Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

ワールドカップ最終予選  大事な初戦の対戦相手はオマーン

2012-06-01 | 夏季五輪
いよいよ始まるFIFA World Cup 最終予選。ワールドカップやオリンピックを追いかけていると本当に月日の経つのが早い。それだけ歳をとっているわけか?
五輪イヤァーを向かえ、昔ほど出場枠を獲得できなくなった日本スポーツ界であるがサッカーだけは別。
厳しいアジアの戦いを勝ち抜いて男女共に出場権を勝ち取った。女子はメダル候補でもある。
ワールドカップ出場権獲得の可能性を高める為にも五輪開幕前の日本スポーツ界に勢いをつける意味でも、6月のワールドカップ予選3連戦ではしっかりと勝ち点を稼いで頂きたい。
それには初戦のオマーン戦が非常に大切である。

初戦のオマーン戦
このフレーズを聞くのは今回が初めてではない。 1997年3月23日、 Sultan Qaboos Sports Complex で行われたワールドカップフランス大会アジア地区1次予選、2004年2月18日さいたまスタジアムでのワールドカップドイツ大会アジア地区予選2次予選。 2004年7月20日 重慶オリンピックスポーツセンターで行われた AFC Asian Cup 中国大会と初戦で対戦しておりいずれも 1-0 の勝利を収めている。私の印象はいずれも “スコアーの 1-0 以上に競った試合内容”と記憶している。 特に2004年2月の試合は中村俊輔がPKを失敗するなど終始攻勢でありながら中々オマーンゴールを破ることが出来ずロスタイムに久保竜二が決めた決勝ゴールでようやく勝利に辿り着いた。
この時のGKが今でもオマーンゴールを守る English Premiership Wigan Athletics でプレーする Ali Abdullah こと Ali Abdullah Harib Al-Habsi 。
オマーンとは上記の他にも南アフリカ大会3次予選でも対戦しており 3-0 ( 横浜 ) 1-1 ( Damascus ) の戦跡となっており通算7回対戦して5勝2分、得点9、失点2となっている。




1分2敗から3次予選を勝ち抜く
オマーンが所属した3次予選 D組はオーストラリア、サウジアラビア、タイが同じ組にいた比較的“激戦区”であった。
当初はオーストラリアとサウジアラビアが有力視されていた。 オーストラリアは開幕から3連勝を飾りその強さを見せ付けた。
2位争いは第3節を終わって第2節でオマーンを破ったタイが勝点4で2番手のつけておりオマーンは勝点1でサウジアラビア(この時点で勝点2)にも遅れをとり最下位だった。
そして2011年11月11日、オマーンはホームMuscat にオーストラリアを迎えることとなっていた。この試合でオーストラリアが勝てばオーストラリアの3次予選突破が決まりオマーンの3次予選突破がかなり厳しくなるとことろであった。

Preview: Oman v Qantas Socceroos

それまで4度あった両者(オーストラリア、オマーン)の直接対決はオーストラリアの3勝1分であった。
1ヶ月前の10月11日、Sydney ANZ Stadium で行われた試合はオーストラリアが 3-0 で勝利を収めていた。

"If it ain't broke, don't fix it" ( 壊れてないものを直すな。うまくいってることに対しては干渉しない方がいい。 )
これは1999年オーストラリアの国民投票前に君主主義者の間で言われたキャッチコピーだった。 

これは同時にオマーン戦を控えた Socceroos のHolger Osieck 監督にも当てはまる難問でもあった。
オマーン戦のスタメンを決めることについては1999年の国民投票の時ほど政治色は無いが、Brett Emerton をHyundai A-League のシーズン開幕戦のSydney FCでのデビュー戦出場を容認し、
10月11日に Sydney で行われたオマーン戦の準備試合の為にキャンベラで開催されたマレーシアとの準備試合に召集しないという外交手腕は発揮された。
Osieck 監督は同じ好意を Harry Kewell にも見せて彼をオマーン戦 ( 11月11日 ) とタイ戦 ( 11月17日 )の遠征メンバーに加えた。

