅かにクロスバーを越えてくれた。 今野、吉田がそれぞれマークに付いていたのだが….
88分17秒には ⑨ Shadrin が ⑪ Nasimov に送り撃たれたショットはゴールの右に外れる。 88分33秒、右サイドを上がった内田に岡崎からボールが入るがまたもオフサイドフラッグが上がる。 ロスタイムに入り吉田が前線に上がってくるが91分47秒には⑪ Nasimov から⑯ Hasanov にパスが通り GK と1対1になるがシュートは川島の正面を突き追加点は決まらない。
ウズベキスタンはロスタイムに入っても時間を稼がずにシュートを撃ってくれる。まだツキは残っているなぁ。これが“消化試合”でなければこうはいかなかっただろう。
92分36秒には乾から香川にスルーが入るがここもシュート体勢に入るが ② Ismailov が身を挺して阻止。 これが最後のチャンスだっただろうなぁ…と言う予想は当たった。 

  

94分24秒、前線でボールを持った乾が遠藤に下げ前線の香川にめがけて放り込まれたがその前に ⑤ Filiposyan がヘッドでクリアーしたところでロスタイム4分が過ぎカタール人のバリデー主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
ホームで、半分以上レギュラーのいないチームを相手に黒星。 ちょっと予想外の結果だった…..

日本のスタメンはほぼベストメンバー。本田圭祐の不在は香川がトップ下に入り今回は清水エスパルスの藤本が2列目右に入り、岡崎が左に起用され埋められた。 
ウズベキスタンは前節タジキスタン戦で 3-0 で勝利を収めたが7選手がイエローカードを受け、うちDF Shavkatjon, Tuhtahu, MF Tursunov, Galiulin, Djeparov FW Geynrikh ら6人が累積警告2枚となり日本戦は出場停止となっていた。
特に Djeparov, Geynrikh が出場出来ないとはそれだけで戦力は半減するはずだった。 9月の日本戦にスタメン出場した MF Victor Karpenko はこの試合はベンチにも入っていなかった。前節タジキスタン戦ではベンチ入りしたが出場はしなかった。
かつてのスーパースター Maksim Shatskikh はタジキスタン戦に続いてベンチ入りしなかった。 昨シーズンは所属先の Arsenal Kiev では今シーズンは17試合の出場に留まっている。 
1997年、あのワールドカップフランス大会予選でも 出場をしていた Shatskikh はこのワールドカップ最終予選も出場してくるのだろうか…
日本戦のスタメンで “レギュラー” だったのは GK Nesterov, DF Ismailov そして MF Haydorov そしてKapadze くらいで、FW Shadrin 以外の前のタジキスタン戦、その前の北朝鮮戦ではベンチ入りすらしなかった選手が6人もいた。
FW Shadrin はこの2試合ではベンチ入りをしたが出場機会は無かった。

あまり日本では報道されていなかったがウズベキスタンは試合の4日前、日本入りする前の2月25日、韓国代表とアウェーで“練習試合”を行っていた。しかも韓国はベストメンバー。韓国はこの時点ではまだ3次予選突破を決めておらず最終戦のクウェート戦で敗れたら予選敗退の危機もあったので結構真剣勝負であっただろう。
この試合は 4-2 で韓国が勝ったがこの試合のスタメン8人が日本戦のスタメンに名を連ねた。そして結局 Haydorov 以外の日本戦に出場した13選手が韓国戦に出場していた。
日本も25日にはアイスランド戦が組まれたがその試合に出場してウズベキスタン戦にも起用されたのは藤本、遠藤、今野、駒野の4選手だけだった。
その上ウズベキスタン代表は1月17日にクウェート戦, 29日にUAE 戦をアウェーで行っておりそれぞれ 0-1 で敗れているが、国内リーグも終わっている現状を踏まえてかその時期から始動を始めていた。
また日本戦に出場した選手達の中でも Ismailov ( 長春亜泰 ) Magdeev ( 青島中能 ) らが東アジアに馴染みがあり (出場機会が無かった K. Todjiev も中国 江蘇瞬天所属 ) Haydorov ( UAE Al Shabab ) , Hasanov ( Qatar SC ) らシーズン中の選手もいた。そしてこの日は出場停止だった中心選手の Geynlich は水原三星の所属だ。
こうして考えればウズベキスタンのコンディションは試合前日に来日する欧州勢が多かった日本とは比較にならないほど上回っていたと思われる。




それでも前半の日本は何度かチャンスを掴んだ。
16分、香川からのスルーパスが右サイドに流れたハーフナーに通りクロスを入れるとウズベキスタンDFに当たりあわやオウンゴールとなるところだった。中央に走り込んだ岡崎のマークに付いた⑭ Andreev が手で岡崎を押したがホイッスルは鳴らなかった。
22分には決定機を迎えた。 香川からのスルーパスがDF ② Ismailov の股間を抜けて岡崎に通る。そして⑲ Inomov をかわして放ったシュートはファーサイド、左上のクロスバーを叩き惜しくもゴールにならない。 25分には長友が長躯ドリブルで左サイドを上がり中に切れ込みながら右サイドにゴロでラストパスを送るが滑り込んだハーフナーには僅かに合わなかった。
前半ロスタイムに入るとCB吉田が上がってくる。そして ⑯ Hasanov と競りながら放ったヘッドはクロスバーを越えてしまった。

前半は香川のスルーパスが目立った。所属先の Dortmund でも HSV 戦の様に先制ゴールをアシストするなどナイスパスを連発し Die Kicker の ベスト11にも選ばれる等の活躍だったが後半に入ると、特に乾が投入された後はその乾が香川の役を担い香川が“ラストパス”を受ける側に立った。 
敗戦の中でも乾は収穫では無かったか?さすがに所属先の Bochum で結果を出している選手と思いその抜擢にもさすがと思った。

  

宮市が起用されなかったのはただ不運だった。 長友の怪我がなければチャンスはあっただろう。今週行われる Manchester City 戦でも出場機会があるだろうか…..

それからマスコミを筆頭にウズベキスタンを過小評価しすぎていなかったか?
昨年の Asian Cup では日本、オーストラリアに次ぐ3位に入った実績を持つ国だ。 今行われているロンドン五輪予選でも出場チャンスが充分にある。2010年 FIFA U-17 では準々決勝に迄勝進んだ。
同国サッカー界のスーパースターは2010年 FIFA World Cup の開幕戦南アフリカ対メキシコ戦で主審の笛を吹いたRavshan Irmatov 審判。同国の Rafael Ilyasov 審判も線審を務めた。
また首都タシュケントには Real Madrid Football School が開設される事が同意されたが、この“事業”にはIslam Karimov大統領の令嬢 Gulnara Karimova 氏が1枚噛んでいるがかつて彼女は在スペインウズベキスタン大使館で従事しておりその際は FC Barcelona の Joan Laporta 元社長とも交流があったらしい。
そこは元共産圏。官を上げての強化が容易になされる。 今年行われるオリンピック、そして次のワールドカップの出場権を勝ち取れば国から報奨金が出る事は必至だ。
ソ連邦時代、首都タシュケントはモスクワ、レニングラード(サンクトペテルブルグ)、キエフに続いて4番目の大都市だったが当時から存在するクラブ、パフタコールは全ソ連リーグでは中位に位置していたクラブだった。しかし“ソ連代表”には選手は選ばれていただろうか? 当時の中心選手は Dinamo Kiev の選手が多く他には Dinamo Moscow や CSKA, Supartak, Locomotiv 1982年大会にはシェンゲリア、チバーゼと言ったグルジアの選手もいたけど…

翌日主将の長谷部が最終予選前に“緊急合宿”を提言したらしい。
最終予選は6月に始まり3試合行われる。欧州組みは数週間前にシーズンが終わったばかりでコンディションが心配、と言う事だろう。 J-League との調整がどうなるかだ。
またこの敗戦で第1シード権を失ったという報道が広くなされている。これで韓国かオーストラリアと同じ組になる事となったが、この2カ国も日本とは同じ組になりたくはないだろう。 しかし前回のワールドカップの結果から日本と韓国がシードされるかもしれない。
第2シードとなったとしても恐らくイランも第2シードとなり同組になる事が避けられる。 そうなると第3シードのウズベキスタンかイラクのどちらが同じ組になるだろう……

消化不良に終わったウズベキスタン戦であったがその直後に中継されたなでしこの試合でそれが一掃された。
現地入りしたのは2日前。時差が残り気候も変わり調子が上がらない中欧州でも列強のノルウェーに先制される苦しい立ちあがり。しかし前半終了直前に鮫島からの縦パスを受けた宮間が左サイドを上がり入れたクロスに逆サイドの永里が身体で押し込み同点。後半は阪口からボールを受けた川澄が放ったミドルが相手DFに当たってノルウェーゴールに飛び込み逆転。以降は主導権を握り見事勝利を収めた。 立ち上がりはリズムが掴めずも終わってみたら勝利を手にしている。まさに強いチームの試合運びだった。
そして私は家内に云った。

日本女性はすばらしい。

アウェー連戦。 タジキスタンでの報道から… Tajikistan 0-4 Japan 11th November 2011

2011-12-04 | 夏季五輪
ソ連邦が突然崩壊する数年前。私はようやく社会人にデビューする事が出来サラリーマン生活をスタートする事が出来た。
当時私の勤めていた会社は小さいながらもモスクワやワルシャワ、ブカレストに駐在事務所を持つ貿易会社でソ連貿易のボリュームの大きさに舌を巻いていた。
会社からは“若いんだからロシア語をどんどん勉強しろ。金は出してやる。”と言われたが、英語もまだまだおぼつかない自分はとてもそんな余裕はなかった。今となっては無理してでも勉強しておけばよかったと少し後悔している。
あの時大きなプロジェクトが決まったらしく、毎月多くの取引先の技師の方達がソ連邦に出張に出掛けていた。
当時でも(いや当時だからこそ)当然マルチビザを取得しない限りソ連の公団から invitation visa を貰わねばソ連各地には行く事が出来ず新人社員でロシア語も話せない自分はモスクワ所長といつもビザ発給の作業を手伝っていた。
そして様々な都市の名前を覚えた。ドシャンベと言う街の名前も初めて聞いた…..
それから僅か2年程でソ連邦は崩壊した。あれほどのボリュームのあった引き合いはまったく霧散してしまい旧ソ連邦は一気に“最貧国”みたいな扱いになった….この冬は餓死者がでるとか言われた…..
1992年タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦がおこり、1994年の暫定停戦合意およびエモマリノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国際連合タジキスタン監視団 (UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。1997年に内戦は終結、その後ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。
しかし、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。
2011年1月12日、タジキスタン下院は、中国との国境画定条約を批准し、パミール高原の約1000平方キロメートルが中国に割譲されることになった。 ( この部分 Wikipedia より抜粋 )

ワールドカップ2次予選では御周知の通りシリアに 1-2, 0-4 で連敗し3次予選進出はならなかったはずだがシリアが出場資格の無い選手を起用した事が発覚し失格となり繰り上がりで3次予選に進出したタジキスタンは第1戦のホームでのウズベキスタン戦、続くアウェーでの北朝鮮戦は 0-1 で連敗するもまずまずやるなぁ…と思ったが第3戦のアウェーでの日本戦は 0-8 で粉砕された。しかし楽観視するのは胸算用だと思う。ホームではウズベキスタンに敗れたとはいえ 0-1 だった。代表選手達は決して侮りはしていないだろう…



日本から120人のジャーナリスト達が同行  11月3日
11月11日ドシャンベで行われるワールドカップ予選。タジキスタン対日本戦に日本から約120人のジャーナリスト達が訪れる予定。
タジキスタン協会にAP通信から入った情報によると日本選手と報道陣は試合の2日前にカタールからチャーター便でドシャンベ入りする予定であるとの事。

ドシャンベの地元クラブ Istigol の Official Site によると Alberto Zaccheroni 監督が選出したウズベキシタン戦のメンバーは23人であり GK 3人、DF 8人、MF5人、FW7人の構成となっており日本国内でプレーする選手が11人。その他にベルギー ,クロアチア, イタリア、ドイツ, オランダ, イングランドでプレーする選手達が含まれている。との事であった。

メンバー発表。  11月5日
11日日本戦 ( Dushanbe ) 15日ウズベキスタン戦 ( Tashkent ) に向けての22人のメンバーが発表された。

メンバーの中にはワールドカップ3次予選初選出の4選手が加えられた。17人しかベンチ入りしなかったが日本戦からは MF Ortikov Ilhomzhon がそして北朝鮮戦でベンチ入りを果たした FW Rustamov Nazvruz らがメンバーアから外れたがいずれも出場機会は無かった。新たに加わったのは Dushanbe Energy でプレーするAktham Nazarov, Abdusamad Hodzhibaeva, Vahdat Hiram でプレーするIdibeka Habibulloeva そしてFW Tursunzade Regar-TadAZ のAktham Hamrokulova.
しかし今回も期待の MF Regar でプレーするJamshed Ismailov は怪我の為に召集は見送られた。

The national team in Tajikistan:

Goalkeepers: Alisher Tuychiev ("Istiqlol", Dushanbe), world Murodov ("Energetic", Dushanbe), Vladimir Sysoev ("Regar-TadAZ" Tursunzade);

Defenders: Davrondzhon Ergashev Eradzh Radjabov, Akmal Saburov Sohib Suvonkulov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Farrukh Choriev ("Regar-TadAZ" Tursunzade) Idibek Habibulloev ("Khair" Vahdat), Ahtam Nazarov ("Energetic "Dushanbe);

Midfielders: Jahangir Djalilov Rabimov Ibrahim, Fatkhulla Fathulloev, Nuriddin Davronov, Dilshod Vosiev, Mahmadali Sadykov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Khurshed Makhmudov, Jamshed Ismailov (both - "Regar-TadAZ" Tursunzade) Abdusamad Hodzhibaev (" Energetic ", Dushanbe);

Forwards: Komil Saidov (CSKA "Pamir", Dushanbe), Ahtam Hamrokulov ("Regar-TadAZ" Tursunzade), Farhad Tohir ("Istiqlol", Dushanbe.)


日本の Blue Samurai 達タジキスタンに到着  11月9日 16;59
本日 Alberto Zaccheroni 監督率いる日本代表チームがドシャンベに到着する。選手達を乗せた飛行機は本日20:00 に首都の空港に到着する。翌日10日にはAlimdzhon Rafikov タジキスタン代表監督と共に Zaccheroni 監督はHotel Tajikistan で行われる前日記者会見に臨む。同日日本代表選手は試合が行われる Central Republican Stadium で練習を行い、タジキスタン代表チームは引き続き The Aviator 競技場で最終調整に入る。

ザッケローニ監督ピッチ状態を懸念。 ラフィコフ監督汚いゲームにならない事を確認。 11月10日
11月10日 Hotel Tajikistan で両監督は試合前日記者会見に臨んだ。
両チームの監督はジャーナリス達の質問に応えドシャンベの Central Stadium で行われる翌日の試合はワールドカップ予選に置いて重要な試合になると答えた。日本選手団は11月9日水曜日カタールからチャーター機で到着した。
“勿論我々は既に日本で彼らと対戦しており我々のレベルも解っているが明日は地元ファンを喜ばせる為に良い試合を御見せする。そしてこの試合の Visitor ( 日本代表 ) にダーティーな試合をしない事を約束する。”この様に Rafikov 監督は語った。
イタリア人の Alberto Zaccheroni日本代表監督は翌日は良いサッカーを披露できる事を願っていると語った。
“我々はすこしばかり Central Stadium のピッチコンディションを懸念している。本日 Central Stadium を訪れ雨が降った後の状態を危惧したが問題は何も見られなかったという事が出来る。”と語り翌日の試合に就いては
“タジキスタンチームもしっかりと準備をしているのでそんなにイージーには行かないだろう。”と話した。

試合当日はよく晴れて雪も除かれピッチコンディションもかなり改善されていた。
日本は怪我で合流出来ない本田に替って中村憲剛がトップ下に入り怪我の長友に替って駒野が左SBにそして内田が故障からも戻って右SBに入った。
ホームの Tajikistan は10月11日の日本戦のスタメンからメンバーを3人替えて来たがフォーメーションは Saidov Kamil と Makhmudov Khurshed の2トップ。この試合では起用された3選手は日本には帯同しなかったCBの Vasiev Farkhodと2列目左の Vasiev Dilshod と左ボランチの Rabimov Ibragim。そして地元と言うこともあり東京には18人しかメンバーが帯同しなかったがこの試合は23人の選手がベンチ入りした。 2トップの Saidov ( CSKA Pamir Dushanbe ) 、Kharshed Makhmudov ( Regar TadAZ Turshunzade ) そしてCB Vasiev Farkhod (Regar TadAZ Turshunzade ) 以外の選手は全て地元 Dushanbe の Istiqlol の所属選手だった。
日本のキックオフで始まったこの試合は開始早々からタジクの選手達が積極的に前に出てきて MFの Dzalilov Dzhakhongir が粘ってCKを奪う。長居ではボール支配率が僅か28.3%だったタジキスタンであったがこの試合は地元観衆の声援を受け長居で晒された様なゴールラッシュだけはと言う思いが感じられた。
そしてスタンドには軍服姿が目立った。
ピッチではタジキスタンは長身FW Saidov にロングボールを集めていく意図がはっきり見え、長居では良い様にやられたハーフナーにはかなりタイトなマークを付けて来た。 やはり地元観衆は勇気を与えるのだろう、CK
数では10分迄に日本が得3本に対してタジキスタンは既に5本のCKを得ていた。 そして16分にはボランチの Davronov Nuriddin, Ibragim が連続シュートを放ち観客を沸かせた。長居ではシュート1本に終わったタジキスタンであったがこの試合は先制ゴールを奪うのではと言う勢いだった。
日本も21分41秒には左サイドからボールを受けた憲剛が前線の香川にワンタッチパスを送るがピッチに脚を取られてか香川はシュートが撃てない。23分には長谷部が中央をドリブルで上がりハーフナーに送りシュートに持ち込むが惜しくも外れる。
タジキスタンは守勢に回ってもPA内に多い時は8人の選手が入り必死の守りを見せる。長居では8失点を喫したが好セーブも見せたGK Tuychiev Alisher は駒野のミドルシュートをパンチで防ぐなど観客に期待感を持たせた。
そして31分57秒。ゴール前でこぼれ球を拾った FW Makhmudov が右の Dilshod にはたくと Dilshod が放った強烈なミドルはポストを叩く。最も地元観客が沸いたシーンだった。
このシーンを見て一瞬冷や汗をかきそうになったがそれでも“先制ゴールを奪われた方がいい。アウェーでリードされた状況で勝試合にすることも最終予選に向けていい勉強になる。”と勝手な事を思っていた。
しかしその直後に日本に先制ゴールが生まれた。長谷部が左前方の憲剛に渡しリターンを貰い再び憲剛に送り憲剛が放ったショットはGK Tuchiev が一旦は弾くがそこに詰めた今野がこぼれ球を蹴り込んだ。トップにいたハーフナーも上手く相手DFを背負って動けなくしていた。 
さっきまで“いい勉強になる”と思っていた自分だったがこのゴールでやはり安堵の嘆息を漏らした。
だけどこの直後にこぼれ球を拾った右SBの Ergashev が強烈なミドルを放った時はまたもひやりとした…..
前半は何とか先制ゴールを挙げたけどそれだけに終わったのは想定外ではなかったか…でもそれだけアウェーの戦いは難しいと言う事だろう。



後半は開始早々香川のドリブルシュートで幕を開けたが47分には FW Makhmudov のミドルが飛ぶ。55分には Vosiev のアーリークロスが前線に飛ぶが僅かに Saidov に合わない。前半からタジキスタンはトップの2人にアーリークロスを単純に放り込み続けているがそれが意外に効果的だった。ただこのこぼれ球を拾う選手がいなかったから得点に結びつかなかった。
追加点の欲しい日本は55分ハーフナーを下げて前田を投入。ワールドカップ予選初登場だ。ハーフナーもタイトにマークされると厳しいか?? タジキスタンベンチも57分に Dzalilov を下げて Fatkhuko Fatkhulloev を入れる。Fatkhuko は長居での日本戦にはスタメン出場したMFだ。しかし Dzalilov を何故下げたのだろうなかなか良い動きを見せていたのに。スタンドからは同点ゴールを求めて歓声が飛ぶ。
しかし日本にあっさりと追加点が入る。61分左サイドをドリブルで上がった香川が入れたクロスにファーサイドから走り込んだフリーの岡崎がヘッドで押し込んだ。 まるでシュート練習を見ている様なゴールだった。
これで2点差となり日本が負ける事がまず考えられなくなって来た。
それでもタジキスタンは“強豪”日本からの得点を目指してボールを追う。67分にはFW Saidov を下げて MF Turaev Lutfulla を入れ Fatkhuko を前線に上げる。68分にはMF Davronov がミドルを放つ。69分にはボランチの Rabimov を下げて FW Sadykov Makhmadali を入れ前線の数を増やす。MF Vasiev がクロスを入れるが Makhmadali には合わない。ゴール前で FW Makhmudovにボールが入るがシュートは撃てない。Makhmudov はその直後も身体をターンさせてシュートを放つがゴールに届かない。
80分を過ぎると日本が再び攻勢に出てきて82分に駒野からボールを受けた憲剛がスルーを前田に通すと前田は狙いすました様にミドルを放ちタジキスタンゴールに突き刺した。
これで3次予選突破に大きく前進した日本は86分に憲剛、内田を下げて清武、伊野波を投入する。この時は原口の出番は次の北朝鮮戦か…と思ったけど….
ロスタイムに入り清武のゲームメイクから岡崎が日本の4点目となるゴールを決めてタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。

タジキスタンの抵抗もあったが終わって見れば 4-0 の快勝だった。



3次予選突破を決めた日本だけど最後の試合は敗れた北朝鮮戦。
1985年は力の差では上だった北朝鮮にまだ共に次のラウンドに進出の可能性が残る両者が対戦して引分けを演じた。
今回は力関係は日本がかなり上でしかも予選突破の可能性の無くなった北朝鮮に敗れたのだ。 最終戦に臨む前にこの悪い流れを払拭する為に2月のウズベキスタン戦はすっきりと勝ってほしいと思う。
だけどどこで試合をするのだろう?さいたまスタジアムかな…. 最終予選も全てここでやってほしいなぁ…….