しかし Kewell と Emerton という経験あるベテラン2選手の遠征招集は歓迎される選択であるはずだった。
そして Ange Postecoglou 監督の指揮下、目覚しい成長を遂げた Brisbane Roar のMF Mitch Nichols が2009年以来の代表召集となった。前に召集されたのは Pim Verbeek 監督時代の Asian Cup 予選のクウェート戦でこの試合には62分に交代出場を果たしたものの試合は 0-1 で敗れた。

例え今回のオマーン、タイ遠征メンバーの中では Kewell と Emerton 以外はNichols だけが A-League 所属の選手ではあるが彼の召集と Hyundai A-League の選手が国際レベルでプレーすることにより自信を育むことは同等のものである。しかしNicholas の召集は他の候補選手であった、Aston Villa の Youngster である Chris Herd が怪我で召集を辞退したためにお鉢が回ってきたと言う事も書き落としてはならない。
Heard は土曜日(2011年11月5日 ) の Norwich City 戦では90分プレーしたが遠征に耐えられない程の負傷を足首に負った。 

10月にオマーンを 3-0 で破り直近8試合で5連勝を飾った試合の布陣を変えるのかどうか、また変えるとしたらどの様に変えるのか?
Kewell をスタメンに入れるのであればここ4試合で6ゴールを決めている Josh Kennedy のスタメンは難しくなる。
Emerton を起用するなら Luke Wilkshire を守備に回し Rhys Williams を起用することになるだろう。10月のオマーン戦では背筋痛で出場できなかった正GK Mark Schwarzer は今回 Adam Federici に替わって起用されそうだ。

Australia v Oman - An unlikely rivalry

ワールドカップドイツ大会を終えてAFC に加盟したオーストラリアが最初に臨んだ公式大会が2007年東南アジア4カ国で開催された AFC Asian Cup 。
その初戦で対戦した相手がオマーンだった。
バンコクのRajamangala National Stadium には約5,000 人の Green and Gold Army ( Socceroos サポーター ) が駆けつけたが彼らの前で繰り広げられた Socceroos のパフォーマンスは前年のワールドカップメンバー10人を含んだスタメンイレブンであったがドイツで見せたものとは程遠いものであった。
当時 FIFA ランク74位だったオマーンは 32分にルーズなマークを縫って Bader Al Maimani が先制ゴールを決めると後は守備を固める。
東南アジア独特の高温多湿のコンディションにあえぐ Socceroos 達は同点に追いつくチャンスを作れず時間が過ぎていくばかりであった。そしてロスタイムに入りようやく Mark Bresciano のシュートの跳ね返りを Tim Cahill が押し込んで何とか勝点1を確保した。
当時の Graham Arnold 監督は試合後オーストラリアはある選手は試合後体重が 5kg も減るなど気候に順応できなかったことを認め “牢屋を出たばかり。”と語った。
しかしそれは今大会、準々決勝戦で日本に敗れた大会の悪夢のスタートに過ぎなかった。
次の対戦は Asian Cup 予選であった。 2009年3月5日、キャンベラで行われた試合は0-0 のまま試合が進みまたも Tim Cahill が74分にゴールを上げ均衡を破りオーストラリアが辛勝を収めた。
当時のClaude Le Roy オマーン代表監督は試合後の記者会見でオーストラリア代表の役員達に侮辱されたと訴えた。

オーストラリア人たちは最初から我々が時間稼ぎをするものだと考えていた。しかし私はけっしてそんなことは指示しなかった。選手たちには前に、前にと指示した。オーストラリアは技術のある選手をたくさん含んだ大変すばらしいチームだワールドカップ2010年大会では彼らを支持する。しかし彼らが次に Muscat に来る前に我々はしっかりと準備を整えるであろう。

そのフランス人監督の“しっかりと準備する”という警告は Muscat でのリターンマッチで充分に知らしめられた。

15分にPKを得たオマーンはその時に Le Roy と彼の選手達がなにやら約束を果たした様なRhys Williams も退場で失うという立ち上がりであった。そして観客席から花火が David Carney の近くに放り込まれるなど緊張は高まるばかりであった。
Socceroos 達は Luke Willkshire が前半43分に同点ゴールを決めると観客席からの敵対心を振り払い 82分に Brett Emerton の逆転ゴールで勝利を収めた。
そしてオマーンの Asian Cup へのチャレンジは最終戦ホームでのクウェート戦を引き分け本戦出場は叶わず Le Roy は解任されることとなった。
この Asian Cup 予選でオマーンを連破しオーストラリアは 2007年大会のオマーンの亡霊を振り払うことが出来た。 
そして2014年ワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選で再び両国は同じ組となり Paul Le Guen 監督下、再び彼らの挑戦を受けることとなったが2011年10月11日シドニーで行われた第3節の試合では8分に Brett Holman が先制ゴールを決めると前半は試合を試合する。そして65分に Kennedy がゴールを決めリードを広げると最後は Jedinak がダメ押しのゴールを決めて 3-0 で Socceroos が勝利を収めた。