遠い平壌のゴールネット  4試合連続無得点 北朝鮮 1-0 日本 15.11. 2011 平壌

2011-11-25 | 夏季五輪
NHKのアナウンサーは何度も云っていた。日本代表は終了直前でもゴールを挙げて勝利を掴んで来た…..
しかし今度はどうかな…とテレビ画面を見ながらと思った。相手は約2か月前に同じ目に会っている。今度は想定内だろう、ここは相手のホームだ。そして同点でなくてリードされている…
訂正されて表示されたロスタイム4分を過ぎた。 GK リミョングックが痛んで治療していたのであと2分はあるかな..と思った。そしてこの大観衆を黙らせれば痛快だろうなぁ…と思った。しかし50分51秒。バーレーン人のシュクラーラ主審のホイッスルが鳴り響いた。
あぁぁぁぁ…負けた…と言うよりもまた無得点に終わったかぁ… それが最初に思った事だった。

ワールドカップ3次予選の組み分けが決まり、北朝鮮と同組になったと知った時に真っ先に“平壌でこの試合を見たいなぁ…” と思った。20年以上前、当時勤めていた会社のワルシャワ事務所の現地女性スタッフからどこの国に行ってみたいか…と訊ねられて話をした事があった。そして彼女は
“ North Korea に行ってみたい。今の体制の North Korea に。”と答えた。
当時はまだ金日成が主席だった。そして東欧やオーストリアのウィーンには金日成バッジを付けた北朝鮮の恐らく大使館員か領事館員と何度か顔を合わせた事があった。そして駐在所長とホテルのレストランで食事をしていたら
“ We are North Korean … “ と話しかけられた。そして彼らは我々を仲間に見立てて食い逃げをした…..
今から考えれば私だって拉致されていたかもしれない… と思うとちょっとぞっとする。

日本代表が初めて北朝鮮の地で試合を行ったのは 1979年。8月にソ連極東地域と北朝鮮に遠征。極東地区で3試合行い北朝鮮に渡り地元軍隊チーム等と2試合行った後に遠征のその締めくくりとして8月23日に平壌で北朝鮮代表チームと試合を行い 0-0 で引き分けた。当時日本ではワールドユース ( 今の FIFA U-20 ) が開催されておりかなり濃いサッカーファンでないとこの遠征は知られておらず専門誌でも結果が掲載されているだけだった。この遠征は翌年に日本代表は金田喜稔や落合、清雲、碓井、永井そして木村和司らがメンバーに居た。北朝鮮側のメンバーは今もってわからない。北朝鮮は前年バンコックで開催されたアジア大会決勝戦で韓国と引分け優勝を分け合う程のアジアの列強であった
この遠征はその年の秋に開催される予定であったモスクワ五輪予選に向けての強化合宿であったが予選は翌年3月に延期されマレーシアで開催された。そして日本、驚いた事に筆頭候補だった韓国まで地元とはいえマレーシアの後塵を拝した。そしてマレーシアは当時の西側諸国に同調してモスクワ五輪をボイコットした。



1985年2月翌年メキシコで開催されるワールドカップアジア地区予選が始まった。1次予選の日本はシンガポール、北朝鮮と同組だった。実力的に日本と北朝鮮の一騎打ちと思われたがやや北朝鮮有利と言われていた。
しかし当時私は北朝鮮は1982年インドのニューデリーで開催されたアジア大会の準決勝戦でクウェートに延長戦で敗れた後に判定に激高したコーチ陣が審判団に襲いかかると言う事件を起こし約2年間公式試合の参加停止処分をくらっておりその謹慎明けの試合がワールドカップ予選だったので日本にも大いにチャンスありと思っていた。初戦のシンガポール戦をアウェーながら 3-1 で降すと1カ月後国立競技場で行われた雨の中の北朝鮮戦で 1-0 と勝利を収め連勝のスタート。その1カ月後平壌で北朝鮮とのアウェーゲームをおこなったのだがその試合が行われたのが金日成競技場だった。あるスポーツニュースが数秒間伝えた試合結果でこの試合を引分け貴重な勝点1を得た事を知った。
それから数週間後にある友人の知り合いが何と実際に平壌に行ったらしくそこで撮影したこの試合のビデオを見せて貰った。雨、あられと放たれた北朝鮮シュートをGK松井清隆先輩(この方も京都西高校のOBです。)がことごとく止めていた。そして日本ゴール前に迫られる度にスタンドからの歓声は文字通り地響きを立てる様にボルテージが上がっていた。今振り返ればあの時土下座をしてでもこのビデオをダビングして貰えば良かったなぁ….と少し後悔している。
その後日本代表はあれよあれよと勝ち抜きワールドカップ1歩手前まで進出したが韓国の軍門に降った。
あの“メキシコの青い空”だった。

日朝両国は次のワールドカップ予選でも同組となる。東京国立競技場で先制されながらも水沼のゴールなので逆転勝利を収めた日本だが神戸で行われた香港戦で引分け最後のアウェーの北朝鮮戦は勝たねばならない試合となった。この試合はNHK地上波で中継録画された。だけどBSでは生中継されたかもしれない。開始早々長谷川健太がスルーパスに抜け出しGK と1対1になるチャンスがあったがこれを決められず以降は劣勢に。そして猛攻に耐えきれずに前半に先制を許し後半は日本が攻勢に出る時間も短くは無かったが終盤に追加点を奪われ前回の雪辱を果たされ最終予選に残れなかった。
両国に実力差がそのまま出た感じがした。そして中継を通して聞こえる大観衆の大歓声が非常に印象的だった…
その後両国はワールドカップ予選や Asian Cup 、東アジア選手権で対戦し戦績は日本が優位にたっているが平壌でのアウェーゲームはなかなか実現しなかった。そしていつの日が平壌での試合を現場観戦したいと思う様になった。



4日前ドシャンベのタジキスタン戦で勝利を収めた時は数時間後にタシュケントに遠征した北朝鮮の勝利をひたすら願った。
15日のアウェーゲームが消化試合になっては面白くない。アウェーとはいえこの試合に勝ってこそ日本代表のチーム力が向上した事が証明される…と思ったからだ。 しかし翌朝 AFC のホームページにウズベキスタンの勝利が確認されがっかりした。日本の最終予選進出は決まったのではあるが……
こうなると日本のスタメンはどうなるのだろう…この際欧州組は帰して国内組でスタメンを組んで経験を積ませても面白い。
いやベストメンバーでも良いかもしれない。情報統制の国で国民は自国の代表が既にワールドカップ出場の可能性が無い事を知らされていないのでは。あの完全敵地の雰囲気の中でプレーする事が最終予選への経験になるだろう、と勝手に想像していた。



そして待ちに待ったキックオフ。2005年にワールドカップ予選のイラン戦、バーレーン戦以来の平壌からの生中継をみるとわくわくしてきた。こんどこそどんなメンバーであれ日本がここで勝つ事を信じて疑わない自分がいた。
日本はタジキスタン戦からGKを含む6人のスタメンを替えて来た。CBには栗原を入れ左SBに伊野波。
ボランチには遠藤に替って細貝。2列目右は清武。ワントップにはハーフナーに替えて前田が久々のスタメンに入った。北朝鮮もけっこうメンバーが替った。“日本勢”は鄭大成こそスタメンに起用されたが梁勇基はベンチスタートで安英学は累積警告で出場停止だった。ウズベキスタン戦からスタメンを4人替えて来たが特筆すべきは今年コロンビアで開催された FIFA U-20 のメンバー Park Song Chol とJong Il Guan がスタメン入りした事。更にスイス FC Basel 1893 でプレーする Park Kwang Ryong もこの試合スタメン起用。 さいたまの試合では途中出場し退場となったPark Kwang Ryong も FC Basel に合流する為にFIFA U-20 こそ出場しなかったが昨年のAFC U-19 では中心選手。そしてシステムもこれまでの鄭大成の1トップからPark Kwang Ryong との2トップ。2列目に Park Song Chol, Jong Il Guan そしてテクニシャンの④ Park Nam Chol を並べDFラインは3バックにし CB にはさいたまでの日本戦では起用されなかった長身の Jang Song Hyoku が起用された。 Jang Song Hyoku も FIFA U-20 のメンバーで前節ウズベキスタン戦からスタメン起用されていた。ボランチに Ri Kwang Hyoku と ⑭ Park Nam Chol を置いた。ユンジョンス監督は早くも4年後を見据えてのスタメン構成か…と思った。

キックオフ前の国歌演奏で君が代は大観衆のブーイングと言うよりも悲鳴でかき消された。でも最後の1小節くらい前にはその悲鳴は止んだ。今時こんなことをする観衆もいるのか?と少し呆れた。韓国でもこういう事は無い。まぁここと中国くらいかなぁ…