Osieck demands perfection from Socceroos
Muscat でのオマーン戦を前に Holger Osieck 監督は勝利以上のものを求めている。それは全勝で予選を終えアジアでの確固たる地位を築くという事だ。 Sultan Qaboos Stadium でオマーンを降せば2試合を残して最終予選進出が決まる。
しかし Osieck 監督はそれでは不十分であると思い、選手たちには残るタイ戦と2月のサウジアラビア戦でも手綱を緩めることなく全勝で日程を3次予選を終了することを望んでいる。
それは他のアジア諸国に Socceoos の脅威を当たることを意味するのだろうか?
“ 脅威とは多分大げさだろう。精神的に優位に立ちたい。 我々がチームとして進化し続けている間、我々がやろうとしている football を披露しそれを良く続けている間は、対戦相手は注意を払うっているということは認められるだろう。 
オマーン戦での勝利はレギュラー選手たちが次のタイ戦、サウジアラビア戦ではモチベーションを低下させる可能性があるとおもわれがちだが Osieck 監督は決してチーム力は低下しないと繰り返す。

“ 他の選手はアピールの場を得られるだろうが彼らはまだ挑戦を続け出場した試合を勝つという義務がある。 選手を Socceroosに召集した選手は常に勝利のメンタルを兼ね備えて貰いたいと思う。我々は決して1896年の五輪の時の様に参加することに意義があるというスタンスではない。”
Osieck の全勝の考えは勝利の文化を確立するばかりでなく FIFA ランクの上位を維持し最終予選で日本とならんでシードされることも視野に入れている。

“私は危ない橋を渡りたくはない。 誰もこのシステムはわからない。 だからシードされるということはシードされるチームであるということだ。恐らく最高の一流ということではない。 日本は大変危険だ。しかし違った質を持っている。だから FIFA ランクは維持したい。”
試合を前に Osieck はMark Schwarzer をGKに起用すること意外、スタメンの言明を避けた。Brett Emerton と Sasa Ognenovski の起用についても最後の瞬間に決定を下したいと語った。
オマーンはまだオーストラリアを破ったことは無いがこの試合はタフなものになると予想している。シドニーとの試合ではメンバー入りしなかった Fawzi Bashir が Paul Le Guen に召集される事となった。

“試合はタフなものとなるだろう。オマーンはこの試合に敗れれば予選が終わってしまうというところにいる。だから彼らは大変攻撃的に来るだろう。そしてやるかやられるかの勢いで臨んで来て我々を打ち負かそうとするだろう。彼らは恐らくシドニーでの試合よりもいいプレーをするだろう。それは確かだ。”




Disjointed Socceroos shocked by Oman
前半18分 Amad Ali Hosin のゴールが決勝点となり予選突破に望みを繋いだ。そしてオーストラリアは連動とゴール前の突破に欠けた。
Socceroos は高いボール支配率を維持し多くのチャンスを掴んだが相手GKを恐れさす程ではなかった。
この試合のオマーンは守備面でかなりの改善を見せそれが対オーストラリア戦初勝利に繋がった。
先制ゴールを許した Socceroos は27分 Brett Holman がゴールを割ったがオフサイドで認められず、後半 Luke Wilkshire がPA 内で倒されたがホイッスルは鳴らなかった。
前半、オマーンGK Al Habsi は Holman のシュートを難なく防ぎ、セットプレーからの Spiranovic, Jedinak のヘッドはそれぞれゴール枠を捉えられなかった。
Kewell の 2度のシュートそして Luke Wilkshire のショットはゴールを外した。
試合を決めたシュートはオマーン陣内深くからMohammed Al Makhaini から1本のロングパスが Al- Hosni Amad に送られ、 Rhys Williams の鼻先で受けた Al-Hosni のドリブルシュートが GK Mark Schwarzer の守るゴールを破り , 2011年7月24日ワールドカップ2次予選のミャンマー戦で Ismail Al Ajmi がゴールを決めて以来400分間続いた得点空白期間に終止符を打つことなった。
Al Mukhaini Hadid Thuwaini はその後あわや追加点と思われた直接FKを2度放った。
オーストラリア74分に Rhys Williams を下げてベテランMF Brett Emerton を投入し同点ゴールを狙ったが最後まで得点を挙げることが出来ず、このワールドカップ予選4試合目で初完封負けを喫した。この敗戦は Osieck 監督下20試合目にして3敗目であった。