日本のキックオフで始まった試合は北朝鮮の“猛攻”で幕が開けた。13秒にははやばやとシュートに持ち込まれ吉田に当たってCKとなった。3分52秒には憲剛が倒されてファールを貰ったがこのファールは既に3度目のファールであった。地元観衆の大声援に乗って出足の早い相手に後手に回らねばいいが…と思うも6分49秒にはJong Il Guan からボールを受けた鄭大成が強烈なミドルを放ちGK西川が弾いてCKに。12分50秒には中盤でボールを拾った鄭大成が前線にフィードし22. Pak Song Chol が正面から放ったミドルはクロスバーを僅かに越えた。更に16分17秒にはPark Kwang Ryong が強引にシュートを放つ。 北朝鮮は鄭大成とPark Kwang Ryong の2トップに加えJong Il Guan が積極的に攻撃に絡み左に④ Park Nam Chol 右に22. Park Song Chol が両翼を上がり対峙する駒野、伊野波の両サイドバックは上がれない。長身のFW Park Kwang Ryong は身体の強さを見せる。北朝鮮に4本のシュートを撃たれた後、日本はようやく16分48秒シュートを放つ。前線でボールを繋いで憲剛が惜しいシュートを放ったが伊野波、駒野が前線に上がった事がチャンスに繋がったがこれで日本も落ち着きを取り戻し攻勢に出ると思ったけどここから更に北朝鮮の攻撃が続いた。
21分には右サイドでボールを持った岡崎にJong Il Guan が激しくマークに入りボールを奪われ④ Park Nam Chol に繋がれカウンター攻撃を受ける。23分46秒には日本のPA付近に入れられたボールが跳ねて栗原の手に当たりハンドを取られいやな位置でFKを与える。22. Park Song Chol が直接狙ったFKは西川が右に倒れてセーブをしたが壁の右に3人北朝鮮の選手が入り22. Park Song Chol が蹴った瞬間に上手くしゃがんでコースを作った巧妙なシュートだった。33分にはテクニシャンの④ Park Nam Chol が左サイドから上げたクロスにPark Kwang Ryong 、Jong Il Guan がなだれ込むが今野、栗原が必死の守りでシュートを撃たせない。
33分52秒北朝鮮ベンチははやくも選手交替を。 FIFA U-20 メンバーだった⑦Pak Song Chol が投入されるが下げられた選手は何と鄭大成だった。鄭大成、これが最後の代表試合とならない事を祈るけど。北朝鮮国家代表の試合は今後どれだけあるかなぁ…..
この交替でJong Il Guan がトップに入りPark Kwang Ryong と2トップを組み⑦Pak Song Chol がトップ下の位置に入った。そしてボランチに入っていた Ri Kwang Hyok が前線に上がってくるようになった。この試合がワールドカップ3次予選初スタメンの Ri Kwang Hyok は空中戦でも強さを見せ日本の選手が競り負けるシーンが目に付いた。前半の終盤になっても北朝鮮の攻撃は止むことなく40分には④ Park Nam Chol からボールを受け、そして41分にはJong Il Guan からそれぞれボールを受けた⑦Pak Song Chol がシュートを放つが駒野がマークに入る等してシュートコースを消し失点を防ぐ。44分には右サイドを上がった Jang song Hyok から逆サイドの④ Park Nam Chol にボールが送られシュートに持ち込まれるがここも駒野がマークに入ってシュートが外れた。
日本は27分51秒に右サイドを上がった駒野が Jon Kwang Ik をかわして入れたクロスに岡崎が飛び込む46分に長谷部がミドルを放った以外は北朝鮮ゴール前に迫る事が出来ず、相手の猛攻を凌いで何とか 0-0 で前半を終える事が出来た。 
この時点では引き上げる選手達を見て人工芝は思いのほか脚に来るので後半は北朝鮮の選手も脚が止まる。後半は日本が攻勢に出るだろう。と胸算用をしていた。
時折映し出される観客席には朝鮮頑張れの人文字が。結構練習したのかなぁ….そして何度か高校生くらいのかわいらしい女の子が数人映しだされた。身なりは日本の同世代とは変わらない。まさか彼女達の服装は撮影用に日本の朝鮮総連から輸入されたのだろうか……



両軍メンバー交替無しに後半にはいり開始早々の46分20秒憲剛のCKに前田がネアーサイドに飛びこむが惜しくも合わなかったが後半は日本が….と思うも50分に先制ゴールを喫してしまう。
中盤の左サイドでFKを与えゴール前に放り込まれると走り込んだPark Kwang Ryong が栗原に競り勝ち折り返すとこの試合ずっと日本を悩まし続けた走り込んだ④ Park Nam Chol がそのままヘッドを放ち日本ゴールネットを揺らした。マークに入った駒野の対応が少し遅れて競り負けた形になったそして撃たれたシュートもGK西川が取りにくい位置でバウンドしたと言う不運も重なった。 
しかし時間はまだ40分もあるのでこれから挽回をしてくれるとこの時は思った。 だけど更に北朝鮮の攻撃にさらされる事に 51分 47秒にはPark Kwang Ryong にドリブルシュートを許し西川が右に倒れて何とかストップ。55分には⑦Pak Song Chol がドリブルからシュートを狙うが駒野がマークに入りCKに。 ⑦Pak Song Chol は投入されてから早い動きと運動量で日本の中盤をかき回していた。 日本は前半の25分過ぎから憲剛が少し位置を下げそこから起点を作ろうとするも前線の岡崎、清武にボールが入りづらくなってしまっていた。それに北朝鮮の早くて上手いカウンター攻撃にラインをなかなか上げられない様に見えた。
57分中盤でボールを受けた前田に⑭ Park Nam Chol が肘を高く上げてマークに入る。それが原因で両軍の数選手が入り乱れて小競り合いとなり両選手にイエローカードが出される。北朝鮮は次でワールドカップ予選は終わるが日本はまだ10試合以上残っている。ここはカードが、とは思わなかった。劣勢の中でこういう“競り合い”には絶対に負けてはならないと思った。
61分伊野波のFKに岡崎が左に流れてシュートを放つとGK Ri Myong Guk がファインセーブで防ぐ。この試合初めてさいたまでファインセーブを連発したRi Myong Guk を脅かしたシーンだった。そして日本ベンチが動く。
憲剛を下げて内田を投入し 3-4-3 にシステムを替えた。 リードをしていればこういう交替も無かったかもしれないがこれで中盤でのボール支配が高くなり北朝鮮の攻撃はPark Kwang Ryong にロングボールを送る事に集約される様になった。それでもなかなか日本のシュートシーンが見られない。75分には長谷部が前に上がってくる様になり76分にはハーフナーが投入されたが下がったのは同じFWの前田。ツィンタワーではないが両者をトップに入れても面白くは無かったか?この戦術は1987年ソウル五輪予選で試されたがあまり効果なかった。でも今なら行けるんじゃないかなぁ….と述懐した。 
77分Jong Il Guan が内田にスパイクの底を見せてスライディングに入るとシュクラーラ主審は一発レッドを示す。
納得のいかない北朝鮮ベンチそしてJong Il Guan 。長谷部がJong Il Guan に声を掛けて退場を促すが何語で話したんだろう…? これで北朝鮮はPark Kwang Ryong の1トップとなり⑦Pak Song Chol のポジションを下げた。79分には内田がドリブルシュートを見せる。 GK Ri Myong Guk がパンチで防いぐ。内田が元気に回復している事が解った。所属先での活躍を期待した。
なかなか同点ゴールが生まれない日本は84分清武を下げて李忠成を投入した。勝っていれば原口だったかもしれない。
清武はずいぶんタイトなマークに苦しめられていた様に見えたが怪我でもされると来年の五輪予選が心配だ。だけどドイツに行かれると五輪予選に合流するのだろうか….と変な心配もした。
86分北朝鮮は激しく動き回っていた⑦Pak Song Chol を下げてさいたまでの試合ではスタメンだったMF Ri Chol Myong を投入し逃げ切りに入る。その1分後遂に北朝鮮ゴールにシュートが突き刺さったが主審はすぐにオフサイドの判定。
ハーフナーにラストパスを入れた李忠成がボールを受けた時のポジションが僅かにオフサイドだった。
88分からは栗原が上がってくる。こういう時にDFを埋めるのは誰だろう?細貝か…..
89分には Jon Kwang Ik が倒れてなかなか起き上らない。日本の選手が手当てをして試合再開を促す…
ロスタイムは5分….と出て4分に訂正された。4分なら同点、逆転は可能だ。この平壌で何とかゴールを。
金日成競技場に静寂を齎してくれ。 
競技場は違うが10月にはウズベキスタンが平壌でゴールを挙げて勝利を収めている。2005年にはイラン、バーレーンがここで勝っている。日本が勝てない理由は無い…..と思う様になった…

後日テレビで試合後平壌市民が喜びに沸いていたシーンが映し出された。 それを見ると悔しくなって来た。
勝ってほしかったなぁ~という思いが沸き上がる。
でも北朝鮮は何故最終予選に残れなかったのだろう? AFC U-19 や U-16 そして女子五輪予選の様な集中開催であれば結果が出るがワールドカップ予選の様に長丁場そして敵地での試合となるとまた違うのだろう。
現体制が続く限りそういう経験を積むのは難しいだろう。 FW Park Kwang Ryong は今後 FC Basel でポジションを獲得できるだろうか…. 鄭大成ら“日本組”は今後メンバー入りするだろうか? 
次に日本代表が平壌で試合をする日は何年後だろう?その時こそかの地に行けるだろうか…. 試合後北朝鮮の事ばかり気になった。 それから女の子が着ていた服装の出どころも…



                  ↑↑↑↑↑↑↑↑ 
  この子たちはおそらく在日の娘たちで修学旅行でここに来られた娘たちでしょう。試合とは関係ありません。

North Harbour に響いたニッポンコール…. Japan 21-47 France 10.09 2011

2011-10-01 | 夏季五輪

9月26日。会社を出てバス停で先月買ったばかりのスマホをいじっていた。
本当に便利になったなぁ… どこでも web site を見られる… 今夜ジャイアンツはどうなったかなぁ…この前の阪神3連戦は久し振りにみっちりテレビ観戦したしなぁ…と Yahoo のスポーツページを開いた。

アッッ と思った時はもう遅かった。 “日本20年振りの白星ならず。”こういう見出しが目に飛び込んで来た。

しまったぁ…この日の深夜、録画中継されるカナダ戦を結果を見ずにテレビ観戦する事を楽しみにしていたのだった。
あぁ結果が解ってしまった。 そして日本のワールドカップが前回と同じ1分3敗で終わった事も…..
振り返れば約2週間前のフランス戦で始まった Blossoms のワールドカップの挑戦はもう遠い昔の様に思えた。あの時は2勝してくれるかな…と期待出来たのだけど。

降雨で気温の下がったオーストラリアのシドニーからオークランド入りした日は大変な好天気だった。いつもオーストラリアからニュージーランドに入った時は逆なんだけどなぁ…



キックオフ前の国歌斉唱で君が代を精一杯歌いながらNorth Harbour Stadium でフランス戦の臨む日本代表 Blossoms の雄姿を見てワールドカップに母国が参加しているその幸福感を感じた。 しかしその後のフランス国歌 La Marseillaise の大合唱を聞いた時は“頼むから惨敗だけは喫さないでくれ。少しは形になってくれよ…” との哀感に変わった。
学生時代2年連続で ( 1984,85年 ) フランスと対戦したけど当然4戦全敗。スコアーも 0-52, 12-40, 0-50, 0-52 。1985年はフランスでテストマッチが行われたが1得点も挙げられず、当時フランス遠征をレポートしたスポーツ雑誌には当時の中心選手が上半身裸で踊っている姿の写真が“試合後のレセプションでは日本の勝ちと現地マスコミに報道された。”と言うキャプションの付で紹介されたとの記事があった。
私は当時“よくフランスが日本と試合を組んでくれたなぁ。前年にアームズパークで健闘したからかなぁ…” と思った。
だけど 2003年のワールドカップオーストラリア大会では 29-51と結構健闘していた。出来ればこういう試合を見たいなぁ…と思った。

日本のスタメンは⑪小野澤と④ ルーク=トンプソン 以外は8月13日のイタリア戦と同じスタメン。現時点でのベストメンバーと言えると思った。日本人以外の選手が6人入っていた。
一方のフランス。② Servat, ③ Mas ④ Pierre ⑤ Nallet ⑥ Dusautoir ( C ) ⑦ Harinordoquay ⑩ Trinh-Duc そして⑬ Rougerie らが今年の Six Nations でほぼレギュラーとして起用されたメンバー。 8月20日の Ireland 戦で起用された① Barcella, ⑮ Heymans ⑫ Estebanez らがスタメンに。Fabien Barcella はアキレス腱の断裂から復帰した PR。Cedric Heymans は2007年大会も出場した Cap数55 のベテラン。そして Fabrice Estebanez は Rugby League の大スター選手だったらしい。 こうして見るとややコマ落ちと言ったところか….



日本のキックオフで始まった試合は出来れば先制点を…と願うが開始早々フランスが日本陣内にライン攻撃を仕掛け攻め込みEstebanez が抜け出すが日本選手の好タックルで何とかストップし胸をなでおろす。タックルをしたのはベテラン小野澤だった。 
しかし4分、13分に連続してトライを決められ 0-14 とあっという間にリードを喫してしまった。しかもその流れが日本にとっては悪かった。 先制トライのシーンはターンオーヴァーされ Mas, ⑧ Lakatia, ⑨ Yachvili と繋がれ最後は ⑦ マイケル=リーチ が追いすがるも Pierre にトライを決められた。しかし後で見たテレビの再放送を見ると一旦倒された Yachvili が倒れたままこぼれ球を拾って Pierre にパスを出していた。本来ならファールのはずだけど…このシーン何度が繰り返し映された。先制トライを喫した後、日本は良い位置でファールを誘い ⑩ ジェームス=アレジ が当然PGを狙うが外してしまった。その約4分後にも日本は連続攻撃を見せ アレジを起点に⑫ライアン=ニコラス 再びArlidgeに渡り⑬平浩二に出したパスを Trinh-Duc にインターセプトされそのまま独走されトライを決められた。 これも リーチ が必死に追い掛けたのだけど….
アレジ がPGを失敗する前にも日本はフランスゴール前に迫ったがそのチャンスはニコラスがボールを落としてしまって行かせなかった。



18分日本はようやく日本は連続攻撃からファールを誘いPGを得て今度は アレジ が決めて3点を還す。よしよしこれから。このPGの前に日本選手の素晴らしいタックルがあり場内を沸かすシーンも…と思うもどうも我が日本代表はノックオンを冒す等落ち着かない。マイボールスクラムになってもそこから前のボールを繋げない。 それだけフランスのパワーが強いのか….




日本がPGで3点を還した直後の22分にもPGを決められ、その後しばらくはよく失点を防いだのだけど29分にも何度もフランスボールスクラムが続いた後に反則をとられ PG を Yachvili に連続して決められ 3-20 とリードを広げられていた。
このPGは共にスクラムの圧力から反則を奪われたもの。フランスのスクラムの強さを目の当たりにした見たいだった。
フランスのリードが広がる度に “ Allez France !! “ のコールが鳴り響いた。 
う~ん、やっぱり世界ランク4位が相手では…このままジャブを的確に決められる様に徐々に点差を開けられるのを見るのも辛いなぁ…と思った。



しかし31分観客席の日本人サポーター達が沸き上がるシーンが。粘り強く前に出る我が Blossoms 。アレジがキックしたボールが相手ディフェンスに当たり、こぼれたボールを Alridge が拾いそのまま誰も遮らない前方を一直線に突き進む。
おぉ..と思うと後ろの Kiwi が私の背中をポンと叩く。そして Alridge が飛び込んでトライを決めた。 2006年FIFA ワールドカップ のクロアチア戦で見られなかった日本のゴール、いやトライがここで見る事が出来た。 
背中を叩いた後ろの Kiwi はちょっと年配のラグビー観戦歴ベテランといった紳士。 思わず握手を交わす。
周囲の Kiwi 達も拍手を送ってくれる。そして私とハイタッチをかわし、後方に座っていた日本の方々とも目を合わせてお互いに手を挙げた。しかしこのあとの Conversion を決めてくれたらもっと良かったのだけど…..
折角の日本のトライに冷や水を浴びせる様に3分後フランス ⑭Vincent Clerc にトライを決められた。それまで日本のディフェンスラインの中央を力で突破して来たフランスだったがオープンに回して右隅に決められた。 
さすがフランスやなぁ…とこだまする“ Allez France “ の叫びを聴きながらそう思った。そして36分 No.8 のホラニ龍コリニアシが怪我でベンチに下がってしまい⑲谷口が入った。ホラニはこの後ワールドカップでプレーする事は無かった。



だけど我が Blossoms は怯まない。 39分にアドヴァンテージを受ける中よくボールを繋ぎ最後は中央で反則を誘いPGを アレジ が決めて 11-25 とまた得点差を詰める。そしてその後のフランスのキックオフからもボールを繋ぎ攻勢に出るなか前半終了のホイッスルが鳴った。リードは許しているが最後に得点を挙げて終わる。前半の終わり方としては良い方だと思った。そして周囲からは“なかなかやるじゃないか..”と色々声を掛けられた。

ハーフタイムの間、“御近所”としばし歓談。みな異口同音にこれまでの日本の健闘を称える。だけど問題はここからフランスが更に調子を上げて点差が広がるのでは…ベンチのメンバーは…と思うが日本はほぼベストメンバー。フランスはどれだけ余力を余してのスタメンなのだろう….

フランスのキックオフで始まった後半。日本はいきなりファールを取られたり、ノックオンをしたりスクラムでファールを取られたり…
42分には Harinordoquayにゴールラインを割られるが何とかトライは食い止める。ちょっと大丈夫かいな…と思うもすぐに落ち着きを取り戻し素早いプレスを見せる。出足は前半よりは良くなっている様に思えた。フランスとほぼ互角に戦っている様に見えた。43分に⑰藤田が③畠山に替って投入されたのが良かったのか….? 44分には Nallet がゴールラインに迫るがリーチが今度はストップ。 観衆から拍手が沸き上がる。



そして49分、連続攻撃を見せて中央から再び Alridge がトライを決め今度は conversion kick を決めて 18-25 と 1TG 差に迫った。 この連続攻撃は中盤から上手く繋ぎ最後はラックから SH⑨田中が持ち出してアレジに繋げた見事なトライだった。
周囲の方々からは Kiwi から Aussie ( 翌日のイタリア戦も見に来るそうだ。)からも、後ろのフランスの御婦人を除いて祝福の嵐だった。
53分日本ベンチは CTB⑬平に替えて 110kg の巨漢22トンガ人アリシ=トゥプアレイが投入された。そして日本の粘り強い攻撃が続く。スクラムの度に、ラインアウトの度に、“ニッポン!ニッポン!!”コールが響き渡る。それは日本人からだけでは無かった。ハーフタイム中に“ ニッポンとはどういう意味ですか?”と訊ねて来た隣の隣の御婦人も一緒になって“ニッポン !ニッポン!!”と大声援を送ってくれる。 
私は彼女に“ニッポンとは Japan の事で我々日本人は祖国の事を Nippon と呼ぶ。”と漢字とアルファベットを交えて書いて説明した。
そのニッポンはピッチ上でも Six Nations 上位常連のフランス相手に引けを取らない。 特にトゥプアレイとリーチが良く効いていた。そして58分、連続攻撃からフランスから反則を奪いアレジがPGを決めて遂に21-25 と4点差に迫った。1トライ上げれば逆転だ。私はピッチに向かって叫んだ。

“おい、勝てるぞ、勝つぞ。この試合勝つぞ !! 負けたら勿体ない。勝つぞ !! “

いくら健闘しても後に残るのは記録だけ。負ければそれしか残らない。あそこまで健闘して惜敗した…なんて日本人以外憶えていない。だから勝ってほしかった。
日本ボールになると“行け!行け!!行け!!!”、フランスボールになると“止め!止め!止め!止めろ~!!” と怒鳴りまくり周囲の人達には迷惑かけたかなぁ….後半に入りと言うよりももう何分間フランスに失点を許していないのだろう..
兎に角、マイボールの時間を長くしてくれ、そうすればチャンスがある…と願い続けた。



しかし、67分日本に反則があり ⑨ SH Yachvili にPGを決められ 21-28 と7点差に広げられる。それでもまだ1TG差、希望はあると思っていたけど71分にNallet にトライを決められその後のゴールも決まって 21-35 になってしまった。
攻撃の中でオープンに展開しだしたフランスが一転して一気に中央突破をはかりだし最後は Nallet が正面から来た小野澤を弾き飛ばしながら決めたトライだった。Nallet 115kg、小野澤85kg。体重差30kgあってはちょっと…..
それでも73分連続攻撃から反則を誘い、ラインアウトを選択しボールを蹴りだすと会場からは拍手とニッポンコールが沸き上がる。 こうなれば最後に意地のワントライを還してくれ~…と願った。
しかしトライを決めたのはフランス。77分と終了直前にもトライを許しそして Allez France !! の中ノーサイドのホイッスルが鳴った時はスコアーは 21-47 と前半終了前よりも得点差を付けられていた。
最後の連続トライもニコラスのノックオンを拾われてからとパスミスを取られて、と日本のミスからだった…..



それでも終了の笛が鳴った後は日本代表に暖かい拍手が送られた。 周囲の人達からも“ナイスゲームだった。下を向くな。”と言われた。 隣の紳士には
“日本には Six Nations も Tri Nations も、来シーズンから Four Nations か、もない。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。その差が出た….” と言うと、
“日本とニュージーランドは季節が逆だ。日本のオフシーズンに選手をどんどんこちらに送ってここでプレーさせればいい。”と言われたので
“日本選手を受け入れてくれるのかな?”と訊くと
“この日の選手達だったらどこでも受けてくれる。”といってくれた。 それも良い考えだなぁ….
周囲の人達と握手を交わし応援の御礼を行って席を立った。ある人には
“次は日本はどことやるんだ?”と訊かれたので
“ハミルトンで All Blacks だ。”と言うと何とも言えない表情をしていた….