Bausher Sports Complex で行われたオーストラリア戦。  Paul Marie Jospeh Le Guen 監督は10月11日のアウェーでのオーストラリア戦からメンバーを5人入れ替えてホームのオーストラリア戦に臨んだ。
オーストラリアの Holgar Osieck 監督は GK に負傷の癒えた Mark Schwarzer を第2GK Adam Federici に替わって起用し、前節起用された Michael Zullo に替わって Harry Kewell が起用し、 Josh Kennedy と2トップを組んだ。 しかし Kewell は55分に Robbie Kruse と替わってベンチに下がった 。Mitch Nichols はベンチ入りしたものの出場機会は最後まで無かった。

前節のホームでのオマーン戦の前にキャンベラで行われた“準備試合”で2ゴールをあげた清水エスパルスでプレーするアレックスこと Alex Brosque はこの試合も出番が無かった。しかしLukas Neil と組むCBとして 戦前ではSasa Ognenovski の起用が予想されたが浦和レッズ所属の Matthew Spiranovich がスタメン起用され90分間プレーした。



Australia (4-4-2): GK : Mark Schwarzer; DF : Rhys Williams ( 74’ Brett Holman ) , Lucas Neill (c), Matthew Spiranovic, MF ; Luke Wilkshire, Carl Valeri, Michael Jedinak, Matthew McKay, FW ; Harry Kewell ( 54’ Robbie Kruse ) , Josh Kennedy.

Oman (4-3-3): GK ; Al -Habsi , DF ; Abdullah Mubarak Al Balaushi, Al Amur Juma, Al Mukhaini Juma, Al Yousuf Madhafar ( 80’ Said Sanjoor ) , MF ; Al-Farsi, Al Hadhri Farah ( 70’ Ismail Al Ajmi ) , Hadhri, Al Mubarak Obaid, Al Mukhaini Thuwaini FW; Abdul Al-Maqbali , Amad Al Hosin ( 60’ Bashir Rajab ) ,

Not in use
Australia ; GK Nathan Coe, Adam Fedrici ; DF Sasa Ognenovski, Michael Zullo, MF ; Adam Sarota, Neil Kilkenny, FW James Troisi, Alex Brosque, Nicholas Mitchell,

Oman ;
GK ; Faiyz Al Rusheidi, Al Hawaidi Sulaiman, MF ; Nasser Al Ali, Mohamed Mukhaini FW ; Badar Bamasila, Abdullah Mukhaini, Al-Housni Suwaidan, Hamood Al Sadi

試合後 Osieck 監督は”我々はけっして勝利に値しないチームではなかった。”とコメントを残したが、試合内容はシドニーでの試合とは格段の差があったらしい。 GK が Schwarzer でなければ2点以上失っていたかもしれない。
そして Kewell はこの試合次の対戦相手国タイには行かずオーストラリアに帰国することとなった。



オマーンはこのオーストラリア戦の勝利をきっかけに生き返り最終的にはサウジアラビア、タイを抑えて最終予選進出を決めた。


 それにしても中東の選手は名前が長くて覚え切れない。かつてAFCが決めたとおり1選手1背番号制度を復活させてくれないかな?選手が一度つけた背番号を変えられないという規則。だから背番号が50番台の選手もいた。これは二重登録や登録詐称を避ける為だけれどこれはむしろ中東諸国の不正を防ぐため。この規則が廃止されたのは後に会長になった Mohammed Bin Hammam の影響か?     続く




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