立ち上がりの2トライ喫した事。そしてPGを失敗した事がやはり痛かった。 健闘はしたと思うだけど得点差を見れば8年前 ( 29-51 ) よりも開いた26点差だった。



翌日の新聞は日本の健闘を称える記事満載だった。 Blossoms bravery in vain。 Day of the Minnows。 Livermont worried about inconsistency …. こういう見出しが見られた。
“我々はハッピーでは無い。 失望している、最初に2トライを挙げた時、我々はもう満足していた。おそらくこの日はずっと楽だろうと考えたのだろう。 結果的にそれは警告であり、我々にとっては良い夜ではなかった。日本選手達は大変良くプレーしており恐らくこの得点差を喫するほどではなかったと思う。 試合開始直後、我々は相手よりずっと上回っている。そしてイージーだと思った。こういう考えが後で災難を招く。” Livermont フランス代表監督はこの様に語ったらしい。
そしてフランスのメディアから何が足らなかったのかとしつこく聞かれた時は
“我々は何も案じていない。なぜなら勝ったからだ。 しかし、我々はただ充分な事をやっただけだった。これは警鐘だ。しかし我々は勝った。” と落ち着きを失いながらも答えたらしい。
また地元の英雄 John Kirwan 日本代表監督は
“選手達は勇気を持って闘ったので観客は暖かかった。 我々は東北地方で津波の被害に遭われた方々に勇気あるプレーをすることに就いて話し合った。 結果は関係ない。リビングでテレビ観戦をする人々は何が勇気かを解っている。我々はプレーを続ける事、立ち上がり続ける事、タックルを続ける事で勇気を示す必要があった。 地元のニュージーランド人は解っている。後半は勝利の窓が見えた事を。それは勝てる試合であった。守備で、攻撃で勇気を見せただけでなく70分までフランスと互角に戦った。ニュージーランド人は称えてくれたと思う。” と結果を称賛しながらも
“このレベルので1インチに就いて何度も話した。いくつかの判断ミスやノックオンが重要な時間帯であった。”とミスを悔やんだ。そしてルーク=トンプソンに就いても記事が載っていた。妹の Anna がネットボールのニュージーランド代表 Silver Ferns のメンバーだと言う事や日本に来た経緯。そして次の All Blacks 戦に就いても….
そして日本の選手はフィジカルに限界があると掲載紙は述べていた……

試合後、夜の Auckland はフランス人達が大騒ぎだった。しかしジャパンのレプリカを着ていた私を見ると皆好意的に駆け寄ってきた。その表情は“負けたけど日本はなかなかやるじゃないか…”といったところか…私も心中思った。サッカーなら勝てる。女子は当然。男子も今のフランスなら自信がある…( あまり関係ないか…? )
あるフランス人の御婦人が言っていた。“日本人は素晴らしい。イタリア人は文句ばっかり言うけど。”と言うので
“あぁ… マテラッツィ~~。”と言うと大受けした。 一矢報いたか…? ( 関係ないか?)

このお祭り騒ぎを見てワールドカップに来たんだと言う幸福感が沸き上がって来た。そして少なくともトンガ戦とカナダ戦は期待できるだろうなぁ~ とこの時は思った……..

歴史的勝利 …… Deutscheland 1-2 Socceroos 29.03.2011

2011-04-11 | 夏季五輪
日本が KAZU のゴールで沸いた3月29日。日本時間ではその翌日となったがドイツに乗り込んだオーストラリア代表 Socceroosはドイツ代表を 2-1 で破り歴史的な勝利を収めた。ドイツでオーストラリア代表がドイツ代表と試合を行ったのは1974年のワールドカップ以来37年振り。この時はハンブルグでグループリーグの試合があり西ドイツがオベラーツ、クルマンそしてゲルト=ミュラーのゴールで3-0 で快勝した。この試合前、地元のマスコミは遂にギュンター=ネッツァーがベンチ入りを果たす事。そしてピッチに現れるのではとの報道で賑わっていた。 しかしゴールこそなかったが同じポジションのオベラーツの活躍でネッツァーの出番は無かった。
そして私の尊敬する Johnny=Waren も前の東ドイツ戦で負った怪我が悪化し西ドイツ戦そして続くチリ戦の欠場を余儀なくされた。昨年のワールドカップで両者は36年振りに同組になりグループリーグ初戦で激突した。 
個人的には “アジアNo.1” のオーストラリアが欧州の列強にどれだけ対抗出来るか楽しみであったが Özil, Müller, Klose そして Podolski にがんがん中盤からサイドから切り裂かれ日本がなかなか突破出来なかった Schwarzer の守るゴールを開始26分で2得点上げあっさりと試合を決めてしまった。  Socceroos は Cahill が Schweinsteiger へのタックルに1発レッドが出されいい所なく、36年前よりも点差のついた 0-4 で惨敗してしまった…….

地震の影響で本棚からこぼれおちた多くの雑誌や本そしてビデオを整理していると2006年のワールドカップ直前に Socceroos がオランダで行った“調整試合”そして Round of 16 のイタリア戦のビデオが出て来たので DVD にダビングしながらこの試合をじっくりと観た。 共に Viduka のワントップ。 共に Kewell は出場していなかったが2列目には Bresciano, Cahill, Sterjovski が並び Viduka の楔のプレーを中心に攻撃に力強さを見せておりDF ラインはNeil がしっかりと統率し DFハーフの Grella がタフに欧州でも列強であるオランダ、イタリアの攻撃に対応していた。 そして Schwarzer は素晴らしいセーブを連発していた。
オランダ戦では解説の井原氏が “このチームからはなかなか2点は取れないでしょうねぇ…” と云っていたがその通りになった。
日本は試合終盤に痛恨の連続3失点を喫し痛い星を落としたのだけど、オランダ戦、イタリア戦を今観た限り、よく 1-3 で終わったなぁ…と思った。 
それから Socceroos のチーム力は上がったとは言い難い。GK がSchwarzer でなければどうなっていただろう…

Wilkshire scores winner as Socceroos stun Germany

Socceroos の Lucas Neil 主将はドイツ戦の初勝利は前年ワールトカップで 0-4 と惨敗を喫した試合の代償となると語った。
そしてこの勝利は同時に Asian Cup 決勝戦での日本戦の敗戦から立ち直らせるものとも語った。

“本当に驚くべき結果だ。  
“この勝利は我々が常に期待している素晴らしい結果だった。我々は失敗から学び同じ事を繰り返さないと言う事を確認した。 Asian Cup 決勝戦での敗戦も同様に素晴らしい教育からの償還だった。 この無様なパフォーマンスを背にし素晴らしい勝利でカムバック出来た。 これは我が国の将来にとって偉大な勝利だ。 列強を倒し、good performance で我々自信を驚かせ続け若い選手達に驚くべき基盤を築く礎となっただろう。 この結果は我々を強くするだろう。 これは我々に弾みとなるであろうしこういう結果を持続させる事が重要だ。 我々はワールドカップでの結果を振り返った。しかし我々はそこから学びより良いチームとする事が我が国にとって重要な事だ。” 
しかしながら Neil は前半の悪いパフォーマンにも驚かされた様子だった。
“私は前半も少し驚かされた。前半はチームとして戦えていなかった。あたかも1つのチームとして我々の能力を信じてない様なスタートだった。常に我々が見せる格上を相手にした時に示すハングリーさが見せられなかった。または勝利を欲していない様だった。ハーフタイムにそれを少し修正し、彼らはそれを清算した。 前半の我々はボールを奪われ過ぎた。それを調整し二つのチャンスを創った。 そしてチャンスを掴み私達がただ得る事が出来ると信じた事を行った。我々は失点後堅い守りを保持し対戦相手のドイツにゴールチャンスを与えなかった。“ 一度苦杯を舐めさせられた相手にハードに対戦した。 これは大きな勝利で歴史的な驚愕する勝利だ。”

Joachim Löw ドイツ代表監督は試合後
“これは少し不運であった。 前半は若い選手達は素晴らしい動きを見せた。しかし後半はゲームを投げてしまった。あれはファールでもPKでもないと思う。 このパフォーマンスからいくつかの結論を引き出せるだろう。若い選手達には良い経験となるだろう。”こう語った。

昨年8月からオーストラリア代表を率いた Holger Osieck 監督にとって Asian Cup を経て母国代表を倒したこの試合は非常に大きなものとなった。 試合後の祝杯はと尋ねると“恐らくビール1杯か2杯でそれ以上は無い。” と応え。
我々の後半のフォーメーション構築は大変良かった。ハーフタイムに Lucas Neil にはパスの繋ぎを明確にする事ともっと集中してボールを受けた時は自信を持つようにとシンプルにアドヴァイスした。ボール占有率をたやすく失いたくなかった。選手達にはもっと攻撃的に、もしそうであればよい結果が得られると解っていた。ドイツは立ち上がりから我々を威嚇して来たが我々は恐れる必要は無かった。 試合前ドイツに勝つと信じる事はおこがましい事であった。それに私はドイツ代表選手達のレベルを熟知している。この試合がオーストラリアの選手達にとってただ良い経験になればと思っていた。前半の我々はいくつかの弱点がありボールを早く失いすぎた。しかし後半は時間が経つにつれてパフォーマンスが良くなってきた。” 
“選手達を誇りに思う。彼らは素晴らしい仕事を行いただ試合後選手にする事はただ心の底から Thank you very much と云う事だけだ。 彼ら(ドイツ側)が何と言おうが構わない。選手達のパフォーマンス。特に後半は大変満足している。 選手達は非常に良くやったそれは素晴らしいパフォーマンスでそれが誇りに思う理由だ。”



Socceroos のスタメンは Asian Cup の決勝戦のスタメンとほぼ同じ。 Asian Cup では Kewell と Cahill の2トップだったがこの試合は Cahill が怪我で出場出来ず Kewell のワントップ。 Brett Emerton がスタメン出場となり2列目の左に配置され、Brisbane Roar の Matt McKay もスタメン起用でトップ下に。そして2列目右には Bretto Holman が Asian Cup 同様に配置された。
オーストラリアは立ち上がりから反則が目立ち FK を与え続ける展開。そして26分 Andre Schurrle からのパスに走り込んだGomez がゴール上左隅に蹴り込み地元ドイツが先制ゴールを上げた。
しかし Socceroos は劣勢の中でも追加点は許さず。よく反撃に転じ特に Wilkshire の右からのクロスはドイツDFラインには効果的であった。そして29分には Emerton のクロスからボランチの Jedinak がヘッドを放つが GK Weise の正面に。
後半も序盤まではドイツがゲームを支配していた。



しかし61分 David Carney からボールを受けた Matt McKay がスルーパスをゴール前に走り込んだ Carney に送り、 ボールを受けたCarney がドイツゴールに蹴り込み同点とした。これはオーストラリア代表が史上初のドイツ代表から奪った得点であった。



更に1分後、Harry Kewell がゴール前に持ち込んだところを Christian Trasch に引き倒されるとフランス人の Stephane Lannoy 主審はすかさずペナルティースポットを指し、 Luke Wilkshire がそのPKを落ち着いて決めリードを奪った。



リードを許したドイツは69分に Schurrle がオーストラリアゴールに迫りシュートに持ち込むが GK Schwarzer がストップ。
78分には Sasa Ognenovski のクリアーミスを拾った交替出場の Miroslav Klose がフリーでシュートを放つがゴール枠を捉えられず、終了直前の89分にもKlose がオーストラリアゴールに迫るが最後は Neil が必死のスラィディング。 Klose は PK をアピールするが逆に Lannoy 主審は Klose のシュミレーションを取り Socceroos が2003年 England を Upton Park でそして2008年に Eindhoven でオランダを破ったのに続いての“金星”を勝ち取る事となった。



Germany: Wiese (Werder Bremen/29 years / 4 caps) - Träsch (VfB Stuttgart/23/6), Hummels (Borussia Dortmund/22/4), Friedrich (Hertha Wolfsburg/31/80), Schmelzer (Borussia Dortmund/23 / 2) - Bender (Borussia Dortmund/21/1), Schweinsteiger (Bayern München/26/87 - 65 Kroos / Bayern München/21/15) - Schürrle (FSV Mainz 05/20/2), Müller (Bayern Munich / 21 / 15 - 65 Idol / Borussia Dortmund/18/4), Podolski (1.FC Köln/25/86) - Gomez (Bayern München/25/43 - 73 Klose, Bavaria München/32/108)

Australia: Schwarzer (FC Fulham/38/89) - Wilkshire (Dynamo Moskau/29/57), Neill (Galatasaray Istanbul/33/71) Ognenovski (Seongnam Ilha Chunma/31/9), Carney (FC Blackpool/27 / 39) - Emerton (Blackburn Rovers/32/84), Valeri Sassuolo (Calcio/26/36) Jedinak (Genclerbirligi Ankara/26/25), McKay (Brisbane Roar/28/14) - Holman (AZ Alkmaar/27 / 46 - 90 McGrath / Brøndby Kopenhagen/19/1) - Kewell (Galatasaray Istanbul/32/54 - 80th Kruse / Melbourne Victory/22/5)

Referee: Lannoy (France)

Spectators: 30 152

Goals: 1-0 Gomez (26), 1:1 Carney (61), 1:2 Wilkshire (64./Foulelfmeter)

Yellow Cards: Klose, Träsch / Jedinak, McKay

Best Players: Podolski, Schürrle / Carney, Holman


Socceroos no longer overawed by reputations

“ドイツをドイツの地で破った事が本当に最高のゲームと云えないのでしょうか?

Socceroos はpoor では無かった。
後半の奮闘は前半のパフォーマンスを改善させた。 そしてSasa Ognenovski, Brett Holman そして Carl Valeri らが素晴らしいい貢献を見せた。
しかし Holger Osieck 監督は解っている。この試合はチームを率いて以来 Best Performance では無かったことも。
しかし2014年ワールドカップ予選に向けてチームは正しい方向に向かっている事が証明された。
明らかに Pim Verbeek の質のあるオーストラリア選手に対して信頼を欠いた基本的概念が奪い去った地震は Osieck の抜け目ないマネージメントにより大きく回復された。
Asian Cup 決勝戦の敗戦は残念だったが選手達の自信は奪わなかった。 ドイツは恐らく対戦相手を見くびっていただろう。恐らく理解できる事だが昨年 Durnan で彼らが我々を粉砕した事が頭にあったのだろうがそれが失敗であった。
Mönchengladbach での勝利で明らかな事は Socceroos はゆっくりだが着実に列強に威圧されない術を学んでいると言う事だ。 世界の国々はオーストラリアはサッカー列強とは思わないだろうがそれがどうしたのだろう?
重要な事は、最高の可能な方法は、我々は自分達を評価し始めている。



Time to win on the big occasions: Kewell
Socceroos のストライカー Harry Kewell はMönchengladbachでの勝利に続いて今や Socceroos はビッグトーナメントでベストフォームを創り始める時だと語った。
“世界3位を、しかも相手のホームで破った時は彼らは自分自身をののしるだろうと思う。我々はそこに乗込み、やるべき事をやった。たまに何故それがワールドカップで出来なかったのかと恥じる事になるだろう。私は選手達を誇りに思い、また自分達の出来る事を出来たと思う。 彼ら(ドイツ側)が云いたい事もある事は解る。これは Friendly Match に過ぎないがそれはそれ、これはこれだ。 しかし真実は全ての選手達が勝とうとした事だ。”

またワールドカップでは4度ゴールを破られた GK Mark Schwarzer は
“Big Stage での勝利だ。もちろんワールドカップでも勝ちたい。もちろん出来る。しかし全く異なったシナリオだ。出来る事は全ての試合で勝利を掴もうとする事だ。 誰がわかる?恐らくまたワールドカップでドイツと対戦するかもしれない。そしてその時は我々がこの夜行った事をトライするまでだ。 この日見せた後半のパフォーマンスはチームが進化して我々が強くなっている証拠だ。我々には多くの若い選手がやって来た。”
この様に応えた。80分には Melbourne Victory 所属の Robbie Kruse が Asian Cup 同様 Kewell に替って投入され、そして デンマークベースの10代のBrent McGrath がこの試合代表デビューを果たした。



Mönchengladbachでの“大勝利”を報道するオーストラリアの地元紙であるがドイツ側の反応は少し異なったものだった。

Unnötige Heimniederlage der Nationalelf Osiecks Socceroos entzaubern Löws zweite Garde

不要なホームでの敗戦。 Oseick は Socceroos を魔法にかけLöw の2軍チームを破る。2番目のスーツはフィットしなかった。
この試合の前日 Bayern München の Uli Höness 会長は欧州選手権予選の3日後に組まれた Socceroos との試合に難色を示し、 Socceroos のレベルを“ Bayern の A チームと B チームの試合の方が緊張感がある。”と見降したコメントを発していた。
ドイツに乗り込んだオーストラリア代表は怪我で欠場した Cahill を除けばベストメンバーであったのに対しドイツは3日前にKaiserslautern で行われた欧州選手権予選のカザフスタン戦 ( 4-0 で勝利 ) に出場したMesut Ozil, Sami Khedira そして Philip Lahmらの主力選手を起用せず、この試合で出場した中では Schweinsteiger, Müller そして Podolskiの3選手のみであった。そして73分に得点者の Mario Gomez に替って Klöse が投入された。 
Tim Wiese と Manuel Neuer は代表戦で初めて共にDFラインに入り、また香川のチームメイト Borssia Dortmund 所属選手が3人、Hummels, Schmelzer , Bender が含まれていたが21歳の Sven Bender は代表デビュー戦であった。
そして65分からはIdol も投入された。 
他の選手も Friedrich, Schweinsteiger, Müller, Gomez, Podolski を除けば代表出場数は10にも満たない選手ばかりであった。Löw監督はコンビネーションを按じていいたが前半はよくやれたとの評判であった。



73分に Gomez に替って投入された Klöse はこれで代表108試合目の出場となり Jürgen Klinsmann と並んだ。彼らを上回るのは150試合出場の Lothar Matthäus のみであるがゴール数は Gerd Müller を上回っている。
Klöse は最後のシーンは絶対に相手が自分の体に触れていたと、相手もそれは解っていたと不満を隠さなかった。
ドイツの敗戦はワールドカップでスペインに敗れて以来の敗戦であった。

しかしこれだけは言える。もし日本代表がドイツに乗込んで結果を残せるのだろうか…勿論その時は香川は起用出来る様になってからだけど….


Cash Cow の国で跳ねられるか Socceroos その2

2011-01-10 | 夏季五輪

Australia 1 Paraguay 0 Sydney 9.OCT.2010

ワールドカップが終わって約3カ月。地元オーストラリア大陸でようやく新生 Osieck Socceroos が Sydney でお披露目となった。
対戦相手はワールドカップで日本をPK戦の末に沈めたパラグアイ。9月4日にも横浜で日本と対戦しているが1カ月後のオーストラリア戦では日本戦でスタメン出場した GK J. Villa ( Real Valladolid ) や Santa Cruz ( Manchester City ) Oscar Cardozo (Benfica Lisbon ) , Lucas Barrios ( Borussia Dortmund ) らは来豪せずワールドカップメンバーでは第2GK だった Diego Baretto ( Carro Porteno : Paraguay )ら7人、うちレギュラーだったのは Nelson Valdez ( Hercules ) ら5人だけだった。
一方地元 Soccreoos はKewell ( Galatasaray ) と Kennedy ( 名古屋グランパス 8 )らがワールドカップ後初めて合流し Cahill と共にスタメン起用された。
そしてサプライズだったのは A-League Sydney FC 所属の27歳FW 選手、 Alex Brosque がこの試合に選ばれた事。 Brosque の選出に就いて Osieck 監督は
“ 浦和レッズ監督時代に ACL で Sydney FC と対戦した時の好印象が今でも残っているから。“との事であった。
試合はホームゲームとあってかこれまでの3試合と異なりオーストラリアが地元サポーター達の前で主導権を握る時間が長く, 後半に入りパラグアイも調子は出て来たが53分 かつて Sydney FC でプレーし ACL では浦和レッズとも戦ったDavid Carney のゴールで勝利を収めた。
“自信を持ったチームに蘇った事が大きい。 我々は多くのチャンスを特にセットプレーから創る事が出来た。ただ我々は不運だった。今日は相手GKの日でもあったが我々はこの試合結果を肯定的に捉えている。” Kewell は試合後この様に語った。

この試合は Lukas Neil が所属先 Galatasaray との兼ね合いでこの試合には合流せず( Kewell は来たんだけどなぁ…) 守備が心配されたが無失点で終える事が出来た。そして注目の Brosque は終了直前に Garcia に替って投入された。地元 Sydney FC のサポーターに気を使ったのかな…
この試合では Kennedy, Garcia, Cahill, Kewell と云う攻撃の選手が4人スタメン起用されたがこれは Verbeek 政権下では見られなかった陣用であった。   

Australia: Mark Schwarzer (c), Luke Wilkshire, Jon McKain, Jade North, David Carney, Richard Garcia (Alex Brosque 91), Mile Jedinak, Jason Culina,
Harry Kewell (Dario Vidosic 88), Tim Cahill (Matt McKay 76), Josh Kennedy (Scott McDonald 61).

Paraguay: Diego Barreto, Carlos Bonet, Paulo Da Silva (c), Dario Veron, Claudio Rodriguez (Cesar Benitez 81), Hernan Perez, Derelis Orue, Cristian Riveros, Victor Caceres, Newstor Camacho, Nelson Valdez Federico Santander 76)

Referee: Yuichi Nishimura (Japan) 

    

Egypt 3 Australia 0 Cairo 17.NOV 2010

Asian Cup メンバーを決める前の最後のAマッチはアウェーでのエジプト戦だった。ワールドカップ予選はアルジェリアとプレーオフまでもつれ込んだ文字通り死闘の末本大会進出を逃した。しかしワールドカップ前に行われた Africa Cup of Nations では見事に優勝を果たした。 FIFA ランクはアフリカ諸国では最高の11位。しかしワールドカップに出場したのは過去1990年イタリア大会のみ。実力の割には何故か実績が伴わない国の一つだと思う。 2003年地元開催の FIFA U-20 1次リーグで日本はエジプトと対戦し圧倒的に押されながら平山相太のゴールで勝利を収めたのを思い出すなぁ…
過去オーストラリアはエジプトとは1度だけ対戦していた。それは1987年韓国での大統領杯で、PK戦の末 4-3 でオーストラリアが勝利を収めたとの事。
このエジプト遠征には Kewell, Kennedy は怪我の為に合流を見送り、Neil, Emerton, Cahill, Holman, Schwarzer ら常連選手に並んで Michael Thwantie ( Gold Coast United ), Matt McKay ( Brisbane Roar ) ら A-League 勢に並んで ACL タイトルを勝ち取った K-League の城南一和所属の Sasa Ognenovski が選ばれた。
ワールドカップ以降 Socceroos は Craig Moore の後継者となる Lucas Neil と組むCB の発掘が急務で195cm の Ognenovski にもチャンスが巡って来た。2008年 ACL で当時在籍していた Adelaide United が鹿島アントラーズと対戦した時にマルキーニョスのマークに着いた Ognenovski が印象出来だった。

地元エジプトの立ち上がりは非常に慎重に Socceroos の出方を見ていた。その間 Wilkshire の右からのクロス等でオーストラリアはチャンスを掴みむが、25分 Wilkshire のクロスを受けた Cahill がシュートミスをするなど先制ゴールには至らなかった。
20分を過ぎるとホームのエジプトが徐々に主導権を握りだし Ahmed Abdul Zaher ( ENPI ) , Mohamed Nagy ( Al Ahly ) そして Mohamed Zidan の攻撃陣がオーストラリアゴールを襲いついに29分 Abdul Zaher が放ったシュートがブロックに入った代表デビュー戦となった Ognenovski に当たり大きく弾みそのままオーストラリアゴールに吸い込まれてエジプトの先制ゴールとなった。 Ognenovski にとっては不運なデビュー戦となった。
先制ゴールを許したオーストラリアは更に Emerton を負傷退場で失い更に劣勢に立たされ、後半に入ると完全にエジプトに試合を支配されてしまった。交替出場の Gedo が Mohamed Zidan からナイスパスを受け、5mの至近距離からのショットが決まり、終了直前には Neil が Gedo をエリア内で倒したのがファールに取られPKを献上。 そのPKを交替出場の Zidan が決めて 2008 年にアルゼンチンに敗れて以来のホームでの無敗記録を15に伸ばした。
オーストラリアは敗れたと言うよりも GK Schwarzer, CB Lucan Neil が揃いながら3失点した事に不安を抱かせた。代表デビューとなった Ognenovski に就いて Osieck 監督は  “誰でも最初の試合はとても難しいものだ。新しい環境でだれも何をどう始めれば良いか解らない。彼はACLの決勝戦を戦い日本から直行して来た事を忘れてな割らない。彼はこの経験を忘れるべきではない。彼はこういう環境でも卓越した選手でありディフェンダーであると言う事を見せてくれた。”
これで代表20試合出場となったMcDonald はこの試合も無得点に終わった。この時点では Cahill の Asian Cup 派遣が所属先の Everton からの承諾が取れるかまだ解らなかったので得点力の懸念が大いに残った。 

  

Asian Cup メンバー23人発表  28. DEC. 2010
Holger Osieck 監督は Asian Cup メンバーを発表した。メンバーの中には Kewell, Cahill, Emerton, Holman, Schwarzer らワールドカップメンバーが12人含まれていた。そしてA-League からJason Culina ( Gold Coast United ) Matt McKay ( Brisbane Roar ) Jade North ( Wellington Phoenix ) そして Melbourne Victory の FW Robbie Kruse らが選ばれたが特に Kruse の選出は第3 GK のNathan Coe ( Sonderjysk Elitesport : Denmark ) と共に初選出のサプライズだった。
それでも Kruse はU-17, U-20 ではオーストラリア代表に選ばれておりロンドン五輪候補メンバー。今後の Socceroos を担うFW選手となるだろう。

    

GK ではワールドカップ開幕直前に家族の病気を理由に出場を辞退をした Liverpool FC の Brad Jones が選出され、Leeds United の MF Neil Kilkenny も2008年3月昆明でのワールドカップ予選中国戦以来の選出となり、エジプト戦で31歳にして代表デビューを飾った Sasa Ognenovski もメンバー入りした。
その一方で名古屋グランパスの Josh Kennedy JEF 千葉の Mark Milligan は怪我の為にメンバー選考から漏れ、J-League からは浦和レッズの Matthew Spiranovic だけの選抜となった。そしてこれまで常連だった Vincenzo Grella, Scott Chipperfield そして Michale Beachamp らの名前はなかった。
またワールドカップ後エジプト戦を除く4試合で途中出場を果たしていたDario Vidosic も怪我の為かメンバーに入れなかった。

1月2日、オーストラリア協会は FW Ricard Garcia が12月初旬のCrystal Palace 戦で痛めた膝の怪我の回復が思わしくないので替りに Utrecht 所属の 19歳の Tommy Oar の召集を発表した。
Oar は Young Socceroos こと U-20 では29試合の出場経験があり2ゴールを決めており、これまで Soccoeroos のユニフォームを3度着た実績があった。そして Europe League の Liverpool 戦で好パファーマンスを見せた事が今回の召集に繋がったと言われている。 Rukavytsya じゃなかったなぁ.....

      

最終メンバー23人は下記の通りとなった。

GK
Mark Schwarzer ( Fulham FC ) , Nathan Coe ( Sonderjysk Elitesport ) , Brad Jones ( Liverpool FC )

DF
Luke Wilkshire ( Dinamo Moscow ) , Jade North ( Wellington Phoenix ) , David Carney ( Blackpool FC ) , Jon Mckain ( Al Nassar ) , Lucas Neil ( Galatasaray ) Sasa Ognenovski ( 城南一和 ) Matthew Spiranovic ( 浦和レッズ ) Carl Valeri ( U.S. Sassuolo Calcio )

MF
Jason Culina ( Gold Coast United ) , Harry Kewell ( Galatasaray ) , Matt McKay ( Brisbane Roar ) , Brett Holman ( AZ Alkmaar ), Mile Jedinak ( Gencelerbirligi ), Neil Kilkenny ( Leeds United ) Tommy Oar ( Utrecht ), Brett Emerton ( Blackburn Rovers )

FW
Tim Cahill ( Everton ) , Scott McDonald ( Middlesbrough ) , Nathan Burns ( AEK Athens ) Robbie Kruse ( Melbourne Victory )

赤字はワールドカップメンバー

オーストラリア代表は1月3日、合宿先の UAEに入り5日に UAE 代表と調整試合を行い6日からカタール入りをしたらしい。それにしても日本もそうだけど欧州のクラブチームがよく選手達を放したなぁ…

UAE 0 Australia 0 Sheikh Khalifa 5.JAN 2011 Asian Cup
開幕を3日前、最終調整を兼ねて Australia はUAE と親善試合を行い 0-0 で引分た。試合前、 Osieck 監督は “是非とも全ての選手を見る必要がある。そして全ての選手達はどんあ試合であれ起用されれば戦術に慣れる必要がある。選手達は何を期待されているかを理解し準備せねばならない。起用された選手達は我々が準備した戦術を理解し慣れなければならない。”この様に語っていた。

試合は Cahill, Kewell, Emerton, Culina そしてGK Schwarzer ら主力となるであろう選手達がベンチスタートとなった。 57分に Lucas Neil のシュートが UAE ゴールネットを揺らしたがその前に Ognenovski の位置がオフサイドとされゴールは認められなかった。
UAE もいくつかのチャンスを掴んだが後半から投入された N.Coe がファインセーブを繰り返し、Fares Juna ( Al Ain ) のシュートがポストを叩くなどアラーの神の御加護もいまいちだった。
“この試合ではスタメン選手出ない選手が必要とする時間帯でプレーする事が出来た。これは貴重な機会だった。そして多くの事を学んだ。” Ognenovski はこう語った。
この試合も前線は McDonald が Burns と2トップを組み、Holman が2列目からサポートをした。22分に McDonaldからボールを受けた McKay が放ったシュートがクロスバーを越え、後半も終了間際に McKay が放ったヘッドが僅かに外に外れる等得点は挙げられずエジプト戦に続いて無得点に終わった。

  

しかしながらこの試合フル出場したNeil主将は “もっとやれたかもしれないが、怪我人が出なくて良かったと思う。何試合かを通じて混乱を振り払う事が出来た。最初の30分は良くやれたがおそらく疲れのせいでボールを何度も失ってしまった。もしベストなコンディションなら勝たねばならない試合であったが無失点で終えられて良かった。まだやらねばならない事があるがこれまでの事は肯定的に捉えている。”
この様に語った。

GK B.Jones ( 46' N. Coe ), L.Neil, D.Carney, S.Ognenovski, B.Holman ( 57' T.Oar )
L. Wilkshire ( J. North ) C. Valeri, M. Jedinak ( N. Kilkenny ) M. Mckay, S. McDonald ( R. Kruse ) N.Burns  

なによりも Osieck 監督が就任後の5試合を通じてで選手達と信頼関係を築き上げられた事がもっとも大きな成果であると思われた。
Tim Cahill は“彼 ( Osieck 監督 ) と素晴らしい関係が築けた。かれがここで行った事は非常にオープンで実直であった。不思議なことだけど彼には Guus ( Hiddink ) を思い出させる。そして彼は選手と相互作用させる何かを持っている。 ”と語った。 Guus Hiddink の様な成果を残す事が出来るかと云う質問に就いては “それは難しい質問だ。これは Holgar のチームだからだ。彼はチーム戦術の土台作りに従事している様に思われるが限られた時間内でよくやっていると思う。それは難しい事でトレーニングを積むことにより成就していくと思われる。”
ベテラン選手達と新任監督との信頼関係が大会前短い期間で結べたことが Socceroos にとって一番の成果では無かったか…

オーストラリアは10日にインド戦を向けた後、14日に韓国。18日にバーレーン戦を迎える。